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ネットロアをめぐる冒険

ネットにちらばる都市伝説=ネットロアを、できるかぎり解決していきます。

五味太郎のエッセイのちょっとした暗さをおすすめする

本の紹介

五味太郎というと児童書が有名ですよね。

きんぎょが にげた (福音館の幼児絵本)

 

その独特のセンスは長新太と双璧をなすツートップだと勝手に思っています。

そんな五味さんがエッセイを書いているとは知りませんでした。

ときどきの少年 (新潮文庫)

『ときどきの少年』というこの本は、五味が「子どもの頃のことを、はたしてどれぐらいきっちり記憶している」かを「単純な興味」で書いてみた、とのことです。

 

五味は1945年生まれなので、古き善き的昭和の香りのエッセイということでは、先日書いた向田邦子と似たところはあるかもしれません。

 

ibenzo.hatenablog.com

 

しかし、向田の昭和が基本的に明るい「陽性」のものだとしたら、五味の描く昭和はどこか暗い。直接的に何かがあるのではなく、その「少年の目」で見つめるその目にどこか陰があるのです。その陰はSの家にある売春宿であり(『カーテンの向こう側』)、森の中に消えていく人攫いの自転車であり(『人さらい』)、万引きした野球カードから得た空しさであり(『野球カード』)、ガキ大将が内包する理解不能な狂気であり(『お山の大将』)、そしてそれをもつ少年自身です。

 

私は読んでいて何となく、内田百間を思い出しました。あの現実とも幻想ともつかない感覚が、大人になってから少年時代のことを思い出す、夢と現実の奇妙な融合感なのかもしれません。

 

秀逸なものはいくつもあるのですが、『硬貨』『金さんのこと』がなかなかよいです。どちらも、最後の締めがいい。『硬貨』は、どこかの外国でアイスキャンディーを少年から買った筆者が、思ったよりも払いすぎたその代金について宿に帰りながら思い返しながら、「世の中なにはともかくお金が一番で、加えてもうひとつ、お金より大切なものがこの世の中にあるといううわさを耳にしたことがある二人が、それぞれの塒に戻る夕方であった」と、ちょっと斜めに見て終わるところがすばらしい。

『金さんのこと』は、拾った銅線を韓国人の金さんに売る小学生の体験談なのですが、彼の日本語と朝鮮語の時の話し方の違いから、こう締めくくります。

 

金さんの大きな声の日本語と、小さな声の朝鮮語、それは、ひとと言葉、あるいはひとと国家についての諸々の問題にぼくが出遇う時、いつもその核となる風景であって、その問題に対してそれなりの答といったものを、頭の中ででっち上げなくてはならぬ時のもどかしさは、なんとなく金さんの喋り方のそれに似ていると思うことが度々ある。だからこそぼくの場合も、もどかしいがゆえに却って、その答というものが馬鹿に仰々しいものになってしまうのかもしれない。

 

様々な問題に仰々しくなってしまう我々も、反省したいなあとおもう言葉です。