ネットロアをめぐる冒険

ネットにちらばる都市伝説=ネットロアを、できるかぎり解決していきます。

「吉田沙保里を破ったアメリカ人の感動エピソードはデマ」はデマなのか、「ネット上」で調べられることもある

強く、潔く。  夢を実現するために私が続けていること

あの吉田が敗れたということで、ちょっとしたショックが日本を襲っているようですが、こんなツイートが話題になっています。

togetter.com

吉田選手を破ったマルーリス選手が、「12歳の時にアテネ五輪で吉田沙保里選手を見て、レスリングをやめさせようとする両親を説得し続けることができた」ということらしいです。

しかし、その後、こんな記事が出ます。

web.archive.org

上記の美談がデマだというブログですね。論拠はソースが「どこにも見つからない」から。うちのブログが書きそうな内容ですが、この程度でデマとは私なら断じません。

しかししかし、またもこんな記事が出ます。

nlab.itmedia.co.jp

これがデマだというのはデマだという、もはやよくわからなくなってきた記事です。ねとらぼさんいわく、NHKの実況の際に、初出のツイッターのようなことを言っていたんだとか。じゃあその実況の内容を書けよと思ったら、先ほど追記としてアップしていましたね。元の実況を聞けなかったので、引用させてもらいます。

ヘレン・マルーリス24歳。アテネオリンピック、吉田沙保里の優勝のそのシーンをテレビで見ていました。いつか自分はその頂きへ。(中略)かつては、レスリングを止めようかと思った。両親の説得がありました。2004年。吉田沙保里が優勝したアテネ。その種目に採用されて両親は種目を、このレスリングを続けることを許可しました。

しかしながら、ねとらぼさんは、上記の実況の内容を「取材を元にこのエピソードを紹介していました」と書いています。うーん、「取材を元に」というのは、どこにも言ってなさそうなので、ねとらぼさんの推測では?と思います。だいたい、「実況が言ってたからこの話は事実」というのも、詰めとして甘い感じがします。

 

というわけで、痒いところに手が届くようにする、当ブログが、事の真偽をもう少し証拠をそろえて調べてみました。

 

 

***

 

 twitterの内容は正確か

さて、当該呟きは既に削除されてしまいましたが、こういうことを呟いていました。

アメリカ初の金メダル、ヘレン・マルーリス選手24歳は、12歳の時にアテネ五輪で吉田沙保里選手を見て、レスリングをやめさせようとする両親を説得し続けることができた。

ちなみに実況を再掲して比較してみましょう。

ヘレン・マルーリス24歳。アテネオリンピック、吉田沙保里の優勝のそのシーンをテレビで見ていました。いつか自分はその頂きへ。(中略)かつては、レスリングを止めようかと思った。両親の説得がありました。2004年。吉田沙保里が優勝したアテネ。その種目に採用されて両親は種目を、このレスリングを続けることを許可しました。

 

「中略」がとても気になるのですが、実況を分解してわかりやすくすると、

 

①アテネオリンピックの吉田選手優勝を見て、自分も優勝したいと思った。

②両親の説得で、レスリングをやめようと思った。

③レスリングが2004年のアテネ・オリンピックから採用されたことで、両親が続けることを許可した。

 

となります。

 

しかしながら、実はこの実況、②と③にはつながりがありますが、①と③にはつながりがないんですね。よーく読むと、レスリングが続けられたのは、別に「吉田選手を見たから」とは言ってないわけです。あくまでも、「吉田沙保里が優勝した」2004年の大会でレスリングが採用されたから、ということが言いたいわけです。実況とtwitterの内容は、必ずしも合致しているようには思えません。

 

文字におこして読むと、どうもこの実況の整合性のおかしさに気がつくわけですが、耳で聞いている分には「12歳の時にアテネ五輪で吉田沙保里選手を見て、レスリングをやめさせようとする両親を説得し続けることができた」と思うのも無理はありません。

 

また、これをリツイートしている呟きを見ると、どうも「12歳の時、吉田選手を見てレスリングを始めた」みたいなものが散見されるのですが*1、これは情報の再生産で違います。後述しますが、彼女がレスリングを始めたのは7歳の時ですね。

 

マルーリスがやめようとした理由はなにか

ところで、両親がレスリングをやめさせようとした理由はなんでしょう。「デマだ」と断じたブログでは、「ソースがない」と書いていましたが、よく調べてください、ソースはあります。

 

www.vogue.com

 

 

Vogueのインタビュー記事です。グーグルの表示を信じるなら、2016年8月10日。いずれにせよ、このオリンピック戦より前の記事です。

 

記事には、マルーリス選手が7歳の時に、兄の練習パートナーとしてレスリングを始めたとあり、続けてこう書いています。

 

After just one season her Greek-American parents made her quit, arguing that since women’s wrestling was neither an Olympic event nor a sanctioned sport in their home state of Maryland, 

ちょうど1シーズン後、彼女のギリシャ系アメリカ人の両親は、女子レスリングがオリンピックにない上に、彼女たちの住むメリーランド州でスポーツとして認可されてなかったことから、レスリングをやめさせました。

 

マルーリス選手が7歳の時は、1998年ごろでしょうか。女子のレスリングがオリンピックに採用されるのは2004年のアテネ大会からなので、両親としても、このまま実にならない競技を続けても…という思いはあったのでしょう。メリーランド州云々の話がちょっとよくわからないのですが、公式競技でない、ぐらいの意味でしょうか*2。いずれにせよ、7歳の年の1シーズン後、恐らく1999年ごろに、マルーリス選手は一度レスリングをやめているわけです。

 

しかし、記事では続けて、「オリンピック委員会が女子レスリングを2004年に追加種目にする」というアナウンスが流れるとすぐに、マルーリスはまたレスリングを始めた、とあります*3。当然ですが、2004年のオリンピックに女子レスリングを行うためには、その数年前から告知をしなければなりません。この告知がいつされたか不明ですが、「Soon enough」という記述があるので、1999年か2000年ごろということになるでしょう。マルーリス選手は8歳か9歳といったところでしょうね。

あわせて、マルーリス選手はシニアハイスクール卒業後、ミシガン州の「all-women Olympic education center」にトレーニングのため移ります。それまでは大学生相手に練習していたという内容も、別記事ではありますがあります*4。ずっとレスリングの人生を歩んできたわけですね。

 

つまり、「両親の反対」は、オリンピック競技に女子レスリングがなかったからであり、正式に競技として採用された後は、すぐにレスリングに復帰しているわけです。ここに「吉田沙保里」の名前は出てきません。この内容は、NHKの実況の③と合致するので、もしかするとアナウンサーはこの情報を「取材」したのかもしれません*5。まあ、このあとまた両親の反対があった、なんていうことがあったら話は別ですが、探した限りでは「ネット上では」見つけられませんでした。

 

吉田選手に憧れていたか

では、マルーリス選手にとって吉田選手はどんな選手なのか。

彼女はインタビューで、「リオで金メダルを取るためには、吉田沙保里と戦わなければならないだろう」と答えながらも、こうも続けます。

 

but I also know that I'm probably going to have to wrestle four or five matches leading up to that. So she is not my biggest competitor – everyone's my biggest.I don't underestimate anyone, I respect every opponent.

だけど、そこに辿り着くためには、4回か5回戦わなければならないことも知っている。だから、彼女は私の最大のライバルではない。全ての選手が私の最大のライバルなの。私は誰も過小評価しないし、誰をもリスペクトしてるわ。*6

 

そのあとで、「吉田選手対策を何年もかけて行ってきて、彼女との対戦を楽しみにしてきた」という話をしますが*7、こうも続けます。

 

But I'm also preparing for everyone else too, and I look forward to wrestling them as well.

だけど、私はまた、全ての選手のために準備をしたのよ。そして、吉田選手と同じように、他の選手との対戦も楽しみにしているの。

 

この発言を聞く限りでは、彼女が吉田選手だけを特別視していないように思えます。もちろん、女子レスリングの選手として、数々の戦績を残した吉田選手を尊敬しないわけはないでしょう。しかし、彼女は、そうやって吉田選手だけをスペシャルにしてしまうことは失礼ではないか、ということを、言外に含めているようにも聞こえます。

 

まあそれは推測が過ぎるにしても、もちろん彼女が吉田選手を尊敬していないわけではありません。試合後のインタビューではこう答えています。

 

私がレスリングを始めた時から彼女はトップにいてずっと尊敬してきました。レスリングは過酷な競技です。最強の彼女を倒すためにすべてを出し尽くしました。

 

sports.nhk.or.jp

 

 

 

 

今日のまとめ

①マルーリス選手がレスリングをやめそうになったのは、女子レスリングがオリンピックの種目でなかったからである。

②2004年のアテネ大会からの正式種目入りが告知されてからはレスリングを再開している。

③実況の内容を細かく見ると、上記①②のことを言っているのであり、「吉田沙保里選手を見て、レスリングをやめさせようとする両親を説得し続け」た、ということは言っていない。

 

以上、「ネット上」から集めてきた情報から判断したことです。マルーリス選手が吉田選手を尊敬していることは間違いありません。しかしそれは、マルーリス選手が特別に思っているのではなく、全ての女子レスリングの選手が感じていること、と思います。階級の違いはあるにせよ、ここまで不敗で貫いてきた彼女を、誰が貶めることができるでしょうか。

 

よって、華々しくこの美談を「デマ」と断じて散っていたブログが正しいとは思いませんが、さりとて、ねとらぼさんが言うように、「実況が言ったから事実」として話を終えてしまうのもいかがなものか、と思ってこの記事を仕上げたしだいです。確かに「ネット上にはない情報も存在します」が、それはできる限り「ネット上」で調べてから書くべきことかな、と思います。

 

 

個人的には、アメリカのメディアに対して答えているマルーリス選手の言葉の方が、レスリング自体に対する敬意のようなものが感じられていいなと思いました。ちょっと長いですけど、意訳します。

 

Yoshida is an incredible, incredible athlete. The more I studied her, the more it was like, she is not my enemy, no one here is really my enemy. God taught me that these are women who want the same thing that you do and are sacrificing the same things that you are. It is not about hating that person you are going against, but it is about respecting that person so much that you are going to give your all

吉田選手は途方もない、偉大なアスリートです。彼女を研究すればするほど、彼女は敵ではない、誰も本当の意味で自分の敵ではないと感じました。みんなが自分と同じものを求め、自分と同じものを犠牲にしてきたんだと、神様が教えてくれました。敵対して嫌うのではなく、全力をつくした選手として尊敬するということです。*8

 

やっぱり吉田沙保里という人間は、とてつもない存在なんですね。

 

 

 

 

*1:https://twitter.com/rockandlus/status/766596671656464385

https://twitter.com/zushimi1118/status/766478531622645760

とか

*2:もしくは、慣習的に許容されていない、という意味か。「女子レスリングがタブーなんて知らなかった」みたいな発言を彼女はしていますし。

Helen Maroulis Is Proudly A Pioneer In Women’s Wrestling

*3:Soon enough, the Olympic committee announced plans to welcome women wrestlers to the 2004 games, and Maroulis was back on the mat.

*4:In high school, Maroulis wrestled on the varsity team for three years, during which time she competed against boys. 

Who is... Helen Maroulis | NBC Olympics

*5:この情報が載っているのは、あとは私が探した限りではThe National Heraldぐらいで、

Olympic Update- Another Medal for Greece and Helen Maroulis Poised to Make History | The National Herald

上記はこのVogueを参照した形跡もあるので、Vogueの情報が間違っていると言われてしまうとそれまでなんですが、さすがに本人に直接インタビューしているようですので、それはないかと思います。

*6:Helen Maroulis has been 'preparing for years' to face Saori Yoshida | NBC Olympics

*7:So am I preparing for Saori? Of course, absolutely. I've been preparing for her for years, and I really look forward to wrestling her.

*8:Maroulis beats three-time Olympic champ Yoshida, becoming the first USA women’s wrestling Olympic champion