ネットロアをめぐる冒険

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ハチミツと育児の歴史、夥しい死者の群れ

 

ハチミツとクローバー (10) (クイーンズコミックス―コーラス)

ハチミツを食べた赤ちゃんが、ボツリヌス症を発症し、亡くなったというニュースが先ごろありました。

 

その際、クックパッドなんかに、離乳食用にハチミツ入りのレシピが公開されていて、問題が指摘されておりました。

 

 

www.oricon.co.jp

 

 

同時に、「ハチミツ」とボツリヌス症の関係が日本で注意喚起されたのは1987年と歴史が浅く*1、まだ十分に知られていないのではないか、という指摘もありました*2

 

「乳児とハチミツ」の危険性が、なぜ完全には広まっていないのか、という部分について、そもそも、「ハチミツ」と「乳児」がどのように日本で関わってきたのか、という歴史を今日は紐解いていきたいと思います。

 

 

***

 

 

日本のハチミツの歴史

ハチミツ自体は日本には古来からあったようですが、きちんと広まり始めたのは明治期以降といわれています。

 

その頃の用法を見てみると、食用というよりも、薬としての効能が多いかな、という印象です。1887年の『薬物学大意 二』では、「蜂蜜」の項目に、「用途」として、

 

咽喉腫脹及び鵞口瘡*3に会嗽薬とこして用ふ

国立国会図書館デジタルコレクション - 薬物学大意. 二

 

とあり、漢方の世界ではどうやら、薬用の意味が強かったようです*4

 

日本では、「蜂蜜石鹸」ということで、「櫻石鹸製造本舗」という会社が、

 

今又化粧品として奇効を有する蜂蜜を原量とし

朝日新聞1893年3月25日 P6

 

と但し書きをして広告を出したりしています。ちょっと時代は下りますが、「あれ性の手当」という題で、

 

蜂蜜を満遍なく顔に塗つたまま寝み、翌朝落してもよし

朝日新聞1937年1月7日 P4

 

保湿剤のような役割も喧伝されています。しかしベトベトしそうですが。

 

消化をよくするという効能も喧伝されています。

 

(前略)蜂蜜は、その生の状態に於いては、多量の消化酵素を含み、食後などに、それを単に嘗めることに依つて、食物の消化が助けらるゝことがある(後略)

国立国会図書館デジタルコレクション - 胃腸強健法講話(1930)

 

 

一方、1889年の『養蜂改良説』には、「蜂蜜の商況」として、

 

近頃都鄙押しなべて砂糖に用ふること盛んなり聞く所によれば既に毎人五斤を消費すと云ふ

国立国会図書館デジタルコレクション - 養蜂改良説

 

という記述があり、明治中盤からは食用としての用法も広がりつつあったことがうかがえます。ただし、その広がりは鈍かったようで、『養蜂大鑑』(1913)では、「わが邦にては従来一般に食用に供せられざりき」として、その理由を「蜂蜜の生産尚甚だ乏しく」「収蜜法不完全にして」「普通の販売品は到底食用に適せざりし」としています*5

 

ただ、商品としては売られており、1911年の新聞広告では、「リッチハネ」という商品が、

 

滋養分に富む 美味しい精製蜂蜜

朝日新聞1911年5月27日

 

という文句で宣伝されています。この「滋養」というのはハチミツのキーワードで、ハチミツの効用では必ずと言っていいほど出てきます。

 

蜂蜜を分析すると多量の葡萄糖と少量の蟻酸鉄分を含んでゐる葡萄糖は直ちに血液と化すから滋養分のある点から言つてもこれに勝るものはない

国立国会図書館デジタルコレクション - 養蜂(1915)

事務家読書家などの精神の疲労や労働の後に身体の疲労を感じて、何か興奮剤でも欲しい様な時には熱い蜜湯の一杯を飲むと立ろに元気を回復することを受合です。

国立国会図書館デジタルコレクション - 蜂蜜とその用ひ方(1915)

 

1923年の朝日新聞の記事では、益田孝というじいさんが健康長寿の秘訣として、

 

バタでは不味いから蜂蜜と山から運んできた牛乳

朝日新聞1923年8月10日 P4

 

を、毎朝食べている、なんて記述も見えます。

 

1928年の『健康新道』では、

 

毎日起床勅語と、就寝直前に、蜂蜜を茶碗に一杯づゝ服用するのです。最初二三ヶ月は何の効果も見えませんでしたが、その後時と共に皮膚には艶が出来、体には肉が附いて今では昨年実験前に比較して一貫八百目も体重が増加しています。

国立国会図書館デジタルコレクション - 健康新道

 

滋養増強の効果をうかがわせています。

 

 

つまり、日本において「ハチミツ」は、そもそもが「薬効」があり、そして「滋養」に代表されるような、かなり身体にいい食べ物として広まっていったわけです。

 

 

育児とハチミツ

子どもへのハチミツの効用は、1910年代から見られます。

 

例えば、先ほど挙げた『蜂蜜とその用ひ方』(1915)でも、滋養の側面の話から、

 

(前略)それを蜂蜜か蜂蜜製の菓子に代へたならば病気の原因を作すやうなことは無いから実に安全なものです。

国立国会図書館デジタルコレクション - 蜂蜜とその用ひ方

 

と書いています。

 

新聞紙上でも、「蜂蜜の栄養素」という見出しで、

 

第一は糖分で、その他、色素、香があります。糖分は身体に吸収されやすい形になっているから(中略)特に幼児に最適です。

朝日新聞1931年10月24日

 

と書いたり、

 

乳児の栄養として蜂蜜を母乳や牛乳に加えることは欧米の家庭の常識

朝日新聞1931年10月24日

 

と、かなり推しています。この頃は栄養状態もよいわけではなかったでしょうから、自然、滋養のあるものとしてハチミツに注目がいったのでしょう。

 

他にも、消化によいという話から、『養蜂のしるべ』(1917)では、

 

殊に小児の如く発育上多量の糖分を要する時代には、消化器が虚弱でありますから、成るべく不消化なる砂糖を節して、此蜂蜜を用ゆる時には其健康並に発育上、最も有効なるものであります。

国立国会図書館デジタルコレクション - 養蜂のしるべ

 

というような点が、子どもに適しているとしています。

 

この「消化」の話は、赤ちゃんの便秘の話と結びつきます。

 

1937年の『日常家庭科学の研究』では、「蜂蜜」の効用として、

 

4、乳児の便秘に。乳幼児の便秘した時、一日二回一匙約五瓦位を与へる。

国立国会図書館デジタルコレクション - 日常家庭科学の研究. 衛生篇

 

と書き、便通をよくする話が出てきています。

 

この話は昭和10年代から広がり始めたのか、新聞紙上でも、

 

(二)乳離れの時の幼児に、パンや軽い菓子につけて食べさせると便通をよくし大変元気になります

朝日新聞1939年5月25日 P6

 

①人工栄養の幼児に、砂糖の代りに与えますと、便秘する心配がなく、離乳期の子どもなども、パンや菓子の間に入れて食べさせると元気になるものです。

朝日新聞1941年1月30日 P4

 

(赤ちゃんのお通じが悪いという質問に対し)蜂蜜か水飴、あるひは滋養剤などを与えてごらんなさい

朝日新聞1941年6月20日

 

などという話がよく出てきます。

 

古今問わず、乳児の便通や栄養状態は悩みの種でした。そこに登場した「ハチミツ」の効能は、その不足を補うに足る存在だったといえるでしょう。

 

その後のハチミツと育児

大政翼賛会文化部が編んだ『保健教本』(1942)には、「乳幼児に用ひられる事の多い食料食品の成分及び其カロリー」という表の中に、「蜂蜜」の表記はあります。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 保健教本. 第1

 

ところが、個人的な感覚としては、どうもそれ以降、あまり「蜂蜜」は育児の表舞台には立たなくなります。

 

試みに、1940年代から1990年代までの育児書を、できるだけ読んでみましたが*6、「消化」「便秘」の話はほとんど掲載されなくなっています。その理由までは不明ですが、掲載されている内容の多くは、レシピによるものです。

 

『スポック博士の育児書』(1966)では、

 

シリアルも果物も、なるたけお砂糖をかけずにすめば、それにこしたことはありません。しかし、砂糖や蜂蜜、糖蜜などを、ほんの少しかけたほうがよろこぶようなら、そうしてやりなさい

『スポック博士の育児書』(暮しの手帖社)1966 P425

 

とあり、滋養などではなく、食べさせるための手立てというような感じです。

 

他にも、『幼児と栄養』(1969)では、

 

主食のごはんやパンには、ビタミンB1強化米や小麦胚芽(はちみつで練ってパンでつける)を加えてビタミンの補強につとめてください。

『幼児と栄養』(女子栄養大学出版部)1969 P136

 

という補助的な役割だったり、『乳・幼児をもつお母さんへ1 お母さんごはん作って』(1983)という本の中では、イスラエルのハルバというお菓子のレシピの一部として「ハチミツ1/2カップ」という表現が出てくる*7だけだったりで、「ハチミツ」の効能という感じは薄まっていきます。それだけ日常に溶け込んだとみる向きもあるでしょうが、「薬効」としてのハチミツの存在は、表舞台からは徐々に姿を消していったと考えるのが妥当でしょう*8

 

ボツリヌス症の扱いの小ささ

初めてハチミツと乳児ボツリヌス症の因果関係が、日本のメディアで言及されたのは、1986年です。朝日の9月16日の夕刊に、「乳児ボツリヌス症 はじめての症例発表」という見出しで、感染症学会の話が載っています*9。ただ、このときは「室内のホコリと、食べていたハチミツの中から菌が見つかった」としており、調査に当たった阪口教授は「ハチミツ以外の可能性もある」として、判断は留保されています。

 

しかし、赤ん坊の命に別状は無く*10、その後のメディアの報道は少々小さい印象を受けます。今回は朝日のみしか調べられなかったので、断定は避けますが、厚生省が「乳児ボツリヌス症の予防対策」を各都道府県に通達した時の記事も、「零細児にハチミツ与えぬよう指導」という小さい見出し1段の記事*11で、当時どこまでこの話が人口に膾炙したのか、ちょっと疑問です。

 

そのためかどうかは不明ですが、その翌年に出た『子どものおやつ step by step 離乳期から小学生まで』(農文協)という本では、各品目の離乳期の与え方について、トーストにつけるものとして、ハチミツの記述が残っています。そこでは、9ヶ月までは「はちみつは消化できないので使わない」*12というトンチンカンな但し書きがつけられており、それ以降は「全卵とはちみつのフレンチトースト」のレシピなどで大いにはちみつを使っております。

 

90年代に入ると、「はちみつはボツリヌス症予防のため満一歳までは使わない」*13というように、確実な記述が入るようになるのですが、特に注意書きが入らない育児書もあり、どこまでこのはちみつとボツリヌス症の関係が課題として捉えられていたかは、温度差があるように思います。

 

それを考えると、確かに通達は1987年ですが、実際はそれよりももっと後にならないと、なかなか世間一般には広がっていかなかったのではないか、という気もします*14

 

 

今日のまとめ

①日本において「ハチミツ」の存在は、薬効と滋養という、健康食品的イメージから始まった。

②栄養不足や便秘といった乳児の課題と「ハチミツ」の効用がマッチして、1940年代までは、薬効的に乳児にハチミツを与える傾向が多々あった。

③ただそれ以降は、砂糖の代替のような食品としての扱いが多くなり、「育児」におけるハチミツの特異性は減少していった。

④それもあってか、乳児ボツリヌス症の1987年当時の扱いは大きいとは言えず、記述を誤ったり無記載の育児本もあり、実際に世間に認知されだしたのはもう少し後になるのではないか。

 

例えば電通の過労死自殺のように、悲しいことに、問題が問題として認識されるためには、誰かが人柱にならないといけないのが、世間の無情なところです。我々が安寧と暮らす地面の下には夥しい死者の群れがあるのです。

 

育児は一世代の間に常識がかなり変わってしまいます。私は今回、十年単位で育児書を紐解きましたが、30年ぐらい前の本にもまだ「左利きは治したほうがいい」と書いてあったり、「日光浴をしましょう」と書いてあったり、がらりと変わってしまうことが多々あります。だからこそ、受動的に情報を受け取れるような立場であることが大事になるんだと思います。自分で検索するだけでは、どうしてもバイアスがかかりますから、月並みですが、色々な立場の人が周りにいるというのは、大切なことなんでしょう。

 

今回の母親の周囲には誰がいたのでしょうか。「ハチミツ」の危険性を知らせることも大事ですが、毎日わが子に蜜湯をあげていた彼女に、その情報を与えてくれる人が存在しなかったということこそが、今回の痛ましい悲劇の主因であるように思います。

 

 

*1:http://idsc.nih.go.jp/iasr/CD-ROM/records/08/09302.htm

*2:

 食餌性ボツリヌス症は以前から知られていましたが、乳児ボツリヌス症は1976年にアメリカ合衆国ではじめて報告されました。わりと新しい病気と言えます。日本での最初の報告は1986年ですので、30年ぐらい前です。そのころには蜂蜜がボツリヌス芽胞に汚染されていることが知られており、翌年の1987年には厚生省が1歳未満の乳児に蜂蜜を与えないよう通達を出しています。

なぜ乳児に蜂蜜を与えてはいけないのか:朝日新聞デジタル

*3:鵞口瘡なんて乳児の病気なので、赤ん坊にハチミツを使っているのはもっと昔なのかもしれません

*4:というか、ハチミツは世界的には薬効で語られる場合が多いようですね。以下の書籍参照。

 

はちみつ物語―食文化と料理法

はちみつ物語―食文化と料理法

 

*5:

国立国会図書館デジタルコレクション - 養蜂大鑑

*6:リストにしようとしたのですが、書いたメモを洗濯機で洗ってしまいました…

*7:『乳・幼児をもつお母さんへ 1 お母さんごはん作って』(明治図書)1983 P124

*8:なので、代わりに「自然派」の方々の供するところになったのかもしれませんね

*9:ただし、実際の診断は1986年6月で、少々記事になるまでブランクがあいています

*10:ここを「死亡した」と取り違えているメディアがありますね。

国内での死亡は1986年以来、実に31年ぶりという

蜂蜜で乳児が突然死…母乳が人間の体に与えるスゴイパワー | ビジネスジャーナル

こういうのはさっさと訂正して欲しいもんです。

*11:朝日1987/10/21

*12:『子どものおやつ』(農文協)1988 P45

*13:『新離乳食の基本』(芽ばえ社)1996

*14:

1987年時の初産の平均年齢は26.8歳です(参考:妻の平均初婚年齢・母の出生時平均年齢・出生までの平均期間(2009年)年別)。ちなみに2012年の平均年齢は30.3歳ということを考えると、要するにこの頃生まれた子どもが、今現在第一子を産むという状況になっているわけです。こういう話題はなかなか自分が経験しないとわからない部分もありますから、ハチミツと乳児の話が広がるのは、今回のことがなくとも、これ以降だということだったのかもしれません