ネットロアをめぐる冒険

ネットにちらばる都市伝説=ネットロアを、できるかぎり解決していきます。

「行ってくる」と「行って参る」に違いはあるのか、自己啓発的日本語の呪い

十三人の刺客

日本語は美しい、という言説はそれなりに支持を集めるようで、こんなツイートが話題になっていました。

 

 

 

「遅ければ、盆に」のくだりは、すでに指摘があるように『十三人の刺客』の一場面のようですが、私が気になっているのは「行ってくる」と「行って参る」に、果たしてそんな違いがあるのか、というところです。今回は夏休み大人の自由研究ということで、ちょっとお金をかけて調べてみました。

 

 

***

 

「行ってくる」「行って参ります」の辞書的な意味

 

試みに辞書をひいてみると、「行って参ります」は、このように書かれています。

 

 外出する際に家人に言うあいさつ。「いってきます」よりも丁寧な言い方。

*夢声戦争日記〈徳川夢声〉昭和一八年〔1943〕四月一日「坊や、初登校につき、赤飯を祝う。『行ってまいります』ハッキリと頼もしく云って門を出た」

日本国語大辞典(第二版)

 

国語辞書で「行って参ります」が載っているのは、どうやら日本国語大辞典だけのようで、広辞苑には「行って来る」のみが載っています。

 

 出かけて戻ってくる。戻ってくるつもりで出かける。「ちょっと買い物にー・くる」

広辞苑(第六版)P178

 

他の国語辞書には、そもそも「行ってくる」も「行って参ります」も「行ってきます」も掲載されていません*1

 

類語大辞典(講談社)には記載がありました。

 

[行って来る]

今いるところを出てあるところに行き、また今いるところに戻る。「ちょっと手紙を出しに行って来ます」

類語大辞典 P433

 

[行って来ます]

どこかから出かけるときに、そこに残る人に言う、あいさつの言葉。「~。またお会いしましょう」◇丁寧にいう場合、「行って参ります」という

類語大辞典 

 

ということなので、辞書的な考察としては、そもそも掲載本が少ないのですが、現代においては「行って参る」は「行って来る」の丁寧な言い方、と考えるのが妥当でしょう。

 

「参る」の意味は何か

実はツイート主さんは、このツイートにこんな説を付け足しています。

 

 

「個人的な解釈」という注釈がついていますが、「参る」は「なす・する」の謙譲語ではないか、ということです。ただ、前述したように、広辞苑には「行って参る」の項は存在しないため、ツイート主さんは「参る」の項を参照したように思われます。

 

「参る」という言葉は、かなり古くから存在する故に、意味が多岐にわたってしまい、それが日本語の複雑な敬語体系に絡めとられて、あんまり下手なことがいえない言葉の一つなのですが、ツイート主さんが「重々しい口調に使われる」とした意味はこの部分でしょう。

 

③「する」を重々しい口調でいうのに使う。狂、文相撲「相撲…一番・-らう」

広辞苑(第六版)P2626

 

しかし、この用法は謙譲語ではありません*2。丁寧語ではあるものの、話者がへりくだる形のものではないでしょう。

 

実は日本国語大辞典は、広辞苑が例示している狂言の「文相撲」を同じように「参る」の用法で使っているのですが、日本国語大辞典さんは、この「参る」を、「する」ではなく、「行く」「来る」のことだと考えています。

 

(2)聞き手に対しへりくだる気持が無くなり、一般的に「行く」「来る」を重々しく、堅苦しい口調でいうのに用いる。時に尊敬すべき人の動作について用いることもあった。

*虎寛本狂言・文相撲〔室町末〜近世初〕「『ヤイ太郎く〓じゃ、己は夫に何をして居るぞ』『相撲を見物致いておりまする』『一番参う』『何と被成まするぞ』」

日本国語大辞典(第二版)

 

どっちの解釈をとるかは微妙なところですが、いずれにせよ、この辞書の記述だけで「行って参る」の「参る」が「来る」ではない、とするのは早計だということです。

 

たとえば、金谷武洋という言語学者*3は、「行ってきます」について次のように述べています。

 

「行って来ます」には動詞が二つあるから、本来の意味は「行きます(が、必ず帰って)来ます」であったろう。つまり、対話の場に必ず戻ることを約束しているのである。送り出す方も同じ発想で、「行ってらっしゃい」は「行って+いらっしゃい」の「い」が落ちたもの。 「いらっしゃる」は尊敬語で「いる・来る・行く」の3つの意味があるが、ここは明らかに「来る」の尊敬語だ。「行ってきます」が敬語の「行って参ります」や打ちとけた「行って来るね」になったところで、動詞が重なる文構造も、その本来の意味も全く変わらない。

第49回 「行ってきます」と「お帰りなさい」 - 金谷武洋の『日本語に主語はいらない』

 

金谷の論は素直に首肯できないのが厄介なのですが、ここでも「行って参ります」と「行ってきます」の関係を、敬語かそうでないかというところにもってきています。つまり、「参る」と「来る」の関係として考えています。これは現代の辞書的な考え方とも一致はします。

 

この「参る」を「来る」とする考え方は昔からで、たとえば明治35年の『尋常小学校用標準語 : あいさつ』では、

 

よそへゆくときのあいさつ

一、いつてきます!

二、いつてまゐります!

国立国会図書館デジタルコレクション - 尋常小学校用標準語 : あいさつ

 

と、対応させています。また、時代が下って昭和10年の『小学国語読本国語科学的研究. 尋常1学年』という師範用の本では、国語の教科書に載っている「イッテマヰリマス」のあいさつについて、詳しい解説を以下のように載せています。

 

マヰリマス 参ります(句)「来る」の丁寧語。「来ます」よりもやヽ丁寧である。ラ行四段活用の動詞「参る」の連用形「参り」に敬意をあらはす助動詞「ます」の添はつたもの。

国立国会図書館デジタルコレクション - 小学国語読本国語科学的研究. 尋常1学年(巻1・2)

 

これが言語学的に正しいかどうかではなく、「行って参る」の「参る」は、近現代においては「来る」の敬語的表現だと考えられているという事です*4

 

 

江戸時代での「行って参る」の用法

しかし、ツイート主さんは「お侍の時代」と書いておりますので、仮にそれを江戸時代だとするならば、いったいどのような形で使われていたのでしょうか。

 

『江戸語大辞典』(講談社)には、実は「行って参ります」の項目があります。

 

行って参ります(感)

外出するときのあいさつ語。

『江戸語大辞典』P94

 

用例には、為永春水の『春色梅児誉美』(1832-33)が使われているので、調べてみます。

 

記載があるのは後編巻之六で、芸妓の蝶吉(お長)が、武家の使いと一緒に出かけるときに、母親*5にいうセリフです。

 

使「(中略)サア参りませうネ 

長「ハイいつて参ります

使「ハイさやうなら。(後略)

「春色梅児誉美」『日本古典文学大系64』P134*6

 

芸妓がお客のところにいく時のセリフなので、二度と帰らないという感じではないでしょうね。

 

『江戸語大辞典』では、「行って参ります」が、あいさつ言葉としてさも江戸時代には使われていたかのような書き方ですが、もう少し用例が欲しいところです。滑稽本や黄表紙は、江戸時代の口語文を知る時に重宝するのですが、自力で読み通して用例を探すのは骨が折れますので、今回はお金で多少解決しました。

 

japanknowledge.com

 

ジャパンナレッジは、辞書・事典の検索サイトですが、それよりも『新編 日本古典文学全集』の全文がテキスト検索できるというところがステキです。月額1620円もかかりますが。

 

ということで、ジャパンナレッジで、「行って参ります」「行って来ます」などを検索にかけてみましたが、とっても残念なことに、『日本古典文学全集』に収録されている作品にはその用例がないことがわかりました。1620円。。。

 

しかし、『日本古典文学全集』にはありませんが、式亭三馬の『浮世風呂』に用例がありそうなことが、ジャパンナレッジの日本国語大辞典で引っかかりましたので、そっちで調べてみます。

 

『浮世風呂』は、江戸の風呂での人様々を面白おかしく描く滑稽本ですが、三編巻之上に、「としのころ十か十一ばかりの小娘」が、ませた会話をしている部分に出てきます。それぞれの母親の話をしていて、丸という女の子が、稽古事の忙しさを愚痴るところです。

 

丸「(中略)朝むつくり起ると手習のお師さんへ行てお座を出して来て、夫から三味線のお師さんの所へ朝稽古にまゐつてね、内へ帰つて朝飯をたべて踊の稽古からお手習へ廻って、お八ツに下ツてから湯へ行て参ると、直にお琴の御師匠さんへ行て、夫から帰つて三味線や踊のおさらひさ

「浮世風呂」『新 日本古典文学大系』P162

 

これは確かにあいさつの用法ではありませんが、八つ時に家に帰ってから、「風呂屋に行って帰ると」すぐにお琴のお師匠さんにいく、という話ですので、やはり「行って参る」は、江戸時代においても、「行って帰ってくる」という使い方であったろうというのが推測できます*7



「あいさつ」は新しい

また、そもそもこのような「いってきます」「ただいま」「いただきます」「ごちそうさま」のような「あいさつ文化」は明治以降のものである、という話もあります。

 

日本語は親しさを伝えられるか (そうだったんだ!日本語)

日本語は親しさを伝えられるか (そうだったんだ!日本語)

 

 

滝浦真人は、ポライトネス理論*8が主研究のようですが、コミュニケーション論という形で日本語を捉えているところがなかなか面白いです。

 

滝浦は、明治以降に人々が目指した近代国家の言語像は、「書き言葉であると同時に話し言葉でもあるような言葉」という「標準語」を目指したのではないか、と書いています。しかし、そんな言葉はどこにも存在しなかったのですから、滝浦はそれを「理想化されたコミュニケーション」だとしています*9

 

そのため、「誰が見ても(聞いても)それとわかるコミュニケーションの形」を目指し、その中で、あいさつは「印」として、様々な礼法*10と一緒に、学校教育の中に組み込まれてきたとしています。

 

朝起きてから夜寝るまで、起床と就寝そのものから、食事の開始と終了、人との出会いと別れ、等々、既定の人間関係の中でくり返される相互行為―これは英語のinteractionの日本語訳である―がことごとく、それぞれ専用の表現(あいさつ言葉)によって仕切られることとなった。あらてめて挙げるまでもないが、「おはよう(ございます)/おやすみ(なさい)」「いただきます/ごちそうさま(でした)」「行ってきます/ただいま」「こんにちは/さようなら」等々、私たちの生活はあいさつ言葉の対で満たされている。標準語の制定と並んで、”標準作法”の制定も、政策的にはかなりの成功を収めたと見るべきだろう。*11

 

「「参る」の意味は何か」の項でも既に書いたとおり、「行ってきます」「行って参ります」の用例は、国語の教科書の中に存在しており、あいさつというものが学校教育の対象になっていたことがうかがえます。

 

この近代都市化で、あいさつ言葉が形成されていくという考え方は、地方農村部では、そもそもこのような定型的なあいさつがあまりなされていなかった、という江端の研究にも裏打ちされています。

 

朝起きた時家族に「オハヨーゴザイマス」とあいさつをするのは都市の家族であり,これは地方では聞かれない.都市においてこの表現が頻用されるのは,個室に分割された居住環境に基づく.地方の古い家では,障子や唐紙によって各部屋を仕切っただけの居住環境であり,朝起きた時に他人行儀なあいさっ表現を行わない.(中略)ただし②「朝家族を見送る時のあいさつ行動」の地図が明示するように,都市には「イッテラッシャイ=イッテキマス」という行為(建て前)が見える,地方では「無言」(本音)があり,対立は厳然としている.

日本のあいさつ表現とあいさつ行動の地理言語学的研究

 

あいさつ言葉というものはかなり形骸化されているということです。倉持益子は、『あいさつ言葉の変化』の中で、特に決まって使われる表現を「定型化交感言語」(ファティック化)と呼んでいます*12。朝5時だろうと9時だろうと、「お早う」ですし、「左様なら」といって、その続きがなにかあるわけでもありません。倉持は、沢木・杉戸(1999)から、「あいさつ言葉はいったん定型化すると、その語形・音形はどんどん「摩滅する」傾向が見られる」*13と、あいさつ言葉の変化(ファティック化の推進)にも言及しています。

 

実は、日本国語大辞典では、「行ってきます」についてはこう載ってます。

 

外出する際に家人に言うあいさつ。「行って参ります」より新しい言い方

日本国語大辞典(第二版)

 

これは私の推論にはなりますが、江戸時代には、「行って参ります」は、あいさつ言葉の面もあったでしょうが*14、もう少し「行って帰ってくる」という意味内容を伴ったものであったでしょう。しかし、時代が下るにつれ、形式化し、言葉も磨耗され、学校教育の効もあり、「行って来ます」という、より形骸化されたあいさつ言葉に変化していったのではないか、と思います*15

 

なので、「行って来ます」の敬体が「行って参ります」というよりかは、「行って参ります」がより俗語化された形が「行って来ます」なのではないでしょうか。そういう言語史的経緯から考えても、「行って参ります」に、「戻らないかもしれない」などという意味をこめて使ったという事はないかと思われます。

 

特攻隊の言葉が元か

ツイート主さんはこの話を「有名」としていますが、どこから仕入れてきた情報でしょうか。

 

恐らくではありますが、特攻隊の話の誤認が妥当性がありそうです*16

 

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

「行って参ります」「行って来ます」は、「帰ってくる」という意味があるから、特攻隊の片道切符の青年たちは、「行きます」としか言わなかったという話ですね。とても類似しています*17

 

この話は真実味があり、たとえば、れんだいこさんが運営する「特攻隊兵士の手記考その1」*18は、多くの特攻隊員の遺書を網羅しているのですが、「征きます(行きます)」の用例は検索すると多いですが、「行ってきます」「行って参ります」については少なめです*19

 

また、原典*20にあたったわけではないですが、以下のような情報もあります。

 

最後のほうで2カ所だけ、書き直しの跡が見られます。「行って来ます」の「って来ます」が二本の線で消され、「きます」と。「行って来ます」だと「行って(帰って)来ます」、往還を表すようでふさわしくない、と思い直したのでしょうか。胸を衝かれます。

池田香代子ブログ : 「沖縄だけは必ず勝ちます」 ある特攻隊員の遺書 - ライブドアブログ

 

この「行って参ります」を使うべきではない、という考え方は、いわゆる神風特攻隊の戦争末期からではなく、真珠湾攻撃の「特別攻撃隊」の九軍神の話からではないかな、と考えられます。

 

半藤一利の

 

安吾さんの太平洋戦争 (PHP文庫)

安吾さんの太平洋戦争 (PHP文庫)

 

 

にあるのですが、坂口安吾の『真珠』という短編に、似たような話が出てきています。

 

「お弁当を持つたり、サイダーを持つたり、チョコレートまで貰つて、まるで遠足に行くやうだ」と、あなた方は勇んで艇に乗込んだ。然し、出陣の挨拶に、行つて来ます、とは言はなかつた。ただ、征きます、と言つたのみ。さうして、あなた方は真珠湾をめざして、一路水中に姿を没した。

坂口安吾 真珠

 

半藤は、しかしこれを、当時の海軍広報課長、平出大佐の「講釈」の引用だろうとしています。その講釈はこんな感じ。

 

普通の出陣には『行って参ります』と上官に申告するのでありますが、その日勇士たちは『何何中尉、あるいは何何少尉ただいまより征きます』と力強く述べ、『行って参ります』とはいわなかったのであります。

『安吾さんの太平洋戦争』P199

 

半藤はこの平出の「講釈」は、史実的には「大ボラ」であると批判していますが、しかし、この九軍神の美談は、同じように特攻隊として戦地に赴く青年たちはよく知っていたことでしょう。この創られた美談が、特攻隊の青年の遺書に輝き、そして現代にまで継がれているのではないか、と思われます。

 

今日のまとめ

①辞書的に見ても、「行ってくる」と「行って参る」には、敬意があるかそうでないか程度の違いしか見られない。

②近現代において「行って参る」の「参る」は「帰って来る」の意味として考えられている。

③江戸時代においても「行って参る」の用例があるが、やはり「行って(帰って)来る」の使い方である。

④そもそも、出かけるときの定型句として「行ってきます」などが浸透したのは、明治以降の近代都市化のための教育のおかげであると考えられる。

⑤歴史的には「行って参ります」が先にあり、時代がくだってあいさつ言葉として変化し、「行って来ます」になったと思われる。

⑥今回の話は、特攻隊員が「行って参ります」とは言わず「行きます」と言ったという話が誤って伝わったものと考えられる。

 

私は「美しい日本語」という話が出るときは、眉にツバをつけながら聞いているのですが、こういうときの「美しさ」には、<自己啓発セミナー >っぽいノリが感じられます。

 

nikkan-spa.jp

 

「最幸」とか「顔晴ろう」とか、当て字にしてステキっぽい意味にするというヤツですね。

 

要するにこれらは、言葉に過剰に意味を求める現象です。しかし、「行って参る」に過剰に意味を求めた我々に、これを笑う資格はあるでしょうか? そして、特攻隊の「行きます」へのこだわりが、形骸化したあいさつ言葉を無理に遡上して意味づけしたものにも関わらず、胸を打たれるとしても?

 

私は、「日本語"だけが"美しい」とは思いません。言語の美しさというものは、どの言語においてもありうるものだと感じます。しかし、語源的な「意味」にこだわりすぎると、その美しさは、何か人工物のようなちょっと違った顔になってしまうのではないでしょうか。言葉は我々人間が操りますが、我々人間には御しきれない何かがあり、そこには意味などないのかもしれないのです。ニュートン翁曰く、「我々は、海岸で貝殻を拾って遊ぶ子供のようなものである。真理の大海は、海の彼方にあるのかも知れないのに」。貝殻で満足はしたくないですね。

*1:

 

あいさつ語辞典

あいさつ語辞典

 

というものも存在するのですが、「ただいま」はありましたが、「行ってきます」系はなにもありませんでした。また、少々言語学的には辞書と呼ぶには微妙なシロモノです

*2:おそらく、その前の「「まゐらす(下二)」の形で、動詞の連用形に接続して謙譲の意を添える」という、別の項の記述を誤解したのではないでしょうか

*3:

批判も多い人ですね。言語学界隈では、医学界の近藤誠ぐらいのポジションなんでしょうか。

金谷武洋氏への批判記事についてのまとめ、あるいはFAQ - 思索の海

*4:

方言の観点から考えても、日本語大辞典には「いって参じます」という項があり、色々な地方の対応した方言を載せているのですが、

《いってきませえ〔─来〕》島根県邑智郡731

《いってかえります〔─帰〕》岡山県児島郡763

という言葉からも、やはり、「参る」は「来る」「帰る」などと同等考えられていたことが考えられます

*5:正確にはお阿(くま)という女郎屋のおかみですが

*6:見やすいように適宜改行しました

*7:「行って参る」の言語学的な歴史はなんともわかりませんが、少々推測をするならば、江戸後期の滑稽本や洒落本、黄表紙には、「動詞+参る(来る)」の用例がいくつか散見されます。

 

あれこそほんのまつ黒々の黒鶴首か白鶴首か見て参るべしと

「形容化景唇動 鼻下長物語」『日本古典文学全集』 P.201

 

誠に三万三千三百三十三体ござるか見て参るべし。

「形容化景唇動 鼻下長物語」『日本古典文学全集』 P.197

 

これも、「見て(帰って)来る」という使い方です。あいさつ語として、どの程度「行って参ります」が江戸期に定着をしていたかは謎ですが、少なくとも「参る」の組み合わせで「帰る」「来る」というような使い方はしていたんではないでしょうか。自信がないので注釈扱いにしますが

*8:

会話の参加者がお互いのフェイス(自己決定・他者評価の欲求)を侵さないために行なう言語的配慮のことである

ポライトネス - Wikipedia

 

*9:以上、『日本語は親しさを伝えられるか』(岩波書店)2013 「はじめに」より

*10:

たとえば、明治44年の『小学校作法教授要項』では、家庭内の作法として、

一 外出・帰宅の際には父母又は長上に挨拶すべし

一 近隣の人に逢ひたるときは挨拶すべし

国立国会図書館デジタルコレクション - 小学校作法教授要項

と、この時点で既にあいさつを結構推してます。

*11:滝浦 2013 P50

*12:もともとはヤーコブソンの理論で、滝浦も前掲書の中でその説明にページを割いています

*13:

「あいさつ言葉の変化」2013

http://www.urayasu.meikai.ac.jp/japanese/meikainihongo/18ex/16_kuramochi.pdf

 

沢木と杉戸の論文は、

 

沢木幹栄・杉戸清樹(1999). 「世界のあいさつ言葉の対照研究に向けて―あいさつ言葉への視点」. 『國文學』. 1999 年 5 月号 第 44 巻 6 号. 學燈社

*14:あいさつ言葉としての実績がなければ、明治以降の教科書に採用されない

*15:

滝浦は、前掲書の中で、『浮世風呂』のあいさつ言葉の使われ方について調べています。定型句としては「お早うございます」「お出なさいまし」が、商業的で儀礼的な使われ方として出てきていることから、そもそもあいさつ言葉の前身は、江戸の時代から「本来形式的で儀礼的な言葉」だったとしています。滝浦の論としては、「あいさつ」に代表されるように、日本語には「これを言っとけば安心」という建前的な言語の変遷を辿っており、相手とのコミュニケーションを図る言葉としては弱弱しくなってしまった、ということになっています。

*16:

実は、そのような指摘は既にツイートのリプにありました。

バクテリア on Twitter: "@sirafehokan @takechandesutfs リツィート、イイネすげー!でも「行きます」だよ(*^_^*)"

しかし、こっちの方は広まらないのが、悲しいところです

*17:

この話は別の形での事実誤認もあります。

小学校の時に担当の先生が「行ってきます」は戦争中の特攻隊が使っていた言葉なので
正確には「行って参ります」が正しいと教えられました。

小学校の時に担当の先生が「行ってきます」は戦争中の特攻隊が使っていた... - Yahoo!知恵袋

 

*18:

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/daitoasensoco/heishinosyukico/tokkotaiheishinosyukico.htm

*19:

確認した限りでは2例。

【松本真・海軍二等飛行兵曹/「遺書」】

父母様行って参ります

 

【溝川慶三・小尉/「遺書」】

では行って来ます

 

いずれも

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/daitoasensoco/heishinosyukico/tokkotaiheishinosyukico.htmより

 

*20:

恐らく

筑波海軍航空隊 : 青春の証 (友部町教育委員会生涯学習課): 2000|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

でしょう。こんなマイナーな本、さがしようがありません