さて、東京五輪関係で、アクセス数が跳ね上がった当ブログですが、ここにのこのこやってきた読者を逃してはいけません。満を持してお送りするのは、ペスタロッチの逸話についてです。
だれ?
という声が聞こえてきそうですが、くじけずにやりましょう。
最近、流行っている本に、こんな本がありますね。
人生はZOO(ずー)っと楽しい! ―毎日がとことん楽しくなる65の方法
- 作者: 水野敬也,長沼直樹
- 出版社/メーカー: 文響社
- 発売日: 2014/11/28
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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私は個人的には名言集とか啓発本とか好きじゃないんですが、これはなぜか家にあります。こっちよりも、犬猫版の方が知っている人が多いかもしれません。
水野さんという人は『夢をかなえるゾウ』とかの自己啓発本っぽいのが有名ですが、このシリーズは、著名人や歴史上の人物の逸話や名言をひっぱってきて、それと関連付けたユーモラスな動物の写真をのっけているという、商売っ気たっぷりの本です。
さて、このシリーズの「ZOO」版の中に、冒頭に言ったペスタロッチの逸話が載っているんですね。「子どもに胸をはれるか」という句がにわとりの前にひよこが並んでいる写真にくっついています。裏には解説がついていて、そこにペスタロッチの話が出てきます。
ざっと要約するとこんな感じです。
ある老人が道端で何かを拾ってはポケットに入れていた。毎日行われるその行動を不審に思った警察官が呼び止めると、そこにはガラスの破片や釘などが入っていた。老人は裸足で遊んでいる子どもたちを心配して行ったということだった。これが、近代教育の父と呼ばれるペスタロッチだったのである。
この逸話は有名なようで、「ペスタロッチ 逸話」で調べると紹介しているサイトがいっぱいでてきます。*1
うーん、いい話ですね。子どもたちへの惜しみない愛情をもったとされる、ペスタロッチらしい逸話です。
で、ソースは?
そうなんです。「ZOO」の本もネットの引用者たちも、どこにもそのソースをのっけてないんです。
まあ、別にいい話だから誰だっていいじゃん的な考えでもかまへんのですが、この行為を教育学の父がしたというのと、そこらへんの無職37歳がしたというのじゃ、えらい違いですよ。無職37歳だったら、間違いなく警官は「君は子どもの未来より自分の未来を考えな」と諭したんじゃないんですか。
ということで、元ネタを探しましょう。
この逸話、引用者によって微妙にちょっとずつ違うんです。「ZOO」の本では、ポケットに入っているのは「ガラスの破片や錆びた釘など」でありますが、脚注にのせたサイトによっては、「一個のガラスの破片」*2だったり「小石」*3だったりと、表現にぶれがあります。他にも、毎日続けていたから警官が呼び止めたとか、しばらく続けてたから呼び止めたとか、微妙な違いがあります。
微妙な違いがあるというのは、まさしくネットロア的な広がり方をしている証拠のひとつです。
本当は「ZOO」から引用を探したいところなんですが、巻末の文献が大量すぎて絞るのが面倒なので、海外から元ネタを探します。ペスタロッチはスイスの人なんで、ドイツ語・フランス語、そして一応英語で「ポケット ペスタロッチ ガラス」「ペスタロッチ 逸話」「ペスタロッチ 警官」などで調べてみます。フランス語とドイツ語は全くわからないのでエキサイト翻訳様頼みなのは秘密です。
カチカチ。
私の語学力と検索力が足りないのかもしれませんが、こんなにヒットしないのはおかしい感じがします。わざわざGoogleBooksで、1889年に書かれた『Pestalozzi: His Aim and Work』をずあざざざっと読みましたが、それらしい逸話は載っておりません。もし他言語での記述が見つかったなら逆に教えてほしい。
つまり、このペスタロッチの逸話は日本限定ということになります。
そこでちょっと気になる記述を見つけました。
教科書研究センターの教科書図書館で (福田 博子の研究室便り)
この福田教授が、件の逸話が、昭和24年検定の小学校国語の教科書に載っているという話を書いているのです。千石の教科書センターにまで行ってきたらしいので、たぶん確かでしょう。内容は9ページにわたるもので、「ドイツのライプチッヒ」での出来事で、「ガラスの破片をいくつも拾っていた」ということも載っています。本来であれば、この教科書センターなり国会図書館なりに調べをつけに行きたいところなんですが、遠いし、暑いし、ここは教授の福田先生を信じます。
ということで、デジタルアーカイブ化されてないかなあと、その国語の教科書をネット上に探します。
すると2件見つかりました。
ひとつは、目次と最終ページだけですが、デジタル版。
この目次を見ると、やはり「ペスタロッチ」のことが書いてありますね。
もうひとつは教科書の詳細について。
東京書籍の教科書図書館に所蔵されているんですね。2年ほど年号がずれているのが気になりますが、新版ということでしょうか、確かに、「六 心をうつ人々」という章立ての中に、「ペスタロッチ」の項目があります。著者は石森延男。
著者?
野上弥生子や吉野源三郎という、黄金期のジャンプのようなお暦方が「著者」という形でこの「心をうつ人々」という項目はできてるんですね。この頃の小学生はうらやましいな。その中で、「ペスタロッチ」という項を、石森延男という人が書いています。
何者やと調べてみると、ほー、戦中戦後の国定の国語の教科書の編纂に尽力した人で、その分野ではかなり有名な人なんですね。*6不勉強ですみません。この石森氏はペスタロッチ派閥なのか、他の本でも書いているようです。*7
要するに、このペスタロッチの話は、この石森氏が創作した話なのではないか、というのが、ここまで調べた私の結論です。引用する方の多くが少々お年を召しているのは、このときの国語の教科書の話が頭に残っているからなんではないでしょうか。しばらく別の検定教科書でも使われたようですし。
しかしまっさらの状態で石森氏がこの話を作ったとも考えにくいので、もうちょっと古い話がないのか調べてみると、似たようなのが出てきました。
近代デジタルライブラリーは、著作権がきれた作品をデジタルアーカイブ化しているのですが、そこに明治41年に書かれた『ペスタロッチ言行録』という本があります。その中に、ペスタロッチの逸話として、こんな話があります。下男が倒れている男を拾い上げると、それは主人の友人のペスタロッチだったという話から、こう続きます。
(前略)此のペスタロッチは、鉱物採集に出掛けて、ハンケチやポケットに鉱物を拾い集めて歩きながら、知らず識らず路に迷うて此の体たらくになったのだ。
○
矢張り鉱物採集に出掛けてのこと、或る日の夕方、ペスタロッチは例の如く鉱物を包んだハンケチを提げて、疲れ果てた足を引摺りながら、ソロイアの門の処まで来かかると、警官は挙動不審の怪しき人物と見て、直ちにペスタロッチを拘引して、法官の前に突き出すこととなった。(中略)やがて法官が帰って、ペスタロッチを一目見るや、鄭重に挨拶して早速晩餐を共にしようという相談になった。此の法官はペスタロッチの知人であったのだ。警官はこの有機を見て、只々呆気に取られた相だ。*8
どうですか、まったく逸話というかただのぼけた老人変わった人の話という感じで載ってはいますが、ポケットに詰め込む話、警官に不審がられる話、実はペスタロッチだったというオチまで、よーく似ていませんか。これは想像するしかありませんが、石森氏はこの話を土台にして、教科書の小文を書いたのではないでしょうか。
石森氏の経歴をたどると、この国語教科書の編纂については、柳田国男と共に、とても力を注いでいたことがうかがえます。まだ戦後間もないころ、どのような子どもたちを育て、この国の未来を託すのか、そういうことを考えながらできたのが、きっとこの文なのでしょう。その心意気について、現代に生きる我々がとやかくいうことはできません。
しかし、伝記という形をとって、このような話を創り出すことはなかなか危ういものがあります。「江戸しぐさ」なんて偽史騒動なんかがいい例です。やってることは「道徳的にはいい」んだけど、歴史を捏造するというのは、やはりスタートが間違っている気がします。受け入れられやすい物語は、何十年経とうが、というより、年月が経てば経つほど、簡単に別のメディアに取り込まれ、そして「現実化」されていってしまうのです。そういう薄いガラスの歴史の上にたつ現実は、どうもこうもケガをしそうで嫌なものです。
など、多数。
*2:前掲:ニューモラルエピソード
*3:前掲:吉田松陰とペスタロッチ / 繋ぎたる船に棹差す心地して
*4:https://www.google.co.jp/?hl=en&gws_rd=cr&ei=7a3EVaDcN8a40gSguqG4Cg#hl=en-JP&q=pocket+pestalozzi+glass
などが検索結果。アネクドートでも同様。もし見つけられた人がいたら逆に教えてください。
*5:正確に言うと、英語では一件、このサイトで見つかってはいます。
My Stories | wonderlandofalice
これを書いた人は他の記述から韓国の大学に通う人のようです。本文で後述するように、これが日本発の創られた物語であるならば、韓国にもなんらかの形で伝わっているのかもしれません。さすがにハングルは手も足も出ないので調べられませんでした。
*7:幼年世界伝記全集 4 シュワイツァー ナイチンゲール ヘレン=ケラー ペスタロッチ/石森 延男/江間 章子 - 本:hontoネットストア
少年少女全集 伝記と美しいお話 (講談社): 1984|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
ちなみに「伝記と美しいお話」に関しては、わざわざ取り寄せて読んでみましたが、孤児の世話をしていたペスタロッチの逸話で、ガラスの話ではありませんでした。
*8:『ペスタロッチ言行録』P174-175