ちょっと前に気になっていた記事に、こんなものがありました。
「米シカゴ大学の神経生理学者らが善人の脳の容積は悪人よりもはるかに大きいことを証明した」ということで、なんじゃそりゃとツッコミたかったのですが、他の記事を書いていた途中だったので、やむなくペンディングボックスに入れていたものです。
いろいろツッコミたいのですが、そもそも「善人」と「悪人」を何の基準で分けたのか。だいたい被験者になった人が「じゃああなたは悪人チームで」なんて言われたら、そこでひと悶着ありそうです。
で、オレ的さんのソース元は、あの悪名高い元「ロシアの声」*1のスプートニク。
そもそも、記事によれば、この研究がのった雑誌は「生物学的精神医学=biological psychiatry」で、私は医学関係は明るくないのですが、Wikipediaによれば*2「1959年」に設立された旨が書いてあるので、ちょっとした歴史のある学術誌だと思います。そんなところがこんなトンデモな研究を載せるのかという疑問も生まれます。
記事の最後には「被験者のデータが極めて少ないため信憑性に乏しい」と締めくくられていますが、うーん、それはおたくの記事のような気がするぜ、と思いながら、そもそもこの研究の出所を調べてみましょう。
このスプートニクの記事のひどいところは、「論文名」「研究者名」「日付」全ての記載がないことです。これではいったいどの論文を参考にしたのか全く分からない。ここまで皆目情報がない記事も珍しい。
そうはいっても、そろそろ100記事目になる当ブログ、ソース探しは慣れてきました。こういう場合の検索で大事になるのが「固有名詞」と「数字」です。誤訳や改変の憂き目にあっても、記事内に出てくる人や地名、人数や年月と言ったものは、原文どおりであることが多いからです。
スプートニクの記事の中に出てくる「固有名詞」と「数字」は以下の通り。
①生物学的精神医学=biological psychiatry
②226人の被験者
③灰白質=Grey matter
④米シカゴ大学=university of chicago
この上記の4つを使って検索をしてみましょう。
すると、以下の論文がひっかかります。
「Frontolimbic Morphometric Abnormalities in Intermittent Explosive Disorder and Aggression」
http://www.biologicalpsychiatrycnni.org/article/S2451-9022(15)00007-5/abstract
医学系の英語はとっても苦手なんですが、「IEDにおける前頭辺縁系の形態学的異常」といったところになるんでしょうか。専門用語が多すぎてよくわからんですね。
2016年1月号に掲載されたもののようで、主筆とおぼしき「Emil F. Coccaro」は、シカゴ大学の先生ですね*3。さあ、今のところ①と④はヒットしました。
どんな研究内容かというと、「Intermittent Explosive Disorder(IED)」という障害のことに関するものです。IEDとは「間欠性爆発性障害」と呼ばれるもので、精神障害のひとつです。ちょっとした出来事ですぐに怒りを爆発させたりして、周囲とトラブルが絶えないような「怒りの制御不能」を表す障害だそうです。へえ、そういうものがあるんですね。
IEDは「衝動制御障害」に分類されていますが、なかなか判断が難しいものらしく、精神障害の診断マニュアルである「DSM-Ⅳ」には「他のどこにも分類されない衝動制御の障害」という分類があり、元々はそこに含まれていた障害のようです。*4
とにかく、そういう「衝動制御障害」に関する研究だというわけです。概要を読んでいくと、この「衝動」の制御には「前頭前野眼窩部」という部分が関わっていることは知られていたわけですが、今回の研究で、「Gray matter=灰白質」の大きさを、IEDの被験者と健常の被験者と比べると、IEDの被験者の方が著しく小さい、という結果が出たとあります*5。むむ、スプートニクの記事「さらに「性格の悪い人」は脳内の灰白質もかなり小さいことがわかった」と一致するじゃありませんか。さあ、③までもが一致しました。
では、残りの②の被験者の人数「226人」はどうか。
ところがこの数字が一致しません。研究のほうでは、今回の画像診断で対象にした被験者の数は「168 Subject」とあります*6。うーん、最後の最後で、被験者の数が違ってしまいました*7
本論はお金を払わないと読めないので、この研究を引用した記事を他にも探しますが、やはり同じ内容です。
「People who experience rage attacks have smaller 'emotional brains'」
http://www.sciencedaily.com/releases/2016/01/160112091812.htm
しかし②を差し引いても、ここまで一致していると、もはやこの研究について書いた記事としか思えません。仮にそうだとすると、この記事には事実誤認を通り越した、悪意ある意図が潜んでいるように思います。
だって、IEDという精神疾患をもつ人のことを「悪者」として、その「悪者」の脳が「善人」より小さいという記事に仕立て上げているからです。これは誤訳とかそういうレベルではなく、もはや人権問題に発展しそうな重大な事実改変が行われています。
仮に「誤訳」であるならば、この記事の編集者の英語力には業務に支障をきたすほどの問題がありますし、記事を刺激的にしようと意図的に改変したのであれば、この編集者は「悪意をもった人間」です。自身が「脳の小さい」人間になってどうする*8
スプートニクがこの問題に申し開きをするためには、「悪人の脳みそが善人より小さい」という研究のソースを示すことです。その研究ソースが示されれば、私も喜んでこの記事を取り下げましょう。そうなることを、願ってはいるんですけれど。
*1:【現・スプートニク】「ロシアの声(The Voice of Russia/VOR)」のクソ記事まとめ - NAVER まとめ NAVERをソースに使うのもどうかと思いますけど
*2:Biological Psychiatry (journal) - Wikipedia, the free encyclopedia
*3:Clinical Neuroscience Research Unit, Department of Psychiatry and Behavioral Neuroscience, Pritzker School of Medicine, The University of Chicago
*4:現在のDSM-5では、「秩序破壊的、衝動制御・素行症群」というカテゴリーに入ったそうです。
以上のIEDの説明は、以下ページを参考にしました。
*5:Gray matter volume was found to be significantly lower in subjects with IED compared with healthy control subjects
*6:High-resolution magnetic resonance imaging scans using a three-dimensional magnetization-prepared rapid acquisition gradient-echo sequence were performed in 168 subjects (n = 53 healthy control subjects, n = 58 psychiatric controls, n = 57 subjects with IED).
*7:ただ、総数が「168」なんですが、内訳は健常者が「53」、精神病患者が「58」、IEDの障害の人が「57」となっています。理由はまったくわかりませんが、「168」に「58」を足すと、スプートニクと同じ「226」にはなります。こんな意味不明な間違いはしないような気もしますけど、ありうるのがスプートニク。
*8:個人的には、「意図的な改変説」をとります。なぜなら、英語圏でしか話題になっていないこの学術記事に行き着くためには、やはりある程度の英語力が必要だと思われるからです。
それをふまえると、スプートニクの記事の最後にある「被験者のデータが極めて少ないため信憑性に乏しい」云々という付け足しは、この記事の信憑性に疑いを挟まれないための予防線ととれなくもありません。どうしてかというと、今回のIEDの研究に関しての「信憑性に乏しい」という疑義は、私が読んだいくつかの引用記事の中にはどれもなかったからです。だとすると、この「信憑性」云々の一文は、スプートニク側が何らかの意図を持って挟んだ文であると考えざるを得ない。(まあ、もしくは、ロシア語の何かの誤訳記事を、そのまま引用した、という可能性もあるかもしれない)。
しかし、そういう常識の通じないポカをするのがロシアの声だったわけであって、本当に無邪気に間違えている可能性もなくはないですけれども。