ネットロアをめぐる冒険

ネットにちらばる都市伝説=ネットロアを、できるかぎり解決していきます。

パリに70年間閉ざされたアパートがあったのか、情報ダイエットの金太郎飴

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twitterのタイムラインで、以下の記事をたまたま見ました。

spotlight-media.jp

パリで女優として活躍したマルト・デ・フロリアン」という人が、パリから離れた後も70年間も家賃を払い続けていて、部屋がちょっとしたタイムカプセルになっていたということ。2010年に91歳で亡くなった後、遺族がその部屋を開けたのだとか。その中でもひときわ目立つ「マルト・デ・フロリアン」自身の肖像画が、高名なイタリアの画家「ジョヴァンニ・ボルディーニ」の作によるもので、210万ユーロで落札されたんだとか。フロリアンが部屋を引き払えなかったのは、「ボルディーニ氏との素敵な思い出が詰まっていたからだった」と記事は結んでいます。

 

しかしながら、上記の記事はちょっと調べると重大な誤りをいくつもはらんでいることがすぐにわかります。今日はそんな、「拡散情報はシンプルになりがち」という話をしたいかと思います。

 

***

 

 「マルト・デ・フロリアン」は1864年生まれ

いくつかのソースをあたると*1、「マルト・デ・フロリアン」は、1864年生まれの、「ベル・エポック」の時代を生きた女性であることがわかります。んん?そうしたら2010年に死亡したら146歳になってしまいます。だいたい、Marthe de Florianなんだから、「マルト・・フロリアン」じゃないのか?

 

また、彼女の職業は、女優という表現もあれば、高級娼婦というような表現もあり(あるいは両方)、なんともいえないところです。ただ、とても有名な女性だったようで、彼女のアパルトメントは、一種のサロンとして機能していたようです*2

彼女の部屋のゲストブックには、72代フランス首相のGeorge Clemenceauの名があるなど*3、著名な人物の愛人のような面もあったかもしれません。残念ながら「ジョヴァンニ・ボルディーニ」だけの恋人ではなかったようです。

 

さて、先ほどの脚注に載せた「死亡証明書」によると、Marthe de Florianは1939年に既に亡くなっています。となると、2010年に死亡したのは別の女性ということです。

ちなみに彼女の暮らしていたアパルトメンは以下になります。

 

 

彼女の孫娘が引き継いだ、のか?

では、誰が部屋を借りていたのか。

Marthe de Florianには息子がいたようで*4、Henri Beaugironという名前です。で、その娘が、父の死後に部屋を借りるのを引き継いだということのようです。

しかしながら、この「孫娘」の存在はメディアによって様々です。

例えば、初報に近いAFPでは、単に「the grand-daughter of Boldini's muse」と書かれているだけなので、名前は不明です*5

Independentでは、「Mrs De Florian」という呼称で呼んでいます*6

また、別ソースでは「Solange Beaugiron」という名前(筆名?)で呼ばれています*7

 

さて、その孫娘は、1942年に*8、ナチスの台頭から逃れるために南仏に越したという記述を多くのメディアがしています*9。そうすると、確かに70年この部屋は誰にも使われていない、ということになります。

 

しかしながら、孫娘の父親、Marthe de Florianの息子のHenriは1966年に死亡したとあり*10、そのときの住所は、件のアパートの部屋か、その近くになっているようです*11。つまり、1966年で亡くなるまで、息子のHenriが部屋を管理していた、とは考えられないでしょうか。ならば、この「70年」手付かずという話も、もう少し期間が短くなりそうです。

この話を補強する材料として、アパートの部屋が開かれたときの様子が書かれた記事があります。Mark Ottaviという美術商の人が書いたもののようです。

 

http://michellegable.com/wp-content/uploads/2016/01/texte-Ottavi-en-anglais.pdf

 

記事によると、部屋の中に「1955年以降」の新聞はなかった、という記述があります*12。逆に言えば、1955年までは新聞があるわけです。とすると、孫娘が南仏にいくために1942年に去ったのであれば、その間に部屋に入った人がいることになります。それが恐らく息子のHenriだったのではないでしょうか。これが正しいならば、70年ではなく、55年、というのが正確な年数になります。

 

なぜ息子や孫娘がその部屋の家賃を払い続けていたのか。そこはちょっと理由がわかりません。特に孫娘がずっと払い続けていたことは、おばあちゃんのためにそんなことをするかなあという気もします。少なくとも「ボルディーニ氏との素敵な思い出が詰まっていたから」残した、ということではないことは確かです。

 

絵画はいくらで落札されたのか

この絵画の落札額は、多くのメディアは「€210万」という書き方をしています*13

 

しかし、微妙に違う書き方をしているところもあります。

 

たとえば、independentは*14「£1.8 million」の落札と書いてあり、2010年6月のレートにあわせるならば、約215万とまあ大体一緒です。

一方、twistedsifterという記事には*15、「$3.4 million」、ユーロに直すと約280万。これは開きが出てしまいました。

examinerというメディアでは*16、「more than $2.3 million」と、当時のレートで考えるなら、約190万円です。これはたりなくなってきました。

 

このオークションを執り行ったのは、Olivier Choppin de Janvryという人物のようで*17、この界隈では有名な人みたいです。事務所もかなり古くからあるようです。

しかし、彼はその後、盗品を競売にかけた疑いで裁判を起こされています。

www.unidivers.fr

www.lefigaro.fr

彼の事務所は2010年に停止し、別の新しい事務所になっています*18

 

今日のまとめ

①パリには確かに数十年人の出入りがなかった部屋が存在し、その部屋の最初の持ち主はマルト・ド・フロリアンという女優・娼婦である。

②しかし、彼女は1939年に亡くなっており、最終的に引き継いだのは彼女の孫娘と思われる。ただ、名前やその理由などははっきりしない。

③孫娘の父親(フロリアンの息子)は1966年に亡くなった際に同じ場所もしくは近い場所に住んでいたため、彼女のアパートを管理しているように推察される。それが正しいならば「70年」の数字は正確ではない。

④オークションでフロリアンの肖像画は落札されたようだが、金額についても開きがある。

 

要するに、今回の話は、どうも情報の一つ一つの正確性が薄いというところに、色々なパターンの話が出来ている状態が生まれる原因なのではないかと思うわけです。

 

それはなぜかと言うと、実はこの話、Le Monde, Le Figaroといった、フランスの大手メディアでは取り扱っていないようなんです*19。どちらかというと英語版の方が大手のメディアが多く、少ない情報で記事が書かれているように見受けられます。

 

なので、圧倒的に細かい取材が足りません。誰もそのアパートを独自に訪れていないようですし(写真が全て一緒ですね)、孫娘について特に周辺からコメントももらってないですし、それがこの話のなんとはないうそ臭さを助長させる原因にもなっているのでしょう。 こういうプライベートをフランスの人はけっこう気を遣うことも、あまり情報が出ない原因かもしれません。

 

そして、出てくる情報が不確かで少ないと、物語はよりシンプルでわかりやすい方向性へ画一化されます。情報ダイエットの金太郎飴現象ですな。「昔いた女優だか娼婦だかの孫娘が南仏に言ってからも家賃を払い続けていて・・・」という話よりも、「昔の恋人の思い出のために部屋を残した」という話の方が筋が通りやすいですし、物語性があります。物語として受け入れられやすいということは、それは既にどこかであった話だということです。

 

それにしても、この部屋は今はどうなったのでしょうか*20。既に6年の歳月が流れていますが、そのままの形で残っているのであれば、またきっとどこかで、新しい物語を創ってくれそうです。

 

 

 

 

*1:以下の死亡証明書に、出生年月日と死亡日時が書いてあるそうです。

http://1.bp.blogspot.com/-iJOv1744PPk/VI4K6aU_kkI/AAAAAAAAU74/u906QJjDAn4/s1600/DecesMartheDeFlorian.jpg

 

Carnet Web de Généalogie: Marthe de Florianより

しかしながらこんなフランス語はわかんないです。

*2:

Venus Unveiled: Victorian temptress Marthe de Florian was also a style icon | Examiner.comが詳しい

*3:Untouched Paris Apartment Discovered after 70 years. Includes Painting worth $3.4M «TwistedSifter

Venus Unveiled: Victorian temptress Marthe de Florian was also a style icon | Examiner.com

など

*4:Carnet Web de Généalogie: Marthe de Florianにのっている死亡証明書には、彼のサインがあるそうです

*5:AFP: Mystery masterpiece emerges from dusty Paris flat

*6:

Revealed: Eerie new images show forgotten French apartment that was abandoned at the outbreak of World War II and left untouched for 70 years | Europe | News | The Independent

*7:A Look Into The Past – An UNTOUCHED (1942) Paris Apartment | A Storied Style | A design blog dedicated to sharing the stories behind the styles we create.

当時17歳の劇作家だそうで、なんだか訴訟沙汰になっていた記事が残っています。

L'Humanité : journal socialiste quotidien - Site Gallica mobile

「Autresse de dix -sept ans Mlle Solange Beaugiron écrivit <<Miss Mary>> , et elle croit reconnaitre sa piéce dans...<<Chaleur du Sein>>!」という見出しのところです。「Miss Mary」という演目に関する問題のようです

*8:1940年という記載もあり。

This lavish apartment was discovered untouched for 70 years | Roadtrippers

Marthe De Florian’s Abandoned Apartment In Paris | Ella Carey

*9:The Parisian Belle Epoque Time Capsule - The Daily Beastなど、多くのメディアで使われています。しかしながら、この年数もどこまで正しいのか、出所ははっきりしません

*10:

http://4.bp.blogspot.com/-mLGcH3TmI48/UIZRHd6znUI/AAAAAAAAJ1s/fNyfpr5b88U/s400/henri.beaugiron.jpg

Marthe de Florianより

*11:ちょっとフランス語には自信がないのですが、上記のHenriの死亡証明書には、9° arrondissement de Parisの記載があり、これはMartheの部屋と同じ地区です。ならば、同じアパートに住んでいたと考えられないでしょうか。少なくとも近くには住んでいたのでしょう。

*12:Intrigued, we looked at the documents that we found without finding a match or any
newspaper after 1955. The last occupant had retained not only the furniture but all mail
from previous generations since 1900. The apartment and its contents had crossed a
century unchanged.

*13:

Parisian flat containing €2.1 million painting lay untouched for 70 years - Telegraph

AFP: Mystery masterpiece emerges from dusty Paris flat

など

*14:Revealed: Eerie new images show forgotten French apartment that was abandoned at the outbreak of World War II and left untouched for 70 years | Europe | News | The Independent

*15:

Untouched Paris Apartment Discovered after 70 years. Includes Painting worth $3.4M «TwistedSifter

上記はspotlightが参考にしたであろう記事です。しかし、ちゃんと読めば日本語の記事と内容が全く違うことに気がつくはずです

*16:Venus Unveiled: Victorian temptress Marthe de Florian was also a style icon | Examiner.com

*17:

L' Etude - Choppin De Janvry & Associés

*18:

Villanfray & Associés

*19:2010年の話なので、引っかからないだけなのかもしれませんが

*20:「部屋そのものはまた元のまま封印されました」という記述があるページもあるのですが、ちょっと信憑性が薄い。

満艦飾 : 70年間開かずの部屋だったパリのアパルトマンの一室。ベル・エポックの遺産に囲まれてピンクのドレスを着た女が眠っていました。