ネットロアをめぐる冒険

ネットにちらばる都市伝説=ネットロアを、できるかぎり解決していきます。

【追記】電話ではなぜ「もしもし」というのか、スマホを弄くる我々の未来

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小学校時代の記憶というものは、大人になってからでも残っているもので、ふと、「そういえば、なんで電話で『もしもし』って言うんだろうなあ」と思い、ついで、「『申す申す』が変化したんだっけ」という記憶を引っ張りだしてきました。たぶん、誰か先生が教えてくれたんだと思います。

 

careerpark.jp

 

何でもビジネスに結びつけるあたりがステキですが、ここでは、

「もしもし」という言葉は「申す申す」の略語です。
「申す申す」は目上から目下への言葉であるため、ビジネスにおいては失礼にあたりNGです。

と、堂々と書いています。

 

7/31追記

上記キャリアパークは、どこからかたれこみでもあったのか、「目上から目下云々」を「目下から目上への丁寧語ではありますが」に変更しました。対応がお早い。

 

しかし、下部には未だ「相手を上から見下すという意味が含まれている」と書かれているので、矛盾している感じです。コメントの指摘から気がつきました。ありがとうございます。

ビジネスで使えない理由として「略語である」ことと「若者言葉である」ことを挙げていますが、この略語はもう百年単位で使われているので許してほしいですし、若者言葉という認識だったかどうかはちょっと不明です。

 

むしろ発想としては丁寧であろうとしたことから始まった「もしもし」なのに、現代では失礼に当たると言うことが面白いですね。

 

追記ここまで

 

 

 

「もしもし 語源」と調べると、以下のページが引っかかります。

 

gogen-allguide.com

 

そのまま引用します。

もしもしは、「申し(もうし)」を連ね短縮された言葉。
江戸時代には、「申し(もうし)」と単独で使われていた。
電話が開通された当初は高級官僚や実業家などしか電話を持っていなかったため、「もしもし」ではなく「おいおい」と呼びかけ、「はい、ようござんす」と返答されていた。
電話の呼びかけに「もしもし」が使われるようになったのは、電話交換手が中継ぎをしていた為、繋ぐ相手に失礼とならぬよう「申し上げます」と言っていたことによる。
日本で初めて電話交換業務が行われたのは、明治23年(1890年)12月16日、東京・横浜間である。

 

以下、語源の由来をまとめると、こんな感じ*1

①「もしもし」は「申し」の略語。

②「申す申す」は目上から目下への言葉。ビジネスではNG

③江戸時代には「申し」と単独で使われていた。

④電話では「おいおい」と呼びかけられていた。

⑤電話交換手が失礼にならないよう、「申し上げます」と言っていたことによる。

 

大人にはあまり関係のない夏休みですが、やりのこした自由研究という感じで、調べていきたいと思います。

 

 

 

***

 

 

 

「申す申す」はいつから使われていたのか

この話は今日のメインではないので、さっくりいきます。というか、これはきちんと調べると論文レベルになってしまう。

 

すごーく簡単に辞書で調べると、こんな記述です。

 

もうし‐もうし〔まうしまうし〕【申し申し】

[感]感動詞「申し」を重ねた語。もしもし。
「―と起こしたてまつり」〈浮・一代女・三〉*2

 

『好色一代女』で使われているようですね。③の「江戸時代に単独で使われていた」は早くも瓦解しそうです。

 

で、「申し」にどんな意味があるかといえば、

 

[感]人に呼びかけるときにいう語。ややていねいな言い方で、多く目上の人に対して用いる。
「いや―。あれに雉がゐまらする」〈虎清狂・禁野〉*3

 

ちょっとこの狂言『禁野』が、どの時代かが不明ですが*4、いずれにせよ、「目上の人に対して用いる」が正しいとすると、②の「目上から目下への言葉」というのはおかしくなります。

 

実はこの「まうしまうし」は、室町時代から使われていて、『室町時代談話語の研究』という論文では、狂言を参照しながら、呼びかけの表現についてどんなものがあるか書いています。

 

「申々(まうしまうし)」は(5)の場合、相手に自分の意思を伝えようとするときに切り出す丁寧な言い方である*5

 

「申々(まうしまうし)」は(6)の場合、「申々…もどつてござる」などのように、丁寧語を伴う形で用いられ、目下の者が目上の者に対して、帰参して玄関先で呼びかける挨拶となる。*6

 

つまり、「まうしまうし」は、もともと丁寧な呼びかけの表現であり、昨今のビジネス界隈で使われている「目上の人が使うから~」というのは、言語学的にはマチガイということになります。

 

日本の電話はいつから使われているか

日本の電話の開通は、よく1890年(明治23年)から、と言われますが、これは公的に電話の交換業務が始まった年であり、それよりも前に、主に官公庁や警察署において、電話は導入されていました。

例えば1879年(明治12年)には、大阪の警察署に導入された電話機について次のような記事があります。

 

各警察署の伝話機は従前のままにでは不都合の事もあるとて近々の中一人這入る硝子窓の箱を設け話しの外(ほか)へ漏ぬ様にせらるゝとの風説(うわさ)あり*7

 

このころは、「話」という表記がほとんどで、「電話」が使われだすのが1881年ごろからというのが、なかなかおもしろいです。読売新聞は「話し機械」と表記しているときもありました*8

 

NTTが出している『電話100年小史』(日本電信電話株式会社広報部)によれば、1877年12月に、ベル電話機を使って、工部省と宮内省の間で公式試験を行ったのが、初めてのようです。

 

この頃は、交換所はなく、直接電話線と電話線をつなぐ方法だったようで、主に大阪府内の警察署にゾクゾク配置していました*9

 

官公庁では、先にあげた宮内省や内務省だけでなく、外務省におくなどしていたようです。なかなか理由が面白くて、「外交上には秘密の事が多ひ故成丈見聞者を厭ふ為の由」とあり*10、この頃は伝達は給仕の役目だったので、それが色々な人に漏れるのを嫌ったんですね。これは、電話機が普及される段階でも話題に出ていて、使い走りをしていた丁稚や小僧といった子供たちの職が失われるのでは、と本気で心配されていたこともありました*11

 

要するに、当初は電話交換業務は存在せず、よって、「もしもし」も使われなかっただろうということが推察されます。しかしながら、後述する「おいおい」という呼びかけに関しては、官公庁や警察署という場所柄、しかも相手は限定されているので、使われた可能性はあります。

 

「おいおい」から「もしもし」へ

では、1890年以降の、電話交換手の存在が成立してからは、どのような呼びかけになったのでしょうか。

 

たとえば、1891年(明治24年)の朝日にはこんな小噺が載っています。

 

チンチンチンチン(先触れの鈴)オイ居るか、ハア、寒いね、早く居らつしやいな、床を暖めて待つてお出(後略)*12

 

女郎を呼びつける時に電話を使ったけど返事がなくて怒って見にいったら電話線が切れてました、というオチの話なんですけど、交換手を通した電話なのかどうかは不明ですが、いずれにせよ、呼びかけには「オイ」を使っています。

 

他にも、

 

チンチンチンチンチンヽヽヽヽヲイ君明日は何処へ往くかと兜町辺の某銀行(後略)*13

 

という旦那と思ったら奥さんと話していたというオチの小話でも、呼びかけに「ヲイ」を使っています。

 

「おい」もしくは「おいおい」という呼びかけは、どうやら一般的に使用されていたということでしょう。これが、電話への相手や交換局への呼びかけに転用されていたということのようです。

 

この呼びかけが「もしもし」へ変わり始めたのは、1900年前後だと推察されます。

 

1898年の朝日に、「電話使用者心得」というものが掲載されています。

 

(六)談話中交換手より「もしもし」と声を掛くる時は遅滞なく「話中」と答ふべし*14

 

同じ年の読売には、こんな投書が載っています。

 

横浜の知人の処へ行つて急に東京へ用が出来て電話をかけた時オイオイと云つたら交換局の女がオイオイといふていけぬモシモシと云へと言つた。諸君オイオイとモシモシとの区別を知つてるか*15

 

どうも、この1898年ごろに、文書としては残っていないようですが、逓信省あたりから、「おいおい」ではなく「もしもし」を使え、というお達しがあったのではないでしょうか。

 

これにはいくらか理由があり、当初電話の交換手には女性だけでなく男性も登用されていました*16。しかしながら、男性の対応はどうも利用者からの不満が多かったようで、「電話交換局夜間の部は男であるが、はなはだもつて不親切きわまる」*17という投書も新聞に載るぐらいで、その際に、男性交換手が「おいおい」という不遜な呼びかけ方をしていたのが問題になったようです。そういうサービスの評判の悪さにより、1901年(明治34年)には、姿を消すことになったそうです*18

 

そういう世の中の批判が、「もしもし」を使用するという流れの一助となったのでしょう*19

 

 

「もしもし」は誰が使いはじめたか

ただ、ちょっと気になるのが、前述した新聞記事の「もしもし」は、朝日の方は「交換手」が「もしもし」を使うということであり、読売の方は、これを電話をかけてきた相手にも強要しているということです。

 

「誰」が「もしもし」を使っていたかという話は、この語源を語っているサイトでも混乱が見られます。

 

たとえばこちら、

 

「もしもし」の語源として最も信憑性が高いのは、電話で話し始める前に「これから話をします」という意味で、「申します、申します」あるいは「申す、申す」と言っていたのが、「もしもし」に変わったという説です。

なぜ電話で「もしもし」と言う? - みんなの雑学辞典

 

これは、「電話で話し始める」のは「電話をかけた人」になるはずなので、「もしもし」は、「電話をかけた人」が使っている、という話です*20

 

しかしながら、冒頭にも挙げた「語源由来辞典」というサイトでは、

 

電話交換手が中継ぎをしていた為、繋ぐ相手に失礼とならぬよう「申し上げます」と言っていた

もしもし - 語源由来辞典

 

とあるので、この「申し上げます」=「もしもし」は、交換手が使ったため、という話になります。むむ、どっちだ。

 

これは推察にはなりますが、1898年ごろに、交換手に対して「もしもし」を使用するようにというお達しが、何らかの形で出たのでしょう。しかし、読売の投書にあったように、交換手によっては、その呼びかけを、電話をかけてきた相手に対しても適用するのだと思っていた者もいた(もしくはそういうお達しだったのか)。その混乱が、後々の語源をとる説にも影響を与えたのではないでしょうか。

 

例えば、時代は下りますが、1919年の『娘さんのうらおもて』というデカメロンみたいな小説には、交換手の女学生の主人公が出てきて、「『モシモシ、何番……。』と云ふ、赤い煉瓦の建物のお家」*21と出てきます。つまり、交換手が「もしもし」を使っていたということですね。

 

また、1906年の中国語の日常会話との対訳の『実用日語編』(中和同文会)に、この頃の交換手とのやりとりが書いてあります。

 

モシモシ。

 何番。

新橋ノ十八番。

 新橋ノ十八番。

ソウデス。

 ハイハイ。*22

 

最初の「モシモシ」は、どうも電話をかけた側であり、「何番」は交換手であるように見えます。続きでは、電話をかけた相手が「モシモシ貴下ハ貴臨館ノ方デスカ」と続くので、この頃には電話をかけた側も、「もしもし」が定型句になっていることがわかります。

 

この「もしもし何番」は、交換手の代名詞として、蔑称もこめて使われていたようで、昭和の話ではありますが、

 

通勤の途上、近所の悪たれ小僧や、御用聞き連中までが、通りすがりに

『モシモシ何番?』

とやる。(後略)*23

 

と、交換手が職業的には下賎のものとして扱われていたことがうかがえます。

 

 

以上を見ていくと、どうやら「もしもし」は初めは交換手が使い、その「もしもし何番」という特徴的な言い回しが世間に広まります。そして、その呼びかけ方法が、電話をかける側も使うようになっていった、というのが正確な流れなのではないでしょうか。

 

今日のまとめ

①巷で言われる「もしもし」=「申し申し」の略語説それ自体は恐らく正しいだろうが、「まうしまうし」は室町時代から用例が見られ、電話の普及から略されていったといういくつかの記述は誤りであると思われる。また、意味も元々は目下のものが目上に使う表現であった。

②電話は当初、警察署や官公庁で直接通話的に使用され、その組織の性格上、「オイオイ」という呼びかけの表現が多用されたことが推察される。

③1898年ごろから、交換手が「もしもし」を使い始めており、これは男性交換手の不親切な態度を改めさせるために、何等かのルールができたためと思われる。

④初めは交換手の「もしもし何番」の使用だったものが、電話の加入者が増えるにつれ、電話の呼びかけの表現として定着していったと思われる。少なくとも1906年には、ある程度「もしもし」が定着していたと思われる。

 

1939年に出版された『電話電信読本』(東京日日新聞社)には、電話の草創期の話として、以下のように記しています。

 

電話をかける時呼びかける言葉は一律に「オイオイ」といつたといふが今なら喧嘩ものだ。明治二十四年頃、夜勤男子交換手も廃止され全部女子交換手に代り、この頃から「オイオイ」が「モシモシ」とやさしく変わつたし、これが今日の習慣にもなつたのである*24

 

 

40年ほど前には「諸君オイオイとモシモシとの区別を知つてるか」というぐらいの違いだったものが、「今なら喧嘩ものだ」と、「オイオイ」という呼びかけは呼びかけとして大きな変化を強いられたことがわかります。一つの技術の普及が、ここまで言葉や習慣を変化させてしまうものなのだなあと思います。果たして、スマホを弄くり回す我々は、数十年後、どのような変化が待ち受けているのでしょうか。

 

 

 

*1:ちなみに、妖怪確認説もあります。

電話をかけるときに「もしもし」と「もし」を2回言う理由は?

これは、柳田国男の『妖怪談義』をベースにした話で、恐らく村上健司の『妖怪百貨店別館』が取り上げたのを、またテレビで取り上げたのでしょう。

Googleブックスで見られるので、確認すると、

 

だから黄昏に途を行く者が、互いに声を掛けるのは並の礼儀のみでなかった。いわば自分が化け物でないことを、証明する鑑札も同然であった。佐賀地方の古風な人たちは、人を呼ぶときは必ずモシモシといって、モシとただ一言いうだけでは、相手も答えをしてくれなかった。狐じゃないかと疑われぬためである。

 

という個所でしょうね。しかしながら、後述するようにこの「まうしまうし」=「もしもし」は室町の時代から使われている言葉であり、佐賀の古風な人たちは果たしてその意味をこめて使っているか、というのは柳田先生でも少々疑問です。いずれにせよ、「もしもし」自体は明治の時代にそこまで廃れていないようでしたので、この話と電話の話をからめるのはちょっと無理がありすぎです。

*2:もうしもうし【申し申し】の意味 - goo国語辞書

*3:もうし【申し】の意味 - goo国語辞書

*4:たとえば幸田露伴の『狂言全集』では、この言葉が出てこず、代わりに「あれあれ、向な薄の中に雉が居ます」となっています。

国立国会図書館デジタルコレクション - 狂言全集. 中巻 続狂言記

*5:CiNii 論文 -  室町時代談話語の研究(その二) : 呼びかけの表現  河原修一 P17

*6:同上P17

*7:朝日新聞1887年7月19日大阪朝刊1P 「雑報」という欄に記載されていますが、ちゃんと「うわさ」と書くあたりが、書かずにうわさを流す今の新聞よりも正直かもしれません。

*8:「内務省と警視局との電信は近々に話し機械を据られますと」

読売新聞1878年2月17日朝刊3P

*9:「近日より茨木住吉両郡の警察署へ警察本署より伝話器を架けらるゝと」(朝日新聞1880年2月21日大阪朝刊1P)「各警察署より部内の箱番所へ電話機を掛て急報を知らせるやうに成るといふ」(朝日1882年2月22日大阪朝刊2P)など

*10:朝日新聞1881年7月26日大阪朝刊1P

*11:「電話がどんどん普及すると小僧さんが失業する、これは重大な社会問題だというので、三井財閥の中心人物であった益田孝氏に局長が意見を聞きに行ったりしている」(「『電話100年小史』P4)

*12:朝日1891/1/11東京朝刊4P

*13:朝日1891/2/14東京朝刊P4

*14:朝日1898/4/23東京朝刊P7

*15:読売1898/9/14朝刊P4

*16:「これも昼間のみの業にして夜間は男子と交替することなれば婦人にはよき職なり」『婦人職業案内』文学同士会・明治30年

国立国会図書館デジタルコレクション - 婦人職業案内

*17:朝日1899/10/11東京

*18:『電話100年小史』P17

*19:実は、この「もしもし」に関しては、警視総監の安楽兼道が、巡査の傲慢な態度を改めようと丁寧な言葉遣いを心がけるよう訓示した際に、「もしもし」を使うようにといったのが流行語になったため、という説もあります。

「彼氏」って言葉は、いつ頃から使われはじめたのか? - 新刊JP

これは『暮らしの年表/流行語 100年』(講談社・編、講談社刊)という本からの話のようですが、調べた限り、件の言葉が1913年に流行語になっていたかというのは甚だ疑問です。まず、安楽がしたという訓辞を新聞やら書籍やらでだいぶ調べたのですが発見できませんでした(別の訓示はありましたが、「もしもし」に関しては載っていませんでした)。また、1913年に「もしもし」が流行したという書きぶりですが、この時期には既に全国の加入者数は18万人を超えており、世間では交換手を「もしもし嬢」なんて呼んでいました。この頃には、「もしもし」は既に市民権をかなり得ていたと考えるべきであり、いまさら流行語にはならないかと思います。ちなみに『電話100年小史』では、「もしもし」の言葉の流行を「1893年」としていますが、ちょっとソースが示されていませんでした。

*20:しかしながら、先述したように、「まうしまうし」は室町の頃から使用されており、「もしもし」自体は既に言葉としては存在していました。

たとえば明治32年の泉鏡花『黒百合』には「もしもしちょいとどうぞ」という呼びかけがあります。電話の出てきた時期に「もしもし」に変化したという説はあり得ないでしょう。

*21:国立国会図書館デジタルコレクション - 娘さんのうらおもて

*22:国立国会図書館デジタルコレクション - 実用日語篇

*23:国立国会図書館デジタルコレクション - 職業婦人物語

*24:『電話電信読本』P12