あけましておめでとうございます、なんですが、サンタクロースのお話。
「アナと雪の女王」の音楽のコンサートで、指揮者が客席の子どもたちに「サンタは存在しない」と発言したことが物議をかもし、彼はクビになってしまったよという話。
しかし、この記事を読んで不思議に思うのが、どうしてこの指揮者は突然「サンタは存在しない」と言ったのかということです。スタンディングオベーション→礼→「サンタは存在しない」という流れははなかなか意味不明です。AFPBBの記事はどうもそこんところがよくわからないので、今日は短めに、そこんところを調べてみました。
客のマナーが原因か
英語圏での広まりにはTelegraphが一役買っているようです。
Telegraphによれば、指揮者のGiacomo Loprienoは、帰りの長い列に並ぶのを避けるために、演奏の途中で帰る聴衆に腹を立てて、そんな発言をしたとのこと*1。ふーん、なるほど。
とはいっても、現地紙をおさえたほうが良いとも思うので、ROMAの12月30日の記事。
実際の彼の発言は「Comunque Babbo Natale non esiste」。「どうせサンタは存在しないんだよ」というところでしょうか。
記事では、彼の発言の原因として、同じように「駐車場の混雑を避けようとして途中で帰っていく」聴衆に腹を立てたのではないかという事と*2、劇場側の調査によれば、彼の発言は演奏が終わり、客席が半分ほどになったような状態で、観客の何人かがサインや写真を求めていた場面で行われたものだということです*3。
なので、観客全員に向けて発したというよりかは、演奏会が終わった後のみんなが帰っているような段階で、腹立ち紛れに言った言葉が大きく取り上げられてしまった、というところでしょうか。マイクのスイッチでも入りっぱなしだったのか、ステージの近くにいた何人かの観客が聞いて、SNSで非難したのか、ちょっとそこまではわかりませんけれども。
サンタと宗教の微妙な関係
今回の発言は波紋を広げ、彼はニューイヤーの演奏会の指揮者からおろされてしまったようですが、うーん、日本人の感覚からすると、そこまでのことなのか、というような感じもしてしまいます。
で、色々調べていくうちに、イタリア紙の中で興味深かったのが、1951年のあるサンタ排斥運動に言及していたものです。
1951年の12月23日に、フランスのGuillaume Sembelという司教が、サンタクロースの存在が異教的だとして、大聖堂の前でサンタの人形の首を吊って燃やすというセンセーショナルなパフォーマンスをしました。それは250人以上の子どもたちの前で行われたそうです*4。救世主、キリストの誕生日のお祝いなのに、サンタクロースという存在は(アメリカ的価値観も含め)、異教的であるというわけですね。個人的に驚いたのが、レヴィ・ストロースが、この問題について寄稿していたことです*5が、まあ本筋とは関係ありません。
Guillaume Sembelは、言ってしまえば、サンタという「嘘」で宗教的行事を彩られるのが我慢ならなかったのでしょう。アメリカ商業主義に毒される現状というものも憂慮していたのかもしれません。当時はGuillaume Sembelだけでなく、何人かの聖職者がそのことについて難色を示していたようです*6。この出来事はFrance-Soir紙によって報じられ、大変話題になり(悪いほうに)、翌日にサンタクロースの「復活」を子どもたちにみせる羽目にまでなったんだとか*7。
これは何も昔の話というわけでもなく、現代でも、アメリカのショッピングモールで、「サンタクロースは存在しない!」と叫んで問題になったというニュースがあります。
この牧師は、「サンタが現実の存在であると子どもたちに伝え始めたら、それは偶像崇拝になる」と批判しています。非常に真面目な教義に基づいた発言なわけです。
「サンタクロースは存在するかしないか」というキーワードは、日本人的には子どものほほえましい質問、という感じですが、かの国々では、宗教の原理主義的な面に引っかかる、少々センシティブな問題にじゅうぶんなりうるものなのでしょう。この指揮者が選んだ「サンタは存在しない」という言葉がどれだけ意識的なものだったかはわかりませんが、公的な場ではふさわしくないものを選んだということになるんでしょうなあ*8。
今日のまとめ
①今回の件は、演奏途中で帰った客に対して不満をもったことによる発言と見られる。
②終了直後ではなく、半分ほど帰った場での発言で、どこまで意図的に伝えようとした窯ではわからない。
③キリスト教国にとって、「サンタの存在の否定」は、場合によっては宗教の問題に発展する微妙な話題のようである。
今回の件はイタリアでも賛否あるようで、「まるで中世の宗教裁判のようだ」と批判する向きもあります*9。それにしても、やっぱり唐突な感じは否めないので、真意を聞いてみたいところです。
指揮者本人のコメントが特にないので、この言葉だけがひとりあるきしてしまっているようですが、まあみなさん、今年もご自身の発言と、それからその発言を早合点にとらえないよう、お気をつけましょう。今年もこんな感じで、細かく色々なことを取り上げていこうかなあと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
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*1:Giacomo Loprieno was apparently driven to the fit of pique after families started leaving the performance early in a bid to beat the queues exiting Rome’s Auditorium Parco della Musica, an arts venue.
*2:appena terminato lo spettacolo, durante gli applausi, abbiano lasciato la sala per evitare la calca e il traffico in uscita dal parcheggio.かな…
*3:Dall'Auditorium confermano la frase del direttore d'orchestra e spiegano che probabilmente la negazione pubblica dell’esistenza di Babbo Natale è avvenuta davanti a una sala mezza vuota, proprio mentre alcune famiglie si erano trattenute con i musicisti per chiedere autografi e foto.
*4:23 décembre 1951 – On a brulé le Père Noël : une époque où l’Eglise ne craignait pas de dire la vérité ! – medias-presse.info
*5:Claude Lévi-Strauss, Le Père Noël supplicié
フランス語ですが、Google翻訳でも十分いけます。サンタクロースの起源について、民俗学的な論説をしています
*6:Depuis plusieurs mois déjà, les autorités ecclésiastiques, par la bouche de certains prélats, avaient exprimé leur désapprobation de l'importance croissante accordée par les familles et les commerçants au personnage du Père Noël.
Claude Lévi-Strauss, Le Père Noël supplicié
*7:Noël 1951 – Le jour où le Père Noël a fini au bûcher… …et a ressucité le lendemain ! | Penthésilée ou Sappho ?
*8:あとは、あのディズニーの演奏会だったのもよくなかったのかも・・・と、かのランドの権力の強さを妄想してしまいます
*9:Questo eccesso di zelo mi sembra davvero simile a quello degli inquisitori medioevali
Licenziare il direttore anti-Babbo Natale? Roba da Medioevo - Il Fatto Quotidiano