私はマンガはあまり読まないんですが、その中でも買い続けているマンガが、『それでも町は廻っている』なんですね。
先日最終巻が発売され、単行本派の私は早速読んだのですが、あまりにも良い出来だったので、思わず記事にしてしまいました。
重大なネタバレも含みますので、以下読む方はお気をつけください。
作者自身はこのマンガを『コミュニケーションの教科書』のようにしたいと書いています。
コミュニケーション不良の代表みたいに言われている大東京のたもとは人情の町でした。田舎者の僕は上京するのが恐ろしくて仕方が無かったのですが、その町が大いに気に入り、半年も経った頃には商店街の店々の皆と自然に顔見知りになりました。そして、商店街を舞台にしてコミュニケーションの教科書になるような漫画を描こうと心に決めました。
『それでも町は廻っている1巻』作者あとがきより
この話は、嵐山歩鳥という女子高生が、商店街の「シーサイド」という、店主のバアさんの思いつきでできた「メイド喫茶」で働く、というお話です。
日常系、というくくりで語る方もいますが、私はこの漫画を、昨今の「日常系」とは同じ位置づけにしたくはありません。それには大きく二つ理由があります。
時系列ギミックの妙
一つは、この漫画がかなり細かいプロットによって成り立っていることです。主人公は歩鳥ではありますが、友人のタッツンや、親友の紺先輩の話など、様々なストーリーラインがあります。「それ町」は、1巻以降は各話の時系列がバラバラになり、ちょっと読んだだけではどの話とどの話がつながっているのかがわかりません。私ははじめ、どうしてバラバラにするのか意味がわからなかったのですが、ある小道具が後の話で出てきたりといった小ネタ的要素のほかに*1、わざと時系列的に話をしないことで、核心部分を自由にオチに持ってこられるしかけができるよさがあることに気がつきました。
例えば、私の好きなストーリーラインは紺先輩に関するものなのですが、歩鳥と紺先輩の関係は、明確に『銀河鉄道の夜』のジョバンニとカムパネルラに例えられています。一番顕著なのが、9巻71話『歩く鳥』。リンゴジュースを手渡すシーン、鳥が羽ばたくシーン、石炭袋、サザンクロスなど、賢治ファンにとってはたまらない場面がいっぱいでてきます*2。『それ町』の中でも屈指の名作だと思います。ところが、この話の冒頭は、紺先輩の中学時代の回想が入り、そこで卓球部の先輩の「座成(ざなり)」に、階段から突き落とされる挿話が語られています。しかし、この話は直接71話には関係がありません。
この設定が活きてくるのが13巻104話『暗黒卓球少女』。中学時代から紺先輩を知っている針原さんが、その中学時代の話をするもので、昔から人付き合いの悪かった紺先輩が、たった一人心を許していた中学時代の先輩との友情を「美しく」振り返る話です。
しかし、104話の最後のコマで、その先輩の名前の縫い付けてある体操着がうつります。そこで読者は、紺先輩が心を許したとされる人物の名前を初めて知ることができます。そこには、「座成」と書いてあるんです。
「座成」はもちろん「ザネリ」。ラッコの上着でジョバンニをはやし立てる連中のひとりです。ザネリはユダに例えられることもありますが、いわばカムパネルラにとっての裏切りの存在でもあります。104話の美しい友情のシーンが、最後のたった一つのコマで、その後の悲劇的な結末を暗示させることになるのです。これは、時系列で語るような物語ではなかなか実現しにくい伏線です。最終巻の『紺先輩 スペシャル』で、紺先輩は座成と決着をつけ、最後は歩鳥と電車の中で語らうシーンで終わります。私は、作者の以下の言葉が、いちばんナットクできました。
そこで、既刊の中から自分の最終回を探してもらいたいのです。
「歩く鳥」が最終回だと心が訴えているなら、それも良いですし、とくに15巻後半から16巻にかけてはいろんなエピソードが終わりを迎えるので、一番好きな話を最終回としてくれても良いです。
『それでも町は廻っている 公式ガイドブック』P125
この話を歩鳥の成長と見るか、紺先輩が本当の親友を見つける話と見るか、あるいは・・・と考えていける、そんな懐の深さは、これは作者の緻密な構成によるものでしょう。
「現実系」マンガ
2つ目は、この漫画には肉があるということです。
一時、ネット上で、『それ町』のクラスメイトの紹介絵がリアルすぎる、と話題になったことがありますが、
なんというか、このマンガにはそういう「現実感」があります。
話としては、SFあり、ミステリーありで、おおよそ現実とは離れた話も多いのですが、そこの根底にある人間と人間のつながりは、読んでいくと血肉の通ったものであると感じられます。
好きな話は色々あるんですが、血肉の通った、というところでは、8巻の65話『さよなら麺類』が秀逸でしょう*3。
歩鳥がよく通う「大名行列」というラーメン屋が店を閉めるという、ただそれだけの話なのですが、実に味わい深い。その話を聞いたとき、歩鳥は「そうだ!商店街の人が外食する時商店街のお店でだけ食べたらいいよ!」と提案しますが、すぐに「わかってるよ…ムチャな事言ってるのは自分でも…」と気がつきます。作者自身も言っていますが、歩鳥にとって一番の恐怖は、「いつもの感じ」が変わってしまうことで、しかし、そこにはどうしようもない歯車が廻っていることもあるのです。それが現実です。
そして、ラーメン屋はやはり閉店してしまいます。でも、最後のコマで、珍しくナレーター気味に、作者はこう付け加えます。
ラーメン屋はまだ二階にいるのです
私は、日常系のマンガの雄には『よつばと!』があると思うのですが、あれこそ現実離れした、ユートピアのような話だと考えています。
これはもちろん批判をしているわけではなく、『よつばと!』には正確な意味での悪意や悲劇が存在しない、ということです。とても現実的な出来事を細かく丁寧に描きながら、しかしその総体は理想郷のようなものです。『それ町』は、それと対になっているような存在だと思います。何の救いもなくラーメン屋は閉店してしまう。その出来事が「現実的」と言いたいわけではありません。そのラーメン屋が、「まだ二階に」いることが現実なのです。現実はそうやって、本当の人の血肉があってこそ、廻り続けて行くのです。そして、それは、まさに「コミュニケーション」がなければ、生まれてこないものでしょう。そういう意味で、このマンガは確かに、「コミュニケーションの教科書」であると、私は思います。
語りだすと止まらないのですが、ぜひ完結もしたので、まだ未読の方には読んでいただきたいですし、最終巻と同日発売の公式ガイドブック、
それでも町は廻っている 公式ガイドブック廻覧板 (ヤングキングコミックス)
- 作者: 石黒正数
- 出版社/メーカー: 少年画報社
- 発売日: 2017/02/14
- メディア: コミック
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税抜1800円とお高めなのですが、作者の「再読の手引き」は新たな発見もありかなり面白いので、それだけでも読む価値はあると思います。ぜひぜひ。でも買う時はAmazonではなく町の本屋さんで買っていただきたいですね。