21世紀に「教育勅語」なんて語が聞けるなんて思ってもいなかったのですが、いろいろともめているようですね。
稲田防衛相が、福島氏の「教育勅語が戦争への道につながったとの認識はあるか」と質問したのに対し、「そういう一面的な考え方はしていない」と答え、「日本は道義国家を目指すという教育勅語の精神は、今も取り戻すべきだと考えている」と、「教育勅語」を評価する旨の発言をし、物議をかもしています。
私は「教育勅語」自体が評価できるかどうかというよりも、稲田防衛相の「日本は道義国家を目指すという教育勅語の精神」の方が気になりました。もう少し早く記事を書く予定だったのですが、時間がかかってしまい、その間にいくつかまとめているものがありました。
しかし、個人的には少々物足りなかったので、調べてみました。「道義国家」てなんでしょか?
稲田氏の国会答弁について
とはいっても、各紙の稲田氏の答弁は切り取られていて、実際の発言がどうだったのか気になります。今回の発言は3月8日の参議院の予算委員会。今は便利ですね、アプリで中継が確認できますので、文字におこしてみました。かなり長いです。
福島:次に、稲田大臣にお聞きをいたします。『WILL』2006年10月号、228Pの下段、ご自身のご発言を読み上げてください。
稲田:今、委員がご指摘になっているのは、2006年、今から11年も前の、新人議員大討論会という事でありますので、そういった、わたくしはここに防衛大臣として答弁をする立場にありますので、11年前の、しかも新人議員、多くの新人議員と対談をした、さらに一部の一節を読み上げるのは、差し控えたいと思いますので、ご理解をお願いいたします。
福島:ありえません。私が大臣の時は同様の質問も受けましたよ。読んでください。あなたが、発言しているものですよ。
速記中止(会議中断)
稲田:先ほど言いましたように、10年以上前の、いち政治家個人としての意見を述べたもので、またこの11年の間に、いろいろと私も学んで、このときと同じ、全く同じ意見を持っているわけでもないし、また、長い対談の一部を読み上げることに、どのような意味があるか、わかりませんが、委員が読めとおっしゃいますので、読ませていただきます。
「教育勅語の素読をしている幼稚園が大阪にあるんですが、そこを取材した新聞が文科省に問いあわせをしたら、『教育勅語を教えることは適当でない』とコメントしたそうなんですが、そこで文科省の方に『教育勅語のどこがいけないのか』と聞きました。すると、『教育勅語が適当でないのではなくて、幼稚園児に丸覚えさせる教育方法自体が、適当ではない』という主旨だった、と逃げたのです。しかし新聞の読者は、文科省が教育勅語の内容自体に反対していると理解し、いま、国会で教育基本法を改正し、占領政策で失われてきた日本の道徳や価値観を取り戻そうとしている時期に、このような誤ったメッセージが国民に伝えられることは、非常に問題だと思います」
中略*1
福島:このあとに、教育勅語について発言をされてるんですが、最後の一行も含めて、教育勅語の精神は取り戻すべきという考えは現在も維持されていますか。
稲田:わたくしは今、ここで防衛大臣として答弁しています。その11年前の、わたくしの、長い対談の一行について、コメントする立場にはありません。しかし、福島委員もですね、大臣の時にまさしく、わたくしと同じような立場でおられました。大臣でいらっしゃいましたけど、社民党の代表でいらっしゃって、社民党の党是は、自衛隊が憲法違反であるということで、わが党の、佐藤正久議員から、大臣としてはどうなのかと、社民党は自衛隊は憲法違反だといるけどどうなのかと聞かれて、「自分は大臣として自衛隊は合憲である」と言われました。あります。あります。答弁されたんです。まさしく、委員もそのように、自分が大臣の時には、大臣として、政府の立場を国会では述べるということでございます。
福島:わたしは個人の立場を述べて、大臣の立場を言いました。あなたは、過去の発言すら言わないじゃないですか。今この考えを変えてるんですか、変えてないんですか。
稲田:何度も申し上げておりますように、わたくしは、ここに大臣として、防衛大臣としておりますので、11年前のいち政治家としての言葉について、コメントする立場にはありません。そして、そして、今の今の委員が大臣でいらっしゃった時に、社民党の党是は自衛隊は憲法違反だけれども、大臣としては合憲だというのは、2010年3月12日の参議院の予算委員会の議事録でございます。
○○:ご答弁は質問されたことに対して、的確にお願いいたします。
福島:考え変えたか変えないかを聞いているんです。
稲田:あせってませんよ。教育勅語の核であるたとえば道徳、それから日本が道義国家を目指すべきであるというその核について、わたくしは変えておりません。
福島:最後の一行まで全部正しいとおっしゃってますか。これでよろしいんですね。
稲田:わたくしは、教育勅語の精神であるところの、日本が道義国家を目指すべきである、そして、親孝行ですとか、友達を大切にするとか、そういう核の部分ですね、今も大切なものとして、維持をしているところでございます。
福島:ここで、一行も含めて、教育勅語の精神は取り戻すべきなのだとおっしゃってますが、これも維持されているということですね。
稲田:今答弁しましたように、教育勅語に流れているところの、核の部分、そこは取り戻すべきだと考えております。
福島:念のために聞きます。全部ですか。あなたは最後の部分も含めて、教育上の精神を取り戻すべきだと、全部取り戻すべきだということでよろしいんですね。
稲田:冒頭申し上げましたように、それから11年も経っているわけでございます。わたくしは、いま、教育勅語に対しての自分の考えは、教育勅語の精神ですね、日本が道義国家を目指すという、その精神は、今も取り戻すべきだという風に考えております。
福島:答えてないですよ。最後の部分が重要で、これは、最後の部分、えー、国のためにがんばってやるべきだ、とありますが、この部分も、ということなんでしょうか。
稲田:いま、委員がおっしゃっている質問の意味が明確にわかりませんけれども、わたくしは、11年経っても、教育勅語の精神であるところの、日本が道義国家を目指すべきであるという、そういう精神、それは、取り戻すべきであるというか、目指すべきだと今も思っているところでございます。
福島:これは重要なので、この文章はこうです。稲田さんは、麻生大臣に、「最後の一行はよくない、即ち、天壌無窮の皇運を扶翼すべし、といったような部分はよくないと言っているが、私はそうは思わない」という風に言ってるんです。つまり、全部ってことなんですね。この部分も含めて全部ですね。
稲田:今申し上げましたように、全体として、教育勅語が言っているところの、日本が道義国家を目指すべきだという、その精神は目指すべきだという事に、いまも変わってないという事でございます。
福島:教育勅語は最後が肝ですよね。教育勅語は1947年*2、衆参の決議で効力を失います。なぜでしょうか。
稲田:わたくしは、今も教育勅語の精神って言うのは目指すべき姿、道義国家を目指すべきという点については、それは今も変わっていないという事を、先ほどから縷々、委員に申し上げているところでございます。
福島:国会決議がなぜ効力を失ったのかと聞いているんです(国会決議によって、といいなおす)
稲田:わたくしは、その教育勅語のですね、精神、それは今も目指すべきものだと思っております。そして教育勅語自体がですね、まったく誤っているというのは、私は違うと思います。これは所管ではありませんけれども、そして、今も三重県の現職国会議員を輩出されている、皇學館高校では、教育勅語の碑を校庭に置き、また、父母の日に教育勅語を全部写させている、そういう学校もあるわけです。その精神の核自体は、道義国家を目指すというのは、目指すべきだというふうに思います。
福島:教育基本法が改正されれば、塚本幼稚園が原則になると考えていたんですか。どうぞ。
稲田:今の委員の質問の意味がわかりませんので、もう一度質問いただけますか。
福島:塚本幼稚園を非常に肯定されているわけですよね、教育方針。教育基本法の論議でおきておりますので、教育基本法が改正されれば、塚本幼稚園が原則になるとお考えだったんですか。
稲田:今の質問の意味が、いまだに明確ではありませんけれども、塚本幼稚園が原則になるなどととは、今まで思ったことはありません。
福島:塚本幼稚園や森友学園、この教育が、明らかになっていることについてどう思いますか。
稲田:今の委員の、何をお聞きになりたいのか、意味がわかりません。わたくしが先ほどからいっているのは、教育勅語の精神、それは、日本が、親孝行、友達を大切にする、夫婦仲を仲良くする、そして、世界中から尊敬される、道義国家を目指すというのは、それはわたくしは、変わってないことでございます。
福島:教育勅語が戦前、戦争の道やあるいは国民の道徳の規範となって問題を起こしたという意識はありますか。
稲田:そういうような、一面的な考え方はしておりません。
福島:一面的ではないですよ。衆参の国会決議でこれは効力を失って、戦前の反省があるわけです。今みたいな答弁信じられませんし、こういう形で塚本幼稚園擁護してきたわけじゃないですか。その責任はあると思います。
国会中継なんてまじまじ見ることなんてないですから、興味深く見たのですが、まあ、子どもの喧嘩のような、遠い彼岸の出来事ですね。
それはともかく、稲田大臣は、都合8回も「道義国家を目指す」ことが「教育勅語の核」だと述べています。果たしてそうなんでしょうか。
教育勅語に「道義国家」は出てこない
そもそも、教育勅語に「道義国家」という語は出てくるのかというと、直接は出てきません。
朕󠄁惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ德器ヲ成就シ進󠄁テ公󠄁益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵󠄁ヒ一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕󠄁カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺󠄁風ヲ顯彰スルニ足ラン斯ノ道󠄁ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺󠄁訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵󠄁守スヘキ所󠄁
之ヲ古今ニ通󠄁シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕󠄁爾臣民ト俱ニ拳󠄁々服󠄁膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶󠄂幾󠄁フ
明治二十三年十月三十日
御名御璽*3
原文には存在しませんが、いわゆる「訳文」に、「道義国家」の語をあてはめているものがあります。「国民道徳協会」というところが訳した文です。
私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
「国民道徳協会」なる存在はネット上ではヒットしないのですが、どうやら自民党の佐々木盛雄議員(既に他界)が理事長を務めていた団体のようです。調べた方がいらっしゃいました*4。
この訳がいつごろ作られたか、正確な日付は難しいところですが、1973年ごろと推察されます。1973年9月8日の朝日に「教育勅語 口語で登場」という見出しで、明治神宮が参詣者に無料で配るパンフレットに「口語訳」をのせたという旨の記事があります。
朝日は少々片手落ちで、この「訳文」の全文を載せていないのですが、部分では佐々木訳と一致しており、「道義立国の達成」の文字も見られるので、恐らくこのころのものでしょう。
しかし、「訳文」として「道義国家」という語を当てはめているものは、この「佐々木盛雄」訳しか、調べた限りでは存在しません。
たとえば、昭和五年の文部省図書局の「教育に関する勅語の全文通釈」では、
朕がおもふに、我が御祖先の方々が国をお肇めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一つにして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にこゝにある。*5
とあり、「徳をお立てになった」とはありますが、「道義国家」の語はありません。
他にも、明治42年12月に文部省が英訳した文章を読んでみると、
Know ye, Our subjects :
Our Imperial Ancestors have founded Our Empire on a basis broad and everlasting and have deeply and firmly implanted virtue. Our subjects ever united in loyalty and filial piety have from generation to generation illustrated the beauty thereof. This is the glory of the fundamental character of Our Empire, and herein also lies the source of Our education.*6
「virtue」を「美徳」のように訳せるかなとも思いますが、「道義国家」という語にはなりそうもありません(意訳すればそういうことになるかもしれませんが)。
これは戦後も変わりはなく、『教育勅語漫画読本』(1971)という本は以下のような訳。
われわれの祖先は、高遠な理想の下に日本という国を造り、道徳を確立し、その実践に非常に努めた。国民は誠実で父母を敬愛し、一心同体となって、この美風を代々伝えて来た。これこそ、わが国を立派な国柄に造り上げたものであり、教育の根本精神もここにあるのである。
ここでは「道徳を確立し」という言い方になっています。ちなみにこの本は一つずつ勅語の解説があり、「徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ」の解説として、「徳とは人にしんせつで、人にめいわくをかけない」こととして、その精神が「むかしから大切に受けつがれてきた」としています*8。
他にも、長山靖夫『「修身」教科書に学ぶ偉い人の話』(2017)は、「徳」の部分を「万世にわたって御手本をおのこしになった」*9と訳し、津田道夫は、初段の文を「皇統思想にもとづく国体観念を明示し、そこにこそ「教育の渕源」(おおもと)の存するゆえんを宣言して」いると説明します*10。「道義国家」という言葉で説明はしていません。
ただ例外もあり、濤川栄太は『今こそ日本人が見直すべき教育勅語』(1998)では、
私が思うのに、私たちの古くからの祖先は、この国を広く遠大な志にもとづいてはじめ、深く厚い徳の原則をうちたててきました*11
と訳していますが、濤川はこれを「「道義国家を目指す」という発想」*12だと述べています。濤川は正統派の右派の人間ですが、この「道義国家」が教育勅語とからむことを自分で考えたのか、どこからか拝借してきたのかは不明です。
しかしいずれにせよ、教育勅語の訳文自体に「道義国家」を当てはめたのは、調べた中では「国民道徳協会=佐々木盛雄」だけであり、同じ自民党の流れからすると、稲田防衛相は、教育勅語の訳として、この佐々木訳を参照したのではないか、と推測ができます(ただ、「教育勅語」と「道義国家」が全く関係ないという事ではなく、その関連性については後述します)。
戦前・戦中の「道義国家」
もちろん、「道義国家」という語は、佐々木が考えた言葉ではありません。「道義国家」の系譜をまとめた論文としては姜海守の『帝国日本の「道義国家」論と「公共性」』が詳しいので、ここではそれをベースにしながら書いていきましょう。
姜は、「道義国家」という語は、大川周明の「道義国家の原理」(社会教育研究所リーフレット第3)*13において、「帝国日本の新たな国家的自己像を求める概念」として使われ始め、ここが基礎となり、この語が政治論としてだけでなく、「学術的言説」としても繰り返されているとしています。
大川は幕末に、「実学党」として活躍した儒学者の横井小楠に強く影響を受けているようで、『日本精神研究第1』(1924)は「横井小楠の思想及信仰」と題しており、彼の思想は「道義を基礎とする真実の世界的平和」*14を導くための信念であるとしており、自らの「道義国家」言説とつなげています。
姜は「道義国家」言説においてとりあげるべき知識人として、倫理学者の和辻哲郎を挙げています。和辻は西欧の「功利主義的道徳」を批判し、「共同社会の自覚」の必要性を主張しています*15。
和辻における「道義」の意味とは、「『公』に奉仕して『私』の利害を顧みぬことが最大の徳」とする「武士階級の道義観」、すなわち武士階級の「全体性」なのである。*16
同じく、姜は尾高朝雄を挙げており、尾高は「道義」を、ただ個人の道徳観としてだけでなく、そこを国家の法によって組織せらるることが肝要であると述べています。
国家は道義を生命とするものであるが、単なる道義態が国家なのではなく、内に燃える道義の理念をば、法によつて組織し、壮大な制度として築造したものが、すなわち、近代国家の本質なのである。*17
尾高はヘーゲルやヒトラーが唱えるような西欧的な「全体主義」を批判し*18、「道義国家」が日本の伝統であるとすることで、「「全体主義」的な公私一致の「国家公共の大義によつて自らの生活態度を規律」できると説きます*19。姜はこのような尾高の姿勢は帝国日本の「覇道精神」を「欺瞞・粉飾」するレトリックだと批判しますが、当時の知識人が、ファシズム的な「全体主義」批判を自国のものとしては捉えなかったこともふまえ、「「法」と「力」が「均衡を保つ」「道義国家」としての帝国日本の「基本構造に対する省察」に挑む」ものだとしています*20。姜は、この「道義国家」言説が、やがて、「聖戦目的達成」のための「国体の本義の透徹によ」る「道義朝鮮の確立・建設」ないし「半島の道統確立」という主張になっていったと付け加えます。
この「道義国家」論は、「国体」や「皇道」と言った語ほど民草におりたものでもなく、インテリジェンスな言論として扱われたようです。1941年1月14日の朝日に、満州国に関する提言として「道義国家」の語が使われています。
提言者の金井章二という博士は、「大陸工作」として「国家なるものは道義的理念の実践的行動が主体でなければならぬ」とし、ドイツの民族全体主義を「国家は民族発展の一手段」としか考えていないものとして批判し、帝国日本は、
指導民族を基準とし国合民族の基盤の上に断固として樹立すべき道義国家こそ将来の世界平和に対する有力な示唆なりと信ずる
として、明確に西欧との対比で日本の「道義」を述べています。
つまるところ、戦前・戦中の知識人にとって、「道義国家」は、西欧的な文化の対立軸として語られる、「日本の伝統」の意味合いが強く、これが戦時の覇道的行為を粉飾していた、と推察されます。
戦後から現代にかけての「道義国家」
戦後も「道義国家」の語は根強く残りますが、果たして、戦中に述べられていたものとどこまで連続性があるものとして捉えられてきたかは疑問です。姜自身が論文で述べているように、戦中の「道義国家」言説は「忘却」の理論であるように思えます。
姜も挙げていますが、戦後の東京帝国大学総長の南原繁は、1946年紀元節の講演において「「新日本文化の創造と道義国家日本の建設」を語っています。作家の小田実が、その南原の講演のことを「「道義国家」から「痩せたソクラテス」まで」という論稿で取り上げているのですが、以下のように捉えています。
南原氏は、現在の日本に不足しているものは食糧と住宅だけでなく、「知性」と「道義」であり、その二つの欠如が敗戦を招いた。これから諸君は「正にモラールとインテリゼンスの代表者として、国家社会のあらゆる部面の隅々にまで、これ(知性と道義)を浸透せしめる使命を担う者であることを銘記されんことを望む。」と言った(後略)*21
そして、「「知性」と「道義」をもてば、この日本は救うことができる」という南原の「未来図」を「力強く美しい」と評します*22。この論稿は1964年の文藝春秋において発表されたものですが、左派である小田にとっても、この「道義国家」という言説は、特段ファシズムのにおいを感じ取っていないわけです。
ばりばりの保守派である西部邁は、辻惠との対談をまとめた『道義あふれる国へ―「美しい国へ」の欺瞞を撃つ』(イプシロン出版企画)でも、「道義国家」言説がとりあげられていますが、彼らにとっての「道義」は、
古来日本人が美徳だと見なしてきた「思いやり」であるとか「優しさ」であるとかを改めて再興していく*23
とか、
道義という言葉は、単に人の行うべき正しい道という意味に止まらず、日本と日本人のあり方を歴史・伝統・文化に踏まえて未来に照らす際の筋となるべきいう風に僕は考えています*24
というような、日本の伝統観としての「道義」というもので、和辻や尾高の論ずる「道義」よりもおおざっぱな捉え方のようにも見えます。
政治家もこの「道義」という語をよく使い、自民党の山崎拓は、『憲法改正 道義国家をめざして』(生産性出版)というそのものズバリのタイトルの本を出しています。
彼は、現代日本の「モラルの喪失」を憂い、
内にあっては礼節や信義、そして「社会奉仕」の精神、外に対しては「国際貢献」という道徳性の高い国民精神をうたうことで、日本という国家とその国民が「一国平和主義」や「一人幸福主義」から脱却し、それぞれ世界のため、社会のために貢献する姿勢を表明したい*25
とし、この国家像を「道義国家」と呼び習わしています。山崎の言う「道義」は、「道徳」「モラル」といった語に近いニュアンスが感じられます。
他にも、国会の議事録で検索をかけると戦後から現代まで色々出てきます。
戦後すぐでは、民主主義とからめて、昭和22年11月12日の岡部常議員。
而してそれに対する我々の態度は、この内閣成立の際に片山総理から宣言せられましたように、民主主義の完全なる実施、高度民主主義制の確立である。高度文化國家の建設である。道義國家の建設であるこいうことを力強く宣言せられました。
時代が下っても「道義国家」の語はよく出てきます。昭和47年3月14日。吉田賢一議員の発言。
終戦直後、心ある識者が強調しましたことは、平和と道義の真正日本の建設ということでありました。軍事的、経済的に敗北したばかりでなく、道義的にも敗北し、日本人の道義心の低いことが戦争によって暴露せられた。そこで、日本の復興にはぜひとも道義の再建が必要であるといわれ、道義国家の再建が一つの目標ではなかったでしょうか。遺憾ながら、日本はそうはいきませなんだ。今日のわが国は平和ではあります。自由である。物質的には脇かで、四半世紀にしてよく世界の経済大国となりましたが、道義の面、精神的な面におきましてはますます貧困になり、まことに憂うべき状態であります。
彼は民社党(ふるい!)の人間ですが、この言い方は先ほどの山崎さんとそっくりですね。
最近の例なら、平成25年6月5日の憲法審査会での山谷えり子議員の発言。
日本というのは世界で最も長い歴史を持つ国家でありまして、例えば今から二千六百七十三年前、橿原宮で神武天皇が建国の詔を発せられるわけですが、そこで三つの建国の理念を語られるわけですね。一つは、一人一人を大御宝といって、一人一人大切にされる国。そしてもう一つが、徳を持って、道義国家をつくりたいと。それからもう一つが、家族のように世界が平和で仲よく暮らせる国をつくりたいということです。これは恐らく今の日本人の心情からしてみても違和感はないんだと思います。
平成23年2月21日の予算委員会での武部勤委員の発言。
私は、菅さんに尋ねても適切な答えが出ないと思いますから、私の考えを言いますけれども、私は、この日本をどういう国にしようかと思うときに、道義国家にしたいなと思うんですよ。道義を重んずる国家国民、そのために我々政治家は一身をささげたい。
というか、そもそも昭和30年に定められた自民党の政綱に、「道義」という言葉が入っているので、自民党が「道義国家」を目指すのは、党是的には当然であるのかもしれません。
一、 国民道義の確立と教育の改革
正しい民主主義と祖国愛を高揚する国民道義を確立するため、現行教育制度を改革するとともに教育の政治的中立を徹底し、また育英制度を拡充し、青年教育を強化する。
もちろん、この「道義国家」は、政治的言動としてでない使われ方もしており、尾崎行雄の三女で、日本の国際NGOの草分け的存在ともいえる相馬雪香も、「道義国家への道」という文を、朝日新聞に寄稿しています。
世界は今、共産主義が負けて民主主義が勝ったというようなもんじゃない。民主主義自体が何とか本物を目指していこうとしている。その基本となる道義があれば、世界と共に歩むことができる。逆にそれを感じないと、また誤るんじゃないでしょうか。*26
要するに、戦前・戦中の「道義国家」言説と、戦後の「道義国家」言説には、大きな隔たりがあるわけです。現代において「道義国家」を唱える人々は、その言葉が先の大戦で、「民族融和」の名の元で、民族主義的に使用されてきた経緯もあることを知らないことでしょう。現代における「道義」は、「日本の伝統」という点では戦中の使用法と一致する部分もあるでしょうが、使われ方としては多様で、むしろ一般的な「道徳」のニュアンスに近いという印象を受けます。
なので、冒頭にあげたJ-CASTニュース内で民進党の柿沢未途衆院議員が「『道義国家』はファシズム理論のキーワード」とするのは、少々一面的にすぎるのではないか、と思われます。むしろ、戦後の「道義国家」は、民主主義の世の中にすり合わせようとして使われてきた節が多々あります。
「教育勅語」と「道義国家」
個人的には、「教育勅語」と「道義国家」は、その成立において、非常に似通ったものがあると思います。どちらも「日本の伝統」を標榜し、そして西欧との対立軸としての存在があった。
「教育勅語」と「道義」を結びつけたものとしては、ウルトラ・ナショナリズムの徳富蘇峰が『教育勅語四十年』という章立ての中で語っています。
(教育勅語というものは)言ひ換ふれば、日本は国家として道義立国であり、国民として道義国民である極印を捺したるものにして、乃ち之を外にしては、世界に対して、日本帝国の立脚点態度とを宣明したるもの。
もしかすると、佐々木盛雄は、蘇峰自体の言葉を読んで訳文に当てはめたかもしれないし、あるいは蘇峰と同じようなことを考えただけなのかもしれません。また、教育勅語に「道義」という言葉は出てきませんが、その成立過程においては、「道」という語がよく出てきます。
例えば明治23年6月25日の山形有朋宛の、井上毅の書簡では、教育勅語の草稿に関して、「道之本原を論ずるハ二種ありて」と、「道」について他の宗教などとの関連を論じています*28。
他にも、当時文部大臣だった芳川顕正は、明治45年の「教育勅語御下賜事情」において、教育勅語の反対論として、「道の本体」が時代の変化によって没してしまうのではないかという誤解があった旨を記しています*29。
そもそも「道義」が儒学の言葉であり、そして教育勅語はその儒学の要素がベースになっているのですから、両者が結びつくのは当たり前と言えば当たり前です。勅語に直接は入らずとも、成立過程において両者は儒学的要素で結びついており、私は個人的には、「道義国家」を教育勅語の核と捉えるのは、間違いではない、と思います。もちろん、その思想が正しいか正しくないかは脇においてはおきますが。
「教育勅語」問題はよくある
これは付記のようになりますが、「教育勅語」の中身自体は問題ないのではないか、という話は、何も稲田議員の話が初めてではありません。そもそも、「教育勅語」の失効が宣言されたときの国会の議論でも似たような話が出てきています。昭和23年5月27日の文教委員会での議論。
又「兄弟ニ友ニ夫婦相和シ」というようなことは、その心持が國民にあるから、教育勅語の心持が活きておるのだというのでは、これは無論梅津委員もそうではないと思うのでありますが、……ないのでありまして、教育勅語の示しておることと、又他のこと、人間の生きる道として個人が悟り、又教えられたことと、一つの問題はあの中に沢山あると思うのであります。それは少しも差支ないのとでありまして(後略)
教育勅語に述べられておる内容には、内容的には反対する必要がないものもあるというようなお考えもありましたが、そういう点に問題があるのでなくて、たとえ完全なる眞理を述べておろうとも、それが君主の命令によつて強制されたという所に大きな間違いがあるのである。
今君主國家における教育勅語が有害であつたということを軽率に決めたくない。ただ君主國家の法律基本法がこれを否定したということは民主教育の上には、つまり國家の教育方針というものが適当でないという点において除去することは私は賛成するが、過去に有害であつたというような断定の下に除去することは甚だ行過ぎである。
私は教育勅語が如何に悪かつたかというようなことは決してそうは考えないのであります。
この「教育勅語」の話は定期的に騒がれます。
例えば1956年10月26日の朝日の投書欄では、「「教育勅語」は必要か」という題で、全国小学校校長会議で田中最高裁長官が「教育勅語」の必要性を説いた話を批判しています。
その後も、1965年1月15日は、橿原市長が成人式に「教育勅語」を配布しようとして問題になったり、1974年5月16日には、田中角栄首相の「(教育勅語のなかには)人倫の基本として何百年のちにも伝えるに足るものがある」という発言を伝え、野党が批判をしていると報じています。1977年2月10日の紙面では福田首相が「教育勅語」を「人の道」と賞賛しているとしたり、翌年8月29日では文相が「教育勅語にもよい部分」と発言して物議をかもしたり。1983年5月11日には、島根県内の私立校が毎年教育勅語を朗読しているとして、文相が遺憾の意を表したり、1984年3月17日には堺の校長が教育勅語を全文暗唱してみせて驚かせたり、最近のところでは、2000年に森首相が「神の国」発言の前に、教育勅語について「いいところもあった」と評価していたというような話でしょうか。
要するに、この日本において、戦後ずーっと、教育勅語の中身の問題というヤツは続いていっている、というわけです。
今日のまとめ
①「道義国家」言説は、20世紀初頭の大川周明から始まり、西欧の功利主義に対して、「日本の伝統」のような見方で、主に知識人の間において取り交わされたものである。
②「道義国家」言説は、帝国日本の覇道主義にもつながり、それを「粉飾」するためのレトリックだったという批判もある。
③ただ、戦前・戦中と戦後の「道義国家」の語義は必ずしもイコールではなく、「伝統」というキーワードは一致しながらも、より民主主義に色づけされた、単純な「道徳」の意味で使われているように見受けられる。
④「教育勅語」と「道義国家」はその成立過程において似ている部分が多く、結び付けられて考えられるのは自然ともとれる。
⑤「教育勅語」の中身は問題ないのではないか、という話は戦後定期的に政治や学校の場において出される問題であり、今回が目新しいというものでもない。
日本思想史上において、「道義」を「「尊王の道」の自明性を内在的に裏付ける」初めての例は、小楠の友人の藤田東湖の『弘道館記述義』(1847)だと姜は述べています*30。しかし、小楠は「国体」という語は使うものの、「道義」という語は使用していないと姜は指摘しており、後年の学者たちが蓋然的に小楠の「道」の言説を、戦中の「国体」と関連するような「道義」と結び付けたのではないか、と指摘しています。
これは要するに、岡倉天心の「アジアは一つ」という言葉が、大東亜共栄圏の推進に利用されてきたように、横井小楠の「道」もまた、蘇峰によって「道義」と言い換えられ、大川周明のような日本的ファシストに「道義国家」言説として利用されていったというその経緯の方が危ない、というわけです*31。
結局これは、教育勅語も同じことです。先ほども挙げたように、「教育勅語」の中身は問題なかろうという言説は定期的にこの日本においては話題に出ています。私も別に、友達と仲良くとか、親孝行とか、そういった「道徳的」感覚を否定しようとは思いません。しかし、「教育勅語」にこだわろうとも思いません。友達を大切にとか、親孝行の話なら、なんだったらドラえもんだっていいじゃないですか。劇場版なら国(世界)のために命を賭して戦う場面だって見られますよ。
ドラえもんは冗談だとしても、要は、「教育勅語」にこだわるその姿勢の方が問題ではないか、ということです。「教育勅語」の精神を大事にする人もいれば、ドラえもんののび太の行動を人生訓とする人もいる、その存在をそれぞれ認めることの方が大事ではないでしょうか。「この思想が理解できないやつはオカシイ」とレッテルを貼っていって選択肢を狭めていくことが、私はファシズムへの道だと思っています*32。そして、個人的な考えを付け加えるなら、「道義」という言葉は、どうも保守的・右派的な思想にどうしても結びついてしまう傾向にあるという点からも、少々慎重になったほうがいいのでは、とも考えます。
いずれにせよ、私はもうちょっと文学的な考えをするので、果たして皆の言う「国」という存在、これはそんなに自明なものでしょうか? 「国家」とは何か? 「私」とは何か? 「プラトンのフットノートに過ぎない」という言葉のあるとおり、もう少し我々は、黙して自分の頭で考える必要があるのかもしれません。
*1:
本稿に関係ないので省きますが、折角おこしたので、気になる方は以下をどうぞ。
福島:この幼稚園というのは、塚本幼稚園のことですか。
稲田:いま報道等でとりあげられている状況等を勘案しますと、ここで私が指摘をしているのは、塚本幼稚園だと推測いたします。
福島:籠池理事長とはどういう関係ですか。
稲田:面識はありますけれども、ここ10年ぐらい、お会いしたこともお話したこともございません。
福島:塚本幼稚園のことをどうして知ったんですか。
稲田:記憶にはありませんけれども、たぶん、この読み上げたところをみると、「新聞で」というふうに書いてありますので、そうではないかと推測しますが、なぜ知ったかという事については、覚えておりません。
福島:あなたの大阪のパーティの呼びかけ人になってもらったことはありますか。
稲田:大阪で行った、1回目のわたくしのパーティは、わたくしを応援してくださっている方々が、多く名を連ねておられます。その中に、籠池氏がおられたかどうか、記憶にはありませんが、1回目のパーティーの時に、籠池さんがおられた、わたくしのパーティに来られていたことは記憶にあります。しかし、それ以来、わたくしはお目にかかったこともないということでございます。
*2:1948年のマチガイですね
*3:
*4:佐々木の著書は国会図書館まで行かないと閲覧できず、自分で調べるのは断念しました。一次ソースにあたれないのは残念なんですが
*5:『資料・教育勅語』1974(高陵社書店P192 から拝借しました。
*6:前掲 P7
*7:『教育勅語漫画読本』相原ツネオ(教育勅語漫画読本刊行会) 1971
*8:前掲 P21
*9:『「修身」教科書に学ぶ偉い人の話』長山靖夫(中央公論新社)2017 P205
*10:『君は教育勅語を知っているかー「神の国」の記憶』津田道夫(社会評論社)2000 P15
*11:『今こそ日本人が見直すべき教育勅語』濤川栄太(ごま書房)1998 P188
*12:前掲 P188
*13:国立国会図書館デジタルコレクション - 道義国家の原理
*14:国立国会図書館デジタルコレクション - 日本精神研究. 第1P9
*15:『帝国日本の「道義国家」論と「公共性」』P76
*16:前掲 P77
*17:尾高朝雄「国家」河合栄治郎編『学生と社会』日本評論社、1938年、215頁
*18:ヒトラーは、『わが闘争』において、国家社会主義の国家観を以下のように述べています。
それゆえ、民族主義国家の最高の目的は、文化供給者としてより高い人類の美と品位をつくりだす人種の本源的要素の維持を心がけることである。((『わが闘争 下』平野一郎・将積茂訳 角川文庫 P37
「美と品位」の部分は、人倫や道徳的観念と通じるようにも感じます
*19:『帝国日本の「道義国家」論と「公共性」』 P83
*20:前掲 P83
*21:『小田実全集Ⅰ期』第4巻 小田実 2010 P44-45
*22:前掲 P47
*23:『道義あふれる国へ―「美しい国へ」の欺瞞を撃つ』P40
*24:前掲 P204
*25:『憲法改正 道義国家をめざして』P33
*26:朝日 1994/4/17 P4
*27:国立国会図書館デジタルコレクション - 元田先生進講録
*28:『資料・教育勅語』P106
*29:前掲 P116
*30:『公共する人間3 横井小楠』東京大学出版会 2010 P227
*31:前掲 P244
*32:その意味で、今の野党の追及は、逆説的なファシズムでもあるかもしれません。反対ばかりで選択肢を狭めているという姿が