こんなツイートが話題になっていました。
【恐ろしい】現実の8時間が、感覚的に1000年に感じさせることができる薬が開発可能
— 気になる宇宙 (@Kininaruutyu) 2017年3月28日
現在、この薬を受刑者に服用させることで、懲役1000年の刑が英国で考えられ始めているそうだ。マンガのような話だが、科学技術の進歩は素晴らしい。 pic.twitter.com/6BG2gXvW06
イギリスで、薬を使って現実の8時間を1000年に感じさせる刑罰が考えられ始めているとのこと。例のごとくツイッターからまとめサイトへ貼られて拡散しておりますが、どーも調べてみると、そんな薬は存在しないだけでなく、話の主旨もずれているようだったので、今日こそ短めに記事にしたいと思います。
ソースは3年前の話
これは比較的簡単に見つかりますが、この話のソースは、日本では2014年のカラパイアさんの記事。
英国の科学者らは、最新のテクノロジーにより受刑者の懲罰の在り方を模索している。その中のひとつに、実際の8時間が、感覚的に1000年に感じさせることができる薬が開発可能であることを明かした。
とのリード文から始まっています。しかしちょっと気になるのが、
この研究チームのリーダーである哲学博士レベッカ・ローチェ氏は、英雑誌「Aeon magazine」に次のように語った。
「哲学博士」が科学的な研究を行うのは少々おかしいと思いませんか?
ということで、カラパイアさんがソースにしているのはDailymailの以下の記事。2014年3月15日。
Wikipediaもソースにするのを禁じたウワサのDailymail(でも私はサンケイとかよりはマシだと思う)。
記事を読むと、当たり前ですが、カラパイアさんの記事内容と変わらず、確かに
that is the claim of scientists at Oxford University
とあり、カラパイアさんもあげている「Rebecca Roache 」は「a team of scientists led」と表現されていて、科学者扱いですが、概要の部分では「Philosopher Dr Rebecca Roache」と、「哲学者」扱いです。むむ、どういうことなんだ。
Rebecca Roacheは哲学博士
というわけで、当然ですが、私はRebecca Roacheなる人物の経歴を探ります。
検索すると、すぐに彼女のホームページが見つかります。
彼女はロンドン大学の哲学科の上級講師であり、2014年9月までは、オックスフォード大学に勤めていたことがわかります*1。経歴を見る限り、科学者ではなく哲学関係の方のようですね。
AEON誌へのインタビューが元になっている
Dailymailのこの記事は、AEONという雑誌のインタビューが元になっているようです。2014年3月13日のもの。
「Hell on Eatrh(この世の地獄)」というタイトルで、「A philosopher talks about future punishment(哲学者は未来の刑罰について語る)」と記されています。
記事はRoache博士へのインタビューをしていくという感じで進んでいきます。
まず、Dailymailは「a team of scientists」と、「科学者」のチームという表現を用いていますが、この記事の中では注意深く「a team of scholars led by the philosopher Rebecca Roache 」と、「学者」という表現になっていることがわかります。
そもそも、このインタビューを読むと、「刑期をバイオテクノロジにーよって増大させる」という話がメインというより、この記事の主旨は、寿命が延びることによる「刑罰と犯罪」の適合性と倫理の問題、という印象を受けます。
Roacheは、凶悪な犯罪者の脳に「1000年の刑期を科すことは非倫理的か?」という問いに、こう答えています。
There are a number of psychoactive drugs that distort people's sense of time, so you could imagine developing a pill or a liquid that made someone feel like they were serving a 1,000-year sentence.
数多くの時間感覚を歪ませる向精神薬があり、1000年の刑に服している気分にさせる液体なり丸薬なりの開発を想像することは可能でしょう。
決して、「8時間を1000年に感じる薬を開発している」という話ではありません。
Roacheの記事が発端
しかしながら、実はこのインタビュー記事に「8時間が1000年に」という話は出てきません。そもそも、このインタビューがされるきっかけになったのは、Roacheが書いたオックスフォード大学の記事からでしょう。2013年8月2日の記事。
「刑罰の強化」というタイトルで、科学技術が寿命を増加させることと刑罰の関係について論じています。
彼女のこの論考のきっかけは、イギリスで2013年におきた4歳の自分の子どもを虐待の末に殺害した両親に対する判決でした*2。イギリスでは死刑は廃止されており、懲役の最高も30年という事で、今回の両親にはそれが適用されたわけですが、イギリス国内では、それが「軽すぎる」という論争が起こったわけで、Roacheのこの記事はそれを受けてのものでしょう。
彼女は、死刑復活論があることを書きつつ、自身の意見として、科学技術を使用して、刑期を精神的に延ばしてみるという論を展開します。
彼女は、オックスフォード大学のNick Bostrom博士の研究を取り上げています*3。これは、薬の話ではなく、コンピュータ上に人間の「心」をアップロードすることで、仮に「100万倍」早くスピードアップができれば、犯罪者の心をアップロードできれば、1000年の刑期を「8時間半」で行い(時間も間違ってましたね)、治療とリハビリが行われるだろうと説いています。その後、向精神薬を使用することで時間感覚が歪むという研究のことにも触れていますが、「8時間を1000年に感じる薬」の話をしてはいません。ここら辺をごったまぜにしたのがDailymailの記事ですね。
要するに、今回の話は、イギリスでの凶悪犯罪を受けて、有効な刑罰を考えた時にの倫理上の問いであり、薬の開発でもなければ刑期を現実的に変更する話とか、そういうことではありません。
Roacherはこの刑を支持していない
今回の彼女の大学での記事及び、AEON誌のインタビューが、Dailymail他のサイトで「不正確」に広められたことにより、Roacherは自分の主張の主旨を理解してもらうための記事をいくつか挙げています。
彼女は、今回の自身の投稿が誤解して読まれていることについて、こう答えています。
I suspect that part of it is because the distinction between philosophically analysing an idea and endorsing it gets lost when provocative philosophical research is reported in the media.
私は、メディアが挑戦的な哲学的問いを掲載する時に、「哲学的分析のアイデア」と「そのアイデアを支持すること」の区別が失われるために生じたと考えています。
More cyborg justice: Roache on the future of punishment | Practical Ethics
また、この刑罰について彼女は自身がそれを支持しないことを明確に述べています。
I don’t endorse any of the punishment methods mentioned in the Aeon interview or in the other media coverage.
私はAeonやそのほかのメディアで述べたような刑罰方法について支持をしていません。
The future of punishment: a clarification | Practical Ethics
彼女がこの問題を考えたのは、やはりイギリスの現代の刑罰が、その罪の重さと適合していないのではないか、という「古典的」な問いから生まれたものであるとしています*4。現在のイギリスは刑期の長さがその犯罪の重要さに比例しているという考え方であり*5、ならばその考えに基づいてもっと罪の重さと比例するような刑罰を考えた時に、時間操作という科学的技術を用いての方法を考えたというわけです。
しかし、この記事を書いた後に彼女は物事はそう単純でもないと気がつきます。現行法を技術的に変えることで、刑罰の重大性にどれだけ影響を与えるか、それが「人道的」なのかどうかが不明確だということです*6。
「刑罰」を「報復」と考えるか「更正」と考えるかは、哲学的な問いであると彼女は感じています。彼女は「刑罰」を、どちらかといえば、「報復」的なものとして考えています*7。哲学的な問いとして考えた時は、「リハビリ」として考えるよりも*8、「報復」として考えた場合に、より倫理的課題が生まれ、議論する価値があると述べているわけです。
今日のまとめ
①今回の「8時間を1000年に開発する薬」の話は、2014年のDailymailなどの記事が広まったきっかけである。
②元ソースは2014年のAEON誌のインタビュー、及び2013年のRoache博士のブログ記事である。
③Roache博士は哲学博士であり、今回は「刑罰と罪」の比例を現行法範囲内で考えた時に、薬物や科学技術を使用して、体感的な時間を延ばすことが考えられる、という倫理的・哲学的な問いであり、「薬の開発」が行われているわけでも、刑罰の変更が検討されているわけではない。
④彼女自身は、自分がそのような刑罰を支持していない。
今回は久しぶりにDailymailがやらかした感じですが、この問い自体はとても興味深いと思います。現代の「罪と罰」について、果たして我々はどのように考えていくべきなのか、本当はこっちのほうを考えなきゃいけないと思うんですけれども。
*1:I am Senior Lecturer in Philosophy at Royal Holloway, University of London. I came to Royal Holloway in September 2014 from the University of Oxford, where I was Research Fellow in the Faculty of Philosophy
*2:
Daniel Pelka murder: Mother and partner given life - BBC News
*3:
*4:These reflections suggest that Daniel Pelka’s murderers are not receiving a proportional punishment for their crime: their deprivation is less than his.
More cyborg justice: Roache on the future of punishment | Practical Ethics
*5:
A long prison sentence is the severest available punishment that is currently deemed humane (and hence permitted) in the UK justice system
More cyborg justice: Roache on the future of punishment | Practical Ethics
*6:
but it is not obvious how these changes affect the severity of those punishments, or at what point we cross the line (if there is one, and if we have not already crossed it with our current methods) between what is humane and what is not.
More cyborg justice: Roache on the future of punishment | Practical Ethics
*7:
I'm certainly not a pure retributivist: I don't believe that retribution is the only legitimate purpose of punishment, but I'm open to the idea that retribution is important.
The future of punishment: a clarification | Practical Ethics
*8:Aeonのインタビューで彼女は、どちらかというと「リハビリ」的側面について語っています。
it’s an empirical question as to which feels worse, genuine remorse or time in prison. There is certainly reason to take the claim seriously. For instance, in literature and folk wisdom, you often hear people saying things like, ‘The worst thing is I’ll have to live with myself.’ My own intuition is that for very serious crimes, genuine remorse could be subjectively worse than a prison sentence. But I doubt that’s the case for less serious crimes, where remorse isn’t even necessarily appropriate – like if you are wailing and beating yourself up for stealing a candy bar or something like that.
How will radical life extension transform punishment? | Aeon Essays