ネットロアをめぐる冒険

ネットにちらばる都市伝説=ネットロアを、できるかぎり解決していきます。

ダニエル・イノウエの宣誓の逸話は本当か、ウソをウソと見抜くことは難しい

ホノルル空港の正式名称が「ダニエル・K・イノウエ国際空港」に変わるという話が、ちょっと前にニュースになりました。

 

www.asahi.com

 

日本ではそこまで有名ではありませんが、日系アメリカ人初の下院議員、そしてハワイの英雄でもある方です。

 

ということで、元ツイートはのっけませんが、彼のこんな逸話がリツイートを集めておりました。

 

○第二次大戦で右腕を失った。

○日系アメリカ人初の上院議員になったとき、下院議長に「右腕をあげて宣誓を」といわれ、「議長、右手はありません。若き米兵として戦場に置いてきました」と返した

 

逸話は常に眉につばをつけているワタクシなので、今回のも調べてみましたが、まあ小姑のような細かい訂正になってしまいました。それでもよければお読みください。

 

 

 

イノウエ氏のひととなり

本論に入る前に、かるーく、イノウエ氏のひととなりを。

 

イノウエ氏の父母は福岡県の八女郡横山村の出身なのですが、そこで失火があったんですね。村の決まりで、なくなった全財産の弁償は火元の家の責任であり、話し合いの結果、井上家が、当時のお金で800円という大金の責任を負う事になりました。その支払いのために、イノウエ氏の祖父母と子どもの兵太郎はハワイのサトウキビの人夫として出稼ぎにいき、兵太郎が成人して現地で結婚をしたことで、イノウエ氏はハワイのホノルルでうまれることとなったのです*1

 

イノウエ氏は後に兵役を志願し、日系人部隊として知られる442部隊に配属。イタリアでのドイツとの戦闘で、右腕を負傷し切断。勲章をたくさんもらいましたが、外科ができなくなるということで、目指していた医療の道を諦め、法律を専攻しながら政治の道に携わります。それから、民主党のハワイ議会の議員、連邦下院議員、上院議員と順調にステップアップして、あのウォーターゲート事件などにもかかわり、アメリカにおいて名を残しました*2

 

 

この逸話はあるものの・・・

さて、この話、調べてみると、確かにネット上で存在します。

 

たとえば、『The Greatest Generation』(Tom Brokaw)*3では、以下のような感じで逸話が紹介されています。

 

(議長が), intoned, "Raise your right hand and repeat after me..." Of course, the new congressman from Hawaii had no right hand. Danny Inouye raised his left and took the oath of office, the first U.S. representative from his state and the first Japanese American in Congress.

議長は一本調子で「私のあとにつづいて右手をあげるように…」と言ったが、もちろん、ハワイの新しい下院議員は右手がなかった。イノウエは左手を上げ、初めてのハワイ州からの、そしてはじめての日系アメリカ人として、議員の就任宣誓を行った。

 

ところが、ここには「右手は戦場においてきた」というくだりがありません。

 

他にも、イノウエの伝記として書かれている『Daniel Inouye』(Louise Chipley Slavicek)では、the Congress record、つまり議会記録として、Leo O'Brien議員の言葉として、以下のくだりを引用しています。

 

”Raise your right hand and repeat after me," intoned Speaker Rayburn.

The hush depened as the young Congressman raised not his right hand but his left, and he repeated the oath of office.

There was no right hand, Mr speaker. It had been lost in combat by that young American soldier in World War Ⅱ. Who can deny that, at that moment, a ton of prejudice slipped quietly to the floor of the House of Representatives.

「右手をあげて、私のあとについてくり返しなさい」レイバーン議長が、一本調子で伝えました*4

 この青年下院議員が右手ではなくて、左手をあげると、議場内は静まり返りました。そこで、青年議員は就任宣誓をくり返しました。

 議長、右手がないのです。第二次大戦のとき、このアメリカ青年兵が、戦いのさなかになくしてしまったのです。その瞬間、多くの偏見が下院の議場に消えていったことを誰が否定できるでしょうか。*5

 

まずはダニエルが上院議員ではなく下院議員の就任宣誓であることに気がつきますが、それよりも「右手をなくした」というくだりは、ダニエル自身が言ったのではなく、ダニエルについて語った別の議員の言葉だという事です。

 

初出は恐らく自伝

この話は、イノウエ氏の公式HP(現在は閉鎖)にも掲載されています。

 

" Raise your right hand and repeat after me,' intoned Speaker Rayburn.

"The hush deepened as the young Congressman raised not his right hand but his left and he repeated the oath of office....

Senator Daniel K. Inouye - Hawaii

 

上記のページはイノウエ氏のバイオグラフィーが掲載されているのですが、どうもこれは、イノウエ氏が出版した自伝から引用されているようです。

 

上院議員ダニエル・イノウエ自伝―ワシントンへの道

上院議員ダニエル・イノウエ自伝―ワシントンへの道

 

 

該当箇所は、以下の通り*6

 

 三年後、私が下院を離れて連邦上院の議席獲得選挙戦を展開中、(ニューヨーク州選出の)レオ・ブライエン下院議員が、私の議員就任宣誓式の日(一九五九年八月二四日)の思い出を話してくれた。(中略)「連邦議会議事録」から同議員の発言を引用しよう。

 

このまえの火曜日(一九六二年=昭和三七年八月二一日)は、ハワイの連邦加入第三回記念日でした。きょうは、この下院ではこの上なく真に迫る感動的な場面が展開された、やはり第三回記念日なのであります。

 (中略)

 下院は、静粛そのものでした。ハワイ出身の初代下院議員というだけではなく、連邦上下院の一方ではじめて働く日系人でもある人物の就任宣誓に、下院議員たちは立会おうとしているところでした。

「右手をあげて、私のあとについてくり返しなさい」レイバーン議長が、一本調子で伝えました。

 この青年下院議員が右手ではなくて、左手をあげると、議場内は静まり返りました。そこで、青年議員は就任宣誓をくり返しました。

 議長、右手がないのです。第二次大戦のとき、このアメリカ青年兵が、戦いのさなかになくしてしまったのです。それはそれとして、その瞬間、なにか先入観のようなものが、下院議員たちにかなり忍びよったことは否定できません。*7

 

このイノウエ氏に関するエピソードを語ったブライエンの言葉は、他の議員も好んで引用しています。

 

2012年12月18日のMcCONNELLのイノウエ氏の思い出の話の議会記録。

 

The hush deepened as the young Congressman raised not his
right hand but his left and repeated the oath of office.
There was no right hand. It had been lost in combat by that
young American soldier in World War II. And who can deny that
at that moment, a ton of prejudice slipped quietly to the
floor of the House of Representatives.

 

 この青年下院議員が右手ではなくて、左手をあげると、議場内は静まり返りました。そこで、青年議員は就任宣誓をくり返しました。

 右手がないのです。第二次大戦のとき、このアメリカ青年兵が、戦いのさなかになくしてしまったのです。その瞬間、多くの偏見が下院の議場に消えていったことを誰が否定できるでしょうか。

 

It is a perfect image of how Dan led by example throughout his long
career--with quiet dignity and unquestioned integrity.
It started early for Dan. As a young boy growing up in Hawaii, he and
his friends always thought of themselves as Americans.

これはダンがどのようにして彼の長いキャリアを貫いたかという好例だろう―静謐な高潔さと疑いようのない誠実さだ。

これがダンの始まりである。ハワイで育った若者である彼と彼の友人たちは、常にアメリカ人として彼ら自身を考えてきた。

Congressional Record | Congress.gov | Library of Congress*8

 

いずれにせよ、「右手をおいてきた」と発言をしたのは別の議員であり、宣誓の時にイノウエ氏が自身で発言をしたわけではありません。

 

ちなみに、Newspapersで、当時ではありませんが、イラン・コントラ事件*9の調査報告の際の宣誓をしているイノウエ氏の写真がありました。The Los Angeles Timesの1987年7月8日の記事。

f:id:ibenzo:20170513134725p:plain

このときは、左手で宣誓を行っていますね。

 

 

今日のまとめ

①イノウエ氏の宣誓の逸話は、1959年8月24日の「下院議員就任宣誓式」のものである。

②「議長、右手はありません。若き米兵として戦場に置いてきました」というくだりは、1962年にブライエン上院議員が、イノウエ氏の上院議員選挙の際に思い出として語った時に彼が評した言葉であり、イノウエ氏自身が就任宣誓で語った言葉ではない

③ちなみに、イノウエ氏は宣誓の際は左手を使っていた。

 

イノウエは、自身が戦場にいった理由を、「名誉の問題」としています。

真珠湾攻撃を大きな転機として、アメリカ国内の日系人は大きな迫害に見舞われました。出征の際は憲兵に周りを守られ、まるで「捕虜収容所に連行される捕虜」*10のようであったと彼は語っています。

名誉が疑われたのだ、というのが、当時の私たちおおかたの心境でした。いまの世代にすると、それはおかしいかもしれません。でも、あのときの考えでは、名誉とは、たとえ世間から非難され疑惑の目でみられていても、ずうっと守り命を賭けてもいいくら大事なものでした。*11

そんな日系人が、「アメリカ」の中枢で宣誓を行う瞬間というのは、アメリカの「民主的なくらしかたの象徴的な出来事」*12だったわけです。他の議員がこの出来事を好んで語り、イノウエ氏自身も自伝で引用したのでしょう。

 

 

なので、結果としては、このツイートに大きな間違いはありません。私も、「こんなデマをするなんて許せん!」とか、そういう狭量な気持ちは全くありません。悪意あるデマゴーグは別ですが、ひとつ呟くのにここまで調べてたら、なんとも住みにくい世の中になりますよね。

 

ただ、受け手側のせめてものマナーとして、「この情報は正しくないかもしれない」という意識はもっていたほうがいいと思うのです*13。 その意識が、震災時などの大きなデマに踊らされないようにする、日々の訓練になるんではないでしょうか。「ウソをウソと見抜けない人は~」みたいな言葉もありますが、ウソをウソと完全に証明するのはかなり大変です。だったら、「話半分」ぐらいの態度で臨んだほうが、健康的ではないかな、と思います。

 

付記になりますが、私がイノウエ氏の逸話で好きなのは、ハワイが準州から州昇格になったときの大統領署名のエピソードです。

イノウエ氏の下院議員就任の日とほぼ同じくして、大統領執務室で署名が行われました。こういうときは伝統として、2,3字ごとに署名のペンをかえて、関係者にそのペンをプレゼントするのですが、実はこのときに、最も州昇格に責任を果たしたであろうバーンズ議員が呼ばれていなかったんですね。州昇格には国内では反対する向きもあったので、「ホワイトハウスの職員のだれかが、むごく卑劣な政治上の復讐をはかった」*14のだろうとイノウエ氏は考え、思い切った行動に出ます。

 

(前略)なにか気がかりなことをかかえたイノウエは、もう直言せずにはおれないイノウエなのである。しかも、まさしく緊張した歴史的瞬間なのだ。私は毛がなくてピンク色をしたサム・レイバーン(引用注:下院議長)の頭のほうにまえかがみになって、ささやいた。「議長。このペンが一本もらえたら、ジャック・バーンズはとてもありがたく思いますよ」*15

 

そうしてレイバーンは大統領に進言し、ペンをバーンズにあとで渡すことができた、というものです。下院議員になりたてという立場にも関わらず、大統領や議長に対して、自身の信条を貫き、そして人の「名誉」を守ることを第一とする、イノウエ氏の人柄がよくわかるエピソードだと思います。彼の名を冠する空港があるということは、まさにハワイの誇りであるのでしょう。

 

*1:以上は『上院議員 ダニエル・イノウエ自伝』(彩流社)の第一章を参考にしました

*2:ここらへんは、自伝も読みましたが、Wikipediaが短くまとまっててわかりやすいので、そちらもご参考に。

ダニエル・イノウエ - Wikipedia

*3:The Greatest Generation - Tom Brokaw - Google ブックス

*4:intonedを「一本調子」としていますが、レイバーンが別に冷たい人間だというわけではなく、イノウエ氏は彼を高く評価しており、そして実際に優秀な議員であったようです。「一本調子」でしゃべるのは彼のくせのようなもので、自伝の中でも「例の一本調子のきまじめな口ぶり」(前掲 P385)という書き方もしています。今回のツイートの返信の中に「その議長、わざと意地悪したんだな。」というコメントもありましたが、それは大きな間違いであり、こうして間違った情報は広がっていくんだろうなあと思いました。

*5:以上の訳は、先ほどの『ダニエル・イノウエ自伝』を参考にしました。ただし、この自伝の訳者の森田幸夫は、「Who can deny that...」の文を以下のように訳しています。

それはそれとして、その瞬間、なにか先入観のようなものが、下院議員たちにかなり忍びよったことは否定できません。

しかし、個人的にはこれが誤訳ではないかと考えます。まず、「それはそれとして」にあたる接続詞が原文には存在しない("who can deny"のまえに”And"をつける議事録もあり)。"prejudice"を「先入観」と訳していますが、これを引用した議員は「The memory of a hard-fought war against the Japanese was fresh」と、日本人に対する記憶がまだ生々しい時代であったと前置きした上で、日系人であるイノウエのこの宣誓の話をしており、"prejudice"は、そういった日系人への「偏見」と考えるほうが自然と思われます。「a ton of prejudice」を「なにか先入観のようなもの」と訳すのも不自然です。"slip quietly to"を、どう考えるかですが、議場に静かに忍び込んだというより、これは偏見が移動した、つまり消えたと考えたほうが自然であるおもうんですが、いかがなもんでしょ。

記事後半で書いたとおり、これは、イノウエが日系人という偏見と戦いながらも、真の愛国者であったという形のエピソードであり、右腕の宣誓の逸話は、彼が偏見に打ち勝ち、「アメリカ人」として認識されたというように捉えるのが自然ではないでしょうか。となると、森田の訳は、逆に何らかの悪い「先入観」が議員たちに植え付けられたと捉えられる書き方であり、イノウエの真意が伝わりにくい訳となっていると、個人的には考えます。

*6:

この1962年のブライエンの発言が載っている議事録を探したのですが、ちょっと見つかりませんでした。「このまえの火曜日」が8月21日であることを考えると、28日ぐらいまでの議事録を探せばいいと思うのですが、議事録自体はあるのですが、

108 Cong. Rec. (Bound) - Senate: August 23, 1962

ブライエン議員のこのくだりが発見できませんでした。見つけられた人は教えてください。

*7:前掲書 P380-381 この訳については個人的には誤訳ではないかと考えています。脚注5を参照。

*8:

実は、2008年2月6日の議事録にも全く同じ内容でMcCONNELLが語っているものが掲載されているのですが、ちょっと違いがわかりませんでした

Congressional Record | Congress.gov | Library of Congress

*9:

イラン・コントラ事件 - Wikipedia

*10:前掲 P413

*11:前掲 P414

*12:前掲 P420

*13:それは当ブログの情報に関しても同じことです

*14:前掲 P379

*15:前掲 P379