先日も呟きましたが*1、絵本作家ののぶみ氏の「あたしおかあさんだから」の歌詞がずいぶん燃え盛っています。彼自身は、「おかあさんたちに聞いたり おかあさんにエピソード募集して作ってます」とコメントしています*2。しかし、エピソードの募集の仕方がいかがかな、というツイートもありました。
#あたしおかあさんだから の歌詞について #のぶみ さんは「おかあさんだから体験出来たことを取材して歌詞にした」などど言い訳がましいコメントを出していますが、そもそものエピソード募集が「おかあさんだからガマンしてること」だからね pic.twitter.com/hMCdVo8pVS
— 桜良 (@NrsSJlmPulCyhGZ) 2018年2月5日
彼の2017年10月19日のFacebookの投稿*3では、
【あたし、おかあさんだから】
ってガマンしてること
ある人、コメントしてください(^O^)
という内容で、世のお母様方に(なぜお父様にはきかない?)問うています。「ガマン」ではネガティブイメージしか出てこないのではないか、という批判ですね。
では、実際のところ、Facebookのコメントには、いったいどのような内容が書かれており、本当にのぶみ氏はその「おかあさん」たちの思いを描くことができたのか、というところに迫ってみたいと思います。
「あたしおかあさんだから」の歌詞構成
実際の「あたしおかあさんだから」の歌詞にある、「おかあさんだから」ガマンしていること(体験できていること)は、以下のようにカテゴライズされると思います。
・仕事(立派に働ける…)
・服装(ヒールはいて...走れる服着るの...自分のために服買うの)
・美容(ネイルして...)
・睡眠(眠いまま朝5時に...)
・食べ物(大好きなおかずあげるの...甘いカレーライス)
・趣味(新幹線の名前...)
・健康(痩せてたのよ...)
・テレビ(テレビも子供がみたいもの...)
・料理(苦手なお料理頑張るの)
・感情(こんなに怒れるの)
・外出(夜中に遊ぶわ)
・ライブ関係(ライブに行くの)
Facebookのコメントだけで構成されているとは思いませんが、上記のカテゴリーについて、どのようにコメントから採用されたのか、という部分を次項で確認しましょう。
カテゴリの分け方としては、
○コメントから「ガマン」しているものについて抽出し、「あたしおかあさんだから」のカテゴリに近いものについて分類した。
○歌詞に存在しないカテゴリが複数あった場合は、カテゴリを新設した。
○一つのコメントの中に複数の「ガマン」が入ることもあるため、総数はコメント数よりも多くなっている。
○カテゴリに入らず、数の多くないものについては「その他」枠に入れることにした。
というような分類に基づき、集計しました。
睡眠・服装が多い
10月19日の投稿については、記事執筆現在(2018年2月7日)で、118件のコメントがついています。前述の分類法に基づき、カテゴリ別に分けました。結果は以下の通りです(細かい内容については、脚注にPDFをアップロードしています)。
「ガマン」していることは、「睡眠」のことや「服装」関連が多かったです。例えば、
早起きは慣れたけどたまにはゆっくり寝たい
朝寝ていたいけど我慢してる
という早起き系のものや、
自分の趣味のお勉強時間や趣味の時間は睡眠時間削って作ってる。
グッスリ寝ていても泣いたら起きて抱きしめてる
などの、自分の睡眠時間を削って子供のためにしているというコメントがあります。
「服装」については、
子どもといるときは走れる洋服を着る
欲しいお洋服あってもちょっと我慢してる
という、「洋服」のもの、
大好きなピンヒールをはかせてもらえませんでした。
いつも動きやすい運動靴はいている。
という「靴」のものなどがありました。
大方見ていくと、「食べ物(「私だって食べたい最後のひとくちも差し出します」)」「テレビ(「好きな番組なんてほとんど見なくなって」)」「ライブ関係(「夜に出かけない!(ライブが趣味だったけど))」など、全てのカテゴリが網羅されています。
どの程度参考にしているかは分かりませんが、のぶみ氏が「おかあさんたちに聞いたり おかあさんにエピソード募集して作ってます」というのはウソではないでしょう。しかし、のぶみ氏が言うような、「あたしおかあさんだからガマンしたことを歌詞にしている」のではなく「あたしおかあさんだから体験できたことを歌詞にして」いるというのは、やはり「ガマンしてることある人」でコメントを募集してるんですから、ちょっと苦しい感じがします。
実は他にも募集している
と書くと、今回挙げさせていただいたツイートと一緒なのですが、実はのぶみ氏はFacebook上に、似たような形の募集をかけています。2017年12月11日。
ママになる前と
ママになった後で
服装や生活や心がけ、時間の使い方で変わったことがあれば
教えてください(^O^)出来たら前と比べてこうなった
って書き方が嬉しいです、前は、どうだったかも
知りたいってことね(^_^)
実はこちらには、「ガマン」という言葉は出てきません。もう少しフラットに、子供が生まれる前と後での生活の違いを問うているものです。記事執筆現在で60件のコメントがついています。これについても、同じように集計をしました*5。
こちらは圧倒的に「服装」関係が多いです。
今はズボンスタイルが基本で、洗濯機で洗える服が多いですね。
ヒールも履かなくてぺたんこ靴かスニーカーばかり。
全く興味のなかったクマやウサギのプリントのお洋服やバッグ
こちらは「ガマン」ではなく、変化を聞いているだけなので、世のお母様方にとって子供が生まれた生活の変化で感じることは、洋服や靴の形態や柄などについてが多いということなんでしょう。「睡眠」のランクが落ちるのは、「変化」とは感じていない人が多いのかもしれません。
いずれにせよ、こちらの投稿からだけでも、歌詞に書かれていることは網羅できるので、先ほどの「ガマン」のコメントだけでつくったわけではないのだろう、ということも事実です。
また、「ガマン」のカテゴリ別集計と合算してみると、以下のような感じになります。
合わせてみると、世のお母さんの「ガマン」もしくは「変化」と感じていることのトップ3は「服装」「食べ物」「睡眠」になります。本当にありがとうございます。
なので、もし私がのぶみ氏であれば、ダントツの「服装」を主題にした歌詞を書くかな…。
6月 ころもがえ
ダンボールの中の スカート
赤いスカート
久しぶりに はいてみた
パパは 「すてきだよ」といってくれた
でも
あなたは「ちょっと変」といった
そうか
あたし おかあさんなんだ
みたいな導入から、
赤いスカート
ダンボールから とりだして
クローゼットに かけてみた
あなたに いつか
「すてきだよ」
といってもらうために
というような締めくくりにすれば、ポジティブな感じで終わらないですかね?これは完璧に余談ですけども。
のぶみ氏の見ている世界
なぜ私がこんな細かな集計をしてみたかというと、果たして彼は、どこまで客観的にこれらのコメントを眺めていたのか、ということを知りたかったからです*6。
実際のFacebookのコメントを全文読むとわかりますが、「ガマン」に関するエピソードのコメントについても、そこには今回の歌詞でよく言われる「呪い」のようなものは、多くの場合感じられません*7。
美味しいデザートも全部食べられちゃっても仕方ない。だってお母さんなんだもん。
嬉しそうに食べてる姿を見てるとそれで全部帳消しです
(承前)子供達を寝かしていたら寝てしまって自分の時間がない事もあるけれど、どんな場面でも時間を大切にしていきたいと思っています*子供達を寝かして奇跡的に起きていたら自分の趣味を楽しんでいます♪
そもそも「ガマン」をしない、というコメントもあります。
あたしあかあさんだから、我慢してること…
って思って考えたら、あんまりガマンしてないことに気づきました。
もちろんイライラはありますが、けっこーやりたいことやってました、私
私、お母さんだから自由に生きます。自由に生きるところを見せて、人生は楽しいよって感じて欲しい。
(承前)本当はお母さんだから、我慢じゃなくて、あたしだから幸せになってもいい、好きなことしてもいい、そしたら、家族は何か知らけんど幸せになるんじゃないかなって思います。
私がコメントを読んで全体的に感じたことは、様々な「子育てあるある」の中で、ポジティブに「おかあさん」をとらえていく母親たちの姿です。私は、今回の歌詞を否定することで、Facebookに自身の体験を語ってくれた母親たちまでも否定したくはありません。のぶみ氏もそれを感じたのではないかと思うのですが、それが歌詞の中に現れないのは、単純に言葉選びや構成が下手くそだとしか言いようがありません。
そしてもう一つ、ステキなコメントがあるにも関わらず、このような歌詞の構成になってしまった原因に、のぶみ氏本人の頑迷な「母親像」があるのではないか、という推測があります。
例えば、以下のコメントののぶみ氏のやりとりが象徴的です。
私お母さんだけど、好きなことしてますよ。自分がしたいことしてる。したくないことしないです。
このコメントに対して、のぶみ氏はこう返答しています。
ホントに全部そうかな?
全く変わらないことは
ないよ
この返答こそ、のぶみ氏の「おかあさん」に対する考えを如実に示しているものだと思います。彼にとって「おかあさん」は「ガマンをしなければならない」「子供が生まれたら変化しなければならない」存在なのでしょう。「ガマン」「変化」の対価として、子供の愛情とか、家族の幸せが得られるというプロセスが彼の中であるわけです。裏を返せば「ガマン」や「変化」がない「母親」は、彼の中では存在しないし、価値がないのです。だから、「そんなことはない」という人に対しても、「いやガマンしてたでしょ?ほら、よく思い出して!」という感じで迫るわけです*8。
私は、こののぶみ氏の返答に対する、「おかあさん」の言葉が、とてもよいと思いました。
変わりますよ。したいことが。
のぶみ氏は、「ガマンをするかしないか」もしくは「変化するかしないか」という二項対立でしか「母親像」を捉えることができなかったために、歌詞の構成が「ガマンすること」「変化すること」とその「対価」という、旧弊なイメージに終始しているように感じられてしまうわけです。ですが、この「おかあさん」のコメントのように、その「変化」は、以前の自分の否定ではないのです。「#あたしおかあさんだけど」に代表されるように、「変化」する前の自分も含めてまるっと肯定してこそ、「応援歌」になると思うのですが。
ツイートしたように、私は絵本作家としてののぶみ氏とは断固として(少なくとも現在の作風では)分かり合えないと思いますが、彼自身を否定したくはありません。彼の活動を眺めてみると、本当に多くの母親と交流があり、彼がその中で様々な問題意識をもっていることがうかがえます。彼の絵本の作り方を「マーケティング」として批判する向きもありますが、彼自身は、「マーケティング」と呼ぶような経済的な行動ではなく、今まで自分と交流してきた母親たちに寄り添いたいという思いなんだろうと感じます*9。しかしその道は、「子供の視点」の欠落であり、絵本作家としては致命的です。ですがその欠陥は、彼自身と言うより、出版社や編集の思惑がよくないでしょう。よくないですよ、K談社*10。
彼の生い立ちを少し読んでみましたが*11、なかなか壮絶でした。しかし私は読みながら、なんとなく漫画版のナウシカとその母親を思い出していました。
ナウシカは、自身の母親のことを「母は決して癒されない悲しみがあることを教えてくれましたが、わたしを愛さなかった」と語っています*12。「庭の主」は、巨神兵に名を与え、その母親になろうとしているナウシカに皮肉めいた口調で訊ねます。
愛していないのに なぜ あの死神に名を与えたのだ
自分を愛さなかった母への復讐をしたのかね?
穿ちすぎであることはわかっているのですが、のぶみ氏のもつ「母親像」は、彼の家庭環境への復讐のようにも思えます。才能ある人間が、このような形で終わってしまうことは残念なことです。これまでそうしてきたように、これを逆境として新たな視点の作品を創りだしてくれることを、一人の物書きとしては願っております。
*1:
ぼそりと呟いたのですが、意外に伸びました。
*2:ただし、このFacebookのコメントは既に削除されています
*3:
変なリプがつくことは私の本意ではないのでリンクは載せません。
*4:
それぞれのコメントをどのようにカテゴライズしたかは、以下のPDFをご参照ください。
gaman.pdf (gaman.pdf) ダウンロード | forblog | uploader.jp
*5:
細かい分類を見たい方は以下のPDFをどうぞ。
nobumi_change.pdf (nobumi_change.pdf) ダウンロード | forblog | uploader.jp
*6:
たぶん、私は彼よりもこのFacebookのコメントを読み込んだ自信はあります
*7:
もちろん、「おかあさん」をやる中での葛藤や罪悪感と言ったものが前面に出ているコメントもあります。しかし、比率的には少ないと感じます
*8:
他にも、
みんな偉いね✨
あたしなんかお母さんだって泣きたい時は泣く、遊びたい時は遊ぶ、落ち込んだ時はとことん落ち込む
というコメントに対しては、
全部ガマンなしじゃないよ
必ずママだから
してることがあるんだよ
と、やはり「いや、あんたやっぱりガマンしてんだよ」と迫っています。
*9:
でもなぜこんなに胡散臭い感じにうつってしまうんでしょう…というのは、彼の言葉にスピリチュアルな抹香臭さがあるからでしょうか。その意味で彼はどちらかというと宗教的な立ち位置にいるように思えます。
*10:
彼の自伝によれば、やなせたかしやディック・ブルーナーからも賞賛されているようなので、私のような素人が言うより、才能があるとは思うんですが、最近の路線が変な方向なんでしょうかね。
*11:
*12:
このセリフは、ナウシカの母親が11人子供をうみながら、生き残ったのがナウシカだけだということにも関係しています