ネットロアをめぐる冒険

ネットにちらばる都市伝説=ネットロアを、できるかぎり解決していきます。

「紙」の方が誤りを見つけやすいのか、我らの時代のコピペ的フォークロア

ご無沙汰です。ただいま、わらじを三足くらい履いておりまして、なかなかこのブログを更新できませんでした。こっそり色々調べてはいたんですが。

 

で、今日は久しぶりにこんな話題。

 

 メディア批評の先駆者、カナダのマーシャル・マクルーハン(1911~1980年)は紙のほうが間違いに気づきやすい理由について、「反射光」と「透過光」の性質の違いを指摘した。前者は本を読むとき、いったん紙に反射してから目に入る光。一方、後者はパソコンやテレビの画面を見る際、直接目に入る光を指す。

 紙に印刷して読むとき、すなわち反射光で文字を読む際には、人間の脳は「分析モード」に切り替わる。目に入る情報を一つひとつ集中してチェックできるため、間違いを発見しやすくなるのだ

 これに対し、画面から発せられる透過光を見る際、脳は「パターン認識モード」になる。送られてくる映像情報などをそのまま受け止めるため、脳は細かい部分を多少無視しながら、全体を把握しようとする。細部に注意をあまり向けられないので、間違いがあっても見逃してしまう確率が高くなる。

「紙」に印刷すると間違いに気づく理由 | リコー経済社会研究所 | リコーグループ 企業・IR | リコー

 

少し呟きましたが、このマクルーハンの「反射光」と「透過光」の話、日本にだけ出回る都市伝説の様相でしたので、細かく調べてみました。

 

【目次】

 

 

『メディアの法則』の引用

いくつかの記事が挙げている引用元のマクルーハンの著作として、『メディアの法則(Laws of Media)』が挙げられていますので、読んでみますと、確かにあります。長いですが引用します。

 

別の実験では、観衆は等しく半分に分けられ、部屋の真ん中に置かれた半透明のスクリーンにそれぞれ向かって座った。映画が上映され、その後観衆は映画について簡単な感想を書くよう求められた。一方のグループは普通にスクリーンから反射してくる光を見た。もう一方のグループはテレビのように、スクリーンを通過してくる光を見た。「光の反射」グループは、客観的で中立的傾向を示し、物語、連続性、撮影法、編集、作品の出来栄え等々に関して分析的だった。彼らが「映画がどのように見えたか」ということを報告したのとは対照的に、「光の透過」グループは主として「映画をどのように感じたか」ということ、映画の登場人物や筋の神秘的あるいは元型的な意義について論じていた。「光の反射」と「光の透過」(直接の地)の状況の違いは、一方のグループには左脳的体験を、もう一方のグループには右脳的体験をもたらすに十分だった。さらに低強度のモザイク状のテレビ映像によって、この効果はさらに大きくなる。

『メディアの法則』(NTT出版)2002 P100

 

原著(1988*1)も確認しますと、「光の反射」は”light-on"、「光の透過」は”light-through"から訳されています。マクルーハンはこのころ、左脳右脳の役割の違いとメディア論について盛んに論じていたようですので、この話自体も「文化とコミュニケーション―二つの脳半球」という章の中に組み込まれています。

 

ただまあ、当たり前ですが、マクルーハンは脳科学者でもなく、この実験も他人のものであることにまず注意が必要です。

 

誰の研究なのか?

さて、この「光の反射」「光の透過」の研究は、誰が行ったものなのか。調べてみると、これがなかなか難しい。

さっくり調べると、「クルーグマンの研究である」という記述がちらほら見えます。

 

マクルーハン自身も英文学者でありメディア批評家であって認知学者ではなく、自分で実験をしたものではなくクルーグマンという広告研究者の研究をもとにしています。

透過光と反射光で人間の認知モードが違うというのは本当か?:技術屋のためのドキュメント相談所:オルタナティブ・ブログ

 

マクルーハンは、映画の観客を二分して、一方には普通の映画と同じように反射光によって、もう一方には透過光によって同じ映画を鑑賞させるというハーバート・クルーグマンの実験を取り上げている。

Sarabande.jp

 

確かに、前項に引用した『メディアの法則』では、同じ章の中に「クルーグマンの実験」として、「印刷物とテレビに対する被験者の反応を比較するという脳波研究」が示されています。これは、女性に電極をつけて、本を読みながらテレビを見た状態の脳波の状態を調べているものです(しかし被験者1人のものを研究と言ってよいのか?)。前項の引用はその直後ですので、確かに、クルーグマンの実験のように見えます。

 

マクルーハンは、クルーグマンの実験の引用元を、以下のように記しています。

 

Herbert Krugman, from a paper delivered to the annual conference of the Advertising Research Foundation, October 1978 Cf also, Barry Siegel. 'Stay Tuned  How TV Scrambles Your Brain,' in The Miami Herald, C10 Krugman's original report was presented as a paper to the annual conference 1970) of the American Association for Public Opinion Research.

ハーバード・クルーグマン、広告研究財団の年次総会に提出されたレポート(一九八七年一〇月)から。バリー・シーゲル「テレビがあなたの脳をどうかき混ぜるか知りたかったら、チャンネルはそのままで(Stay Tuned How TV Scrambles Your Brain)」(『マイアミ・ヘラルド』紙、C10)も参照のこと。クルーグマンの最初のレポートは全米世論調査協会の年次総会(一九七〇年)用として提出されたものだった。

『メディアの法則』 P99

 

つまり、3つ資料が示されています。

 

①ARFの年次総会紙(1978年10月)

②マイアミ・ヘラルドの記事(年月不明)

③APORのレポート(1970)

 

マクルーハンには、資料の引用はもう少し詳細な記載をお願いしたいところですが、②と③については見つかります。

 

②のマイアミ・ヘラルドについては、Newspapers.comから探してきました。Barry  SiegelというLos Angeles Timesの記者が書いたもので、記事は1979年7月3日、The Miami HeraldのLiving Todayというコーナーに、テレビと脳の関係がつらつらと書いてあります。

 

冒頭には、『メディアの法則』にも引用された「印刷物とテレビの脳波」に関するクルーグマンの研究に関して述べられています。次のページには「Is the Famly Television Maiking You Dull-Witted?(テレビを見るとバカになるの?)」という項目の元、他の研究などが例示されています。しかし、「光の透過」と「光の反射」グループ云々の話は出てきません。

 

③の、クルーグマンの「最初のレポート」については、恐らく「PASSIVE LEARNING FROM TELEVISION(テレビによる受動学習)」ではないかと思われます。

 

academic.oup.com

 

こちらも中身を読みましたが、テレビを使っての学習がどのようなプロセスで行われるかを検証したもので、クルーグマン自身もマクルーハンの「クールな」メディアとしてのテレビを引用し、その点について学習の利点があるのではないか、というようなことを述べています。「反射光」云々の話は出てきません。

 

で、①のARFの年次総会紙ですが、これは1978年にマッチするものがいまいち見つかりません。Google scholar*2でもクルーグマン著の論文を読んでみたのですが、どうもぴったり来そうなのはありません。まあ、ここら辺は落としがありそうなので、見つけた人は教えてください。

 

本当にクルーグマンなのか?

さて、先にツイートでも引用した、情報処理学会の「表示媒体の違いが誤りを探す読みに与える影響*3」には、マクルーハンの話も出てきており、クルーグマンの実験の論文も示されています。

 

この反射光と透過光の違いが与える影響について、スクリーンの性質によって映画の見方が変わるというクルーグマンの実験

松山 2015 P6

 

で、松山はこれについて”Brain wave measures of media involvement.”(1971)を引用元としています。

 

ところが、気になる人はググってほしいのですが、こちらも読んでみたのですが、先ほどの「印刷物とテレビの脳波」の実験の話が主であり、スクリーンの話は出てこないんですね。私の見落としでなければ(よくやるんですが…)、松山は恐らくこのクルーグマンの論文は読んでいないんでしょう。

 

実は『メディアの法則』をよく読んでみると、「光の反射」云々の下りは、「別の実験(In another experiment)」とだけ表現されていて、正確に誰のどの実験なのか、明記されていないんですね。素直に考えると、確かに文章の流れ的にクルーグマンではないかと思うのですが、マクルーハンの書き方が微妙でそうとも言い切れないところが厄介なところです。

 

残念ながら、私はこの実験の大元が見つけられなかったので、知ってる人はこっそり教えてください。こっそり追記します。

 

「透過光」は具体的なのか?

そもそもクルーグマンは、マクルーハンのメディア論に影響を受けており*4、彼の研究自体がマクルーハンの言説の証明といったところがあります。

 

実は「光の透過」という言説自体は、マクルーハンはたびたび言及しています。例えば、”Understanding Media”(1964)では、

 

Gyorgy Kepes has developed these aerial effects of the city at night as a new art form of "landscape by light through" rather than "light on." His new electric landscapes have complete congruity with the TV image, which also exists by light through rather than by light on.

ジョージ・ケペッシュは、このような夜の都市の空中効果を、「光の反射」ではなく、「光を透過した風景」という新しい芸術形態として開発しました。彼の新しい電気的な風景は、テレビの映像と完全に一致しており、それもまた、「光の反射」ではなく、「光の透過」によって存在しています。

Understanding Meai(1964)*5

 

と述べています。マクルーハンにとって「光の透過」はメディアを語る上での比喩的な表現でもあると感じます*6

 

一方、あの有名な「ホット」と「クール」の対比にも「光の反射」と「光の透過」は対応しており、映画やラジオ、本を「ホット・メディア」、テレビや電話などを「クール・メディア」としています。この対比は、そのまま「光の反射」「光の透過」とも対応します。

 

私の仮説としては、恐らく今回の映画とテレビの視聴の比較は、やはりクルーグマンの実験だったのではないか、と思います。ただ、クルーグマンはマクルーハンの影響を多大に受けており、いわば彼の言説を証明するような形での実験を行ってみたのではないか、というものです。「ホット」「クール」メディアが、そのまま「反射光」「透過光」のメディアとして対応すれば、まさにマクルーハンの説を裏付けることになるからです。

 

日本でなぜ広まったか(暫定版)

ところがこの話、「紙の方が誤りを見つけやすい」という内容では、英語圏では見ることができません。日本オンリーの話です。だいたい、マクルーハンは、「分析的」か「主観的」かみたいな話しかしてないのに、どうしてそれが「紙の方が誤りを見つけやすい」という話と結びついてしまったのか不思議です。恐らく日本で、そうやって無理やり結び付けた犯人がいるはずです。

 

内容を確認でき次第追記しますが、『「場所」論―ウェブのリアリズム、地域のロマンチシズム』丸田一(NTT出版・2008)には、以下のような文言があるようです。

 

 透過光が強い現前性をもたらすことは、マクルーハンも『メディアの法則』[★125]で指摘している。(中略)ところで、パソコンのスクリーンを眺めていても発見できない誤字脱字が、プリントアウトすると容易に見つかるという経験は、誰もが一度はあるのではないだろうか。これも「反射光と透過光」である程度説明ができる。スクリーンの透過光で文字を読んでいても見逃しがちな誤字脱字は、プリントアウトした紙の反射光で読むと、対象を分析的、批判的に捉えることができるので、より発見されやすいといえる。

editor's note - 反射光と透過光の違いは、実は非常に重大な意味を持っている。その意義について、丸田一『「場所」論―ウェブ...

 

丸田はこの引用として、有馬哲夫の『世界のしくみが見える「メディア論」―有馬哲夫教授の早大講義録』(宝島新書・2007)を挙げています。これ以上は今のところ遡ることができないため、どうもこの本で書かれた内容が曲解され(もしくはこの本自体でマクルーハンを曲解し)、現在まで日本に流布されている、と考えるのが妥当かと思われます。

 

ところが、この有馬の著書はなぜか高値がついており、たかだか新書ごときで5000円近く出す気にはなれません…国会図書館でも行くことがあれば確認してみます。

 

今日のまとめ

①「透過光」「反射光」の話は、マクルーハンの『メディアの法則』にある。

②しかし、クルーグマンの実験かどうかは定かではない。

③ただ、クルーグマンはマクルーハンに影響を受けており、マクルーハンの説を立証するために実験を行った可能性はある。

④また、マクルーハンは、反射した映画と透過したスクリーンを「分析的」「主観的」という右脳・左脳の話に落とし込んだだけであり、誤りの見つけやすさという話は、実験結果に勝手に付け足されたものである。

⑤この話は日本でしか流布されておらず、2007年の新書が源流である可能性が高い(検証中)。

 

果たして「紙」は本当に誤りが見つけやすいのかどうか*7は、皆さんググって考えてみればよいと思うのですが、そもそもこのマクルーハンの話を出発点にして実験するのは、ネス湖にネッシーがいること前提で研究するようなもので、あんましスマートではないなあと思います。

 

私は今回初めてマクルーハンを読んでみたのですが、いやあ、よくわからない。よくわからないけど、キャッチーな表現が多いので、確かにコピペとネットロアには親和性の高そうな人だなあと思いました。

 

 

 

*1:

マクルーハンは1980年没ですが、息子のエリックが遺稿をまとめています

*2:

https://scholar.google.com/scholar?start=0&q=author:%22KRUGMAN+HERBERT+E.%22&hl=ja&as_sdt=0,5&as_vis=1

*3:

CiNii 論文 -  表示媒体の違いが誤りを探す読みに与える影響

*4:

”Brain wave measures of media involvement.”にもこんな記述があります。

 

In so doing, I sensed that sooner or later I might develop a special viewpoint about the work of Marshall McLuhan, This is a report on that developing viewpoint.

そうすることで、遅かれ早かれ、私はマーシャル・マクルーハンの研究に対して、特別な視点を持つのではないかと感じました。このレポートはその見解を示すものです。

Krugman 1971 P3

 

*5:

https://designopendata.files.wordpress.com/2014/05/understanding-media-mcluhan.pdf

*6:

こんな説明もありますが、日本語に訳してもよくわからない。

www.lightthroughmcluhan.org

*7:

ちなみに、トッパン・フォームズ株式会社の以下の研究があるのですが、

「紙媒体の方がディスプレーより理解できる」 ダイレクトメールに関する脳科学実験で確認|ニュースリリース:2013年|トッパン・フォームズ株式会社

この会社はデータプリントサービス、つまり紙媒体の印刷物が主要な事業であることに大変留意が必要です。