皆さんお元気ですか。ご無沙汰しております。なかなかこちらの記事を更新する暇がない日々を過ごしております。
今日はノーベル文学賞のこの呟きについて。
ノーベル文学賞を受賞した人が
— アオイ模型 (@aoi_mokei) 2020年10月10日
「白人でアメリカ人のわたしが受賞して驚いた」
という話は、今のアメリカの歪みがよく出ていると思った
というのがバズってました。リプには、以下のような反論もあります。
勘違いしてる方もいますけどここ数十年間文学賞はアメリカの白人の小説家は授賞していない。
— ねこさん (@nekosannekosan8) 2020年10月10日
スエーデンアカデミーはあんまりアメリカのことが好きじゃないというのも大きな理由ですね
村上春樹氏が取れないのもアメリカ文化に重きをおいた作風だからと言われてますので今回の授賞は驚きです。
どちらが正しいというより、今回のグリュック(Louise Glück)氏のコメントはどちらの意味も含んでそうだな、と思いましたので、英語圏でのこの話の捉え方をまとめてみました。今回は検証と言うよりそれこそ生存アリバイ作りのまとめ記事なんでご容赦のほどを…
【目次】
「アメリカ人」はどの程度受賞しているか
さて、ノーベル文学賞をアメリカ人はどれほど受賞しているのでしょうか。
1930年:シンクレア・ルイス
1936年:ユージン・オニール
1938年:パール・S・バック
1949年:ウィリアム・フォークナー
1954年:アーネスト・ヘミングウェイ
1962年:ジョン・スタインベック
1976年:ソール・ベロー
1978年:アイザック・バシェヴィス・シンガー
1993年:トニ・モリソン
2016年:ボブ・ディラン
フォークナーあたりからはわかりますが、それ以前はちょっと知ったかぶりもできない感じの名前ですね…。今回のグリュック氏もいれれば全部で11人。これは他の国に比べてどの程度の人数なのか。グラフにすると以下の通り*1。
実は、単純な国籍でもって文学賞で見ると、アメリカはフランスに次いで2番目に多いんですね。
とはいっても、多かったのは1970年代までで、シンガー以降は*3作家は1993年のモリソン*4で止まっており、近年は受賞されない傾向であることは間違いありません。また、ノーベル文学賞がヨーロッパ中心の選考であり、アメリカが極端に減少している批判は以前よりあります*5。
グリュック氏の発言
さて、実際にグリュック氏はどのように発言したのでしょうか。
こちらの発言を引き出したのはニューヨークタイムズ紙、10月8日。
-How did you feel once you absorbed that it was real?
Completely flabbergasted that they would choose a white American lyric poet. It doesn’t make sense.
-(受賞が)現実だとわかった時、どんな気持ちになりましたか?
白人のアメリカ人の詩人が受賞するなんてまったく驚天動地ね。意味がわからないわ。
The Poet Louise Glück Talks About Winning the Nobel Prize in Literature - The New York Times
このインタビューについては多少編集をしているようですが、flabbergastedはこの文脈だとネガティブな印象を受けますね。彼女はこう続けます。
But I thought, I come from a country that is not thought fondly of now, and I’m white, and we’ve had all the prizes. So it seemed to be extremely unlikely that I would ever have this particular event to deal with in my life.
だけど、私は現在嫌われている国の出身だし、白人だし、そして賞という賞はすでにとってしまったと思っていた。だから、私の人生の中で、こんなことが起こる可能性はとても少ないと考えていた。
私はここの”not thought fondly of now”が、グリュック氏の言いたいことの一つなのかなと思ったのですが、ここの主語がスウェーデンのアカデミーを指している気もしますし、そもそも現在のアメリカの微妙な立ち位置(例えば欧州との)を指しているようにも思えます。
また、彼女は”white"を2回繰り返していますが、彼女の意識に、BLMなど含めた世界的な人種間の問題が全くなかったというのはちょっと不自然だとは思います。ノーベル賞のウォッチャーの中には、人種差別問題を分析した詩人のClaudia Rankineを推す声もありました*6。
また、今回の文学賞の有力候補には、アンティグア系アメリカ人*7の作家、Jamaica Kincaidの名前も挙がっていました*8。「白人」が選ばれる可能性は低いかもしれないことを彼女も知ってはいたのではないでしょうか。グリュック氏自身の評価は高く、25/1ながらも今年のオッズにも顔を出しています*9ので、ノーベル文学賞の情報に完全に無縁であったわけでもないでしょう。
グリュック氏がどこまで意識的だったかはわかりませんが、後述するように、様々なこれまでの文学賞の批判から、自分のようなタイプの(人種的にも作品的にも)人間が選ばれるとは、グリュック氏も思っていなかったのでしょう。
英語圏メディアの論評
さて、今回の選出を英語圏メディアはどのように見ているのでしょうか。
まず、必ずどこも触れているのが、近年のスキャンダル的な報道です。2017年には、アカデミーの会員の夫の性的暴行疑惑や選考の漏洩疑惑から2018年の発表が見送られました。しかし、満を持して行った2019年のペーター・ハントケへの受賞も、彼のユーゴスラヴィア問題に絡めた親セルビア的態度から批判されています。そういや2016年のボブ・ディランも散々論争がありましたね。最近のノーベル文学賞は別の意味で注目を集めてしまっている面がありました。
そのため、「アメリカ人の白人」が受賞することは珍しいことながらも、グリュック氏を選んだこと自体は保守的な選択であったという論調が多いですね。
例えば、これは決定前ですが、ガーディアン紙はこんな記事を書いています。
They will give the prize to a female author, who is not from Europe, and who is, in the political and ideological and appearance-wise sense, the opposite of Handke,
アカデミーは、女性作家に賞を贈るだろう。それも、ヨーロッパ出身ではない、政治的にもイデオロギー的にも見た目にも、ハントケとは反対の女性に。
彼女の政治的立場はフラットにみられています。
Her poems, which rarely mark the present moment through political references or proper names,
彼女の詩は、政治的な言及や固有名詞でもって、現代の状況について示すことはめったにありません。
Louise Glück's Poetry of a Million Beginnings - The Atlantic
このアカデミーの選択は批判もあるようです。
There is also an argument that in awarding the prize to a white American writer whose work is often characterised by critics as not having an explicit political dimension, the committee has deliberately chosen to sidestep what could have been an important and timely intervention into the necessary debates about diversity and inclusivity – debates which run the risk of being rendered invisible by politicians’ more explicit desire to be seen to be waging war against the pandemic.
また、批評家からは明確な政治的側面を持たないと評されることが多い白人のアメリカ人作家に賞を授与することで、多様性と包摂性についての必要な議論に重要かつタイムリーに介入することができたはずのものを、委員会は意図的に回避することを選択したという議論もあります。
Louise Glück: literature Nobel for American lyric poet a healing choice after years of controversy
テレグラフ紙の記事がなかなか細かくてよかったのですが、彼女はそもそも受賞を望んでいないだろうと述べています*10。
In the past, Glück has been sceptical of the kind of acclaim represented by big prizes: “To the degree that I apprehend acclaim, I think, ah, it's a flaw in the work”.
過去にもグリュックは、大きな賞のような称賛については懐疑的だった。「私が称賛を受けるということは、思うに、その作品には欠陥があるのです」
Nobel Prize in Literature 2020: Louise Glück is a safe choice for a year of chaos
そんな彼女だからこそ、NYTのインタビューはもしかすると、皮肉の方が多めに混じっていたかもしれませんね。
今日のまとめ
もし「グリュック氏の受賞についてどう思うか」と聞かれたら、
政治色の薄い「白人のアメリカ人女性」という選択は、今までのアカデミーのスキャンダル的要素を考えると反動的で予想通りだね。でも、非常に保守的で世界の情勢から一歩退いた選考だと自分は思うかな
と、眼鏡をクイッとして答えれば嫌われると思います。そこに、「まあでも、それを抜きにしても、彼女の神話的とも呼べる詩はノーベル文学賞に値するね」とでも付け加えれば、より距離を置かれるでしょう。
日本ではほぼ訳されていないグリュック氏の詩ですが、数編引用されているものを読みましたが、結構私好みでした。これを機にいい訳者のもので読んでみたいですね。
*1:
一覧は以下。
フランス | 15 |
アメリカ合衆国 | 11 |
イギリス | 10 |
スウェーデン | 8 |
ドイツ | 7 |
イタリア | 6 |
スペイン | 5 |
ポーランド | 5 |
アイルランド | 4 |
ソビエト連邦 | 4 |
デンマーク | 3 |
ノルウェー | 3 |
オーストリア | 2 |
ギリシャ | 2 |
スイス | 2 |
チリ | 2 |
南アフリカ共和国 | 2 |
日本 | 2 |
アイスランド | 1 |
インド | 1 |
イスラエル | 1 |
エジプト | 1 |
オーストラリア | 1 |
カナダ | 1 |
グアテマラ | 1 |
コロンビア | 1 |
セントルシア | 1 |
チェコスロバキア | 1 |
トルコ | 1 |
ナイジェリア | 1 |
ハンガリー | 1 |
フィンランド | 1 |
ブルガリア | 1 |
ベラルーシ | 1 |
ペルー | 1 |
ベルギー | 1 |
ポルトガル | 1 |
メキシコ | 1 |
ユーゴスラビア | 1 |
ロシア | 1 |
西ドイツ | 1 |
中国 | 1 |
*2:1名の国は除いた。また、「ドイツ帝国」と「ドイツ」は同じにする等、常識の範囲で国名はまとめた
*3:
ただまあ、シンガーはアメリカ人、という感じでくくっていいのかはちょっとためらわれます。
*4:
これもアフリカ系アメリカ人という立場を考えると、どうなんでしょ
*5:
例えばこちらの記事など。
*6:
Nobel Prize in Literature 2020: Louise Glück is a safe choice for a year of chaos
*7:
Antiguan-Americanの訳はこれでいいんだろうか
*8:
*9:
Here are the bookies' odds for the 2020 Nobel Prize in Literature. | Literary Hub
*10:
それでもテレグラフとしては、「死に夢中(she is preoccupied with death)」になりながらも、Averno (2006)の冥界の神話においてその暗闇の中に照らされる光は、このコロナの年にふさわしいのではないかと締めくくってはいます。