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ネットロアをめぐる冒険

ネットにちらばる都市伝説=ネットロアを、できるかぎり解決していきます。

あなたの日本語は「大丈夫です」、誰もが専門家になりたがる

「日本語の乱れ」は、はるか清少納言の時代から嘆かれていること*1ですが、こんな「大丈夫」に関する記事がありました。

jin115.com

50代のサラリーマンが20代の部下を飲みに誘ったら「大丈夫です」と言われたので、来られるのかと思いきや、断られてしまったという話。うーん、確かにちょっと「あれ?」と思ってしまいますね。

ここから、お定まりの「日本語の乱れ」VS「言葉は変化するもの」という話になっていきます。

さて、今日は、この「大丈夫です」って、そんなに「若者言葉」なのかな、という話をしていきます。今日の話はだいぶ個人的な意見が入っているので、正確性には欠ける記事ですと、あらかじめ予防線をはります。

  

***

 

「日本語の乱れ」という表現は言語学的には不正確であり、「規範文法」*2に沿っているかどうかです。

 

「大丈夫」という言葉は、この「規範文法」的にはどのように定義されているのか。辞書を見てみましょう*3

 

[名]⇒だいじょうふ(大丈夫)
[形動][文][ナリ]
1 あぶなげがなく安心できるさま。強くてしっかりしているさま。「地震にも―なようにできている」「食べても―ですか」「病人はもう―だ」
2 まちがいがなくて確かなさま。「時間は―ですか」「―だ、今度はうまくいくよ」
[補説]近年、形容動詞の「大丈夫」を、必要または不要、可または不可、諾または否の意で相手に問いかける、あるいは答える用法が増えている。「重そうですね、持ちましょうか」「いえ、大丈夫です(不要の意)」、「試着したいのですが大丈夫ですか」「はい、大丈夫です(可能、または承諾の意)」など。
[副]まちがいなく。確かに。「―約束は忘れないよ」

 

今回問題になっているのは形容動詞の「大丈夫」なので、その用法をまとめると、

 

①あぶなげなく安心・しっかり

②間違いない、確か

【ここから近年】

③必要・不必要

④可・不可

⑤諾・否

 

となるようです。

 

今回の飲み会を断った「大丈夫です」は、⑤の「否」になるのでしょうか。③より下の使い方が、近年の使い方になるようです。

しかし、この使い方を「若者言葉」とするのであれば、この「大丈夫です」を「諾」と受け取った上司側も「大丈夫」の近年の使い方を理解はしているとのことになります。

 

私は、この手の議論でいつも思うのは、「日本語の乱れ」として受けとる側が、これを「乱れ」として捉えることができるということです。本当に意味が分からなければ、そもそも「乱れ」としても捉えることができないはずです。つまり、「乱れている」言葉の意味が、意味として通る素地があるわけです。

 

たとえば少し古い文学作品を見てみましょう。

海野十三の『金属人間』という1947年の作品にこんな箇所があります。

卒倒した検事に、針目博士が洋酒をすすめるという場面。

「いや、もう大丈夫です」
「やせがまんをいわずと、これをお飲みなさい」
「いや、ほんとにもう大丈夫だ
 検事は、強く洋酒のコップをしりぞけて、長いすからきまりわるく立ちあがった。*4

この1回目の「大丈夫」は、卒倒して意識が戻った後のことなので、「①あぶなげない」の意味の「大丈夫」でしょう。2回目の「大丈夫」も、もちろんその意味としてとらえるのが普通かと思います。しかし、後の文章の「強く洋酒のコップをしりぞけて」と関連させて考えるならば、洋酒のすすめを断る「⑤否」のセリフとも受け取れます。

 

他にも、村山籌子の『川の中へおつこちたお猫さん』(1933)という児童文学作品には、こんな「大丈夫」があります。猫があひるの帰りを、寒い外で待ち続けているところに、あひるのお母さんが声をかけます。

「さあ、もう、お家へお帰りなさい。風邪をひきますから。」
 お猫さんはシヤツ一枚でガタガタふるえながら、
大丈夫です。おばさん。」といつて、動きません。*5

この「大丈夫です」の意味は曖昧で、「自分は元気である」という意の「①あぶなげない」の「大丈夫」ともとれるし、「お家へ帰りなさい」というすすめに対して「結構です」という意の「⑤否」もしくは「③(気遣いが)不要」と、とれなくもありません。

 

どちらが正しいか、ということではなく、この「大丈夫」という言葉は、ちょっと前から色々な意味を示せる(理解できる)オールマイティプレイヤーとしての性格をもっているんじゃないかなあということです。で、そういう言葉は、使われなくなった言葉の代替として、意味をもたせられることが多いと、ちょっと前になんかの論文で読んだんですけど、タイトルが思い出せない。たとえは悪いですが、座頭市が目が見えない代わりに耳をその代わりとしたように、使われなくなった言葉の意味は、代替の言葉を探す、というわけです。

今回問題になっている「⑤否」の意味での「大丈夫」は、意識の流れとしては、「“今日、ムリ”とか言ってきっぱりと断ると、相手を傷つけてしまう気がする。でも“大丈夫”だと優しい感じがします」*6というものがあるそうで、「⑤否」を「丁寧に表現する」適切な表現が、ちょっと思いつかない、というところにあるのでしょう。なので、オルタナティブとして、オールマイティーな「大丈夫」が使用されるようになった、というところではないでしょうか。

 

さて、この「大丈夫」は「若者言葉」なんでしょうか。

 

井上史雄という言語学者は『方言学の新地平』(1994)という本の中で、若者言葉を次のように分類しています。

 

 

若者が老いて不使用

若者が老いて使用

後の若者不使用

一時的流行語
新語、時事用語、はやりことば

コーホート語(同世代語)
生き残った流行語、世相語

後の若者使用

若者世代語
キャンパス言葉、学生用語

言語変化
新方言、確立した新語

 

AERAの記事にも出てくる明海大学の山下早代子の『今どきの「大丈夫です」―その使用実態(2013) 』という論文*7の中でも言及されていて、山下は「大丈夫です」を、一過性の「若者言葉」とするのではなく、言語変化の途中としての「新方言」として捉えるべきだと、と主張しています。

私はそれをもう少し広くとらえて、この「大丈夫」が名詞ではなく形容動詞として使われるようになったはるか昔から、このような意味に変化していくことは必然だったのではないかなあと考えています。言語というものは、「若者」一世代で変化できるほど、単純なものではないでしょう。ある「言葉の変化」には、それだけの歴史の重みを感じます。

 

しかし、こういった「日本語の話」は、誰もが一家言をもつ、なかなか不思議な話です。数学や経済の話と違って、「日本語」はみなが話せるものであり、誰でも専門家のように語れるような気になるのでしょう。かくいう私も専門家でもないのに今日は少々筆が上滑りした感じです。読み返してみると、あんまり「大丈夫」じゃない気がするので、なにとぞご容赦のほどを。