ネットロアをめぐる冒険

ネットにちらばる都市伝説=ネットロアを、できるかぎり解決していきます。

プーチンは「私は砂糖ではない」と言ったのか、限りなく真実に近いなにか

プーチンの世界

プーチンは日本のネット界隈で好意的な語られ方をする人間の一人と思いますが、こんなかっこいいエピソードが流れていました。

 

 

「私たちは砂糖で作られていない」なんていうのは、かっこいい表現ですね。しかし、疑り深い私はホントウカなあと思って調べてみました。結論から言えば、このエピソードは存在するので、今回はファクトチェックというよりは、この話の経緯について語れればよいかなと思います。

 

 

***

 

どんな式典なのか

ツイートでは、「無名戦士の墓」式典、とありますが、正確には何のイベントだったのでしょうか。

 

RIA通信によれば、「День памяти и скорби(メモリアル・デー)*1」である6月22日の式典だそうです*2。何の日かというと、1941年、ドイツ軍がソ連に侵攻をした、バルバロッサ作戦の日ですね。

 

大戦の当初はポーランドを共に占領していたドイツとソビエト連邦であったが、1941年6月22日に突如ドイツ国防軍がソ連に侵入し、戦争状態となった。

独ソ戦 - Wikipedia

 

ロシア側は「大祖国戦争(Великая Отечественная война)」と呼び、過酷な戦場になった戦線です。

 

大統領令により、1996年から毎年6月22日には、そこで亡くなった戦士たちを悼んで、アレクサンダー広場*3の「無名戦士の墓*4」に、大統領、首相、連邦員の議長、退役軍人の代表など、そうそうたるメンバーが花輪を献花する、という行事が行われているそうです。この日は国中が喪に服するそうで、ロシアにとっては大事な行事の一つでしょう。このモニュメント自体は1967年に建設され、その中央には、以下の言葉が掲げられていて、心にしんみりときます。

 

あなたの名前は不明である、あなたの行為は不滅である。

Имя твоё неизвестно, подвиг твой бессмертен

 

また、プーチンの父親はこの戦線で重傷を負い、また戦争のさなかに弟もなくしているそうですから、彼自身の大祖国戦争への思いいれも強いものがあるのでしょう*5

 

 

式典の様子は動画にあります。

www.youtube.com

 

これを見ると、傘を差してないのはプーチン大統領だけではなく、男性の出席者はほとんどさしてないようです。ただ、女性はさしているのがわかります。

 

式典当日の言葉ではない

さて、この「私たちは砂糖では~」のくだりは、式典当日に語られた言葉ではありません。

 

ソチに「シリウス」という名前の児童教育施設があります。

 

Сириус

 

「才能と成功」という財団が運営していて、プーチン大統領がイニシアチブをとっている、英才教育のセンターみたいなところですね。プーチンはここで定期的に学生たちと対話の場を作っており、7月21日に「An unchildish conversation」というタイトルで、3時間におよぶインタビューを行っています。実は「私たちは砂糖では~」のくだりは、そこでの発言です。

 

www.youtube.com

(上記動画の1:28あたりから)

 

雨に打たれるプーチンの姿はロシア国内でも印象的だったようで、女学生がこう質問しています。

 

7月22日、メモリアル・デーの献花の際、強い雨が降っていましたが、あなたは傘をささずにたっていました。これは第二次大戦の戦没兵に敬意を表してのことだったのでしょうか?

 

プーチンの回答の全文

さて、動画にはご丁寧に英語の字幕をつけてくれた方がいるので、ロシア語がちんぷんかんぷんな私でも訳せそうですが、どうもこの動画はカットされている部分があるようです。なぜかというと、いくつかのサイトで散見される「雨は突然降るものだ」のくだりがどうも抜け落ちているからです*6

 

で、慣れないロシア語でいくつか全文が載ってそうな記事を探したところ、ありました。

 

trueinform.ru

 

というわけで、上記の引用が正しいという前提で、以下にプーチンが語った言葉を翻訳してみたいと思います。ロシア語はGoogle先生頼みなので、ちょっと意訳している部分もあります*7

 

第一に、雨というものは突然降るものだ。雨というものはそういうものだ。時々、予期せず降り始める。

第二に、私は誰かが雨のときに傘の下にいることが何かの違反であるとは思わない。特に女性はね。芸術家は女性が何をしているか知っているだろう*8。だから、彼女たちをきちんとした見た目にしてあげなければならない。

私個人としては、(傘をささなかった)理由がはっきりしているわけではない。君も知っての通り、悲しいことだが戦争は血と死だけではない。もちろん、そこには血と死がある。それは戦争の恐ろしさだ。だがこれは偉大な仕事だ。困難な仕事だ。

想像してくれ。軍隊はこの道を選ぶこともあの道を選ぶこともある。あるいは、進軍や退却もある。彼らはそんな戦場にいるんだ。昼も夜も、夏も冬も、雪の日も、そして雨の日も。そんな日々が終ることも、家に帰って休むこともない。彼らは戦場にいた。彼らはそこで生き、死んだ。とても恐ろしいことだ。

だから、あの瞬間、献花の際に傘が必要だなんてことは私は全く想像できなかった。雨は強く降っていたが、私は特に何かを思いついたわけでも、何も考えなかったわけでも、決心をしたわけでもない。何か違うことをしようとも思わなかった。これは当たり前のことだったと私は信じている。私は砂糖ではない。私は溶けない!

 

いくつか日本のメディアがプーチンの言葉として取り上げていますが、RTの英語版の記事を訳したようで、

 

www.rt.com

 

日本語の言葉のいくつかは、つぎはぎされているように見えます*9。まあ、大意は変わりませんので、問題ないといえば問題ないですが。

 

「砂糖ではない」はプーチンの創作ではない

さて、印象的な「私は砂糖ではない」という言葉ですが、これはプーチンの創作ではなく、慣用句に近いようです。

 

ロシア語では「Не сахарные – не растаем」と表現されているのですが、これで検索すると、結構ひっかかります。

 

たとえば、2017年7月3日のこの記事では、モスクワで悪天候が続いていることを書いていますが、市民の言葉で、

 

「たくさんの人が子供と一緒に歩いているよ。だから、この天気に何か問題があるわけじゃない」と、モスクワ市民は言いました。「我々は砂糖じゃないよ、溶けないさ」

«Многие гуляют на улице с детьми, так что погода - не помеха», - говорит москвичка. «Не сахарные, не растаем», - отмечает горожанин.

«Не сахарные - не растаем»: дожди не сломили москвичей

 

また、メリニコブという人の『山の上』という本の中にも、この表現が出てくるようです。

 

(甲板に横たわって)この風雨の中を?「砂糖じゃないんだから、溶けないさ!」

(Ляжете тут же на палубе) на ветру, на дожде? "не сахарные, не растаем!"

не сахарный(не растаешь) - это... Что такое не сахарный(не растаешь)?

 

他にも、『Стильное путешествие налегке』*10という小説の中にも同じ表現が出てきており、わりとロシアでは雨の日の決まり文句として使われているんではないでしょうか。

 

これはどうやらロシアだけの話ではなく、ヨーロッパ語圏ではよく知られた決まり文句みたいで、当該ツイートの返信にドイツ語verを書かれている方もいました。

 

 

他にも、下記のフォーラムでは、「made of sugar?」という言い回しが他の国でもないか、という質問がされております。

 

我々の国では、雨(よくて霧雨のような)が降り始めて外出が必要でその雨と傘を持ってでなければいけない、ということに不平を言い始めた時に、言われる言葉があります。「どうして傘を持つ必要があるんだ? こんなちょっとの雨で? 君は砂糖ではないだろう?」*11

made of sugar? | WordReference Forums

 

質問者はスロベニアの出身という事で、中央ヨーロッパのあたりでもその表現があるんですね。スペインの回答者は同じものがあるといい、アメリカの回答者は「古い英語の表現だね( a very old expression in English)」という言い方をしていますが、どうもヨーロッパ語圏では、「砂糖ではない」のくだりは、雨の降った時の言い回しとして、古くから存在しているようですね。

 

そういえば私も昔、雨降りでだだをこねたら、「張子の虎じゃあるまいし」と母親に怒られたものですが、日本にも似た表現があるんですかね。

 

今日のまとめ

①プーチンが雨に打たれた式典は、独ソ戦開戦の6月22日に毎年行われているメモリアル・デーの献花の式典である。

②今回話題になった言葉は、その1ヵ月後の7月21日に「シリウス」という教育機関で開かれた、学生たちとの対話の際に出た質問に対する回答である。

③現在散見される日本のメディアの中には、この言葉をつぎはぎのようにしているものもあるが、大意は変わらない。

④「砂糖ではない」という言い回しは、ヨーロッパ圏に存在する決まり文句で、プーチンの創作ではない。

 

というわけで、今回の話は「デマ」の話ではありません。twitterの情報だって正しい時もあります。

 

しかし、その情報が「正しい」となるまでには、こうやって記事を書いたように、いくつものソースを当たらなければなりません。そしてその「正しさ」は、あくまで「限りなく真実に近い」正しさでしかありません。哲学的な話を抜きにすれば、自分の目と耳で得たもの以外は、あくまで「限りなく真実に近い」なにかです。

 

だからこそ、「情報」には”あそび”の部分があり、その”あそび”の部分から、物語が生まれるのです。いくつもの民話や伝承は、人々に語られ、改変されることによって、洗練されていくこともあります。「正しさ」だけを追い求めていくことは時に窮屈で、ある意味自然な行為とはいえないのかもしれません。

 

私が「ファクトチェック」で大事に思うのは、その情報の「事実」と「価値」は等価ではないという事です。以前、息子さんを亡くされた父親の講演を聞いたことがあるのですが、彼は息子の訃報を聞いたとき、自分の妻が「一晩で髪の毛が真っ白になった」と述べていました。しかし、これは科学的には正しくはない、と考えるほうが妥当でしょう。これが「事実」です。

 

ですが、だからといって、この父親の話の「価値」がなくなるというわけではありません。まして、彼が嘘つきであるということでもありません。その彼の話に、悲しみを感じ、寄り添えることが、この話の「価値」になると私は思います。

 

事実を積み重ねることと、そこから何を感じ取るかは冷徹に分けなければならないと思います。そうしなければ、このツイートの返信に巻き起こっているような、言葉尻を捉えたありきたりな政治談議に終始してしまうのです。どうもそれだけでは悲しくはありませんか*12

*1:

正式な日本語訳があるのかどうかは不明ですが、直訳するなら「悲しみと記憶の日」でしょうか。アメリカ風に倣うなら、「戦没将兵追悼記念日」となりますかね。

*2:Путин в День памяти и скорби возложил венки к Могиле Неизвестного солдата - РИА Новости, 22.06.2017

*3:

Александровский сад (Москва) — Википедия

*4:могиле неизвестного солдата

*5:

‘My breathing mom was among corpses’: Putin recalls his parents’ WWII ordeal — RT News

*6:

式典の際、私は何かを考えていたわけでも、決断を下したわけでもない。頭の中に「こうすべきだ」という思考が浮かばなかった。それは決しておかしなことではなく、私たちは砂糖でできていないし溶けない。予期せず雨が降ったが、雨は突然降るものだ

プーチン名言、いただきました。雨に打たれてずぶ濡れぬれになったプーチンに「なぜ傘をささないの?」その回答は? : カラパイア

ただ、後述するように、この訳はつぎはぎです。

 

*7:私は英語以外の言語を訳す時、特にヨーロッパ圏の言語を訳す時は、英語に訳してもらってから考えています。ロシア語は近いとも思いませんが、少なくとも日本語に直接訳すよりかは、意味が通る文章になります。間違いがあったら随時指摘してください

*8:ここら辺の訳がよくわかりませんでしたが、プーチンは女性の身だしなみの話をしているのだと思われます。ちょっとジョークっぽい感じです

*9:

カラパイアの記事は、RTの

 

“It’s not that I had thought of something or not, or had made a decision. It didn’t cross my mind that I should’ve acted differently. I think it’s normal. We aren’t made of sugar, we won’t melt.”

 

と、次のセンテンスの、

 

“The rain hit unexpectedly. Rain is known to start suddenly,”

 

をつなげたものでしょう。また、前段の訳し方がちょっと甘かったためか、

 

簡単にいうと「なんとなく傘をささなかっただけ」ってことなのだろうか。

 

という意味不明なコメントしていますが、そうではなく、「傘をささないことは(戦没兵の前では)いたって普通のことだ」というようなことを言いたいのでしょう。

*10:

books.google.co.jp

*11:

In our country, when it's raining (or better: drizzling) and you need to go out and you start complaining about the weather and how you have to drag your umbrella along, someone might say: "What do you need an umbrella for? For these few raindrops? You're not made of sugar, are you?"

*12:

元々はまとめはもう少し簡潔に「正しい情報も正しさをできる限りの確証までもってくるのは大変だ」という話にしようとしたのですが、この方のツイートを読んで、

MASA(E2まで攻略終了) on Twitter: "これは僕の偏見なのかも知れないけど、日本の戦争教育は、あまりに戦争の個人的体験の伝承に偏重しすぎていると思う。
個人的体験は戦争の「辛さ、悲しさ、苦しさ」といった感情は伝えてくれる。
けれども「絶望的な彼我兵力差」「補給線の断絶」「戦略の失敗」等の事実は資料しか教えてくれない。"

少し考えさせられたので、何だか長ったらしくなってしまいました。「ウソかホントかだけ知りたいんだ」という人は読み飛ばしてください。