世の中には様々なウワサがありますが、当ブログでは、基本的に私が何となく思いついて、何となく調べられる範囲の内容だけ取り扱う予定です。したがって、ここには、「なんとか大虐殺」とか、「なんとか細胞捏造」とか、そういう、付き合ってすぐのバレンタインに手編みものを贈るような重いテーマはあがってきません。
というわけでニュースも旬の盛りを過ぎて干からびた頃となり、今日のテーマはジンバブエのインフレです。もはやついてこれる人はどれぐらいいるかわかりませんが、この写真は見たことがある人は多いのではないでしょうか。
まさに紙幣価値の暴落を如実に示す、とてもわかりやすい写真です。個人的にはドイツマルクの暴落の時の、子どもが積み木にして遊んでいる写真のほうが趣きがあるかなあと思いますが。
当時は日本のニュースやまとめサイトでも、あまりの絵面にちょこちょこ話題になっていたようですが、最近(といっても去年の11月ですが)、またテレビに映りました。あの池上彰先生の「世界の独裁者 独裁国家25」という特別番組です。
実は私自身、ジンバブエのハイパーインフレ時に現地に暮らしていたことがあり、「すてきな独裁者がいるジンバブエも出るに違いない」と懐古的に番組を見てたわけです。
さて、番組では当然、ハイパーインフレについての言及がありました。こんなやりとりです。
池上「有名な写真があります。こちらをご覧ください。パンを買いに来ました」
といって、前掲した写真が映る。
スタジオ「えー」
池上「これだけ持っていかないとパン一切れ買えない。まあ、厳密に言うと一斤ですね」
スタジオ「えー、一斤」
ここで、経験のある私はちょっと疑問に思いました。
「これでパン一斤しか買えなかったっけ?」
当時、私は首都のハラレにいて、スーパーでよく買い物もしましたが、確かに札束を持ち歩いたとはいえ、こんな抱えて買い物をした記憶はありません。というか、こんな人見たことありません。いくらなんでも目立ちます。
そこで私は、見慣れたこの写真について、疑問に思うわけです。
「そもそもこの写真は、いつ、誰が、何のために撮影したものなんだろう」
ということで、Google先生の出番です。必殺の画像検索。
インパクトが強い画像なので、いろいろなブログに取り上げられていますが、いまいち初出が分からない。Googleの日本版ではなく宗主国だったイギリス版とかで調べたいんですが、画像検索だといまいちうまくいかなかったので断念。
仕方がないので、GoogleUK版で、「zimbabwe inflation」の語句で検索をかけたところ、Dailymailの2008年8月19日の記事を発見しました。
ジンバブエのインフレ率が天文学的な数字になってるぜ!という記事に、くだんの写真が使われていました。写真のキャプションには、「Grocery shopping: A man carries some cash to get groceries」つまり、「食料品の買出し」とあります。
食料品?
おいおい池上先生、パンなんてどこにも書いてないじゃないですか!食料ですよ!バナナは食料に入らないんですか!と、鬼の首をとったように私は思ったのですが、元記事が「Dailymail」という、日本で言えばなんとかスポーツみたいな媒体なので、そっと口を閉じて、もうちょっと調べることにしました。
さて、この写真には「AP」のCマークがついています。つまり、AP通信の提供した写真だということです。AP通信は自社のもつ写真を検索にかけることができるので、さっそくサイトに行ってみます。
「zimbabwe inflation」で検索をかけると、ついにでてきました。
APTOPIX ZIMBABWE MONEY | Buy Photos | AP Images | DetailView
日時は「2008年3月5日」、撮影者は「Tsvangirayi Mukwazhi」、名前から察するにジンバブエ人でしょう。名前で検索をかけると、彼名義であろう写真がずらずら出てくるので、写真家のようです。
キャプションには「An unidentified man carries some cash for groceries in Harare, Zimbabwe Wednesday, March, 5, 2008.」とあるので、Dailymailのキャプションとほぼ同じ、彼は食料品の買出しのために、お金をあんなに持っているということになります。(ちなみに、この写真を使った初出の記事は、調べた限りでは同じくDailymailの3月6日の記事になります。Dailymailが最初なわけはなさそうだなあと思うのですが、あとの大新聞的な日付周辺の記事はこれぐらいしかありませんでした)。
ただ、もしかすると、「食料品」というのは「パン一斤」だけを指す可能性もなくはない。なくはないので、まずこの男性がいくらお金をもっているか勘定してみます。
写真を拡大してみると、「200000」の文字が見えます。
これは20万ジンバブエドル札でしょう。
この頃はすでに1000万ジンバブエドル札が出ているはずなのですが、この20万ドル札は「2007年12月に使用できなくなる」というウワサが流れて(政府が流したんですが)、年末に一気に流通が増えた紙幣なので(結局その話はなかったことになりましたが)、銀行なんかでおろすとこれが大量に出てくることもあったそうです。
他の札束は見えないのわからないですが、仮にすべてが20万ジンバブエドルの札束だとしましょう。この札束は私の経験則からひと束500枚です。
つまりひと束は、
200000×500=100,000,000
です。桁が多くて一瞬分かりませんね。1億ジンバブエドルです。
その束が全部で、22束ぐらいあるように見えます。なので、
100,000,000×22=2,200,000,000
22億ジンバブエドルを持っていることになります。数だけ見るとすごいですね。
では、2008年3月5日当時、22億ZWDを持っていると、何が買えたのか。一日で物価が2倍に跳ね上がったりするので、正直正確なデータはわかりません。当時、自分がつけていた家計簿によると(額だけ見ると国家予算級)、2月9日の時点で「パン」が100万ZWDとあります。
2008年2月10日の時点で、1US$=600万ZWDだったと手元に記録が残っています。APのキャプションを見ると、3月5日には「25 million dollars for a single US dollar」とあるので、レートは1US$=2500万ZWDになっていたということになります。パンは0.6US$で買えたわけですから、特に変化がなければ、3月5日当時は1500万ZWD程度で買えた*1ということになるでしょう。概算なので誤差はあるでしょうが、少なくともパン一斤に20億ZWD以上払う必要がないのは明瞭だと思います。
では、「パン一斤」というのはどこから出てきたのか。
うーん、これがよくわからない。わからないんですが、その頃のCNNの記事やNewsweekの記事を見ると、物価を示すのに「パン一斤がいくら」、という表現をよく使っているので、何かの情報がこの写真をと勝手に結び付けられたのかもしれません。*2
いずれにせよ、池上先生、その説明はミスリードですよ!とようやく声を大にして言えるわけです。しかしむなしい勝利感ですな。*3
まあ、とは言ってもテレビなので、これぐらいのイロをつけた言い方は別にいいんじゃない、と思う向きもあります。それよりも、今回感じたのは、やはり写真のもつインパクトです。いくら言葉を尽くしても、一枚のもつ写真の力というものには勝てない。写真は、物語を創りだします。
沢木耕太郎の著書に『キャパの十字架』という作品があります。かの有名な「崩れ落ちる兵士」の写真の真贋をめぐるドキュメンタリーです。写真に付随するドラマはいくらでも書き加え、変えることができる。それはいつしか写真家が意図しない方向へと物語が書き換えられるかもしれない。時代とか、思想とかによって。そしてそれを防ぐことはきっと不可能に近いことなんでしょう。
願わくは、それが善き道へ続く物語になることを。
*1:Newsweekの3月24日の記事によればパン一斤は1000万ZWDとある。もうちょっと安く買えるのかもしれない
*2:番組の中では、「牛乳が600億ZWD」「牛肉が4380億ZWD」と紹介していたのですが、「2008年現在」というざっくりした表記であり、この値段の高騰具合から見て、デノミ直前の7月ごろのレートを参考にしたのではないかと考えられます。そうすると、「パン一斤」は、確かに20億ぐらいださないと買えなかったかもしれません。
*3:それでも疑問に残るのは、男性は本当に食料品を買いに行く予定だったのかということです。レートが正しければ、男性は88US$相当のジンバブエドルを持っていることになります。ジンバブエの物価にしたら相当な大金です。だいたい、写真を撮影した彼は、男性に「今から何しに行くんですか?」「いやちょっと食料の買出しにね」とかいうやりとりがあったんでしょうか。そういう意味では、ちょっと疑問の残る写真です。