誰もが一度は聞いたことある言葉、「水面を優雅に浮かぶ白鳥も実は水面下では必死に足をもがいてる」は、嘘だったという話。
「水面を優雅に浮かぶ白鳥も実は水面下では必死に足をもがいてる」
— 秋月 (@akodama) 2017年4月20日
実際に白鳥の近くに寄ってみたらあいつら浮力で浮いてますぜ
移動するとき少し足を掻くだけですぜ
#信じていたのにウソだった知識 pic.twitter.com/ESHznTmpkj
確かに、そんなに必死な感じではないですねえ。
さて、今回はその真偽ではなく、初出についてです。このツイートの返信には、『巨人の星』の花形くんの言葉が原因ではないか、というお話があります。
@akodama @sayori27 梶原一騎のせい。 pic.twitter.com/G0RtycXNj5
— ミスターK (@arapanman) 2017年4月22日
花形くんは、
青い水面に美しく優雅に浮かぶ白鳥は/
しかしその水中にかくれた足で絶え間なく水をかいている/けっている/
だからこそ/
つねに美しく優雅に浮かんでいられる
ぼくはその白鳥であるためにも星くん…/
きみを打つ!
と言っています。
なるほど、広まったのはこのセリフかもしれません。しかし、これを「梶原一騎の創作」とまで言っていいのか*1、というのも疑問に思いました。
というわけで、今回はその初出探しです。一応追えるところまでは追いましたが、今回は図書館に行かずにネットの海だけで考えたので、何か追記があればぜひはてブにでもください。
元々は「鴨」のはなし
そもそも白鳥ってどこまで日本でメジャーだったかは不明ですが*2、「水面下では必死に足をもがいている」という話は、「鴨」の方が昔からのイメージかもしれません。「鴨の水かき」ということわざもありますね。
《気楽そうに浮かんでいる鴨も、水面下では水かきを絶えず動かしているところから》人知れない苦労があることのたとえ。
試みに青空文庫で調べてみると、宮本百合子の『獄中への手紙』が引っかかります。
御飯すまして一寸台所始末したら、もうあとは一時間ほどしか自分の時間がなくなりました。
ひどい音がして飛行機がとびます。出てみたら美しい形で雁行して居ります。低いところに雲があるので、見えつかくれつしながら。形の静かな優美さも、こんなに空気をかきさいて動いてゆくのね。昔の歌人は、人間の営みのいとまなさを、やすむ間もなき鴨の水かきとよみました。悠々浮いているようでも、と。
これは百合子が、巣鴨拘置所にいる夫の顕治に宛てた手紙で、終戦に近い1944年のものとされています。百合子は、編隊で飛ぶ飛行機の美しさとその音の騒がしさを対比させながら、「鴨の水かき」を連想させています。少なくとも、『巨人の星』より前から、日本では、「水面下では必死に足をもがいている」という印象が水鳥にはあるわけです。
水戸光圀の歌にもある
しかし気になるのは、百合子は「昔の歌人」が詠んだと書いています。ということは、何か和歌が元になっているという事でしょうか。
ということで引っかかるのは、あの黄門様の水戸光圀です。
見ればただ*3 なんの苦もなき 水鳥の 足に暇なき
我が思いかな
水戸光圀名歌鑑賞・見ればただなんの苦もなき水鳥の足に暇なき ( 短歌 ) - 心に残る名言、和歌・俳句鑑賞 - Yahoo!ブログ
ほえー、黄門様がこんなことを詠んだんですねえ。「水鳥」は大体「鴨」のことを指すので*4、「鴨の水かき」の歌はこれなんでしょうか。とすると、この「水面下では必死に足をもがいている」イメージは、光圀公が存命だった17世紀ごろからある、ということになります。
と思いながらまた調べてみると、この歌が「光圀」作だというのは少々疑わしいようで。
久喜図書館の司書さんがこの出典について調べてくれています。
司書さんは、この歌が「光圀」作で出てくる著作に『新渡戸稲造全集』と『水戸黄門(講談名作文庫)』を挙げています。
講談の『水戸黄門』は、Kindleで読めます。
2014年ですが、底本は昭和29年刊行の『講談全集』の文庫版選集だそうです。該当箇所が試し読みで読めるのですが(便利だけどごめんなさい)、「せんだんは双葉より香し」という演目。
十六歳にして家督をつぎ、六十一歳にしてご隠居、そのあいだよく将軍家を補佐して大過なからしめたお方でございます。
見ればただなんの苦もなき水鳥の
足に暇なきわが思いかな
これは光圀公の述懐、天下の副将軍といわれ多くの者に取り巻かれているから、しもじもの者はさだめしうらやましく思うであろうが、その身になってみるとなかなか楽なものではない、水鳥の泳いでいるさまをみれば、なんの苦もないようだが、少しも足に油断がない、というところを詠んだものと思います。
『講談全集』が見られれば、もしかするとどの講談師の話か書いてあるのかもしれないのですが、特にKindle版にはなかったので、いったいどのぐらい昔からこの演目がされていたのかは不明です。
また、『新渡戸稲造全集』の複数巻で「見ればただ」の歌は引用されているようですが、1911年の『修養』という著書が国会図書館のデジタルコレクションにありました。第十章の「逆境にある時の心得」という章の中にあります。
水戸黄門が隠退して、太田村で春は花、秋は月、冬は雪と楽むを見て、公の閑楽を羨んだものがあった時、公は筆を執つて傍の紙にスラスラと
見ればたヾ何んの苦もなき水鳥の
足にひまなき我が思ひかな
と書かれたといふ。得意らしく幸福らしく見へる人でも、誰かは其裏面に逆境不幸を味はぬものがあらう。
『修養』は1911年ですが、全集のどの著作の中に入っているかは全て見られなかったので、もしかするともう少し前の著作にも入っているかもしれません。しかしいずれにせよ、新渡戸が書き記した20世紀前半には、この水鳥の歌は、ある程度の歴史的逸話として伝聞されていたという事です。
しかしながら、久喜図書館の司書の方は、光圀の「常山詠草」や「常山文集抄」、他にも『新編国歌大観』(CD-ROM)『現代短歌分類辞典』『日本うたことば表現辞典 3 動物編』などにあたったにも関わらず、この歌は出てこなかったのこと。伝記資料は未調査とのことですが、ちょっと光圀作というのは疑わしい部分もありますね。
個人的には、講談が盛んになった江戸後期から明治初期にかけて創作されたものではないかと思います。そうすると、水鳥云々の歌は、19世紀初頭が初出という事になりますでしょうか。
拾遺集にもある
ただ、ちょっと気になるのが、百合子はこの歌を詠んだ人を「歌人」としたところです。歌を詠めば歌人ですが、「光圀」は歌人と呼ぶかなあという感じもします*5。
なので、「鴨」「水鳥」で、日文研の「和歌データベース」で調べてみました。
すると、『拾遺集』から似たような歌が出てきました。
水鳥のしたやすからぬ思ひにはあたりの水もこほらさりけり
水鳥が心穏やかでないもの思いをして、足を絶え間なく動かすので、そのあたりの水も凍ることがない。
『拾遺集』は1006年ごろの成立で、このブログでも屈指の古さですね。上記の歌は詠み人しらずで、詞書もないので状況が不明ですが、必死に努力をする様子を見て取ったわけでなく、「下安からぬ」という「不安」の気持ちが表れています。
『拾遺集』という勅撰和歌集に選ばれていれば、それなりの知名度を誇っていたと考えてもいいでしょうか。この歌が念頭にあったかはわかりませんが、水鳥については、紫式部も似たような歌を詠んでいます。『紫式部日記』(1010年ごろ成立)から。
いかで、今はなほ、もの忘れしなむ、思ひがひもなし、罪も深かなりなど、明けたてばうちながめて、水鳥みづとりどもの思ふことなげに遊び合へるを見る。
水鳥を水の上とやよそに見む我もうきたる世を過ぐしつつ
かれも、さこそ、心をやりて遊ぶと見ゆれど、身はいと苦しかんなりと、思ひよそへらる。
「あーもーほんと出家してえ」と悩んでいた紫式部が、池の水鳥が物思いなく遊んでいる様子から、「浮き」と「憂き」をひっかけて、「あーほんとつれーはー」とこぼしています。
しかし、その後で、「そうは言っても、水鳥だって苦労があるのよね」と付け足しています。この「苦労」が、『拾遺集』にあったような「水もこほらさりけり」足のもがきを意識したのかはわかりませんが。
いずれにせよ、水鳥が「水面下で必死に足をもがいている」様子というのは、1000年以上前から日本人がもっているイメージなのかもしれません。
今日のまとめ
①「見えないところで努力している」という意味の「鴨の水かき」という言葉はことわざにもあり、宮本百合子の戦前の著作にも見える。
②光圀作とされる「見ればただなんの苦もなき水鳥の足に暇なきわが思いかな」が、同じ状況の歌として有名であり、この逸話は講談などを通して広まっている。ただ、光圀作という話は疑わしく、19世紀初頭に光圀の講談と共に作られたものではないか、と個人的には推測する。
③『拾遺集』にも同じように、水鳥が絶え間なく足を動かしている様子を詠んだ歌があり、日本人のイメージとして定着しているものとかんがえられる。ただし、そこには「努力」というイメージはない。
思いもかけず、はるか昔にまで初出がさかのぼれたことが今回面白かったです。しかしもちろん、白鳥のイメージにおきかえて、ここまで広まったのは、やはり梶原一騎のセンスによるものでしょう。重いコンダーラとかちゃぶ台返しとか、今回の「見えざる努力の美徳」とか、戦後日本のイメージを形作ったのは梶原先生だったのかもしれません。
*1:たとえばwikipediaの記述。
ちなみに、「優雅に泳ぐ白鳥も水面下では激しく足を動かしている」というフレーズが、漫画『巨人の星』の作中で登場人物の台詞として語られたことから有名になっているが、これは原作者の梶原一騎による創作であり、実際にはそれほど激しく足を動かしているわけではない。
*2:日本書紀などに出てくる「鵠(くぐい)」はハクチョウではないか、という説があります。コウノトリ説もあり。
第28話 鵠(くぐい)は、白鳥かコウノトリか。: 但馬二千年桂
*3:
「ただ見れば」としているブログなんかもありますが、後述する新渡戸稲造の全集では、「見ればただ」が正しいようです。
たとえば
*4:
*5:
また、百合子は「やすむ間もなき鴨の水かきとよみました」としているので、「やすむ間もなき鴨の水かき」という言葉が入った歌なのではないのか、という疑問もわきますが、私は見つけられませんでした。もしあったら教えてください