ネットロアをめぐる冒険

ネットにちらばる都市伝説=ネットロアを、できるかぎり解決していきます。

ブルーギルが日本に広まったことについての憶測について、Wikipediaを侮るな

f:id:ibenzo:20170611002942p:plain

 

ときどき私は自分のブログのエゴサーチをかけて、一喜一憂したりすることもあるんですが、時折、「これネットロアさんで調べてくれないかなあ」みたいなツイートなんかに出くわす時もあります。たいていはあまりにも難しかったり、自分に興味がなくて調べずじまいなんですが(すいません)、今回は調べられそうだなあと思って、調べてみました。

 

ブルーギルという特定外来生物がいるのですが、それが日本に広まったのを畏れ多くも天皇陛下の責任だと朝日やその記者の本田勝一がデマを流したというようなオハナシです。

 

天皇陛下が広めたというのは、朝日新聞と本田勝一によるねつ造で、実際には琵琶湖や鹿児島の水産試験場などがブルーギルを求めて宮内庁に請求し、皇室は環境への被害を恐れて断っていることが記録に残っています。
その上で要求を重ね、絶対に外部に出さないと言って貰い受けたブルーギルが結局流出して各地で広まったという流れです。

現在国内で繁殖しているブルーギルは、全て天皇陛下がアメリカから持ち帰っ... - Yahoo!知恵袋

 

元ネタは別のツイートなんですが*1、言っていることはほとんど一緒です。4000RTほど獲得していますが、返信を見ると、そのソースはなんなのかみたいなコメントが結構ついています。

 

ということで、今日はその検証です。

 

 

***

 

ブルーギルはどのように広まったのか

ブルーギルがどのようにして日本に広まったのか、ということについて、現在存在する研究の中で一番詳しいのは、渡邊洋之の2013年の以下の論文です。

 

ci.nii.ac.jp

 

正直、これを読めば、本記事は不必要なぐらい、きちんと先行研究を網羅し、かつ不足部分を補充している内容です。が、私も国会図書館から取り寄せたぐらいで、なかなか読めないとは思いますので、簡単に上記論文の概略を図にしてみました。

 

blue

*クリックで拡大。スマホの方は見づらくてごめんなさい。

 

1960年10月に、皇太子(当時)殿下に、日米修好100周年を記念して、4種の魚がシカゴの水族館から贈られました。その中に18尾*2のブルーギルがいたんですね(あと3種はなんだろう)。これを「皇太子の希望により」、今の東京都日野市にある水産庁淡水区水産研究所(以下、淡水研)で飼育されることになり、1962年までに3000尾まで繁殖したんだとか*3

 

その後、1962年~1964年にかけて、滋賀水産試験場(以下、滋賀水試)に分与、1964年2月には大阪府淡水魚試験場(以下、大阪淡水試)にも「幼魚千数百匹」を分与。

 

滋賀水試は主にイケチョウガイの人工増殖の実験にブルーギルを用いました。イケチョウガイは魚類のエラやヒレに寄生し、淡水真珠の養殖母貝として人工増殖を考えると、ブルーギルはその寄主として、実験の結果、最適だったということ*4。なので、滋賀水試は1968年に、滋賀県真珠母貝漁業協同組合と協同で人工養殖事業を行っていたため、各漁業協同組合にブルーギルを提供しています。しかしながら、網いけすで養殖していたブルーギルを湖中へ逃がすことがかなりあったようで、このときにかなり散逸していることを、滋賀水試自身が推測しています。

 

大阪淡水試は、1970年度までに26都道府県にブルーギルを配布。当時は食用養殖魚としての期待もあり、休耕水田を用いての成魚養成試験や、ため池での養成試験を行っていました。ただ、水試の報告によれば、自然水域への流出を考えると水田での養殖は好ましくないとのこと*5

 

また、淡水研も東洋レーヨン株式会社と協力して、釣魚としてのブルーギル研究を行っています。東レは合成繊維メーカーですが、釣り糸などの釣具メーカーでもあります。1966年の静岡県一碧湖への放流はそれと関係するものでしょう。ちなみに、自然水域への放流はこの一碧湖が初めてです。1968年7月26日には、東レは伊東市と共催、淡水研が後援で、試釣会を開いています。ただ、ブルーギルの釣魚としての評価は厳しいものがあったということ。

 

渡邊は、元来の研究で触れられなかった、釣り人たちの放流についても言及しています。『釣の友』誌によれば、1969年~1972年にかけて、ブルーギルが4回にわたってダム湖や池、淀川などに放流されたことが掲載されています*6

 

三重大学の河村功一は、遺伝学的にブルーギルの由来を調べ*7、現在日本に生息するブルーギルは、やはり当時の皇太子殿下が受け取ったブルーギル由来であろうという結論をしています。特に遺伝的多様性は琵琶湖由来のものが多いが、分布拡大中心は琵琶湖だけではなく複数地点存在する可能性が高いとのこと。

 

以上の調査により、渡邊は、琵琶湖からの逃逸の他にも、各種水産試験場*8や釣り人による野外への放流や逸出などが、1960年代から1970年代前半にかけて行われたことを明らかにしました。

 

ということなので、事実という点においても、「天皇陛下がブルーギルを広げた」というのは正確ではなく、「陛下が持ち帰ったブルーギルが、各水産試験場などへ食用や真珠養殖目的で供与され、それが各都道府県の湖沼河川に流出していった」ということでしょう。

 

朝日新聞のブルーギルの伝え方

では、ネット上にある「天皇陛下が広めた」というデマを朝日新聞や本多勝一が広めたという点はどうでしょうか。

 

朝日新聞で、初めて「ブルーギル」の名前が登場するのは1968年7月26日。先述した、東レ主催による試釣会の記事です。タイトルは「つれた!つれた!アメリカ生れのブルーギル」ということで、釣り上げている男性の写真が掲載されています。

 

アメリカ生れの釣魚「ブルーギル」のためし釣り大会が二十六日朝六時から、静岡県伊東市吉田の一碧湖で行われた。ブルーギルは三十五年渡米した皇太子さまが、シカゴの水族館から贈られたもの。二年前、同湖で養殖をはじめ、二十万匹以上にふえたので、九月解禁前に各地のベテランを招いてこの催しとなった。(後略)

朝日 1968年7月26日 東京 夕刊 P3

 

 

まあ確かに、これだけの文だと、水族館から贈られた皇太子殿下が一碧湖で養殖をはじめた、ととれなくもありません。

 

しかしながら、この短い記事以降、「ブルーギル」の名前はぱったり出なくなります。次に出てくるのは1980年代後半。環境庁の河川湖沼の調査結果を踏まえての報道です。

 

全国主要107河川でもブラックバスが8河川から33河川に、ブルーギルが13から20の川にと急速に広がり(以下略)

朝日 1988年5月8日 朝刊 P30

特に、ブルーギルの由来についての話は出てきていません。

 

1991年には、地方面ではありますが、ブルーギルの用語説明を載せています。

 

バス科で北米原産。ブラックバスのえさとして人為的に放流されたと見られている*9。茨城県内水産試験場によると、県内の湖沼では、えさになるフナなどの小魚が豊富で、ブラックバスに捕食されるブルーギルの割合は少ないという。

朝日 1991年12月8日 朝刊 茨城

 

ということで、ここでは天皇陛下云々の話は出てきません。90年代は、河川や皇居のお堀にブルーギルが増殖しているとして話題になっていますが、天皇陛下云々の話にはなっていません。

 

ブルーギル(同二〇ー二五㌢)は六〇年にシカゴ市から贈られ、大阪府淡水魚試験場などで養殖された。

朝日 1992年7月2日 東京 朝刊 30P

 

代表的な外来魚種で肉食性のブルーギルとオオクチバス(ブラックバス)が生息域を広げていた。

朝日 1994年5月18日 朝刊 23P

 

前回紹介したオオクチバスに近い仲間で、こちらは一九六〇年にアメリカのシカゴ市水族館から当時の皇太子殿下に贈呈されたものが、試験的に伊豆の一碧湖に放流され、やがて急速に全国に広まってしまったものです。

朝日 1997年1月25日 朝刊 山梨

 

皇居の外堀で、外来種の淡水魚ブルーギルが爆発的に繁殖していることが環境庁の魚類生息調査でわかった。

朝日 1999年8月28日 夕刊 18P

 

2001年11月9日の特集では、皇居外苑からブラックバスやブルーギルを駆除することについて記事にしており、詳しい年表を載せています。

 

60 日米修好百年記念式典で訪米した皇太子殿下にシカゴ市長からブルーギルが贈られた

63 淡水真珠の幼生の宿主として養殖業者などにブルーギル配布

68 琵琶湖でブルーギル初確認

70~ ルアー・フィッシングの第1次ブーム。バスとギルが千葉県・雄蛇ガ池、群馬県・大塩貯水池、兵庫県・東条湖などに密放流される。

朝日 2001年11月9日 夕刊 P16

 

この年表は、先行研究がまだ乏しかった当時にしては、よく調べているものだと思われます*10

 

なので、朝日新聞でブルーギルという用語が出てくるときは、全く説明がされないか、されていても、「天皇陛下が広めた」という内容では出てきてはいないと思われます。

 

ただ一点、誤解しそうな表現があったとすれば、2007年11月13日の天声人語。陛下自身が、自身が持ち帰ったブルーギルについて初めて言及されたお言葉があり*11、それを受けてのものです。

 

ブルーギルは1960年、皇太子時代の天皇陛下が訪米時に贈られ、持ち帰った。養殖の研究をしているうちに、各地に広まったらしい。

2007年11月13日 朝刊 P1

 

これだけさらりと読むと、「(皇太子が)養殖の研究をしているうちに」と、確かに誤読する可能性もあります。少々不親切な書き方ではあるとは思いますが、果たしてこれひとつで「朝日新聞がデマを広めた」とまで言っていいかは微妙なところです。

 

本多勝一はどう伝えたか

本多勝一というジャーナリストを私はあんまり知らないのですが、皇室関係への発言やら慰安婦やらで、敵がかなり多そうな人ですね。

 

彼のブルーギルの発言の初出は、1992年1月3日ー10日号の朝日ジャーナルの「貧困なる精神」という連載です*12。この号の前まで、ブラックバスなどの外来種問題について論じた後(基本的に本多は外来種根絶派です)、「天皇陛下への直訴状」というタイトルで、ブルーギルの由来について、朝日ラルースの『世界動物百科』第149号から引用しています。

 

日本への移植は、一九六〇年一〇月皇太子殿下が、アメリカ旅行からご帰国のおりに一七匹をもち帰られ、淡水区水産研究所へ下賜されたものが最初である。それが多数繁殖したので、国内各地の水産試験場などへ配布し、一部は静岡県の一碧湖などの湖にも放流されて繁殖している。

朝日ジャーナル 1992年1月3日ー10日号 P89

 

そして、そのブルーギルなどの外来種問題を「直訴状」として、後半に書いています。

 

(前略)その中の一項目に、陛下が三〇余りまえ北米合衆国から一七匹お持ち帰りになったブルーギルがあるのです。

 もちろん当時は、三〇年後にまさかこんな事態になることなど、魚類にくわしい陛下といえどもご存知なかったと思われます。ご予想をはるかに超えた事態に相違ありますまい。(中略)日本においても陛下が何らかのかたちでお力ぞえをいただけるなら、わが「みずほの国」の保全にとってどれほど大きな励ましとなることでしょう。

前掲 P89

 

本多は基本的には放流したのは各種水産試験場だとわかった上で、天皇陛下の「お力ぞえ」を頼んでいます。本多の本心がどこにあるかはよくわかりませんが、少なくとも直接的な形で「天皇陛下がブルーギルを広めた」という書き方をしているわけではなさそうです*13

 

今日のまとめ

①ブルーギルは天皇陛下がアメリカから贈られたもので、各水産試験場などへ食用や真珠養殖目的で供与され、それが各都道府県の湖沼河川に流出していった。

②朝日新聞は、誤解されるような表現が多少あったかもしれないが、「天皇陛下がブルーギルを広めた」という書き方はしていない。

③本多勝一も、直接的に「天皇陛下が広めた」とは書いておらず、ブルーギルが広まった経緯も自身は承知しているものと考えられる。

 

ひとつ見つけられなかったのが、「皇室が水産試験場への供与をためらっていた」というような箇所です。渡邊がなんの資料を参考にしたかは不明ですが、少なくとも淡水研への下賜は「皇太子の希望」でありましたし、そこから先の用途については皇室が関与することではないと思われますので、そういう記録があるんだという方は、教えてください。

 

一応付け加えると、私は本多や朝日新聞を擁護するわけではありません。特に、本多はこの外来種問題を、民族問題と結びつけて考えている辺りが、あまり私は好きになれません。『家栽の人』という漫画に、植物好きの桑田判事という主人公がいるのですが、彼が、ウーマンリブの弁護士に語る場面があります。

 

桑田が、セイヨウタンポポが在来種のカントウタンポポを駆逐していているという話に、ウーマンリブの弁護士は、「へえ、じゃあこっち(カントウタンポポ)が純血種で、庭のは侵略種なのね」と答えます。しかし、それに対して桑田は反駁します。

 

いや、彼らはただ一所懸命生きているだけですよ/

運んできたのは人間です。ずうずうしく生きていくセイヨウタンポポも、

負けそうなカントウタンポポも同じ生命です。

どちらも可愛いでしょう。

『家栽の人⑤』P129

 

人間の問題と他の生き物の問題をいっしょくたに語るのは、それこそ傲慢な考え方だと思います。

 

さて、実は今回のブルーギルの話、Wikipediaを参照しながら書きました。

 

ブルーギル - Wikipedia

 

引用した資料などは、Wikipediaを参考にしたものが多いです。いろいろと真偽という点において評判の悪いWikipediaですが、最近は項目によっては、なかなか参考になることが多いです。特に、資料に当たりたい時、Wikipediaの脚注は役に立ちます。みなさん侮らないでくださいね。

 

 

*1:なにやらプロフィール欄に転載有料の旨が書いてあったので、びびってリンクをはるのはやめました

*2:この数は研究によってぶれがあります。後述の河村は「17尾」としています。本稿では渡邊の数を採用しました

*3:渡邊 2013 P171

*4:前掲 P171

*5:前掲 P174

*6:前掲 P176

ただ渡邊は、『釣の友』主幹の山下修三が、ブルーギルが在来魚を食害していないという研究の報告を引用しており、彼らにとってブルーギル放流は「「無秩序放流」という意識はなかったのではないか」としています

*7:

「琵琶湖のブルーギルの由来と分布拡大」

http://www.pref.shiga.lg.jp/d/biwako-kankyo/lberi/03yomu/03-01kankoubutsu/kogan-kenkyukai/files/4-kawamura.pdf

*8:とはいえ、さすがに水産試験場自身は、ため池やダム湖など、自然水域へ出ないような放流が多いですが、やはり散逸は免れないでしょう

*9:渡邊はこの事実に関しては調べ切れなかったとしています

*10:ただ、70年代の密放流については事実かどうかは微妙な部分です

*11:

外来魚の中のブルーギルは50年近く前,私が米国より持ち帰り,水産庁の研究所に寄贈したものであり,当初,食用魚としての期待が大きく,養殖が開始されましたが,今,このような結果になったことに心を痛めています。

主な式典におけるおことば(平成19年):天皇陛下のおことば - 宮内庁

 

*12:その後、

 

メダカ社会論序説 日本人の行動原理 (貧困なる精神)

メダカ社会論序説 日本人の行動原理 (貧困なる精神)

 

 

日本環境報告 (朝日文庫)

日本環境報告 (朝日文庫)

 

などに掲載。文章はその掲載誌もすべて変わっていません

*13:一応、『日本環境報告』と『貧困なる精神H』は目を通しましたが、他に本多がブルーギルの発言をしているかもしれない、という可能性は残しておきます