ネットロアをめぐる冒険

ネットにちらばる都市伝説=ネットロアを、できるかぎり解決していきます。

水は2回沸騰させてはいけないのか、「科学者」以前の彼らのように

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先日、こんな記事が話題になっていました。

www.imishin.jp

同じ水を何度も沸騰させることで「酸素の構造が変化し」「ヒ素や硝酸塩フッ化物などの危険性のあるガスや毒性物質が生じる可能性」が出てくるんだとか。

この荒唐無稽な話に、ネット上では「核分裂かな?」「水素水に続いて…」といったような反応が見られましたが、まあ確かに、といったところです。

 

しかしながら、「再沸騰はしないほうがいい」という話は、そういえば昔母親から聞いたことがあるなあという気もします。今回は記事の信憑性の検証と、そもそものネタ元の検証について行いたいかと思います。

 

***

 

 海外の記事との差異

今回のネタ元として取り上げた「ちえとく」さんの記事は、どうやら海外の記事を翻訳(意訳)したもののようで、「酸素の構造が変化」という文にリンクがのっけられています。

www.totalsoftwater.com

「total soft water」というサイトの2015年12月9日の記事です。上記記事において言われていることは5つ。

①酸素が蒸発することでお茶を飲むときの風味が落ちる。

②沸騰を繰り返すことで、ヒ素やフッ化物、硝酸塩の濃度が上がる。

③石灰質の過度の摂取が、関節炎や胆石などを引き起こす可能性がある。

④やかんの錆が水に溶け出す。

⑤精製水は何度でも沸騰してよい。

 

残念ながら、どこにも「酸素の構造が変化」して、「ヒ素や硝酸塩、フッ化物などの危険性のあるガスや毒性物質が生じる」とは書いていません。可能性があるとするならば、「reboiled water can actually alter the chemical compound for the worst.」の部分でしょうか。「再沸騰させた水は実際化合物を最悪のものに変えてしまう」と読めます。しかし、そのすぐ次の文で「arsenic, flouride and nitrates」のような化合物の濃度を上げる、とあるので、「alter」は、「化学変化」という意味で使っているわけではないのでしょう。

 

いずれにせよ、英語記事の流れとしては、再沸騰することで水の中に予め存在するヒ素などの化学物質の濃度を上げてしまうからよくないよ、というものなので、「酸素の構造が変化」とか、そういう話ではなさそうです。誤訳も誤訳ですな。

 

ついでに、「total soft water」は浄水器の販売会社のようで*1、自身の製品を売り込むための記事にも見えます。

 

ヒ素の濃度は再沸騰で高くなるのか

実際、この「再沸騰の水はよくない」という話は、この記事が出る前からも各所で言われていたようで、英語版デマ検証サイトのsnopesにも取り上げられていました。2015年11月12日の記事です。

 

www.snopes.com

 

snopesは、この話を「UNPROVEN」として、科学的に証明されていないことだと結論付けています。

 

たとえば、再沸騰をすることで、ヒ素等の濃度があがるのかということについては、「どの程度濃度があがるかの検証が存在しない」*2とするとともに、「再沸騰させた水」という定義についても、「それは冷蔵庫で保存された後のものなのか、どれぐらいの期間放置した後のものなのか」などといった部分に何ら言及しておらず、検証に必要な前提条件が欠落していると指摘しています*3

 

ちなみに、水に限らず、様々な食品には微量のヒ素が溶け出しています*4。ミネラルウォーターに関してですが、ヒ素除去に関する研究もありました。

 

「飲料水中の一時硬度の析出に伴うヒ素の除去」

http://researchmap.jp/?action=cv_download_main&upload_id=53779

 

上記研究によれば、硬度や炭酸水素イオン濃度が、ヒ素の除去率と関係しているようだという結論になっています。しかし、実験の過程で「沸騰水浴上で15分間加熱し」「析出した不溶物をろ紙5種Cでろ過した」とあるので、硬度や炭酸水素イオン濃度の関係で、逆に沸騰させることがヒ素除去につながる可能性もあります(ろ過は必要ですが)。

 

お茶の味は再沸騰で変わるのか

お茶の味に関しては、再沸騰させると「酸素濃度」の含有量が減るのでやめたほうがいい、という部分についてはどうでしょうか。

 

これに関しても、snopesは「1回目も2回目も酸素濃度に変化はない」という話の引用をしています*5。そもそも、一度沸騰させた時点で、酸素の溶解度は限りなくゼロに近くなるそうです*6

 

ちなみにお茶と酸素濃度の関係については、日本の研究で以下があります。

 

「異なる温度のお湯を淹れた紅茶内の酸素濃度変化について 」

https://repository.exst.jaxa.jp/dspace/bitstream/a-is/18977/1/62080026.pdf

 

NHKの依頼でやったやつみたいなんですが、5分間沸騰させてしまうと、ほぼ無酸素状態になることがわかります。つまり、1回だろうが2回だろうが、沸騰させた時点で酸素濃度は限りなく低くなるということでしょう。沸騰する前のお湯を使うことに意味はあるかと思いますが、再沸騰かどうかは、現在そろう研究の中ではあまり関係がないかと思われます。

 

「水を沸かし直してはいけない」話の初出

しかしながら、この「水の再沸騰はよくない」という話は、どうも昔からあるようです。

www.growinghappiness.com

たとえば上記の記事は2008年6月11日のものですが、「slightly nervous」にさせた話として、同僚である「tea lady」から、「水を沸かしなおすなんてあんたどうかしてんの!」と怒られたという話を披露しています。しかし彼女はその理由については「I wasn’t supposed to」つまり「やっちゃいけないんだって」と繰り返すばかり。他の同僚に尋ねてみても、「身体によくないからやっちゃだめなんだよ」ということしか返ってこない。いろいろな人に聞いても「何回も沸かしなおしちゃいけない」という話は知っていても、その理由については誰もよく知らなかった、という話です*7。これはどうやら記事執筆より5年前の話なので、今から十年以上前から、この「沸かし直しはいけない」という話はあり、しかも色々な人が知っていた、ということになります、

 

インターネット上で発見できる最古の「沸かし直しはいけない」は、1998年。

articles.sun-sentinel.com

正確に言うと「Overcook」なので、「沸かしすぎはいけない」なんですが、まあ複数回行うことが同じ結果になるとするならば、この記事がもっとも古いものになるでしょうか。この記事では、先ほどと同じ、酸素の濃度の話から、お茶の味の風味を保つために、という説を疲労しています。

 

要するに、「水の再沸騰」に関しては、おばあちゃんの知恵袋的な感じで、昔から言い伝えられてきているようです。しかし、初めのころに出てくるのは、「お茶の味」に関わるという話になります。

 

たとえば、『小笠原武田逸見三流一派新式礼法』という、1914年に出版された本の中にも、茶道に関することで、その話は出てきます。

 

仮令(たとい)茶に適したる水とても、一応沸騰したるものはいけない、必ず「生水」其儘を鉄瓶に入れ少々時間は立つとも、それを沸かしたるものが佳良で(後略)*8

 

もっと時代を遡るならば、お茶の開闢的書物としてある陸羽の『茶経』(8世紀)にも、水の沸かし方について細かい指示があるようです。原典をあたってみたのですが、恐らくこの部分かと。

 

其沸如鱼目,微有声为一沸,缘边如涌泉连珠为二沸,腾波鼓浪为三沸,已上水老不可食也。

 

このサイトによると、訳としては「その沸きかげんは、魚の目のようで、微かな声がするのを、一沸とする。縁辺に湧泉の連なる珠のようなのを、二沸とする。波が騰がり浪をうつのを、三沸とする。これ以上は、水が老けて、飲んではいけない。」となり、「沸かしすぎがよくない」という話になっています。

 

 

要するに、「水を沸かし直してはいけない」「沸かしすぎてはいけない」という話は、お茶の味という分野に絡んで、千年以上前から伝えられ、世界中で受け継がれている話だということになります。その「いけない」という部分だけが我々の記憶に残り、それが現代科学の知識と混ざり合って、今回のような話が流布するような形になったのではないでしょうか。

 

今日のまとめ

①ネタ元の「ちえとく」の記事は英語の翻訳であり、「酸素構造が変化」というような「化学変化を起こしている」という内容は誤訳である

②ヒ素の濃度が再沸騰することで上昇するかという研究は存在しない

③同じく、酸素濃度は一度の沸騰でゼロに近くなるので、再沸騰と濃度については関係がないと思われる。

④「茶の味」に関して、「沸かしなおす」「沸か騰し続ける」ことはよくないと、8世紀ごろから言われていることであり、ヒ素などの話は現代の科学的知識とそれが結びついた話だろう。

 

基本的に科学は「客観的」事実として、「正しい」ものとされます。それは現代社会に生きる私は否定はしません。しかしながら、「科学」という言葉ほど、色々なアヤシイ話に使われることもまた事実だと思います。ひとつひとつの「知識」が正しくても、「現象」と「知識」が相関するかどうかはわからないからです。そして厄介なことに、この「科学」は、現代においては専門化されすぎて、「客観的」判断が自身の手で行いづらいために、「水素水」のような手合いがいつまでもはびこることになるんでしょう。

 

「scientist」という言葉が生まれたのは1833年だそうです*9。つまり、ガリレオやニュートンは「科学者」ではなかったことになります。しかしながら、その数々の発見は、今までの「知識」に頼ることのない部分から生まれました。もう少し我々は「知識」にのまれず、「科学者」以前の彼らがしたように、自身の五感をがんばって使ってあげたいところです。

 

 

 

 

*1:http://www.totalsoftwater.com/

*2:More important, neither article presented evidence indicating that arsenic and nitrate concentrations increased (much less to a dangerous level) when water was boiled more than once

*3:The warning additionally lacked the context of a cycle of water use, leaving readers scratching their heads as to when previously boiled water might magically be rendered safe to boil again. Is it safe for reboiling after it has been refrigerated? After it has been allowed to sit undisturbed for a specified period of time?

*4:農林水産省/食品中のヒ素に関するQ&A

*5:The dissolved oxygen hypothesis rests on two premises: (1) that once-boiled water contains more dissolved oxygen than twice-boiled water; (2) that dissolved oxygen improves the flavor of tea. Both premises are demonstrably false

*6:Air Solubility in Water

*7:この記事は結論として、先ほどの酸素濃度の話をあげているのですが、うーん、前述したとおりそこまで関係があるのか微妙です

*8:小笠原武田逸見三流一派新式礼法』八雲香堂(大正3年)P44

近代デジタルライブラリー - 小笠原武田逸見三流一派新式礼法

*9:「科学」の語源と「楽知ん」

http://www.luctin.org/sengen/gogen/gogen.html