ネットロアをめぐる冒険

ネットにちらばる都市伝説=ネットロアを、できるかぎり解決していきます。

バッハ会長は「犠牲が必要だ」と言ったのか

今日は短め、オリンピック関係。

 バッハ会長のこんな発言が怒りを買ってます。

 

国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が22日の一部報道で、国際ホッケー連盟のオンライン総会で「五輪の夢を実現するために誰もがいくらかの犠牲を払わないといけない」と発言。

五輪のために日本は、東京は犠牲を払うべきなのか IOCバッハ会長の発言に反発相次ぐ 「今までで一番悪質」(中日スポーツ) - Yahoo!ニュース

 

みなさん切り取りはお嫌いなはずなので、全文がないかなあと探してみました。結論としては、全文は(いまのところ)見つけられないのですが、「バッハ会長の『犠牲』のニュアンスは違うかも」というような曖昧なオハナシです。一応、オリンピック擁護の記事ではございません。

 

【目次】

 

 

「誰もが犠牲を払う」なのか?

この発言は、第47回の国際ホッケー連盟の総会で流れたそうです。公式サイトにもバッハ会長の名前が出てきています。

 

なぜかというと、国際ホッケー連盟の総会では、毎年「President’s Award」ということで、ホッケー界に貢献した人に賞を与えている*1そうで、バッハ会長は「平和と友情(Peace and Friendship)」(!)の栄誉をもらったのだとか。

 

There was also a special honour for Dr Thomas Bach, the President of the International Olympic Committee (IOC), who was the recipient of the FIH President’s Award for Peace and Friendship.

また、国際オリンピック委員会(IOC)会長のトーマス・バッハ博士が、FIH会長賞(平和と友情)を受賞するという特別な栄誉もありました。

Dr Narinder Dhruv Batra re-elected President at 47th FIH Congress | FIH

 

公式では、バッハ会長の東京オリンピックへのメッセージはどうやら別に録音(録画)されていたものだったことが書かれており、「暗いトンネルの終わり(the light at the end of a very dark tunnel)」の発言しか載っていません。

 

「犠牲」云々の初報がどこかは少々微妙なのですが、Times of Indiaなのかなあという感じです*2

 

The IOC chief said everyone has to make some sacrifices to fulfil their Olympic dreams.
"We have to make some sacrifices to make this possible. The athletes definitely can make their Olympic dreams come true," Bach said.

IOCの会長は、オリンピックの夢を叶えるためには、誰もが多少の犠牲を払わなければならないと語りました。
「これを可能にするためには、我々はいくつかの犠牲を払わなければなりません。選手たちは間違いなくオリンピックの夢を叶えることができる」とバッハ氏は言いました。

Tokyo Olympics on schedule, says IOC chief Thomas Bach despite Japanese opposition | Tokyo Olympics News - Times of India

 

 注意したいのは、盛んに引用されている「オリンピックの夢を叶えるためには、誰もが多少の犠牲を払わなければならない」という文は、インド紙の地の文であり、バッハ会長の発言としては「我々は~犠牲を払わなければならない」と、「We」が主語になっているということです。この「誰もが~」は、あくまでインド紙側の見解であることは、気をつけた方がいいでしょう。

 

「我々」は誰か

では、この「我々」は誰を指すのかが気になるところです。

 

動画やら演説やらの全部が手に入ればよかったのですが、探した限りでは出てこなかったので、過去のバッハ会長の発言で「犠牲(Sacrifice)」がどのような文脈で使われていたかを探ってみます。

 

まず、2020年3月25日、東京オリンピックの延期が決まったあとのIOCの公式の記事です。そもそもタイトルが「"Sacrifices and compromises"(犠牲と妥協)」。

 

The postponed Olympic Games Tokyo 2020 "will need sacrifices and will need compromises by all the stakeholders" involved, International Olympic Committee President Thomas Bach said Wednesday (25 March), before adding that he was "confident that we can put the beautiful jigsaw puzzle together and will in the end have a wonderful Olympic Games."

国際オリンピック委員会のトーマス・バッハ会長は、3月25日(水)、延期された東京2020オリンピックには「すべての関係者による犠牲と妥協が必要になる」と述べた上で、「美しいジグソーパズルを組み立てることができ、最終的には素晴らしいオリンピックを開催することができると確信している」と付け加えました。

Tokyo 2020: "Sacrifices and compromises" needed, says IOC President Bach

 

「stakeholders」は「利害関係者」といったところでしょう。会長の後の発言を参考にするなら、その中には、「NOC(国内オリンピック委員会)、アスリート、パートナー、組織委員会( the NOCs, athletes, partners, and the Organising Committee)」が含まれるようです。

 

次に出てくるのは、2021年1月22日。オリンピック中止の報道に関する反対意見です。バッハ会長は、「アスリート」「コーチ」「役員」「審判」「VIP」「メディアや放送局」*3など、数多くの関係者が関わる大会を成功させるためには「根本的な変化(radical changes)」が必要になることを述べ、次のように続けています。

 

“You may not like it but sacrifices will be needed, “ Bach said. “This is why I’m saying, safety first, and no taboo in the discussion to ensure safety.”

「気に入らないかもしれませんが、犠牲は必要です」とバッハ氏は言った。「だからこそ私は、安全第一、安全を確保するための議論にタブーはない、と言っているのです」

Amid cancellation talk, Tokyo Olympics `focused on hosting'

 

この「犠牲」については、その前のパラグラフ*4や、「アスリート」や「メディア」を挙げる発言を鑑みるに、無観客試合のような、開催形式の「根本的な変化」について述べているように思われます。

 

これは、例えば他の配信記事*5を見ても、「関係者の命を守るために「柔軟」でなければならない*6」として「犠牲が必要」と述べ、観客を減らすことを述べているので、おおよそ大会運営に関する関係者の「犠牲」と捉えた方が妥当でしょう。

 

また、3月20日のロイターではこう述べています。

 

Bach said he shared the disappointment of Olympic fans as well as the families and friends of athletes who had planned to travel to Tokyo.

“For this I’m truly sorry. We know that this is a great sacrifice for everybody. We have said from the very beginning of this pandemic that it will require sacrifices,” Bach said in a statement.

バッハ氏は、オリンピックファンや、東京への渡航を予定していた選手の家族や友人たちの失望を共有していると述べました。

「このことについては、本当に申し訳なく思っています。皆さんにとって大きな犠牲を強いられていることは承知しています。私たちは、このパンデミックが始まった当初から、犠牲が必要だと言ってきました」とバッハは声明で述べています。

International spectators to be barred from Olympics in Japan | ロイター

 

ここでの「犠牲」は「アスリートの家族や友人」、「ファン」への失望について触れています。また、「当初から(from the very beginning of this pandemic)」という発言が字義通りとすると、彼が「犠牲(Sacrifice)」と口にするとき、その主語は基本的には大会関係者に限定されている、と考えた方が素直ではないかと思います。

 

今日のまとめ

①インド各紙の記事が初出のようであり、バッハ会長の発言は、「誰もがいくらかの犠牲を払わないといけない」ではなく、正確には「我々はいくらかの犠牲を払わなければならない」であり、主語が違う。

②過去の「犠牲」に関する発言を鑑みるに、バッハ会長の言う「我々」は、アスリートやコーチ、メディア、組織委員会といった大会の直接の関係者を指すと思われる。

 

とまあ、こう書くと「んなこたわーてるよ」というお声が飛んできそうで恐縮しきりです。それを踏まえた上でも、開催を強行しようとするIOCに非難があるのは当然と言えば当然でしょう。

 

ただ、当ブログの主旨は、「なるべく正しい情報」に基づいた上での非難や指摘でございますので、皆様におかれましては、あまりメディアの強めの引用に流されすぎず*7、曇りなき眼でいろいろ見定めてもらうための一助となれば幸いです。メディアにおきましては、バッハ会長の発言の全文について触れていただけますとうれしいです。

 

 

*1:

Honorary Awards | FIH

ちょっとわからなかったのが、バッハ会長の名前は上記リンクに「2018」の項で出てくるので、もしかすると賞をもらったのは前の話だったか、二回目もらったのか、そこら辺が微妙でした

*2:

なぜインドなのかというと、中日スポーツも触れていますが、インドはホッケー強国であり、協会の会長にインドのNarinder Dhruv Batra氏が再選されたからでしょう

*3:11,000 athletes and tens of thousands of coaches, officials, judges, VIPS, media and broadcasters.

*4:

The Switzerland-based IOC gets 73% of its income from selling broadcast rights and has seen its main revenue source stalled by the Olympic postponement. A largely TV-only event would suit the IOC better than a cancellation.

スイスに本拠地を置くIOCは、収入の73%を放送権の販売から得ており、オリンピックの延期によってその主な収入源が滞っている。IOCにとっては、開催中止よりも、大部分がテレビ放映のみのイベントの方が好都合なのだ。

Amid cancellation talk, Tokyo Olympics `focused on hosting'

*5:

IOC's Bach says Tokyo Olympics will be held, "no plan B"

*6:to be "flexible" to protect the lives of the people involved

*7:

ちなみに、今回のバッハ氏の発言については主要紙はほとんど触れず、

五輪のために日本は、東京は犠牲を払うべきなのか IOCバッハ会長の発言に反発相次ぐ 「今までで一番悪質」:中日スポーツ・東京中日スポーツ

バッハ会長も五輪予定通り開催強調「最後のカウントダウン」コーツ氏発言を“後押し”(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース

といったメディアであることも、まあ、気に留めておいてもよいでしょう。主要紙だからといっていいとは限りませんけども、多様性という点でね...