お久しぶりです。名古屋市長のメダル噛みがなかなかにぎわっておりますが*1、シドニー五輪の高橋尚子氏の金メダルの写真を出して、「若い子はこの行為を知らないんじゃなかろうか」みたいなツイートを目にしました*2。
読みようによっては、高橋尚子氏からメダル噛みが始まったようにも読めるんですが、そういえば最初にメダルを噛んだのは誰だろうと調べてみると、こんなサイトが引っかかります。
最初に誰がメダルを噛んだか、説はいくつかあるが、最初にメディアにメダルを噛む写真が出たのは1988年のソウルオリンピックの時という説が有力だ。
男子水泳200メートル自由形で優勝した、オーストラリアのイケメン、ダンカン・ジョン・アームストロング選手。白い歯でがりっとメダルを噛んだ写真についた見出しは「勝利ガリガリ」だった。
ところが、なかなかこの話、まともな検証はネット上にないので、じゃあ調べてみるかと調べてみたら、いや、難しすぎました。「〇〇が最初です!」とは言えないものの、少なくとも「1988年のソウルオリンピック」などという説は簡単に覆せるので、できたところまで書いて残しておきます。
【目次】
1988年より前にある
さて、ソウル五輪より前ということを証明したければ、1988年より前のメダルを齧ってる写真を見つければいいわけです。
Getty imageで、「medal bite」で調べると、おやおや、出てきます。
1つ目は1987年。イギリスのFatima Whitbread というやり投げの選手がローマでの世界陸上競技選手権大会で金メダルを撮った時のもの。
うん、噛んでますね。
2つ目は1985年。アテネで開かれたヨーロッパ室内陸上競技選手権大会の砲丸投げのスイス選手、ウェルナー・ギュンター。
うん、噛んでますね。しかも金メダルではなく銅メダル。
ちなみにギュンターは1986年もマドリードの大会で同じように噛んでいる写真に写っています。
つまり、1988年のソウル五輪が最初というのはまったくのデタラメです。
どこまでさかのぼれるか?
これはなかなか難しい。とりあえず、Newspapers.comで、過去の新聞を遡ることにします。
ひとつは簡単に見つかります。「medal biting」で調べると、1983年8月22日のThe Vancouver Sunが引っかかります*3。
1983年のカラカスで行われたパンアメリカン競技大会において、カナダのPhill Haggertyが金メダルをとったという内容です。
ところが、この検索ではそれ以前がひっかからない。ということは、オリンピックに限らず、メダルが授与されるアスリートの大会の記事をしらみつぶしに見ていけば、どこら辺が元になるかなというのはわかるだろうとは思うのですが、なかなかそれは現実的ではありません。私に無限の時間かお金があればやりますが…
1980年代から?
ということで、ここからは推測をしていきます。
上記の1983年の記事において、「メダルを噛む」という行為に対して、記事内で特別なキャプションはついていません。ということは、この時点で「メダルを嚙む」という行為はある程度認知されていた、と思ってよいでしょう。
試みに1979年のパンアメリカン競技大会の金メダルのロスアンゼルスタイム紙の記事(183件)を見てみましたが、こんな感じの
写真だけで、噛んでいる写真は見つけられませんでした。
なかなか母数が少ないのではっきりとは言えませんが、傾向としてやはり1980年代に入ってから、「メダルを噛む」という写真は増えてくるように思えます。
また、オリンピックのような大きな大会で最初に噛まれたのであれば、もう少し広がっていく気がするので、それ以外の競技大会が初めてであろうという推測もできます。
英語圏では、オリンピック史に詳しいDavid Wallechinskyの言葉がよく取り上げられるのですが、
"It's become an obsession with the photographers," says Wallechinsky, co-author of "The Complete Book of the Olympics." "I think they look at it as an iconic shot, as something that you can probably sell. I don't think it's something the athletes would probably do on their own."
『The Complete Book of the Olympics』の共著者であるWallechinsky氏は、「カメラマンはメダルを噛む絵に夢中になっている」と言います。「彼らは、この写真を象徴的な場面として、売れるものと見ているのだろう。アスリートたちが自分でやることではないと思います」
Why Olympians bite their medals and what they do with them - CNN
というように、始まりはカメラマンの注文だったのではないか、と言っています。たとえばトロフィーにキスをするというのは1970年代にはすでに見られ*4、メダルやらなんやらを口元にもっていくというパフォーマンスの場面を切り取りたい、というカメラマンがいたというのは確かに想像できます。
興味深いのは、アメリカだけでなく、色々な国の選手が80年代にはこのパフォーマンスをしているので、アスリートたちの間では(もしくはその写真家たちの間では)結構広まっていたと思われます。恐らくいろいろな競技大会でカメラマンが注文したポーズが徐々に広まっていき、オリンピックでもって一般にも認知されるようになった、というところなんではないでしょうか。
なぜ日本では1988年なのか
面白いことに、この「ソウル五輪で初めて噛んだ」という説は、日本でしか広まっていません。少なくとも英語圏では「はじまりはわからない」としていることが多く、この話は出てきません。最後に、その理由について書いて終わりにしましょう。
この話の初出は1998年3月19日の読売新聞の夕刊です。なぜ五輪のメダルを噛むのか、という読者の質問に対する回答として記載されています。
1988年のソウル五輪の時に「勝利ガリガリ」という見出しで、水泳の男子二百メートル自由形で優勝した豪州の選手が、メダルをかむ写真が大きく掲載されました。
読売 1998年3月19日 P7
実際の紙面を見られなかったのでどれかわからないんですが、恐らく以下のものでしょうか。
しかし読売は、自身の紙面で「メダルを噛む」写真が掲載されたのは(たぶん)これが最初だとしつつ、「“起源”はソウル五輪以前の可能性もあります」と、慎重に書いています。ちなみに、この写真を配信したロイターやAP通信にも確認をとり、「よく分からない」という返答ももらっています*5。
ところが、この「1988年のソウル五輪」だけが独り歩きし、日本では結局「これが初出」というような雑学がまかり通ることになってしまったのでしょう。ただ、広まるようになったきっかけはもしかするとこの辺りなのかな、とは思いますが。
今日のまとめ
①日本では1988年のソウル五輪が「メダルを嚙む」初出とされる情報が多いが、それ以前にメダルを噛んでいる写真はいろいろ見つかるため、それは有り得ない。
②「メダルを噛む」写真の現在遡れたものは1983年。それ以前からある可能性が高いが、一般的になったのは80年代からと推測する。
③日本で「1988年のソウル五輪」という情報になってしまったのは、読売新聞の1998年の記事が独り歩きしたためと思われる。
説明として「メダルが金であるかどうか確かめるために噛む」というものもありますが、私はかなり眉唾だと思っていて、後付けの理屈ではないかと思われます。
この「誰が最初にメダルを噛んだか」については、意外に情報が少なくて、開拓しがいのある分野です。時間とお金が無限にある人は試してみてください。
*1:
「配慮足りなかった」市長陳謝 金メダルかじりに批判殺到―名古屋:時事ドットコム
*2:
これはおかしくて、メダル噛みはかなりの選手がその後もずっと行っているので、知らないわけはないでしょう。
*3:
正確に言うと、翌23日の訂正記事(選手の名前と写真をとり違えていた)が引っかかるのですが
*4:
例えば、
jan kodes kisses the wimbledon trophy 1973 signed 10x8 photo | eBay
*5:
冒頭のサイトは、ここら辺の情報が変わってしまって、
最初に噛んだジョン・ダンカン・アームストロング選手に、10年後の1998年、ロイター通信とAP通信が何故噛んだか取材したところ「よくわからない」と答えたという。
という、かなりウソを含んだ情報も錬成することになってしまいました。