ネットロアをめぐる冒険

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ブルガリアに独身税は存在したか、グーグル検索で世界を知ろう

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かほく市の独身税に関するニュースで侃侃諤諤しているようですが、私はその中での「ブルガリアの独身税」の話が気になりました。多くの人がソースとしていたのは以下のサイトです。

 

houritsu-madoguchi.com

 

ブルガリアでは過去に「独身税」を導入し失敗したという経緯が書かれているのですが、要点をまとめると以下の通り。

 

①導入時期は1968~1989年。

②ブルガリアでは少子化が進み、労働力不足が懸念されていた。

③収入の5~10%を徴収。

④出生率は2.18→1.86に下がった。

⑤原因としては、税率の高さによる経済的貧困から結婚や出産が遠のいたため。

 

ただ、私は上記記事は、引用される回数の多さのわりに、細かな誤謬もあり(「出率」*1という表記や、出生率を「2.18」とパーセント表記したり)、果たしてそこまで信頼に足る情報源かというところに疑問をもちました。

 

というわけで、果たして本当にブルガリアに「独身税」が存在したのかを調べてみました。かなり骨の折れる検証で、面倒な人は今日のまとめだけ読んでください。

 

***

 

開始時期がわからない

「独身税」は、一般的な英訳では「bachelor tax」になりますが、実はWikipediaの「bachelor tax」にはブルガリアの項が存在しません。お隣りのルーマニアはあるのに。こりゃあ、怪しいと思いますよね。

 

ブルガリア語で「bachelor tax」は「ергенски данък」。発音すらよくわかりませんが、怪しいなあと思いながら検索すると、意外にいっぱい引っかかります。

 

ところが、その税の開始時期はサイトによってまちまちです。

 

現在日本で流通している「1968年」説ももちろんあります。

 

“ергенски данък” е въведен с разпоредбата на чл. 7 от Указа за насърчаване на раждаемостта. Наредбата е обнародвана през 1968 г.

「独身税」は出産促進法の第7条の規定により導入された。この条例は1968年に公布された。

Ергенският данък няма да бъде като добавка към пенсията на самотнитеБЛИЦ - Новини от България и света

 

しかし、開始を「1952年」としている記事もあります。

 

"Pтoвo дyмo зo xepoтo в Бългopия, aeитe в пĸpиeдo мĸждy 1952-po и 1989-тo гeдинo co плoщoли т. нop. "ĸpгĸнcaи дoнъa".

これは1952年~1989年まで、ブルガリア国民が納税していた「独身税」と呼ばれるものだ。

Велизар Енчев предложи компенсация за "ергенския данък" - 24chasa.bg

 

「1951年」というものもあります。

 

Ергенският данък е въведен с Указ 1951 г. и е отменен на 1 юли 1990 г.

独身税は1951年に勅令で導入され、1990年7月1日に廃止された。

Дядовци си търсят ергенския данък - БЛИЦ - Новини от България и света

 

 

時代が遡って「1934年」というものもあります。下記は終了年も違いますね。

 

От 1934 година до 1992 година у нас има такъв ергенски данък, койот се дава от 30-та до 50-та година на всеки човек, който няма дете.

1934年~1992年まで、ブルガリアでは、30代~50代の子どものいない国民は全て、独身税と呼ばれるものを納税していた。

Искат връщане на ергенския данък - News.bg

 

少しずれた「1935年」というものもあります。

 

През 1935 г. в Наредбата-закон за бюджета на държавата за 1935 бюджетна година[21] е включена разпоредба, с която се въвежда данъчно облагане, придобило по-късно печална слава под наименованието „ергенски данък".

1935年には、「独身税」として悪名を馳せることになる条例が同年の国家予算令の中に含まれることとなった。

Национален съвет за сътрудничество по етническите и интеграционните въпроси

 

すごーくふるいのであれば、「1909年」というものまであります*2

 

Народное собрание в Болгарии приняло законопроект о налоге на холостяков. Каждый неженатый в тридцать лет мужчина должен вносить ежегодно 10 франков на нужды народного образования

ブルガリア国民は独身税の法案を採択した。30代の未婚の男性は公教育のニーズのために年10フランずつ支払わなければならない。(1909年3月21日Брачная Газета紙)

Народное собрание в Болгарии приняло законопроект о налоге на холостяк, Брачная Газета, 21.03.1909 - Газетные "старости"(Архив)

 

というように、なぜか開始時期に関して、いまいちこれだと断言できるものがありません*3。いったいどうしてなのでしょう。

 

1935年説が有力か

キリル文字がすらすら読めないので、かなり頭が痛くなったのですけれども、個人的な見解では、この開始年にばらつきがあるのは、「独身税」が何度も改定されていることによるものだと思われます。

 

なかなか「独身税」について、まとまった文献を見つけられなかったのですが、ブルガリアのソフィア大学のナイデノフ(Климент Минев Найденов)という人の「ブルガリア共和国の人口政策 - 持続可能な発展の要因(Демографската политика на Р България – фактор за устойчиво развитие)*4」というものがありましたので、今回はそちらを参考にしました。50数ページにもわたるブルガリア語を読めるわけもないのですが、人口の統制について世界史的にまとめながら、ブルガリアの人口政策について検討している論文のようです。

 

ナイデノフは、人口増加の促進策としての「独身税・無子税」の例として、古代はローマから、19世紀末のフランスなどの政策を例に挙げ、ヨーロッパ諸国では、人口政策論が高まるにつれ、わりと議論されてきた税制であったことがうかがえます(特に20世紀初頭)。

 

当時のブルガリアは、死亡率は生活環境の改善などにより下がっていたものの、出生率は低下傾向にあったようで、以下のように記述しています。

 

През 1935 г. в България е въведен данък върху доходите на неженените, неомъжените, семейните или разведените без деца, по-известен като „ергенски” данък. Средствата, събирани от него попадат във фонд „Многодетни семейства”.

1935年、ブルガリアでは、男女の未婚者や離婚した子どものいない世帯に対して収入に課税する、いわゆる「独身税」が導入された。この徴収された税金は「大家族」基金に納入された。

Найденов 2012 P29

 

先ほども引用しましたが、英語名「National Council for Cooperation on Ethnic and Integration Issues(民族統合問題に関する全国協議会)」のサイト内にも、1935年に関する記述があり、1935年4月11日に制定(発効?)された、国家予算の法令の第5条*5の給与に関するものの中に、この「独身税」に関する条項が存在したようです。税率としては、

 

да се удържат 5 % при основна заплата до 1730 лв. вкл. и 10 % при по-висока заплата. При положение, че съпрузите от едно семейство са на държавна служба или единия от тях е на държавна служба, а другия на общинска, обществена или автономна служба (ако участва в пенсионния фонд) им се удържат 10 % от заплатите.

1730レフまでは5%、それ以上の給与に関しては10%課税される。もし家族の一人が公務員、もしくは地方自治体や公的サービスの職についていて、年金基金に参加している場合、給与の10%徴収される。

Национален съвет за сътрудничество по етническите и интеграционните въпроси

 

ということで、現在出回っている「5%~10%」と結構対応していることがわかります。ふむふむ。

 

ナイデノフの論文には「1951年」には、地方税と児童手当をあわせた「5%」の「独身税」が存在したという記述があり*6、これが詳細を調べてもよくわからなかったのですが、もしかするとこの年にある程度税制の改訂があったのかもしれません*7

 

1968年には、新しい出産奨励法が実施されており、その7条に「独身税」に関することが書いてあります。

 

7. Данъкът, с който се облагат неомъжените, неоженените, овдовелите, семейните и разведените без деца съгласно Указа за насърчаване на раждаемостта и многодетството, да се събира върху дохода, подлежащ на облагане с данък общ доход.
За неомъжените и неоженените над 30-годишна възраст, както и за семейните без деца след 5-годишен брак размерът на този данък да се увеличи от 5 на 10% .

7条 この税は未婚の男女、未亡人、その家族と子どものいない離婚した者について、出産大家族奨励法のもとに所得税として徴収するものである。

30歳以上の未婚者、結婚から5年経っても子どものいない家族については、税率を5%から10%に引き上げる。

Безплатен Държавен Вестник издание - Официален раздел , брой 2 от 9.I.1968

 

1984年以降には、税率は15%に引き上げられ*8、年齢によって課税率が変わります。

 

Той се заплаща от всички лица, навършили 21 години, в случай че имат доходи, подлежащи на облагане с данък общ доход. Ставката на този данък се изменя в зависимост от възрастта на лицата. Така например до навършване на 30 години той възлиза на 5%, между 30 и 35 години – 10 % и над 35 години – 15 %. Този данък престава да се плаща при раждане или осиновяване на поне едно дете или при навършване на 45 години при жените и съответно 50 години при мъжете.

税の対象となる所得がある場合、21歳以上の国民が払う必要があります。税率は年齢により変わります。例えば、30歳までは5%、30~35歳までは10%、それ以上は15%というように。この徴収は、子どもが誕生するか、少なくとも一人の子どもを産んで離婚をするか、女性であれば45歳、男性であれば50歳になるまでは中断しない。

Найденов 2012 P39

 

この税率は、1990年になりようやく「未婚者への差別の一形態(форма на дискриминация спрямо несемейните)」として申し立てが行われ、廃止されたそうです*9

 

というわけで、各種資料の正確さから、恐らくではありますが、1935年の制定が、ブルガリアのいわゆる「独身税」の始まりではないか、という推測ができます。しかし、ブルガリア国民にとっては、度重なる法律の廃止と創設があり、連続したものとして捉えられていないため、色々な年数の違いがあるのではないでしょうか。

 

また、ただ「未婚」というだけでなく、いわゆる「無子税」として、子どものいない場合にも課税されるパターンがあったということにも留意が必要です。

 

出生率は何が正しいのか

もう一つ数字のずれが現れるのが各種出生率です*10

 

税理士ニュースさんは「2.18→1.86」という数字を挙げており、これを仮に「1968年:2.18」、「1989年:1.86」とします。

 

ですが、この数字も引用するソースによってまちまちです。

 

例えば、世界銀行の統計を見ると、

 

1968年は「2.27」、1989は「1.9」と、少し数字に差があります。その周りの年を見ても、「2.18」「1.86」にぴったりあう年はありません。

 

ブルガリアの国立統計研究所(Национален статистически институт)は、過去の統計をネット上にアーカイブしていないので*11、世銀の数値が絶対正しいとも思わないのですし、特にブルガリアはトルコ系の住民の差別化がかなり進んでいて、統計上の処理も確実にされていたかが不明ですので、数値のずれは資料によって差が出てくるとは思います。ただ、逆に税理士ニュースさんはいったい何の数値をソースにしたのかが気になります*12

 

また、この出生率の下落でもって税理士ニュースさんは「独身税」の失敗を語っていますが、下落率で言うなら、「独身税」廃止後の1990年の「1.82」からたった7年で「1.09」まで落ちているので、違う見方をすれば、「独身税をやめたから出生率が急激に下がった。だから独身税は有効だ」という結論に持っていく事だって可能です*13

 

共産圏の「独身税」

注意することは、この「独身税」の導入はブルガリアに限ったことではない、という点です。ルーマニアやポーランドなど、東欧圏でも当時、「独身税」が導入されました。それはなぜかというと、ソ連による共産圏の影響です。

 

『ロシア・ソ連を知る事典』(平凡社)には、当時のソ連の「独身・無子税」についてこんな記述があります。

 

多くの国々と違ってソ連では今日でも(引用者注:事典の発行は1989年)<産めよ殖やせよ>と出産が奨励されている。そのため、保育園等の児童施設の整備、出産手当の増額、住宅配分の優遇措置、<母親英雄>(10人以上の子供を産んだ母親に与えられる)などの名誉称号・勲章の授与、等々の政策がとられている。他方で独身者は社会の寄生者(子の養育義務を果たさず、年をとると国を媒介に他人の子に扶養されることになる)と批判され、早婚が奨励され(学生の18%は結婚している)、独身者や子のいない者には<独身・無子税>が課せられている

『ロシア・ソ連を知る事典』P112

 

当時ソ連のような共産主義国では家族を「人間(労働力)の生産」*14と捉えており、人口問題と直結していました。また、ソ連では「大祖国戦争」において、死者の圧倒的多数が男子であったため、戦中・戦後は深刻な労働力不足に見舞われました*15

 

そのため、出産の促進はソ連にとって急務の課題だったわけです。早々と1941年からスターリンは「Childlessness tax(налог на бездетность)」を成立させ、これは1990年まで有効だったと言われています。月70ルーブルを越えた場合、子どもがない男性と女性は既婚未婚に関わらず、給与の6%を徴収されたんだとか*16

 

ポーランドでは、1946年からBykoweと呼ばれる「独身・無子税」が実施されており、21歳以上(1973年からは25歳以上)から徴収されています。ルーマニアでは、あの悪名高きチャウシェスクが1960年代に行った「Degree 770」において、女性の中絶を禁止しましたが、「独身・無子税」については1977年*17からだと言われています。

なにも「独身税」はブルガリアの専売特許というわけではなく、第二次大戦以降は、共産圏の国々がこぞって導入していた、という経緯があるわけです。

 

ついでに、これは余談ではありますが、日本でも「独身税」が検討された時期があります。戦中の1941年のことで、「人口政策確立要綱」というものが閣議決定されました。人口増強策なのですが、その中に「独身税」的な文言があります。

 

(ト)扶養家族多き者の負擔を輕減すると共に独身者の負擔を加重する等租税政策に就き人口政策との關係を考慮すること

人口政策確立要綱の決定

 

1942年の1月には新税制案として「独身者に重税、子宝家庭に控除」という内容の報道がされますが、実現することはなかったようです*18。どの国も行き詰ったら考えることは一緒なのかもしれません。

 

 

ブルガリアの少子化の理由について

さて、税理士ニュースさんは、少子化が是正されなかった理由について、次のように書いています。

 

なぜ失策に終わったかというと、大きな要因として金銭的に余裕のない層がますます結婚から遠ざかってしまったこと。独身税が高いので、お金をためることができず、お金がなければ結婚できないし、子どももつくれない……と思惑と真逆の悪循環を生むことになってしまったのです。

結婚しないと課税される!?ブルガリアの「独身税」 - 税理士ニュース|法律に関する相談なら「法律の窓口」へ

 

経済的困窮に拍車がかかった、というところでしょうか。この理由もいったい何をもとに書いたのか気になるところです。

 

ブルガリアは1960年代から70年代にかけて他の東欧諸国に比べれば安定をしていました。これは、国際的分業化が功を奏したことなどが挙げられますが*19、ナイデノフは先ほどの論文の中で、そんな経済発展の前兆ともいえる50年代から60年代にかけての女性の環境の変化をあげています。

 

Жената през този период престава да изпълнява ролята на домакиня и се превръща в работник на трудов договор. Преселванията на населението към местата, осигуряващи им трудова заетост са съпътствани с редица трудности, които допринасят до намаляване на плодовитостта, а оттам и до снижаване на раждаемостта.

この時代の女性は主婦としてではなく、労働者として契約して働く存在となった。労働力を国に供給するために人口を再定住させるためには多くの困難が伴い、出産が少なくなり、出生率を下げる原因となった。

Найденов 2012 P31

 

女性が労働力として必要とされる時代となり、それが少子化につながっていったという説です。

 

Karl Kaserは当時の児童への福祉状況も原因に挙げています。

 

On the issue of demography, the goverment found it difficult to resolve the conflict between the goals of facilitating female education and emproyment, on the one hand, and fertility on the other. It was unable to provide a satisfactory network for childcare: although childcare facilities were broadly expanded in the 1970s, nurseries for children up to three years of age remained unsatisfactory and were unpopular mainly due to lack of hygiene and poor services.

この人口統計上の問題において、政府は女性への教育と雇用の促進という目標と、出生率の改善という目標のジレンマを解決することが困難であることに気がついた。1970年代に保育施設が広く拡大されたにも関わらず、3歳までの保育園は不十分かつ衛生状態やサービスの悪さから評判も悪く、充分な育児へのサポートのネットワークは提供されませんでした。

Household and Family in the Balkans - Google Play の書籍 P510

 

日本でも似たような話がありますが、そういう福祉面の不十分さも、少子化に起因しているのではないか、ということです。

 

何を言いたいかというと、ブルガリアの出生率の低下を、全て「独身税」に求めることは誤りだということです。社会主義国家という事情や、社会的環境の側面など、様々な要因がからみあっていると考えるのが妥当であろうということです。また、「独身税」の廃止については、前述したとおり、どちらかというと人権的配慮の側面が強いかとも思われます。

 

日本での「独身税」の伝わり方

ブルガリアには「独身税」はあったものの、その情報については不正確な箇所がいくつも見られることがわかりました。実は、英語圏では、このようなブルガリアの独身税の話がネットのうわさレベルで広がってはおらず、日本特有の現象のように思えます。

 

ということで、税理士ニュースさんの情報もまた、おそらく何かの受け売りだろうという推察が成り立ちます。最後にその伝播の仕方を調べて終わりにしましょう。

 

そもそも、税理士ニュースさんがソースにしているのは、「東京税経倶楽部」という団体の2008年10月号の手作り感あふれるチラシみたいなものです。

 

f:id:ibenzo:20170910162037p:plain

 

しかし、ここには、失敗した理由については述べられていないですね。

 

見つけた中で一番古かったのは、2008年4月30日のマイナビニュースの記事。

 

そんな中、自民党のある衆議院議員が提案したのが「独身税」というもの。この独身税、その昔ブルガリアで少子化対策として導入された税金だ。この独身税は、1968~1989年まで導入。独身者のみ収入の5~10%を税金として徴収するものだった。21年間にわたって徴収された独身税だが、この間、ブルガリアの特殊出生率が2.18から1.86(1970~1989年)に留まったことから見ても成果を挙げたとは言えない。

独身者に税金がかかる? ブルガリアで導入された「珍税制」を日本にも、との声。 | マイナビニュース

 

導入の年や出生率の数字が全く同じ事から、「東京税経倶楽部」は、上記記事を参照したことは間違いないでしょう。この頃、「独身税」の話題が国会で挙がっていたようで、それが恐らくニュースの元になっているんでしょう*20

 

マイナビニュースでは、「国立社会保障・人口問題研究所」に話を聞いたという記述があるので、その中の所員の方の話が独り歩きしてしまったのではないかな、という感じがします。

 

実は、2016年にもう一度「独身税」が話題になります。

 

『ニッポンのノビシロ!』というフジテレビの番組の2016年6月18日の放送で、

www.yutoridesu.net

ブルガリア代表の人が、自国の「独身税」について語ったようです。そこでは、

 

25-29歳の独身者は所得の5%を徴収

30-49歳の独身者は所得の10%を徴収

 

と説明されたようで、出生率も「一時的に上がった」という話が出ています。まるで今でも行われているような感じで番組は進んでいましたが、一応「※現在は行われていません」というテロップも出ていました。

 

この話が「成功例」のようにして放映されていたことに対してツッコミが当時入ったようで*21、その反証として、税理士ニュースさんのあの記事が使われ、ソースとしての信頼が強化されたように見えます。

 

 

今日のまとめ

①ブルガリアの独身税の導入時期は諸説あるが、1935年が一番有力であるように思われる。

②出生率については現在出回っている数字は、現在の公的な情報と若干のずれがある。

③「独身・無子税」は1940年代からは、ソ連に代表される共産圏の国々で多く導入されており、これは社会主義的な労働観と人口問題とも関連があり、ブルガリア特有のものではない。

④出生率の下落は独身税廃止後の方が高く、出生率と独身税の関連は一概には言えない。

⑤他の研究としては、女性の労働への参画の増加や福祉政策の弱さなどが、ブルガリアの当時の少子化の原因として挙げられている。

⑥日本では2008年のマイナビニュースの記事が、現在の「ブルガリアの独身税」の大元のソースになっている。

 

何度か話題になっているにも関わらず、この「ブルガリアの独身税」に関して、あまり正確な情報が出てこなかったのは、やはりブルガリアの国という、日本から見ると遠い存在にあるのでしょう。ブルガリアの近現代史は、日本語訳では

 

ブルガリアの歴史 (ケンブリッジ版世界各国史)

ブルガリアの歴史 (ケンブリッジ版世界各国史)

 

 

ぐらいしかなく、あんまり正確な情報が伝わってきません。また、「独身税」関連の政策については、当該国では口を閉ざす人も多いようで、時期的にはソ連崩壊とも相まって、歴史の分断が起こっているようにも思えます。

 

ですが、時間と労力さえかければ、情報は手に入ります。Googleのない時代は、ブルガリア語の文献を手に入れて、それを翻訳するなんて不可能でした。これはまあ、いい時代になったんだな、と思うべきなんでしょう。

 

*1:この言葉自体は間違いではありませんが、「出生率」と差異をつけて使っているとは思えませんでした。あと、もっと細かいことも言えば、これは正確には「合計特殊出生率」でしょう。

*2:これはロシア語の新聞なのかな、と思います。なので、この中では一番信頼性にかけるでしょう。国全体というよりは、一地方の話なのかもしれません

*3:実は、「1925年」の段階で独身税が導入されていた、という資料もあります。

’Bachelorhood Taxed', New York Times, 15 March 1925, X20 (male and female bachelors over 30 in Bulgaria)

Studies in the History of Tax Law - Google ブックス

税法の歴史に関する文献の脚注欄に、NYTの1925年の記事として、ブルガリアの30歳以上の未婚の男女に税がかけられている旨が書いてあります。恐らく、

TAX ON UNMARRIED WOULD BURDEN PROFESSIONS MOST - Article - NYTimes.com

の記事のことではないかと思うのですが、リード文には思い切りフランスのことが書いてあり、4$はらって見当違いだといやだなあと思ってやめました。それから、該当の電子書籍は9000円近くするので、さすがに買うのをためらわれました

*4:

https://www.uni-sofia.bg/index.php/bul/content/download/93279/714357/version/1/file/Avtoreferat.pdf

この記述が間違っていたら手も足も出ない。

*5:

これは脚注に「ДВ, бр. 82/11.04.1935, с. 1114-1130」とあるので、ブルガリアの公文書のソースがあるはずなんですが、どうしても見つけられませんでした。

*6:

През 1951 г. в страната съществува 5% „ергенски” данък, изразяващ се като местен приход плюс детски добавки.

Найденов 2012 P31

*7:別のソースによれば、1951年には、今まであった「大家族法(Законът за многодетните семейства )」が無効になり、出産を奨励する法律が別にできたという事が書いてあるので、そのことと関係あるのかもしれません。

БЪЛГАРСКАТА ДЕМОГРАФСКА НЕРАЗБОРИЯ

*8:

От 1984 г. „ергенският” данък в страната нараства на 15 %

Найденов 2012 P39

*9:

сички тези негативи на „ергенския” данък водят до внасянето на петиция през 1990 г. в НС за отмяната му, определяйки го като „форма на дискриминация спрямо несемейните”33. Така от средата на 1990 г. данъкът е отменен.

「独身税」の否定的な見方は、「未婚者への差別の形態」として法律の廃止が1990年に訴えられた。90年の中ごろには、税法は廃止された。

Найденов 2012 P40

*10:この場合の「出生率」は、特に断りがない場合、「合計特殊出生率」だと考えてください

*11:出生率の項目はあるんですが。

Раждаемост | Национален статистически институт

*12:

1989年の「1.86」の数字については

books.google.co.jp

に、記載がありました。

and mean completed family size declined from 2.97 in 1946 to 2.02 in 1966 and finally 1.86 in 1989 (Statisticheski godishnik 1990:36)

Household and Family in the Balkans P508

「Statisticheski godishnik」は恐らく統計年鑑のことかと思いますので、1990年版では、そのような記載だったことがわかります

*13:

本当にそうやって結論付けているちょっと安易な論文も日本語でありました。

 

かつてブルガリアでも少子化対策として導入された。ブルガリアでは1968~1989年まで独身者のみ年齢によって収入の5~10%を税金として徴収するものだったが、この間、ブルガリアの特殊出生率が2.18(1970年)から1.86(1989年)に下がったことから見て成果を挙げたとは言えないとして廃止されてしまった。しかし、WORLD BANK - Data Indicators19によると、ブルガリアにおける合計特殊出生率の推移は下図のようになっており、独身税を課税している期間がそれ以降に比べて合計特殊出生率の下がりが明らかに小さいことが分かる。

『少子化と結婚~少子化問題の社会的責任を問う~』

http://fujimuralab.com/cgi/filedb/s_data/194_2832_1.doc

 

*14:前掲 P111

*15:『ロシア史』和田春樹編(山川出版社)2002 P355

*16:

Налог на бездетность в СССР (был введен в 1941 г.) — Экономика в примерах и интересных фактах

*17:1986年の記述もあり、どっちdしょうね。

*18:『新聞に現れた「産めよ殖やせよ」』赤川学

https://soar-ir.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=651&item_no=1&attribute_id=65&file_no=1 P139

*19:『ブルガリアの歴史』R・Jクラプトン(創土社)2004 P273

*20:

議事録検索をかけると、山田昌弘なんかの発言がひっかかります。

あと、独身税と、私、昔ある雑誌でパラサイトシングル税、親同居税を取ったらいかがかという提案もしたことがあるんですけれども、もちろんまあそれは半分冗談でなんですけれども、それはただ単に子供を増やすからということではなくて、社会的公平の視点から構築することは可能かなと思います。つまり、子供が育っていって、そしてその人が将来年金や税金を払うんだから子供を育てている人には優遇して、その恩恵を受ける人には多少負担していただくという社会的な公平性の点から、独身者への税金というのは考えてもいいと思っております。

参議院会議録情報 第162回国会 少子高齢社会に関する調査会 第2号

*21:

ブルガリアの独身税が「成功例」としてテレビで伝えられていたとのことだけど - 【ネタ倉庫】ライトニング・ストレージ