平昌オリンピックが始まりましたが、会場の寒さが話題になっているそうですね。そんな中、開会式のトンガの選手の出で立ちが話題になっていました。
トンガ旗手すげえ!何たる男気!
— 今宵のBBCワールド視聴者 (@Bbcbuta) 2018年2月9日
かつてトンガ国王は、昭和天皇の大葬の礼でも冬の雨降るなかこの装束で葬列を見送られたという・・・。#開会式 pic.twitter.com/A8a98wheZE
氷点下の中、上半身裸で旗手を務めるこの選手、これは民族衣装だという事で、トンガ国王も、昭和天皇の大喪の礼の折には、この装束で参加したんだとか…
いや、ちょっと待ってくださいよ。さすがに葬儀に上半身裸はまずくないですか*1。と疑問に思ったので、調べてみました。
上半身裸でなくてもいい
トンガの、礼服としての民族衣装には、Taʻovalaというものがあります。
https://i.pinimg.com/736x/2e/da/d2/2edad29217fdb64468c235129bd34b5e--lava.jpg
fauと呼ばれるハイビスカスの葉の繊維を手で編んで作るもののようです。上記のように腰にまいて男性も女性も使いますが、男性の方が一般的だとのこと。お祝い事もそうですし、葬儀の場面でも着るようですが、用途によってデザインが変わるようで、お祝い用に比べて大きく、そしてデザインが質素になるみたいですね。下記の写真が葬儀用のものです*2。
https://en.wikipedia.org/wiki/Ta%CA%BBovala#/media/File:Funeral_mat.jpg
ということは、トンガの民族衣装のTaʻovalaは、この腰蓑の部分をさすのであり、別に上半身裸である必要はないわけです。もしかすると古くはそのような出で立ちだったのかもしれませんが、少なくとも現代トンガでは、上半身裸で冠婚葬祭に出るわけではなさそうだということです*3。
あれ、トンガ国王は…
ということは、昭和天皇の大喪の礼に、この腰蓑のTaʻovalaを巻いて参加した可能性はあります。ネット上には、この「トンガ国王」の逸話はけっこう拡散されています。
また1989年2月には昭和天皇の大喪の礼にトンガの正装であるタオパラで参列した。タオパラは南国の正装である為、防寒着を着るように周囲から薦められたが、昭和天皇への礼を欠く事は出来ないとして正装を貫き通した。
1989年、昭和天皇の崩御に伴い来日。2月に行われた大喪の礼に出席しています。
トンガの伝統的な正装は、エプロンのようなタオパラという腰巻です。(中略)せめて上に何か重ね着をするように勧められましたが、国王は、それでは亡くなった陛下に失礼に当たるとして、2月の寒さのなか、大喪の礼の間、ずっとタオパラで貫き通しました。
ちなみに皇太子ご夫妻を昨年即位式に招待してくれたトンガも国王陛下がトンガの正装の「タオパラ」をお召しになりました。寒いからコート着ましょうと周囲から勧められても「昭和天皇への礼を欠くことはできない」と南国の正装で一日を過ごされました
ここまで言うなら、画像で確認したいところです。どーしようかなと思ったのですが、ネット上に大喪の礼の4時間ぐらいの動画が転がっていたので、そちらを確認してみることにしました。
大喪の礼には、164カ国に及ぶ国家元首や使節などが訪れたそうで、彼らも拝礼を行いました。その拝礼の部分を見ていると、おお、「トンガ国王」の場面がちゃんと映っていました。
んん?
めっちゃコート着てる!
腰蓑のTaʻovalaをつけていないだけでなく、とってもあったかそうなコートまで着ているじゃありませんか…。しかも、コートの間からはネクタイがのぞいているので、普通にスーツタイプの礼服を着ているように見えます。「礼を欠くことはできない」なんてカッコイイこと言ってたのに…すごくあったかそう…。
ブータン国王の話
トンガ国王には何の落ち度もないのですが、これではちょっとがっかりです。しかし、実はこの大喪の礼に、唯一民族衣装で参加している国がありました。ブータンです。
現在のブータン国王の父親に当たるワンチュク国王が、ブータンの民族衣装である「ゴ」を着て参加していたのです。これは七分丈ぐらいなので、確かに寒そうです。
実はこの逸話、「ブータン国王」バージョンの方がいろいろ出てきます。
1989年の昭和天皇が崩御されたときには、大喪の礼にブータン前国王が参列に駆けつけた。その日はみぞれの降る寒い日だったが、前国王は傘もささず、民族衣装の「ゴ」で弔慰を示された。
大喪の礼の時、雨降って寒かったのに
昭和天皇に無礼になるからとかなんかで
コート着ないで民族衣装だけだったんだよな
大喪の礼に参列したワンチュク国王は、寒い2月なのにブータンの民族衣装のままだった。宮内庁がコートを薦めたけど、陛下に失礼だからとお断りしたそうだ。
自分は、昭和天皇の大喪の礼の際初めてテレビで拝見した
お父様の姿ににハートを打ち抜かれました。
あの雪、みぞれの降りしきる寒い中
お付きの人達が上着をすすめても、礼節を欠くから、という理由で
薄い民族衣装のままで防寒のお召し物は一切身に着けなかった。
上着やらコートをすすめたのがお付の人なのか、宮内庁の人なのか、外務省の人なのか、もっと正確に書くなら本当に誰かが上着をすすめたのかは何とも言えませんが、少なくとも、ブータン国王が薄めの民族衣装で大喪の礼に参加されたのは事実です。ということは、どうもトンガ国王の話は、このブータン国王の話とすり替わってしまった、と考えるのが妥当でしょう*4。
どうして話がすり替わったのか
では、なぜトンガとブータンという地理的には両極端にあるような国の話がすり替わってしまったのでしょうか。
ブータンのこの「国王が民族衣装で参列」の逸話は10年以上前からあるようなのですが、多く話題に上ったと感じるのは、2011年11月付近です。この時に何があったかと言うと、結婚したばかりのブータン国王夫妻が訪日をして、その清廉さからちょっとしたフィーバーになったころのことです。
彼らの国の「清廉さ」を裏付けるひとつの事実として、この大喪の礼の逸話が引っ張り出されてきたように感じます。
では、トンガ国王の話はどうか。
Wikipediaのトンガ国王の「タウファアハウ・トゥポウ4世」についての書き込みは、実はずいぶん書き直されています。
この項目が作られたのは2006年9月14日です。この頃は、大喪の礼云々の話は出てきません。
生前は親日家としても知られ、皇太子時代には5回の訪日を行い、トンガの教育にそろばんを導入するなどしたり、大相撲へトンガの力士を送り出すなどした。
なぜ2006年に作られたかというと、この年に国王が崩御されているからなんですね。そして、その葬儀に参列するために、皇太子殿下がトンガに出発された、というニュースがちょっと話題になっていました。
「大喪の礼」に参加した旨が追記されたのが、2009年6月1日の版。
即位後もハラエバル・マタアホ王妃とともに複数回来日し、1973年11月には靖国神社に参拝、また1989年2月には昭和天皇の大喪の礼に参列している。
そして、「大喪の礼」で上着を断った云々が記されるのが、2015年5月16日。
また1989年2月には昭和天皇の大喪の礼にトンガの正装であるタオパラで参列した。タオパラは南国の正装である為、防寒着を着るように周囲から薦められたが、昭和天皇への礼を欠く事は出来ないとして正装を貫き通した。
で、現在に至るわけです。2015年のこの時期に何があったかと言うと、ちょっとずれるんですが、皇太子夫妻がトンガを訪問した時期とかぶります。このとき、戴冠式が行われたんですね。また、2年ぶりに雅子妃が海外訪問をしたということで少し話題になりました。
ジオグラフィカルとしては縁がなさそうな両国ですが、日本的には恐らく下記のような共通点があります。
1.どちらも親日国である。
2.どちらも皇室の交流が多い。
3.どちらも国王が親しみやすい。
つまり、普段は話題にあがらないブータンが日本でニュースになるとき、その「親日」「皇室との交流」「親しみやすさ」を強調するために、この「大喪の礼で民族衣装を着た」というエピソードが使われるわけです。そして、何となく日本的にはブータンと似ているトンガも同じように解釈をされ、トンガがニュースにあがるたびにネット上でこの話が混同されてしまい、いつのまにか「大喪の礼で民族衣装を着た」という話がトンガ国王の話になってしまった、というところでしょう。
この現象は2006年ごろから見受けられ、2ちゃんねる(当時)の書き込みでも以下のようなやりとりがあります。
69 :名無しさん@6周年:2006/09/18(月) 11:11:58 ID:***
トンガのこの国王って、確か昭和天皇の大葬の礼のとき、
自分たちの最大の正装で礼を表すために、真冬に腰蓑で
参列してくださった方だよね。
このコメントに対してツッコミも入りますが、
91 :名無しさん@6周年:2006/09/18(月) 11:34:33 ID:***
大喪の礼で薄着を通されたのは
ブータン国王陛下だったと思うんだが、、
既に錯誤が起きているコメントもあります。
85 :名無しさん@6周年:2006/09/18(月) 11:24:25 ID:***
>>69
偉いなあ。その格好じゃ寒かっただろうに・・・。
前述したように、2006年はトンガ国王が崩御し、皇太子殿下がその葬儀に参列した年です。それまでトンガは日本でニュースになることは少なかったようなので、この年あたりから、「国王」の親日的エピソードとして語られるようになったのでしょう。
今日のまとめ
①昭和天皇の大喪の礼の折、トンガ国王はスーツにコートを着用しており、民族衣装を着てはいない。
②民族衣装を着て参列したのはブータン国王であり、今回の逸話もブータン国王のものが、トンガ国王にすり替わってしまったと思われる。
③親日・皇室との交流・国王の親しみやすさなどの条件が重なり、日本のニュースで話題にのぼるたびに、両国に同様のエピソードが語られてしまい、現在のような混同が起きていると考えられる。遅くとも2006年ごろからその現象は見られる。
なじみの薄い国だと、どうもあまり我々日本人は区別ができないようです。そして、親日のような国ならなおさら、「あたしを愛してくれるなら誰でもウェルカム」みたいな感じになって、「いい話だなー」なエピソードをなんでもかんでもくっつけてしまう。これをまあ、鷹揚な国民性と捉えるか、はなはだ失礼な国だと捉えるかは、まあ、いかんともし難いですけれど。
*1:
いやまあ、パプアニューギニアとか、スワジランドの例もあるので、国際会議ぐらいならありうるとは思いますが、さすがに葬儀は…
Ответы@Mail.Ru: Как вам невозмутимость и безТрусость посла Папуа Новой Гвинеи в ООН? +фото(ロシア語サイトですが、写真があります)
*2:以上の説明は、英語版のWikipediaを参照しました。ちょっと手抜きですみません
https://en.wikipedia.org/wiki/Ta%CA%BBovala#Materials
*3:
今回の旗手については、トラディショナルな部分を強調したかったのかもしれません。リオ五輪でも同じようにしていたみたいですし
*4:
ちなみに、この話と常に付随してくるのが「弔問外交」をしなかったというくだりです。
ブータン国王はこうした弔問外交を行わず、大喪の礼に出席して帰国した。新聞記者が理由を尋ねると、国王は、「日本国天皇への弔意を示しに来たのであって、日本に金を無心しに来たのではありません」と答えた。
この話はネット上では2008年ぐらいから散見されるのですが、たぶん、今枝先生の
に載っていたのが広まったのでは?と推測しているのですが、まだ原書を読んでいないので何とも言えません。
上着を固辞したというエピソードは、その後何かで(テレビか雑誌か)知りました。
というコメントもあるので、どこかのメディアが当時流したのかもしれませんね。
また、「1ヶ月喪に服した」ともあるのですが、これも真偽が不明です。今回の件とは直接関係がないので調べませんでした。