今日はネットロアに関係のない話を。
当ブログは弱小ブログなので、アクセス数など大して望めないのですが、ぼちぼち書いていると、自分の意思には関係なくスマッシュヒットを放つ記事も出てきます。
最近では、ジュラシックワールドネタがなかなかのヒットで、アクセス数を支えております。
個人的には、調べるのに苦労した落ちたカモが助かった話とか、長年信じられてきたペスタロッチの逸話が創作だったとか、そういう記事にアクセスが増えてほしいんですけど、そこは需要と供給の問題です。
で、今日はそんな英語ネタのオススメを記事にしたいと思います。
NHKラジオで「英語で読む村上春樹」という番組があります。日曜日の夜中の11時からやっている翌日の仕事に響きそうな講座なのですが、番組を聴かなくてもテキストだけでかなり楽しめます。
これは、講師がハルキの本を自分でも翻訳しつつ、現在英訳されている作品と対比しながら、「どうしてこういう表現を選んだか」とか「作品にこめられた思い」を、英語というデバイスを通して考えていく講座です。
現在は「TVピープル」を、その前は「トニー滝谷」「踊る小人」「かえるくん、東京を救う」を題材にしていました。
これが非常に面白い。例えば「TVピープル」から。
結末らへんに、以下の文章があります。
そのおそろしい回線迷路のどこかの端末に妻がいるのだ、と僕は思った。
これは、英訳ではこうなっています。
Maybe somewhere, at some terminal of that awesome megacircuit, is my wife
注目する部分は「my wife」で、実は作中では、常に妻の訳は「the wife」だったんですね。しかし、最後に一度だけ、「my wife」に置き換えられ、「僕」の「妻」が「生々しい実体」をもつ存在に認識が変わったということがわかります。しかし、そのときには既に遅く、「妻は「僕」の手の届かない場所に行って」しまう。*1
つまり、翻訳というものは、ただ日本語を英語に置き換えればいいのではない。冠詞の細部にいたるまで、作品がもつ意味を伝えるために考えなければならないということです。だから、翻訳家という存在は、クリエイターでなければならないんだなあということがわかります。
なので、このテキストは作品全文の英訳を載せていて、かつ丁寧にラインごとに翻訳の解説が載っているので、英語の勉強にもなるし、作品を読み深めていく上でのコツみたいなものもつかめて、かなりオススメです。わかる人がどれだけいるかわかりませんが、ちょっとミステリーっぽい謎解きみたいで、江川さんの『謎とき『カラマーゾフの兄弟』』を思い出しました。
テキストの連載も面白くて、もう終わってしまいましたが、藤井光先生の『翻訳をめぐる翻訳』というのもよかったです。
毎回、英語ベースの洋書を紹介して、その英語表現を自分でも訳しながら解説していくのですが、そこに紹介される本がまあ面白そうなんです。はじめから終わりまで、けっこう説明しちゃってくれるので、これを元に自分で洋書に挑戦してみても面白いと思います。私は、紹介された本の中では、ロイ・キージーの『待ち時間』が抜群でした。
これは、国際空港のターミナルという「異文化が否応なく溶け合う場所」にアナウンスなく無期限的に待たされることになった乗客たちが、その「待ち時間」の中で、国民性を発揮しながら様々な出来事が起こる…といった感じの話なんですが、短編なので読みやすいし、話がよくできています。
村上春樹というと、どうもアレルギー的に嫌う人と、マニアック的に傾倒するファンがクローズアップされがちなんですが、大部分はフラットに楽しんでいる読者だと思うので、あまり食わず嫌いせずに、ぜひぜひ挑戦してもらえるとうれしいなあと思います。今日はここまで。
*1:『英語で読む村上春樹』2015年9月号 P76