ネットロアをめぐる冒険

ネットにちらばる都市伝説=ネットロアを、できるかぎり解決していきます。

【追記】『かぐや姫の物語』の「まつとし聞かば」を訳したのは誰なのか、あまの小舟の綱手かなしも

【6/5追記】

Dickinsの訳についてちゃんとした資料が手に入りましたので、そちらを追記しました。

 

大変長らく更新が空きました。何もしていなかったわけでもなく、コツコツ資料集めをしていたりしたのですが、現実もなかなかせわしなく、歳のせいか夜も全く起きられず、ちょっと納得のいく記事が書けずにおり、twitterでごまかしておりました。

 

ただ、ここまで更新があくとみなさんにも忘れ去られてしまいますので、今日は簡単な検証記事をひとつお届けしたいと思います。

 

先日、高畑勲監督が亡くなられたことは、私にとってそれなりのショックだったのですが、『かぐや姫の物語』が金ローで放映された時のツイートが話題になっておりました。

 

 

 

翻訳は難しいものですが、その中でも詩歌はトップクラスに困難を極めるものです。「まつ」と「Pine」をかけた、原文のよさをうまく表した表現です。ただ、ツイート主さんは、この英訳を、『かぐや姫』の英語版担当のIan MacDougall*1のものとしていますが、私はそこに疑問を感じたので、調べてみました。

 

 

***

 

「まつとし聞かば」は百人一首におさめられている

当該の「まつとし聞かば今帰り来む」のセリフは、童たちの歌う印象的な「水車よまわれ」の歌の続きとして出てきます。

 

めぐれ めぐれ めぐれよ 
はるかなときよ
めぐって 心を 連れてゆけ
鳥 虫 けもの 草 木 花
人の情けを はぐくみて
まつとしきかば 今かへりこむ

Blog. 「かぐや姫の物語」 わらべ唄 / 天女の歌 / いのちの記憶 歌詞紹介 | 久石譲ファンサイト 響きはじめの部屋

 

かぐや姫はこの歌詞をなぜか覚えていて、最後の方でも媼たちに呼びかけるときにも出てきます。ただ、私はこれを聞いたときにどっかで聞いたなあという気がしていたのですが、今回調べてみたら、百人一首に、同じ言葉がありました。

 

立ち別れ

いなばの山の

峰に生ふる

まつとし聞かば

今帰り来む

 

16番、中納言行平(在原行平)のもので、『古今和歌集』におさめられていました。「いなば」は「因幡」と「去なば」の掛詞もかかってます。

 

今回は簡単な調査ですので、高畑勲がどの程度の意図でもって、この行平の歌を取り入れたかはわかりませんが、ここまで有名な歌なので、参照したのは確かでしょう。

 

ということは、『かぐや姫』の映画では、百人一首の英訳を参考にした可能性があります。

 

一番似ているマクミラン訳

というわけで、いくつか調べてみましたが、一番似ている訳はピータ・ジェイ・マクミランのものかと思います。

 

英語で読む百人一首 (文春文庫)

英語で読む百人一首 (文春文庫)

 

 

こちらは2008年に発表されたものの文庫版*2ですが、かなり高い評価を受けたものです*3。マクミランはアイルランド出身ですが、現在は杏林大学の教授*4で、伊勢物語も英訳しているんですね。

 

で、マクミランは以下のように行平の歌を訳しています。

 

Though I may leave

for Mount Inaba,

whose peak is covered with pines

if I hear that you pine for me,

I will come straight home to you.

『英語で読む百人一首』P39

 

今回の「If I hear that you pine for me, I shall return to you at once.」前半分は全く一緒ですね*5。マクミラン自身も、この「まつ」と「pine」の類似について指摘しています。

 

ちなみに百人一首には、日本語と英語でまったく同じ意味になる語呂合わせが一つ存在する。(中略)「まつ」は「松」にも「待つ」にもなるが、英語のpineにも「松の木」と「(人を)待ち焦がれる」の意味がある。

前掲 P219

 

もうひとつ突っ込むなら、かぐや姫の歌だけでは、「まつとし聞かば」の「まつ」が「松」と「待つ」の掛詞である必然性がありません(行平の歌は因幡の山の「峰に生ふる」という一文が入るので)。英訳担当者は、そもそもこの「天女の歌」が、行平の歌からの引用がある、ということを知っていなければならなかったでしょう。なので、どうも『かぐや姫』の英訳担当は、こちらの百人一首の訳を参考にしたのではないか、というのが私の推測です。

 

もっと昔からある「Pine」と「まつ」

と、ここで終わりにしてもいいのですが、果たしてマクミランの翻訳だけなのか、というところも気になったので、他の百人一首の英訳も調べてみました。

 

百人一首の英訳の完訳は21種あるとされています*6。今回は簡単検証なのですべてを調べませんでした(いろいろな本にまたがっているので、調べると膨大な書誌が必要になる)。

 

数ある百人一首の完訳本の中でも、最も古いものが、Frederick Victor Dickinsのものです。

 

 

こちらは1865-66年に出版されたもので、日本文学を英訳したものとしても初めてではないか、と言われています。この英訳を確認できれば、その後の百人一首の英訳について影響を与えていると考えられるわけです。

 

古いものなのでどっかから見られないかと思ったのですが、これがなかなか存在せず、引用している別の書籍を国会図書館のデジタルライブラリで見つけましたので、以下に引用します。

 

Inaba's lofty range is crowned

By many a tall pine-tree;

Ah quickly were I homeward boun

If thou shouldst pine for me.

国立国会図書館デジタルコレクション - 英訳詩歌集 : 原文対照 : 附・発句狂句童謡俗謡

 

thouは今ではほぼ使われませんが二人称のyouのことです。Dickinsのころから、すでに「pine-tree」と「pine for me」で、「松」と「待つ」をひっかけていたことがわかります。ということは、既に100年以上前から、「まつとし聞かば」については、「pine」を使うとよさそうだ、というのが意識されていたのかもしれません*7

 

【6/5追記】

Dickinsの訳は3パターンあるそうで、『百人一首研究資料集 第五巻』(クレス出版)にすべて掲載されていました。

 

1つ目は「中国と日本の宝庫」という月刊誌の1865年3月号に掲載された「CHINESE AND JAPANESE REPOSITORY」で、これがDickinsの初めての訳です。これは完訳ではなく、十九、二十、二十四、五十番が欠落しています。この時のものは、実は「まつとし聞かば」を、pineでは訳していません。

 

He left the haunts of meu, and sought

Mabayama's lofty height.

If thou ask him : in such resort

How long to dwell his lonely plight?

He'll answer thee:

E'en now I'd fain among men be.

 

「CHINESE AND JAPANESE REPOSITORY」P249

 

「いなばの山」を「Mabayama」と訳したり*8、全体的に説明口調で少々不出来な感じは否めません。

 

ただし、解説には「まつ」の多義性について書かれています。

 

The word matz may equally mean " to linger, " or " a pine tree."

この「まつ」は「残る」あるいは「松」の意味が同時にある。

前掲書 P249

 

2つ目が前述した訳のもので、こちらは1866年に『JAPANESE ODES』として出版したものです。これはただ英訳しただけでなく、注釈書としても十分通用する内容になっています。ただし、今度は88番が欠落しています。こちらは既に書いたとおり、「pine for」を使っています。Dickinsは自身で付録にも書いています。

 

(e)The word-play is on "mats," meaning a pine-tree (2), or 'to wait for'(3).

この「まつ」の字義は「松の木」と「待つ」がある。

『JAPANESE ODES』APPENDIX iv

 

3つ目はかなりあとの1909年、イギリスの王立アジア協会誌に掲載された「JOURNAL OF THE ROYAL ASIATIC SOCIETY OF GREAT BRITAIN AND IRELAND」です。こちらもpineを使っていますが、少々変更されています。

 

Upon Inába,

that tells us of our parting,

the pine-trees cluster.

should they "she pineth" whisper

I will return to love thee.

「Hyakunin isshiu, a Japanese Anthology」P368

 

「she pineth」は古風な表現ですが、「彼女が待っている」とささやくなら私は戻ってこよう、みたいな書き方をしているんでしょうかね。

 

日本に流布したのは、2番めの1866年訳で、吉海直人の解説によれば、マッコレー(1899)、ポーター(1909)もDickinsの訳に触発しており、日本人によっても、明治25、31,37年と再三にわたって出版されていることからもうかがえます*9。なので、正確に書くなら、1866年から、「まつ」を「pine」とひっかける訳し方は存在しており、影響を与えている、と考えたほうが良いでしょう。

【追記終わり】

 

 

今日のまとめ

①「まつとし聞かば~」は、映画オリジナルではなく、百人一首におさめられている在原行平作の歌を引用している。

②恐らく『かぐや姫』の映画の英訳担当は、マクミラン訳を参考にしたと思われる。

③「まつ」と「pine」の関係は、1865年1866年のDickinsの頃から使用されており、ある程度歴史のある翻訳方法のようだ。

 

久しぶりに『かぐや姫の物語』を、ツイートで流れてくる情報を参考にしながら観ましたが、よく考えられている作品だなあと思いました。キャッチコピーの「罪と罰」は、少々失敗であると思いますが、かぐや姫がどうして人間世界に憧れたのか、ということについて色々と考えさせられました。変わらぬ世の中などないことは知ってはおりますが、高畑勲が意欲を持っていた『平家物語』も、ぜひ観てみたかったな、と残念に思います。

 

 

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*1:

The Tale Of Princess Kaguya | Dear Cast & Crew

*2:

非常に面白い本でした。特にマクミランのあとがきが興味深く、日本語の詩歌をどのような視点で訳していくのか、という点が細かく書かれており、今のところ、彼の翻訳がいちばんよいものではないでしょうか。

*3:

なかでも日本とアメリカの翻訳賞を受賞した『百人一首』には、日本の美意識が凝縮されているという。

美しい日本語の教科書!外国人翻訳者が語る「百人一首」の世界:アエラスタイルマガジン

*4:

ピーター ジェイ マクミラン | WATANABE PRODUCTIONS 「Culture Club」

*5:

実は今回、果たして本当に『かぐや姫の物語』の「まつとし聞かば」の部分の英訳が、ツイート通りなのかは確かめてません。たぶん大丈夫だと思うんですけど…

*6:

『百人一首』の英独語版を通して見る和歌の翻訳 MAYER, Ingrid Helga 2016

https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/61579/1/Mayer_Ingrid.pdf

*7:

ちなみに、他の英訳も2つほど見つけたので結果を記します。

 

Clay MacCauleyの1917年のもの。

 

Though we are parted,
If on Mount Inaba's peak
I should hear the sound
Of the pine trees growing there,
I'll come back again to you.

Petals and Moon - 英語で百人一首

 

こちらは、完全に「松」として訳しています。「松の音が聞こえたら…」というのは直訳みたいで、ちょっとよくわからない感じになってます。

 

William N. Porterの1909年のもの。

 

IF breezes on Inaba's peak
Sigh through the old pine tree,
To whisper in my lonely ears
That thou dost pine for me,—
Swiftly I'll fly to thee.

A Hundred Verses from Old Japan (The Hyakunin-isshu): 16. The Imperial Adviser Yuki-hira Ariwara: Chū-Nagon Ariwara no Yuki-hira

 

こちらは、pineを「待つ」「松」両方にひっかけています。

*8:「INABAYAMA」の「IN」が「M」と間違われたのかもしれませんね

*9:『百人一首研究資料集 第五巻』解説 P2