ネットロアをめぐる冒険

ネットにちらばる都市伝説=ネットロアを、できるかぎり解決していきます。

暴力とアンパンチのやなせたかし史、カソウテキの行方

いわゆる「アンパンチ論争」は、意外に各方面へ広がりをみせました。

 

 大人気アニメ「アンパンマン」は、主人公のアンパンマンが、悪さをするバイキンマンを「アンパンチ」でやっつけますが、この場面を見た乳幼児が「暴力的になる」と心配する親の声がネット上で見られます。アンパンチでバイキンマンをやっつけ、「めでたしめでたし」とする話の流れが、「暴力で物事を解決すること」をよしとする考えを植え付けないかという意見です。逆に「全く影響ない」とする声もあります。 

「アンパンチ」で暴力的に? 心配する親も…メディアの暴力シーンは乳幼児にどう影響? | オトナンサー

 

上記がおおもとの記事ですが、ここまで反響を呼ぶとは執筆者も思わなかったでしょう*1

 

この手の話は何も最近のものではないな、と思ったので、私も、過去のやなせたかしの発言を載せて呟いた*2のですが、これも思ったより反響がありびっくりしました。ただ、私はtwitterでの呟きは正確性に難があると思っているので、もう一度調べなおし、やなせたかしと彼の考える暴力についてまとめなおしてみました、

 

 

***

 

「アンパンチ」はいつからあるか

そもそも「アンパンチ」はいつから存在するのでしょうか。

現在の形に近い「アンパンマン」が生まれたのは1973年*3です。

 

あんぱんまん (キンダーおはなしえほん傑作選 8)

あんぱんまん (キンダーおはなしえほん傑作選 8)

 

 

この中でアンパンマンは、旅人やこどもに自分の顔のパンを分け与えながら、最後は顔をすべて失ってしまいます。ここに敵は出てきません。

 

バイキンマンが初めて登場するのは1979年の「あんぱんまんとばいきんまん」の中です。

 

あんぱんまんとばいきんまん (キンダーおはなしえほん傑作選 43)

あんぱんまんとばいきんまん (キンダーおはなしえほん傑作選 43)

 

 

作者自身があとがきで「こんどのあんぱんまんは、たたかういさましいあんぱんまんです」と書いたように、ここはアンパンマンの転換点だったでしょう。「アンパンチ」は出てきませんが、バイキンマンをグーでやっつけている絵は見られます。

 

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同上 P25

 

テレビ放送の開始は1988年10月です。バイキンマンは2話目の「アンパンマンとばいきんまん」の中で登場しますが、この時はジャムおじさんたちに洗剤で洗われて小さくなって逃げていきます。

 

「アンパンチ」が登場するのは、3話目の「アンパンマンとカレーパンマン」で、掃除機みたいなのを逆噴射するバイキンマンに向かって、飛びながら「アンパンチ!」と叫んで倒します。ただ、バイキンマンはこのとき地面に倒れるだけで、その際に逆噴射装置が口の中に入って頭が風船のように膨らみ、「はひふへほ~」とふわふわ飛んで行ってしまう、という感じです。

 

「アンパンチ」でぶっとぶのは、5話目の「アンパンマンとしょくぱんまん」で、この時は、しょくパンチ・カレーパンチを立て続けにくらい、最後に「アンパンチ」で山の方まで吹っ飛ばされました*4

 

絵本などを含めたアンパンチの初出まではわかりませんでしたが、少なくともアニメ版は初期から「アンパンチ」が出てきていました*5

 

 

「アンパンチは暴力」言説について

アンパンチを暴力的とみる意見は、どのぐらい前からあったのでしょう。

 

試みにネットを紐解いてみると(もちろん今回の件より前の日付で)、確かにそういう意見がちらほら見られます。

 

例えば2012年4月のママ友掲示板みたいなところでは、「アンパンマンを不潔という夫」というスレッドに以下のコメントが寄せられています。

 

私の親戚(外国人)は
「アンパンマンは暴力的」
と言い、子どもに見せたがりません。
また不潔ではないのですが
「ほいほい人に物を与えるのが心配」
だそうです。

アンパンマンを不潔と言う夫 : 妊娠・出産・育児 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 

 

2006年8月には、mixi(なつい!)の青山学院大学教育学部にコミュに、「アンパンマンの暴力についてどう思うか」というスレッドが建てられています。

 

子どもたちが大好きなアンパンマンではあるけれども、悪(ばいきんマン)を倒すためには暴力もやむを得ない、という部分に対し疑問を感じる人もおり、保育現場でどう考えたらいいか悩んでいる、とのこと。

[mixi]【アンパンマンの暴力についてどう思うか】 - 青山学院大学 教育学科 | mixiコミュニティ

 

これについて回答は「テレビの影響は人それぞれ」「家庭内でコミュニケーションが大事」といったようなものが付け足されています。

 

こんな調子で、どちらかというと、「私はアンパンマンは暴力的だと思う」というよりは、「そういう風に思う人がいるみたいだけど」的な語り口が多いですね*6

 

「アンパンチ論争」は2002年11月12日の朝日新聞高知版にも掲載されています。

 

正義の味方「アンパンマン」が一部の母親たちに不人気である。例えば私の知人の次のような体験談。東京都内の主婦Aさん(30)は2歳の男の子の母親だ。キャラクターのかわいらしさにひかれてアンパンマンのビデオを繰り返し子どもに見せていた。すると、いつの間にか子どもがアンパンマンの無敵の技「アンパンチ」をまねするようになり、ある時、友だちに軽いけがを負わせてしまった。それ以来、心配になり一切見せるのをやめたという--。

朝日 高知版 2002/11/12 P32

asahi.com : MYTOWN : 高知

 

上記リンクから全文読めますが、当該記者が参照したと思われるページがいくつかアーカイブに残っています。

 

2001/08/07 16:35:24
バイキンマンが可哀想かと・・・
どっちかっていうと、問題を暴力で解決して、
しかも子どもたちをアンパン(?)で洗脳しまくってる、アンパンマンの方が悪のような・・・
それにアンパンってのも、イメ-ジ悪いような気がするんですけど・・・(大麻?)

♪目玉が散乱~ 事故現場~♪←(をい)*7

それいけ!アンパンマン

 

ネットでも新聞でも、テキストとして残っている古いものはこの2001年の書き込み群です。これは子どもへの悪影響…みたいな論調ではありませんが。

 

初め私は、この手の話は放映開始当初からあったというようなことを読んだ気がしていたのですが、これは間違いで、1973年に(原型という意味で)初めてのアンパンマンの絵本を出した際に、自分の顔を食べさせる点について、「残酷だ」というクレームがついたという話*8と誤認していました。すみません。

 

しかしいずれにせよ、「アンパンマンは暴力的だ」という論調はここ20年程の間から続いているわけで、目新しいものではないことがわかります*9。もっと言うならば、「暴力的な漫画やアニメの影響」を心配する話は、悪書追放運動やらアメリカのコミックス倫理規定委員会*10などなど、まあ、例示には事欠きません。

 

やなせのアンパンチ論

「アンパンチと暴力」について、やなせが直接答えたのは、私が探した中では過去2件だけです。

 

1つは、twitterでも呟いた、朝日高知版のもの。やなせは出身の高知県庁を訪れていたところを、インタビューされたようです。

 

「けんかもせず、摩擦をおそれ、なにもしないで成長する子どもはいますか? 自分が子どものころは、よくチャンバラごっこをやったけど、だからって私は殺人はしませんよ。

 アンパンマンがパンチを切り出すときは、ぎりぎりの線。そしてアンパンマンは一切、武器を持っていないでしょ。相手を傷つけないで、戦っているんです。そう受けとってもらえないのは少し不本意ですね。

 大人になっていく過程で、いろいろ思い通りにいかないこともあります。子どもたちにはアンパンマンのように強く、優しく育ってほしいと願います」

asahi.com : MYTOWN : 高知

 

もう一つは、おそらくこの話がきっかけとなって書かれたであろう、高知新聞に連載していた「オイドル絵っせい」2003年6月7日。

 

 アンパンマンはバイキンマンをアンパンチで撃退するが、このアンパンチにクレームをつけたお母さんがいる。

「アンパンマンはアンパンチの暴力で解決するのは許せない。子どもにはこんな暴力的なアニメは見せない」ぼくはこのお母さんに聞きたい。

「それであなたのお子さんが風邪をひいた場合、あなたは風邪のウイルスをやっつけないで許してやりますか?」たしかに暴力はよくない。しかし病気になった時バイキンをそのままにしておけば死んでしまう。なんとかしてバイキンを身体の外へ追放するか、攻撃するしかない。

 やむにやまれぬアンパンチ!ということになる。

続・オイドル絵っせい これじゃあ死ぬまでやめられない! P26

 

やなせはしばしば、アンパンマンが「弱い」という表現をします。

 

やなせ アンパンマンはですね、何も力がないんですよ。
鶴瓶 火吹くとか、あん出すとか、何かないんですか。
やなせ アンパンチっていうのがあるんです。「アーンパンチ!」って言ってパンチする。普通のスーパーマンは何とか光線とか、いろいろありますけど、アンパンマンには何もないし、何の武器もないんです。

平成日本のよふけ―人生の大先輩が熱く語る「日本の皆さんへ」 P119

 

もともと食べ物だから汚いものが苦手で「かびるんるん」には弱いですし、顔が雪や水にすこしぬれてもすぐに「力が出ない」と情けなくダウンしてしまいます。史上最弱のスーパーマンかもしれませんね。

わたしが正義について語るなら (未来のおとなへ語る) P154

 

やなせはアンパンチができた経緯を、「相手をポカポカに殴るのも悪いので一発でポカーンとやってしまおう、アンパンだからアンパンチ」(前掲 P154-155)と名付けたと語ります。だから、「アンパンマンは、なぜすぐにばいきんまんをアンパンチでぶっ飛ばさないのですか?」という子どもの質問にもこう答えます。

 

できれば闘いたくない、ばいきんまんとも友達でいたいのです。だけど、そうもいかないのでこらしめるために、アンパンチ!

アンパンマン大研究 P56

 

やなせは、少なくとも彼自身の中では、「暴力」との線引きを意識的にしていると感じます*11

 

誰も死なない世界

当然といえば当然なのですが、アンパンマンはファンタジーなので、現実の世界とは異なります。やなせはアンパンマンの世界を「不老不死」の世界だと書いています。

 

アンパンマンワールドは、不老不死の世界なのです。

前掲 P49

 

思考実験として、誰もが死ぬことのない世界で、果たして「暴力」はどの程度有効に働くのか?と考えてみるのもおもしろいです。

 

それはさておき、アニメの中ではよくある話といえばそうなんですが、やなせはこの設定にもかなり意識的であると感じました。

 

バイキンマンとアンパンマンの戦いについてやなせはこう述べています。

 

ばいきんまんだってやたらにふんづけたり「最後だ、とどめだ!」とかやっているけど、アンパンマンが死ぬことはない。(中略)本当にはやられないように手加減しているのじゃないかな。そういうことで、アンパンマンとバイキンマンは戦ってはいるけれど、ある部分は仲良しがじゃれ合っているというところもある。ばいきんまんは、やられても次の週になると平気な顔で出てきます。

わたしが正義について語るなら (未来のおとなへ語る) P155

 

 

そして、アンパンマンとバイキンマンの関係を「光と影」と呼び、現実の感染になぞらえながらこう語ります。

 

 残念ながらそれが健康な社会なんですね。ばい菌が絶滅すると、人間も絶滅する。絶えず両方が拮抗して戦っているというのが健康なんです。何人かは負けて死んでいくけれど、それも仕方がないんだよね。たとえ人間が善人ばかりだとしても、増えすぎちゃダメなんです。*12必要悪という言葉がありますね。つまり光がなければ影もないし、影もなければ光もない。

同上 P157

 

この「光と影」の考え方は昔から語っていて*13、二人の関係をやなせは「アンパンマンは「正義の味方」、ばいきんまんは「正義の敵」(「アンパンマン大研究」P59)」と呼んでいます。そして、「ばいきんまんは、なぜアンパンマンをやっつけようとするのですか」という質問にはこう答えます。

 

アンパンマンと闘うために存在しているからです。正義は、悪がなければ成り立たないのです。

同上 P59

 

そして、その「バランス」が大事なのだと語ります。

 

善の心をアンパンマン。悪の心をバイキンマンとか、敵側として表現しています。善の心が悪の心に打ち勝つことがあって、人は抵抗力を身につけ精神的に鍛えられ、成長する。善悪のバランスがあってこそ抑制力もできてくる。絶えずバランス感覚をもった人間であることは、人として生きていく上で必要です。

もうひとつのアンパンマン物語―人生は、よろこばせごっこ P27

 

バイキンマンというキャラクターを生んだ時から、やなせにはこの二項対立(共存)が頭にあったのでしょう。 この「アンパンマン・ワールド」の理屈を知ると、大人の我々は安易に「暴力云々」と言ってはいけない気持ちになります。

 

やなせの「暴力」と正義

やなせ自身は「暴力」について厳しい態度をとっています。

 

今のアンパンマンの原型の1973年の絵本「あんぱんまん」のあとがきで、やなせはアンパンマンというヒーローの誕生をこのように語っています。

 

子どもたちとおんなじに、ぼくもスーパーマンや仮面ものが大好きなのですが、いつもふしぎにおもうのは、大格闘しても着ているものが破れないし汚れない、だれのためにたたかっているのか、よくわからないということです。

あんぱんまん (キンダーおはなしえほん傑作選 8) あとがき

 

また、孫引きになりますが、1976年6月号の『詩とメルヘン』でも「あたりじゅうメチャメチャに踏み荒らしても、被害者に謝りにいったいりしない」スーパーヒーローたちへの違和感を表明し、「本当の正義とはいったい何だろう」と問いかけています*14 。やなせの中で、既存のヒーローたちがかざす「正義」は、「暴力」と似たものに映ったのです。

 

よく言われることですが、アンパンマンの誕生にはやなせの戦争体験が大きなウェイトをしめていると語られます。

 

しかし、正義のための戦いなんてどこにもないのだ。

正義は或る日突然逆転する。

正義は信じがたい。

僕は骨身に徹してこのことを知った。これが戦後のぼくの思想の基本になる。

逆転しない正義とは献身と愛だ。それも決して大げさなことではなく、眼の前で餓死しそうな人がいるとすれば、その人に一片のパンを与えること。これがアンパンマンの原点になるのだが、まだアンパンマンは影も形もない。

アンパンマンの遺書 P61

 

最大の暴力装置である戦争の経験を経て、それでもなお「暴力」に頼る日本のヒーローたちに疑問を呈して生まれたのがこのアンパンマンです。彼の正義は倒すことではなく、自ら傷つき守ることにあります。

 

だから、やなせは昨今の暴力表現については疑いをもって接しています。

 

 サバイバルナイフをふるって家族殺人の凶行をした少年の愛読書がいわゆるバイオレンスものの残酷殺人漫画であると知った時、またかと思って心が暗くなった。

(中略)

 ここでぼくは愕然としたのだ。

 老人のぼくと同じく免疫力の弱い少年少女がこの種の映画を夜見ることが続くと血の中に相当の刺激をうけるにちがいない。

 オイドル絵っせい 人生、90歳からおもしろい! (新潮文庫) P292*15

  

最近の読者は、敵をむやみと殺したり刺激が強い漫画に慣れています。殺しあいの場面がない、アンパンマンには徹底的にやっつける場面がないので、読者を満足させるということでは、生ぬるくて、刺激がなさすぎるかもしれません。でも刺激があるということが必ずしもいいことではありません。激突ばかりでは神経がマヒします。

もうひとつのアンパンマン物語―人生は、よろこばせごっこ P26

 

ここまでの信念をもって生まれたアンパンマンが、「暴力」の話として語られてしまうのが、なんとも皮肉なことだと思いませんか。

 

今日のまとめ

①アンパンチ論争は遅くとも2000年代初期から存在する。

②やなせは、武器をもたないアンパンマンの「アンパンチ」は「暴力」の対極にあると考えている。

③アンパンマンの世界は、「正義」と「悪」を具象化した世界であると、やなせの発言から考えることもできる。

④また、アンパンマン自体は、戦後を経てもなお暴力的に解決しようとするヒーローたちへのアンチテーゼとして生まれた存在であり、そのアンパンマンが「暴力」の枠組みで語られることは皮肉である。

 

テレビではいろんなタレントや芸能人が、持論をかましていました。しかし私は思うのですが、その中にどれだけ、今回の論争を契機に、「久しぶりにアンパンマンを見てみようか」とか「やなせたかしの本でも読もうか」と思った人がいるでしょうか。今回の論争(と呼べるのならば)は、「アンパンチ」ではなく、アンパンマンを見させない「親」という、抽象的な存在に関する議論になっていると感じました。もちろんそういう人たちは存在するようですが、議論の俎上にあげられていたのはもっと概念的な「親」です。輪郭のはっきりしない仮想の「親」を批難することに、どれほどの意味があるでしょうか。仮想の敵を仮想の空論で論じることは不誠実だと思います。一度アンパンマンを見て、やなせの本をすこしでも読んで、その事実をつらまえて何かを語るというのが誠実な態度ではないでしょうか*16

 

私は別にアンパンチを嫌う親がいても良いと思います。よく心理学で「暴力表現と子供の素行の影響」みたいな実験がありますが、何を「暴力」と定義するかは難しい問題です*17。社会全体で「暴力」に対する絶対的なコンセンサスは存在しないのですから、ぐっとレベルを引き下げてアンパンチを「暴力」と見なすというのは価値観の問題でしょう。価値観は正誤の問題にはなり得ないと思います。アンパンチを嫌い、子どもから遠ざける「親」を単純にイメージとして否定し続けることは正義なのでしょうか。その正義は、アンパンマンの正義からは遠く感じます。

*1:

記事内の教授は 

こうすればよいという明確な解決法はなく、難しい問題ですが、テレビ番組やゲームソフトの話が子どもたちの話題や遊びの中心になることもあるので、私自身は、そのような番組を一切見せないよりは一緒に見ながら、さまざまなことを教えていった方がよいと思います

と、かなり穏当な意見を述べているのですが、そこに多くの人はふれないあたり、まとめに書いたように、人は目に見えないものをポカスカする方が性に合ってるんでしょう

*2:

ネットロアをめぐる冒険 on Twitter: "アンパンチの意図について、やなせたかし本人の言葉。

*3:

 

((

この「あんぱんまん」の初出を1973年としているもの(ユリイカ2013年8月号)や、1976年(やなせたかし大全)としてるものがあります。おそらく「キンダーおはなしえほん」の雑誌に掲載されたのが1973年、フレーベル館から出版されたのが1976年、ということか、どうも表紙を描きなおした経緯があるようで、それが1976年かなあと思うので、ここでは初出であろう1973年を採用しています。

*4:

以上、このDVDから見られます。

 

 

*5:

アンパンマンの絵本は図書館でも人気があってなかなか借りられずに調べられませんでした。また、やなせはアニメまでの間に舞台をやったり、漫画を描いたりとしていたので、「アンパンチ」の初出の見極めはちょっと難しいです。ちなみに、初期は「アンパンチ」で解決しないことも多く、定番化してきたのはもう少し後かもしれません。

*6:

無論、「私は嫌いです」の人もいます。

子「アンパンマン好き~」
親「そうなのー、どうして?」
子「バイキンマンがわるいことしたらアンパンチで助けてくれるんやで~」
親「えーそうなの?お友達が悪い事したらパンチしてもいいの?」
子「バイキンマンはオトモダチじゃないんやで!」
親「じゃぁ、オトモダチじゃなかったらパンチしてもいいの?」
子「うーん。」
親「◯◯ちゃんは、公園で悪い子に会ったらたたくの?嫌なことされたらパンチするの?」
子「しない!」
親「そうだよね。お口でやめてって言えるよね。お母さんはアンパンマンは叩くから嫌な気持ちだな~」

アンパンマンを見せないで育てたら一度もブームが来ずに4歳を過ぎた話…|女医の子育て

 

0歳の娘がいますがアンパンマン見せたくありません。好きじゃないからです。理由はいろいろ(問題を暴力で解決するところや、顔を食べさせるという行為の気持ち悪さ、キャラクターのデザインなど)ありますが、要は好きじゃないからです。

アンパンマンを不潔と言う夫 : 妊娠・出産・育児 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 

ただ傾向としてマイノリティかなあという感じです。

*7:同じ文言を朝日新聞は記事内で引用していますが、もしこのサイトを見て引用したのならば、ちょっとまあ、いかがなものかなという気はします。他の引用についてもかなり改ざんされていて不適切です。下記サイトで検証していました。

- BlackAsh -

他にも、

アンパンマンの効能?では、自身の引用が要約されていて本意が伝わっていないことや、そもそも主婦ではないと伝えています。

最後の引用についても、バトルロワイヤルとアンパンマンの違いという、「初カキコ…ドモ…」系のページで、これはアンパンマン批判かなあという感じです。

この朝日の記事の引用部分はどうも恣意的な切り取られ方をしていて、そうするとリード文にあるアンパンマンを見せるのをやめさせ知人の主婦だって存在するのかどうか疑わしくなるほど、少々信頼性が揺らぐ稚拙な記事です。

*8:

幼稚園の先生からは、顔を食べさせるなんて残酷だと苦情がきました。

わたしが正義について語るなら (未来のおとなへ語る) P121

など。やなせはいろいろな機会でこの話をしています。

*9:

これが、2000年代に入ってから新しく出てきたものなのか、ネットの発達による可視化の結果なのかは見極められません。ただ、前者とするならば、アンパンマンの放映開始は1988年なので、そのころ見ていた子どもたちが親世代になっているわけです。時代が一回りして、アンパンマンが常にそばにあった子どもたちが、いろいろ考え始める時期なのかもしれません。

*10:

コミックス倫理規定委員会 - Wikipedia

*11:

「アンパンマンとドーナツマン」第46話(1989年8月28日)には、「どっちが本当の世界一の正義マンか戦って決めるんだ」というドーナツマンに対して、「世界一の正義マン?正義の力は喧嘩のために使うものじゃないんだよ」とアンパンマンに答えさせています。(ちなみにこの情報はWikipediaから知りました。

アンパンマン (キャラクター) - Wikipedia かなり詳しいです

*12:中略

*13:

だからアンパンマンとバイキンマンは光と影みたいな関係といえばいいのかな。

続・オイドル絵っせい これじゃあ死ぬまでやめられない! P27

 

アンパンマンとばいきんまんは、光と影、陽と陰、あるいはプラスとマイナスのような関係です。どちらか一人だけでは存在できません。お互いそのことをよく知っているのでしょう。

アンパンマン大研究 P55

 

*14:

以上は「ユリイカ 2013年8月臨時増刊号」P28より

*15:

どうでしょう、この発言は、現代の皆さんにはちょっと食傷気味のものに聞こえませんか。やなせはこう続けます。

「ぼくは古い時代の人間だからまちがっているのかもしれない。感覚的にも古風である。/だからほとんど批判はしない。昔は昔、今は今だと思って沈黙している。/しかし漫画や絵本をつくる仕事を職業にしているので、その精神的な影響はどうも気にかかる」(同上 P293-294)

この慎重な書き方に、やなせの仕事に対するプライドを感じます。

 

*16:

「カソウテキ」の副題を使うのは二度目です。すみません。

*17:

テレビ要因として,「暴力的なテレビ番組」をとりあげ,「暴力的なテレビ番組を見ると攻撃的になるだろう」という仮説を考えたとします。そこで,暴力的なテレビ番組を見る,ということを測定していくわけですが,まず一つの問題は,「暴力的なテレビ番組とはどんな番組か」ということです。私は授業の中で「アンパンマンって暴力的だと思わない?」と言って学生を困らせることがよくあるのですが,皆さんはどう思いますか?(だって,すべての問題を「アンパンチ!」で解決するじゃないですか!?)つまり,どんな内容が含まれていると暴力的か,ということをはっきりとさせておかないといけないわけですね。

with|通信教育部|東北福祉大学

 

この教授はここで冗談めかして「アンパンチ」を取り上げていますが、そこは現実の方が上手だったようです。