ネットロアをめぐる冒険

ネットにちらばる都市伝説=ネットロアを、できるかぎり解決していきます。

「電車内の化粧」の歴史をたどる、「礼儀」を重んじる国

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さて、流れのはやいネットの中ではもはや旧聞に属するのでしょうが、東急の電車マナーの標語が話題になりました。

nlab.itmedia.co.jp

東急電鉄の広告(およびCM)で、「都会の女はみんなキレイだ。でも時々、みっともないんだ」というコピーと、実際に車内で化粧をする女性の写真をのっけています。まー、この1週間ほどの間に、本当にいろいろな賛否両論があったかと思います。

 

その中で、私が気になったのは、谷崎の『細雪』の中に、既に電車で化粧をする場面が出てくるというものです。

 

 

ツイート自体は4年前の古いものですが、結構リツイートしている人を見かけました。『細雪』なんてずいぶん昔に読んだきりなのでよく覚えていなかったのですが、改めて読んでみると、確かにありましたね。

 

「実は何ですよ、一週間程前のことですが、或る日わたくしが阪急電車に乗りますと、風上の方の隣の席に盛装を凝らした御婦人が掛けておられましてな、ハンドバッグからコムパクトを出して、こう―――鼻のあたまをパタパタ叩たたき始めたと思ったら、途端にわたくし、続けざまに二つ三つ嚏くしゃみが出ましたんですが、そんなことッてございますもんでしょうか」
「あははははは、それはその時、五十嵐さんの鼻がどうかしていらしったんじゃないでしょうか。コムパクトのせいかどうか分りませんわ」
「とまあ、わたくしも一度ならそう思うところでございますが、前にもそう云う経験がございまして、その時が二度目なんでして
「ああ、それほんとうでございます」
と、幸子が云った。
「―――わたし、電車の中でコムパクトを開けて、隣の人に嚏されたことが二三度ございます。わたしの経験を申しますと、上等の匂のするお白粉ほどそう云うことが起りますの」

*1

 

『細雪』の刊行自体は、私家版は1944年。冒頭の部分が中央公論に掲載されたのは1943年です。作品の時代設定は1936年~1941年ごろと言われています。確かにツイートのように、「電車内の化粧」自体が無作法である、とまでは言ってはいませんが、この頃から「日常風景」だったのでしょうか。

 

しかしながら、小説は小説ということで考慮しなければならない部分はありますので、いったい日本において「電車内の化粧」が、歴史的にどのように解釈されていたのか、というのを紐解いていきたいと思います。

 

 

***

昔から「マナー違反」の指摘はあった

 

さて、実際の様子はどうだったのか、新聞から探ってみます。

1935年6月18日の朝日新聞に「夏の身だしなみ 若き女性に警告する 人前で憚る事ども」というタイトルで、電車内の化粧に関するコメントが載っています。

 

暑い夏がやつて来ました、何はさて置き婦人は均しく化粧崩れで困るやうになります。電車の中や汽車其他人混みの場所で、ところ構はずコンパクトを出してはパタパタ頬をはたき果ては衆目を浴びつつ口紅までも念入りに塗っている人達をよく見受けます。お化粧は婦人の身だしなみだから、決して怠ってはなりません。が、然し人前も憚らずあのやうにお化粧しているのは、余り感心致しませんし、第一私の地肌ではこれをやらなければ駄目なのです……と自分の弱点を告白しているやうなものでせう。お化粧はそれぞれの持って生れた個々の美しさを生かす事ですから人の見ない場所でお化粧して、そしてコテコテやつていないやうに見せてこそ、始めて婦人の身だしなみとなるのではないかとい思ひます

 

「平田信子女史」なる方が、苦言を呈しています。彼女の言葉を信じるならば、「よく見受けます」とあるので、昭和10年代にはそれなりに見かけられた光景だったのでしょうか。『細雪』とは違い、それを快く思っていない人もいたようです。

 

実は新聞紙上には、その後とくに「電車内の化粧」のマナーに関する言説は出てきません。電車内のマナーとしては、1948年の天声人語で「席の占領について」の苦言などはあるのですが*2、化粧については特にありません。

 

次に現れるのが1967年。読売新聞*3に、最近の「ハイティーン」の話題の中の一つとして、電車内で化粧をする女子学生の写真を載せつつ、「ガラあきの車中でひとりつれづれなるままに日ぐらし鏡に向かっての身だしなみでしょう」と皮肉まじりに書いていますが、よく見られた光景なのか、どこまで周囲が批判的に認識しているのかまではわかりません。

 

次はとんで1985年の投書欄。「やおらバッグの中から化粧道具を取り出し、 上手に化粧し、変身していく」様子を「「恥じらい」なく 「非常識だな」と思う半面、あまりに堂々とした行動にあっけに取られたり、感心」し「目立つことをよしとする今の若者に、抵抗を感じるのは私一人でしょうか」という心境がつづってあります*4。周囲の様子も呆気にとられていたと書いてあるので、当時はそこまで頻繁に見られる傾向ではなかった、ということでしょうか。1987年に、電車マナーの注意の仕方の読者投稿の特集があるのですが、そこには「このクソばばあ」という暴言を吐く男の話だったり、酔客の様子だったりして、化粧については触れられていません*5。1989年にも夕方のラッシュ時に「いきなりお化粧を始めた」娘さんに、「私が時代遅れ?」という投書が載っています*6

 

「電車内の化粧」が頻繁に出るようになってくるのは、この1980年代後半から1990年代にかけてです。

 

朝日は1996年に「増える「視線平気症候群」」という題名で、電車のマナーについて特集しています。

電車の中で、化粧をしたり、飲み食いしたり、携帯電話をかけたり、抱き合ったり…。最近ますます目につくようになった、若者のこんな姿にまゆをひそめる*7

 

この記事が面白いのは、記者が実際に「通勤ラッシュが一段落した午前中」に「都内の地下鉄で十日間」「往復八十分」観察した結果が書いてあることです。化粧をしている女性は3人という結果が出ていました。髪をといたり、枝毛を切ったりする女性も3人いたということで、多いか少ないかは微妙なところですが、そうそう珍しいものでもなくなってきたというところなんでしょうか。

記事内では、岡本信也という人が、「若者たちは一人っ子が多く(中略)自分の空間をつくるのがうまい。マナーは時代状況で変わる。かつては、車内での授乳は普通だった」と、時代の流れとして肯定的に捉え、関西大学の永井良和助教授(大衆文化論)は、「モラルの崩れというより、プライバシーの形の変化。メディア環境などの変化によってプライバシーを構築し直す過程」と評しています。

 

そこからは、1年に何回かは、「電車内の化粧」について、投書や特集が組まれることが増えてきます。1997年の天声人語では「車内で化粧をする女性は、珍しくはない。若い層に多いような気がする」*8、中国からの留学生が「茶髪、ミニスカートの女子高生のカバンを開いても本なんか全然ない。電車の中では化粧品を出して、周囲を気にせず堂々と化粧をする」*9と驚き、1999年には「外メーク」という造語が紹介され*10、「電車の中やターミナルで 戸外での化粧を指す言葉」と説明し「「化粧は人目につかないところで」と教えられた世代には顔をしかめる人が多い」だろうがと付け加えています。

 

2000年代も「席に座るなり化粧を始めた若い女性」に顔をしかめる48歳男性だったり*11、JRのマナーキャンペーンで「高校生のマナーの悪さ」として「携帯電話を使用したり、化粧をしたり」と槍玉に挙がっています*12。2003年の「電車内で不快なこと」という読者アンケートの結果を載せた記事では*13、「電車内の化粧」は8位にランクインしています(ちなみに1位は「子供が騒いでいるのに知らんぷり」)。

 

傾向としては、1930年代にある程度見られた「電車内の化粧(もしくはそれを批判的に見ること)」の傾向が、一度廃れ、1980年代後半ごろから復活し始めた、という見方ができそうです。

 

市民権を得始めた「電車内の化粧」

2000年代の中期ぐらいから、批判一辺倒だった「電車内の化粧」に、肯定的な意見が出始めます。

 

例えば、朝日の2006年6月3日の投書では、37歳の女性が「人前で化粧をすることって、そんなに見苦しいものなのでしょうか」と、疑問を呈しています。化粧をする女性たちが特に「他の乗客に迷惑」をかけていなかったとことや、「周囲の人たち」も、特に「嫌な顔」をしていなかったことを挙げています。

 

この投書は反響が大きかったようで、この近辺の投書欄は「電車内の化粧」に対する賛否両論が巻き起こります。「人前での化粧、歴史的にも恥」と題して批判する41歳女性大学助教授*14や、「周りの人を気遣えない、デリカシーのない人のように感じる」*15という39歳女性や、「今時の年配者も威張れたものではない」*16と、化粧よりも自分自身の行動を振り返るべきだという39歳の女性の反論、初めて化粧をした「我が子に対する気持ちで接すれば」*17いいと言う17歳男子高校生がいたり、「公共の場で化粧することは売春のサイン」*18と知ってやめたという41歳女性がいたり、まあ、意見がいろいろです。しかし、いままでの批判だけとは違ったうねりを感じます。

 

日本民営鉄道協会が2000年から行っている「駅と電車内の迷惑ランキング」を見てみると、「電車内の化粧」は、ランキング自体の変動はバラバラですが、回答のパーセンテージは上げていることがわかります*19

 

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しかし、2009年の6位を頭打ちとして、その後は「電車内の化粧」についての回答に占める割合は少しずつ下がり始めています*20

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ここは個人的な見解になりますが、2000年代後半にピークを迎えた「電車内の化粧」という現象は、その数自体は変わらなくとも、というより一定の数を保ち続けたからこそ、2010年代から、世の中の市民権を得始めたということなのではないでしょうか。

 

「電車内の化粧」をする必要性はなぜ生まれたか

そもそも、「化粧」という行為は、日本人にとってどういう意味をもったものなんでしょうか。

本項と次項では以下の本を参考にしつつ、他の近代図書を援用しながら話を進めます。

 

化粧の日本史: 美意識の移りかわり (歴史文化ライブラリー)

化粧の日本史: 美意識の移りかわり (歴史文化ライブラリー)

 

山村は、明治以前の日本人の化粧を、「社会的機能」を持ったものとして、江戸時代に確立されたと書いています*21。確かに、既婚者がお歯黒を塗ったり、眉をそったりするという行為は、オシャレのためというより、社会的な表示の機能がメインだったでしょう。

それが、明治時代の欧化政策で、化粧の西洋化も進み、日本人の美意識が少しずつ変わっていきます。代表的なのが、大正時代の「モダンガール」のような女性の出現でしょう。

latte.la

彼女たちは「「個性美」という自由な自己表現」で、後に続く女性たちをリードしたといえます*22

 

大正から昭和初期にかけては、職業婦人が増え始めたことを背景にか、化粧品の広告の新たな価値基準に「スピード」というものが加わり、大正7年には「レートメリー」という化粧品が、「現代的一分化粧料」と、手軽さ・速さを銘打った広告をうった商品を出し、資生堂などもそれに続きます*23

 

いわゆる「コンパクト」が出始めるのもこの時期です。日本には大正末期から登場したそうで、やはり女性の社会進出を受けてではないか、というところのようです*24。少し時代は下りますが、1940年の輸出品見本の資料の中に、現代のものとさほど変わらないコンパクトの写真が見られます。

 

国立国会図書館デジタルコレクション - 大阪市蒐集海外競争品見本集. 第2輯 中南米(8コマ目)

 

そもそも、「電車内の化粧」をするためには、戸外で化粧ができるような道具が存在しないといけません。且つ、その道具が社会的ニーズを求められるためには、人々が戸外で化粧をする必要がなければなりません。その意味で、「電車内の化粧」の発祥は、職業婦人や「個性美」の追求をする女性が増加し始めた、この大正から昭和初期にかけて、と考えることができるでしょう。

 

化粧は誰のためにするのか

しかし、ここが日本的な「化粧」観のねじれだと思うのですが、いわゆる「個性美」を追求したモダンガールの存在はごく少数で*25、多くの女性にとって化粧は「身だしなみ」「礼儀」として考えられていました。「自分」が美しくなるため、というよりも、「他人」が不快に思わないため、という考えです。

 

たとえば、1906年(明治39年)の『化粧の手引』(家庭新報社)には、次のような前書きがついています。

 

礼儀が自分の満足とゝもに他人に満足を与ふる作法でありますから、美しいものを好んで醜いのを嫌ふといふことが、自分も他人も同じ心であることを考へますと、美しくするといふ容姿を整へる所作は、自分が美しいので喜ばしいとヽともに、之を見る他人も亦喜ばしく思ふのですから(中略)先づ礼儀には容姿を整へるということが必要です。*26

他にも、1901年(明治34年)の『婦女の栞』には「婦女の紅粉翠黛を施こすは男子に媚を呈するにあらず、実に婦人の礼とはなれり」と打ち出し、「化粧の身だしなみは、早朝に之をなすべし」といい、なぜなら「寝顔を見せ、髪の乱れたるさまを見らるヽは無下に卑しき」こととして 、貞女の行いとして厳格に戒めています*27

 

この手の言説は枚挙に暇がなく、『男女美容編:実用問答』(1907年)には「女は女らしく身分相応のお化粧をするのが婦人にとつて忘れてはならぬ日常の務め」*28とあったり、1938年の『正しい礼儀と挨拶』では「自己満足のための化粧ではなく、人のための、礼儀としての化粧でなければならぬ」*29と書かれていたり、時代が下っても化粧と「礼儀」の関係が続いていることがわかります。

 

うーん、現代でこんなことを言ったら、田嶋陽子に張り倒されそうですが、化粧技術が進んでも、日本人にとって「化粧」の意味とは、未だにこの「礼儀」の観念が根強く残っているのではないでしょうか。「電車内の化粧」の議論は平たくしてしまえば、「化粧」を個人主義的観点から見るか、「良妻賢母」に代表される伝統的(擬似儒教的)観点から見るかの対立の構図にも見えます。

 

「若者」はどこへ消えた

以上を踏まえながら、もう一度、前述した新聞の投書をごらん頂きたいのですが、いつの時代も、「電車内の化粧」をしているのは、「若者」だと思いませんか?

 

夏の身だしなみ 若き女性に警告する 人前で憚る事ども(1935年)

目立つことをよしとする今の若者に、抵抗を感じるのは私一人でしょうか(1985年)

隣席の娘さん、いきなりお化粧を始めた(1989年)

若者のこんな姿にまゆをひそめる(1996年)

若い層に多いような気がする(1997年)

ミニスカートの女子高生のカバンを開いても本なんか全然ない。電車の中では化粧品を出して(1999年)

席に座るなり化粧を始めた若い女性(2000年)

 

若者は永遠に若者ではないので、「電車内の化粧」の年齢層は基本的にスライドしていってもよいと思うのですが、なぜかいつの時代も槍玉にあがるのは「若者」なんですね。私はこの現象がなかなか面白いと思いました。

 

特に、1935年当時の「若き女性」は、1985年当時だってもうおばあちゃんでしょう。「私だって若い頃は電車で化粧したもんですよ」とか言う人がいたっていいんじゃないんですか? やはり、昭和初期に電車内で化粧をしていた人はそんなに多くはなかったのでしょうか。

 

私は、この昭和初期の「電車内の化粧」がクローズアップされない理由に、その後の太平洋戦争が関係しているのではないか、と推察します。先ほどの『化粧の日本史』によれば、昭和19年の化粧品の生産数は対前年比では約78%まで落ち込んだとあります。山村は「太平洋戦争の最後の二年は、実質的に化粧の空白期だった」と述べています*30

 

大正デモクラシーで花開いた自由主義的風潮は、戦争によって大きく衰退することになります。それに併せて、「個性美」を追求したモダンガールたちは姿を消し、化粧はやはり「礼儀」の存在として残ることになります*31。化粧の空白期と同じく、ここで一度、「電車内の化粧」のような化粧の個人主義的観点は消えることになるのです。

 

その後、戦後にもう一度欧米の個人主義的な思想が入ってきて、徐々に「化粧」は「礼儀」から「個性美」という、個人主義的な様相を帯びていくことになります。その色合いが濃くなった1980年代後半から1990年代は、男女雇用機会均等法が成立し、女性の社会進出がまたぞろ増え始めた時代でもあります。今までの「良妻賢母」の儒教的幻想がようやく崩れ始めるころです。この頃から、「化粧」の「礼儀」としての意味は薄れ始めていったのだと、私は思います。その価値観のブレイクスルーは、伝統から遠い位置にある「若者」に、いつの時代も担われたのかもしれません。

 

歴史にIFはありませんが、もし戦争がなく、自由主義的な風潮が続いていたのならば、「電車内の化粧」をしていた昭和初期の若者たちは(思想的にも)生き残り、この問題はもう少し早い段階で活発に議論されることになり、そして今頃には一つの常態化した風景として定着していたのではないでしょうか。1980年代後半からの議論は、昭和初期の時代に語られるべきだった内容がそのままスライドしたような印象を受けます。そして、現代になって擁護論が増え始めているのは、この価値観の変容の過渡期の終盤にあるから、という感じがします。

 

 

今日のまとめ

①日本人にとって「化粧」は「礼儀作法」の一つであり、自分のためではなく他人のためになされるべき務めという価値観が長らくあった。

②職業婦人の増加やそれに伴うコンパクトなどの化粧道具の進歩によって、「電車内の化粧」は、昭和初期から問題視される言説も存在したが、その後の戦時下の影響で化粧品自体の空白期間も生まれ、議論されることなく立ち消えることになった。

③1980年代後半から「電車内の化粧」は多く議論されることになるが、これは女性の社会進出の気運と一致し、化粧が「礼儀」という伝統的価値観から個人主義的な価値観へと変容していく過程と受け取ることもできる。

今回の私の仮説は、あくまで化粧を歴史的経緯から眺め、価値観の変遷という切り口で考えたものであり、前掲した永井助教授のように、公共の場のプライバシー感覚の変容というものもあるでしょうし、きっと色々な要因が複合的に組み合わさっているものなんでしょう。

 

私は一時期よその国に住んでいたことがあるのですが、そのときに帰国して思ったのは、なんと日本は「礼儀」を重んじる国なんだろうということでした。これはあまりいい意味ではなく、駅や街中にあふれかえる、「命落とすなスピード落とせ」「他人を思いやろう」みたいな啓発ポスターや、「傘の持ち方に気をつけましょう」「車内で大声で話すのはやめましょう」といったマナーに関するものまで、ありとあらゆる「礼儀」を強要する環境を、改めて外の視点から眺めた時に、少々面食らうものがありました。こんなに啓発ポスターやらマナー標語が多い国って、日本ぐらいなもんじゃないですか?

 

かの国では車内で携帯電話で話したり、音楽を大音量で流したり、まあ日本というのは行儀のいい民族だと思ったものですが、そろそろみんな、そうやって「礼儀」を守らされ続けることに、疲れてしまったんではないでしょうか。その意味で、「電車内の化粧」は、日本人の立ち位置の転換点として、これからも見守っていきたい事象だなあというところで、この1万字近くになってしまった本記事を終わりにしたいかと思います。

 

 

*1:谷崎潤一郎 細雪 上巻

*2:朝日1948年9月21日

*3:読売1967年10月1日P23

*4:朝日1985年12月7日P13

*5:朝日1987年10月10日

*6:読売1989年10月14日P16

*7:朝日1996年7月21日P29

*8:朝日1997年6月6日

*9:朝日1999年1月7日

*10:朝日1999年3月18日P32大阪

また、次のページも詳しい。

けとば珍聞99年4月号

*11:朝日2000年6月17日

*12:朝日2001年2月24日千葉35P

*13:朝日be2003年2月1日P57

*14:朝日2006年6月22日P14

*15:朝日2006年6月12日P30

*16:朝日2006年6月26日P30

*17:朝日2006年7月12日P34埼玉 以下同様

*18:ちなみにこれは都市伝説のようですね。

「公共の場で化粧をするのは、外国では売春婦の客引きのサイン」という都市伝説について - tukinohaの絶対ブログ領域

BBCもそのことを取り上げています。

電車で化粧は「みっともない」? 日本のエチケット広告に賛否 - BBCニュース

*19:

マナーアンケート | 日本民営鉄道協会

調査年

順位

割合

2000年

9

1.8%

2001年

9

2.9%

2002年

8

3.7%

2003年

5

7.1%

2004年

7

5.1%

2005年

7

6.7%

2006年

7

6.9%

2007年

8

5.9%

2008年

8

6.5%

2009年

6

18.4%

2010年

8

18.0%

2011年

8

17.5%

2012年

10

16.5%

2013年

9

16.9%

2014年

9

16.5%

2015年

8

16.5%

 

2009年からは複数回答に形式が変わったので%の数字自体が増えていますが、順位と割合がさがりはじめていることがわかります

*20:私は統計に明るくないので、この変化を「減少」と見るか「横ばい」と見るか微妙なところな気もしますが、2009年から比べると、2015年の調査は400件ほどの違いがあるので、減少と見ても良いのかな・・・と考えました。

*21:山村 2016 P206

*22:山村 2016 P136

*23:山村 2016 P132

*24:化粧文化Q&A Q24|おしゃれで便利なコンパクト、どんな歴史があるの?

*25:大正14年の今和次郎の研究によると、銀座の通行人を対象にした調査でも、男性の洋装率が67%に対して、女性はたったの1%にすぎなかったんだとか(山村 2016 P135)。孫引きで申し訳ないですが、恐らく今和の全集の「服装研究」にあるものでしょう

*26:国立国会図書館デジタルコレクション - 化粧の手引(15コマ)

*27:国立国会図書館デジタルコレクション - 婦女の栞 : 家事経済(70-72コマ)

*28:国立国会図書館デジタルコレクション - 男女美容編 : 実用問答(21コマ)

*29:国立国会図書館デジタルコレクション - 正しい礼儀と挨拶(32コマ)

*30:山村 2016 P157-158

*31:戦時下で化粧は禁止されたわけではありません。1941年に文部省が出した『国民礼法』には「化粧は目にたゝない程にする。殊更につくり過ぎるのはよくない」として、礼儀としての化粧を推奨しています。

国立国会図書館デジタルコレクション - 昭和の国民礼法 : 文部省制定(59コマ)