12月8日は真珠湾攻撃による、太平洋戦争の開戦の日と位置づけられていますが、こんなツイートが気になりました。
ふと見たカレンダーが歴史的放送事故の話を扱ってました pic.twitter.com/htp8LwFVVV
— 戦場体験放映保存の会🐣 (@JvvapJP) 2017年12月8日
「昭和16年12月8日」の太平洋戦争開戦の折、「NHKの鹿児島支局」の担当者が、「勇壮な曲」を流すべく、選んだレコードが「アメリカ国歌」で、軍部に大目玉をくらったという雑学。
いつもの如く、この手の雑学には眉につばをつけて調べてみたのですが、意外にもどうもまるっきりのウソでもなさそうだ、という感じになりましたので、検証について記録したいかと思います。
「鹿児島支局」の元ネタは雑学本
現在、この話はかなり出回っており、ネット上ですと、
何故、陸軍から鹿児島支局に苦情がきたかというと、支局の人が選んだ曲がアメリカ国歌「星条旗」だったからです。
当時は日本国内で英語を使うことは、「敵性言語の使用」として禁止されていたので、野球なども日本語でやっている時代でした。
その時、NHK鹿児島支局でもニュースを読み上げたのですが、その高揚感を表現する為にBGMとして勇ましい曲を選び流していたのですが、そこで流された曲はなんと「アメリカ国歌:星条旗を永遠に*1」だったのです。
NHK鹿児島支局の逸話が面白い。開戦にあたり戦意を高揚する勇壮な音楽を、と軍部が注文。あれこれレコードを聴き比べた担当者は気に入った曲をオンエアしたが、軍部は血相を変えた。選ばれた曲は、あろうことか「アメリカ国歌」だったという
なんかが目に付きます。豆しばの本にも載っていたそうで、
まあまあ市民権を得ているようです*2。
いつものように、この話の元ネタを追っていくと、ネット上では「役に立たない駄話」というタイトルの雑学配信メルマガが、どうも最古のようであるとわかります。
昭和16年12月8日、日本はハワイの真珠湾に在泊していたアメリカ太平洋艦隊を襲撃し、太平洋戦争が始まった。
日本人はみな、その戦果に大喜び。ラジオのニュースでも、景気のいい音楽を流しながら、その戦果を伝えようということになった。
NHKの鹿児島支局でも、勇敢な曲を流すべく、さっそく担当者がレコード資料室に走った。何曲か聞き比べた担当者は、もっともふさわしいと思われるレコードを持ってスタジオへ。こうして、その音楽は鹿児島全土に放送されたのだが……。
件の担当者が、その曲が「アメリカ国歌」だったことに気がついたのは、軍部が血相を変えて抗議してきた時だったとか。
上記のメルマガは2003年4月1日に配信されたものです。よく読むとわかりますが、「勇敢」と「勇壮」が違うだけで、今回のツイートのカレンダーの雑学と、句読点の位置までまるっきり同じです*3。同じ作者か転載許可をもらっていなければ、ちょっと問題になりそうです。
このメルマガの方は、全く出典を明らかにしていませんが、前後の雑学を調べてみると、「博学こだわり倶楽部」編の雑学をよく使用しているようで*4、調べられるだけは調べてみたところ*5、以下の本に今回の「鹿児島支局」verの元ネタがありました。
〈歌(Song)〉に秘められたウソのような本当の話―あの歌、この曲のびっくりルーツとおもしろ秘話 (青春BEST文庫)
- 作者: 博学こだわり倶楽部
- 出版社/メーカー: 青春出版社
- 発売日: 1991/11
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログを見る
長いですが全文引用します。
真珠湾攻撃に流したこの曲でNHKはマッ青
昭和十六年十二月八日といえば、日本がハワイの真珠湾に集合していたアメリカ太平洋艦隊を奇襲し、太平洋戦争がはじまった日。
アメリカの人のなかには、いまだに「リメンバー・パール・ハーバー」を口にするひとも少なくないが、当時の日本は、その戦果に大喜び。ラジオのニュースを報じる放送局も、景気のいい音楽で、その戦果を伝えようとなった。
NHKの鹿児島支局でも、何か勇壮な曲を流すよう連絡を受け、担当者がレコード資料室に走った。何曲かききくらべた担当者は、もっともふさわしいと思われるレコードをもってスタジオへ。かくして、その勇壮な音楽は、鹿児島全土に流されたのだが、その曲がアメリカの国歌だったことに気がついたのは、軍部が血相をかえて抗議してきたときだった。
前掲書 P198
読んでいただくとわかりますが、2003年のメルマガの文章と、言葉の選び方は違えども、その構成の仕方や、最後のオチの書き方なんかもそっくりですね。当該のメルマガは、この雑学本を参考にしたのは間違いないでしょう。
では、今度はこの雑学本が何を参考にして書いたかということですが、いくつか参考文献があり、目途はついていますが、ちょっと調べるのに時間がかかりそうです。手に入ったらまた追記しますが、まあ、しっかりした資料を参考にしているとはあまり思えないので、とりあえずこの「鹿児島支局」verについては、この1991年の雑学本が元ネタという事で現在はFAにしときます。
NHKの回答は否定的
リプライでも指摘されていますが、「鹿児島支局」という名称は当時存在していないことや*6、「NHK」の呼称は戦後のものであるとか*7、今回の雑学の文の内容にはいくつか誤謬もあります。
探偵気質のワタクシとしては、答えを誰かに聞くのは主義に反するのですが、今回は考えあぐねたので、NHKに問い合わせをしたところ、以下の通り回答が返ってまいりました。
NHK鹿児島に現存する最も古い当時に関する資料を調べましたが、
真珠湾攻撃成功を受けて全国で流した曲目等は分かりましたが、
今回の件に関する内容の記述は確認できませんでした。
とのことでした。質問を送った翌日に回答が来る迅速さは大変ありがたく、はいじゃあウソだということでオシマイ、としたくなるのですが、一緒に資料室に入って調べたわけでもないので、もう少しがんばりたいところです。
ニュースの曲は決まっていた
追加で「全国で流した曲目」について問い合わせたところ、『日本放送史』の存在をご教示いただきましたので、その辺のNHK発の資料を突破口に、そもそも12月8日の番組編成について調べてみました。
『20世紀放送史 上』(日本放送協会)によれば、12月8日当日の番組編成は以下の通り。
『20世紀放送史 上』P149
ニュースと音楽だらけであることがよくわかります*8。これは、12月8日に本来放送されるはずだった番組表と比べてみるとよくわかります。
『戦争はラジオにのって』櫻本富雄(マルジュ社)P26-27
既に戦時下であったとはいえ、12月8日までは、ラジオは娯楽の面も強く残っていたのです。
なぜこのような対応が迅速にされたかと言うと、同年12月5日に、情報局から「国内放送非常体制要綱」が通達され、そこには以下のような文言があったからです。
警戒管制中は放送番組は官庁公示事項、ニュース、レコード音楽に重点を置き、講演、演芸、音楽等一般放送は人心の安定と国民士気昂揚を中心とし積極的活用を図る。
『20世紀放送史 上』によれば、戦果を知らせるニュースでは、
陸軍の場合には「分列行進曲」、海軍は「軍艦行進曲」をそれぞれ冒頭に流した。陸海軍共同の場合は「敵は幾万」である。
『20世紀放送史 上』P151
と決められていたため*9、「ニュース」と共に流れる音楽は決まっていたということであり、そこに「アメリカ国歌」が入り込む余地は少ないと思われます。
どんな曲が12月8日に流れたのか
とすると、ニュースとニュースの合間にある、「音楽」の放送時に流れた可能性があります。
「吹奏楽」については、12月8日に流した曲目の記録が残っています。昭和18年の『ラヂオ年鑑』。
一、軍歌集「勇敢なる日本兵」
二、軍歌「世紀の進軍」
三、軍歌「海洋航空の歌」
四、行進曲「海の進軍」
五、行進曲「護れ海原」
六、斉唱付行進曲「太平洋」
七、斉唱付「愛国行進曲」
まあ、さすがにアメリカ国歌をその場で演奏はしないと思うので、とすると、残る可能性は「音楽(R)」、レコードで流れた曲が何か、ということになります。
しかしこれについては資料が見つからない。もしかすると、NHK総合博物館や逓信総合博物館にでもいけば資料が残っているのかもしれませんが、とりあえず今の段階では、かかったレコード全てを網羅することはできませんでした。
ただ、当時の放送を調べている各種研究には以下のような記録があるようです。
そしてニユースの後につゞいた軍艦行進曲のレコードに感涙を禁じ得なかつた。
『放送研究』1942年12月号
戦意高揚のプロパガンダには歌謡も大いにその役割を振った。「宣戦布告!」、「太平洋の凱歌」、「届け、銃後のこの感謝」といった扇情的な「ニュース歌謡」がそれである。中でも取り分けその名を記憶に留めた「進め一億火の玉だ」は早くも8日午後、ニュースの間奏曲として度々放送されている。
「開戦と日本人」
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/11706/1/daigakuinkiyoseikei_27_411.pdf
ニュースの合間には「愛国行進曲」「軍艦マーチ」「敵は幾万」「太平洋行進曲」などが流された。
『戦争はラジオにのって』P30
他の研究でもいわれていますが、昭和18年の『ラヂオ年鑑』でも音楽放送について、「敵国は勿論敵性国の音楽は一切之を排除し」*10とあるので、当たり前ですが米英の音楽を流せる状況にはなかったといえます*11。
また、細かい部分ですが、日華事変から、ラジオは東京中央放送局を中心とした全国中継の割合がほとんどを占めます*12。鹿児島放送局は、熊本中央放送局の支部のような形で存在しましたが*13、どれほど自局の編成での放送を行えたかは疑問が残ります。特に、12月8日の開戦の日は、ほとんど全国中継の内容を使用したのではないでしょうか*14。
アメリカ国歌ではなさそうだ
とはいえ、アメリカ国歌のレコードについて、特に確たる情報があったわけでもありません。
なので、今度は、12月8日の開戦の日に絞らず、戦時下の放送という範囲で、似たようなエピソードがないか調べてみます。
すると、こんな逸話が出てきます。
21 名前:ながぐつ[sage] 投稿日:04/02/18(水) 23:17 id:FwRvqQv7
唐沢俊一の本に載っていた話だが、
太平洋戦争開戦時、”勇ましい曲を流せ”と言われて、
『星条旗よ永遠なれ』を放送したNHK職員がいたそうだ。
『星条旗よ永遠なれ』は、よく間違えられますが、アメリカ国歌ではなく、アメリカの行進曲です。唐沢俊一というとトリビアの泉を思い出しますが、その関係でぐぐってみます。
すると、『トンデモ一行知識の逆襲 (ちくま文庫)』という本の中の一節を引用しているブログがあります*15。
○太平洋戦争開戦時、勇ましい曲を流せと言われて「星条旗よ永遠なれ」を放送したNHK職員がいる(^^;)
『トンデモ~』の単行本は2000年の出版なので、もしかするとこれが元ネタになっているのかも・・・唐沢俊一ってガセネタ多いし・・・と、一気にフェイクよりな感じになったところで、別の記述を見つけます。
【吹奏楽】 星条旗よ永遠なれ: http://t.co/aNQsBgpr0q 1941.12.8戦意高揚の為、九州の放送局が間違ってかけた曲。と永六輔の著書にある。真珠湾攻撃、シンガポールへの進攻、戦線拡大で破滅への坂を更に転がり落ち始めた日。繰り返してはならない。
— たれうやや@反戦反核ふ那っ覇ー(梨) (@tareuyaya) 2013年12月8日
日付は12月8日ではありますが、曲名は「星条旗よ永遠なれ」で、鹿児島ではなく「九州の放送局」とアバウトな感じになっていますが、注目すべきは、この元ネタが「永六輔」だということです。
ということで、永六輔の著書に関連させて検索すると、この話の掲載本は『芸人その世界』(文藝春秋)だということがわかります。
1969年とけっこう古い本です。これは、雑誌『話の特集』の永六輔の連載の、芸に関する人々のエピソードのみ集めた本で、このように書いてあります*16。
明治天皇が亡くなった時、フランスは弔意を表して日本国歌を演奏したが、どういう間違いか「君が代」ではなく「かっぽれ」だった。
昭和十六年十二月八日開戦の日に士気を高揚する曲を放送しろという命令が出た。
九州の局はなんと「星条旗よ、永遠なれ」を放送して問題になった。
『芸人その世界』P297
その出版の古さからいっても、唐沢俊一がガセネタをこしらえたわけではなく、どうも昔からある話なんだろうということがわかります。少なくとも、元々はアメリカ国歌ではなく、行進曲の「星条旗よ永遠なれ」の話だというほうが確実そうです。
12月8日に流れたわけではない
ところが残念なことに、この『芸人その世界』は、雑誌『話の特集』の、一体何年の何月号を引用したものなのかが全く書いていないため、いつごろの話なのかもわかりません。そして、永六輔は、この本の逸話の出所を様々な本やエピソードからとしているのですが、正確にどこから引用したのかを書いていないという不親切設計です。これでは検証ができません。
ただ、大変優しいことに、彼は巻末に膨大な「参考資料」を挙げており*17、理屈の上では、この中の本のどれかに、件の「星条旗よ永遠なれ」のエピソードが入っているはずです。
というわけで、この中からラジオや放送史に関係ありそうな文献を絨毯爆撃的に見ていくと、ラッキーなことに見つけることができました。『放送夜話』という、戦前からNHKのラジオ放送に従事した職員たちの座談会の記録です。
出版は1968年で、当たり前ですが『芸人その世界』よりも古いものです。その中の、「戦時下の放送」という章の中で、当時NHKの報道部長としてニュース報道に尽力していた横山重遠が、以下のように発言しています。
横山 反対に開戦の日に、なるべく士気を高揚するような、行進曲風なものをやれという指令を、全国へ出したんですよ。しばらくたってから九州のどの局かが、「星条旗よ永遠なれ」をやったという抗議がきた(笑)。おそらく、行進曲集レコードをかけた中に入っていたんだろう。
『放送夜話』P59
この短い発言の中で、今まで語られてきたエピソードとは違う点が3つもあります。
イ.開戦の日にレコードを流したのではなく、「行進曲風なものをやれ」という指令を出しただけであり、その日に流れたかどうかは定かではない。
ロ.指示をしたのは、横山=日本放送協会であり、軍部が直接したわけではないし、その「抗議」も軍からかどうかはわからない。
ハ.放送局が鹿児島かはわからない。
いや、もっとそこんところを詳しく話してよ、と思うのですが、残念ながら横山の話はこれだけでオシマイなので、これ以上の詳細がわかりません。しかし、当時のNHKの報道部長が語った話ですから、どうもこの、「星条旗よ永遠なれ」を流してしまったというエピソードは、ただの与太話と片付けてしまうわけにはいかなそうです。
正確には12月15日か
ここまできたらもう少し資料が欲しいところです。
先ほども引用した『戦争はラジオにのって』には、実はこんな記述があります。
以上にみたような放送記録の混乱は、十二月八日の開戦ニュースが、いかに大きな衝撃をもたらしたかをかたるだろう。(中略)後日(十五日)のことであるが、ニュースの合間に流す勇壮な行進曲の中にアメリカのスーザのものが紛れ込んだこともあったのである。国産行進曲の貧困さが露呈したのだ。
『戦争はラジオにのって』P41
スーザはもちろん「星条旗よ永遠なれ」を作曲した人物であります。当該曲だとはしていませんが、著者の櫻本は、この話を「十五日」と断定しているのです。『戦争はラジオにのって』は、1985年の著書であり、もしかすると『放送夜話』を参照したかもしれませんが、『放送夜話』では特定の日付は出てこないので、櫻本は何か別の資料を参考にした可能性が高いです。しかし、本当にはかったかのように、この点だけ何をもって参照したかが書かれていないので、残念ながら何の資料でもって判断されたのかがわかりません。誰か知っている人がいたら教えてください。
今日のまとめ
①流された曲はアメリカ国歌の「星条旗」ではなく、スーザの行進曲、「星条旗よ永遠なれ」である可能性の方が高い。
②「鹿児島支局」とは断定されず、「九州のどこかの放送局」である可能性の方が高い。
③12月8日に流されたかは定かではなく、別の日、もしくは12月15日の可能性がある。また、当時は東京一括の全国中継がラジオのほとんどであったことや、ニュースと共に流す曲は指定されていたため、当該曲が開戦の報道と共に流れる可能性は低く、地方の「自局放送」かつニュースの合間の「レコード音楽」を流した番組だと考えられる。。
④今回のエピソードの流布の経緯としては二通りあり、逸話としても二通り存在している。
○1991年の「博学こだわり倶楽部」編による雑学本→2003年メルマガ→☆鹿児島ver
○1968年の『放送夜話』→1969年の永六輔の著作→2000年の唐沢俊一の雑学本→☆九州のどこかver
15日の件も気になりますが、いったいどこで「九州の放送局」が、「鹿児島の放送局」に変わってしまったのかも気になります。いずれにせよ、細部に大きく違いはあったにせよ、今回は意外にも、「そんなようなことはあったらしい」という結論でした。
いかがでしょうか、情報と言うのはかように曖昧なものです。もしどうしても正確なことしか話したくないのだとしたら、このように膨大な資料の海を泳ぎきるか、ただただ沈黙するしかありません。しかし、幾重にも重なるフットノートを抱えて生きるというのは、はなはだ息苦しくはないでしょうか。私はそれよりは、「正しいとは何か」という哲学的問いを抱えて生きたほうが、精神的によろしいのではないかと思います。
*1:後述しますが、「星条旗よ永遠なれ」ですと、国家ではなく行進曲ですね。色々間違いすぎです
*2:
ネイティオ(やべーやつ) on Twitter: "@suibun_water @JvvapJP ごめんねー
かなり遅れたけど
これのことだねー https://t.co/s1GySGydd1"
*3:
ちなみに、同じメルマガ発行者で、2006年4月1日も、別のブログに同内容が転載されています。
真珠湾攻撃の日、NHKが放送した"勇敢な曲"とは? - 真・役に立たない駄話
*4:
たとえば、メルマガの発行者は
【「ん」で終わる薬の名前が多いのはなぜ?】
という雑学を配信していますが、同じ内容のものが、
雑学王 話のネタ400連発 思わず誰かに話したくなる究極の博学大全!
- 作者: 博学こだわりクラブ
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の「「ン」で終わるクスリの名前が多いのはなぜ?(P17)」という項目にも存在しています。他にも、「「ノドチンコ」ってそんなに大事なの? - 真・役に立たない駄話」→「のどちんこは何のためにあるの?(P30)」だとか、別の本(『最強!の雑学本200連発 』)では、「日本初のテレビCMは3秒で放送禁止? - 真・役に立たない駄話」→「日本初の「CM」は、わずか3秒で放送中止だって!?(P24)」など、チョサッケンは大丈夫なのか、と気になるところです。
*5:
調べた本は以下の通り。
〈歌(Song)〉に秘められたウソのような本当の話―あの歌、この曲のびっくりルーツとおもしろ秘話 (青春BEST文庫)
雑学王 話のネタ400連発 思わず誰かに話したくなる究極の博学大全!
雑学王 話のネタ300連発―どんどん頭がよくなる (KAWADA夢文庫)
*6:ただし、これは「鹿児島にラジオ局の施設がなかった」ということではありません。後述します
*7:
当時は社団法人日本放送協会です。が、私は面倒なので、この記事でも便宜的に「NHK」の呼称を使用しています
*8:
時計の長針が12のところに来ればニュースがあることを聴取者に印象づけ、ニュースを聞くことを習慣づけようというのがねらいであった。
『20世紀放送史 上』P151
*9:ただ、最初から決まっていたわけではない、という証言もあります。
宮本(引用注:宮本吉夫。当時は内閣情報局放送課長) それからもう一つふしぎなのは、大本営発表のニュースにつけるマーチね。あれはその日、そこできめているんです。海軍は「軍艦マーチ」、陸軍は何やっていいかわからない。
島浦(引用注:島浦精二。元NHKアナウンサー) 結果的には陸軍は「分列行進曲」、で陸海協同の場合は「敵は幾万ありとても……」になった。
『放送夜話』(日本放送協会)P38
ちなみに、同じ座談会で、当時首相官邸から番組を編成送出していた春日由三は、ニュースに「軍艦マーチ」をかけるというアイデアを和田信賢(元NHKアナウンサー)の発案だという説を、事前に決まっていたこととして否定しています。
竹山昭子の『その時ラジオは』(朝日新聞出版)によれば、この決定は12月11日にされたとのことです(P69)
*10:
国立国会図書館デジタルコレクション - ラジオ年鑑. 昭和18年 P61
*11:
出典が不明ですが、曲目の一部を載せているサイトもありました。
1941(昭和16)年12月8日、開戦直後に放送(ラジオ)から流れた曲から(一部)
曲名 | 作詞 | 作曲 | 演奏者 | 備考 |
---|---|---|---|---|
軍艦行進曲 | 瀬戸口藤吉 | 不詳 | 午前11時半、真珠湾攻撃成功を 伝える臨時ニュースの前 |
|
敵は幾万 | 小山作之助 | 不詳 | ニュースの後 | |
海ゆかば | 大伴家持 | 信時潔 | 東京放送管弦 楽団、同合唱団 |
午後6時半 |
敵性撃滅 | 土岐善麿 | 伊藤昇 | (同上) | (同上) |
遂げよ聖戦 | 柴野為亥知 | 長津義司 | (同上) | (同上) |
護れわが空 | 佐藤惣之助 | 内田元 | (同上) | (同上) |
軍艦行進曲 | 瀬戸口藤吉 | 内藤清五指揮、 海軍軍楽隊 |
午後8時24分 | |
ニュース歌謡「宣戦布告」 | 野村俊夫 | 古関裕而 | 伊藤久男、霧島昇 | (同上) |
ニュース歌謡「太平洋の凱歌」 | 日本詩曲連盟 | 伊藤昇 | 伊藤久男、霧島昇 | (同上) |
海ゆかば | 信時潔 | 内藤清五指揮、 海軍軍楽隊 |
午後8時40分 | |
皇軍の精華 | 陸軍軍楽隊 | 不詳 | 12月8日 | |
空軍の威力 | 海軍軍楽隊 | 不詳 | 12月8日 | |
大艦隊の行進 | 江口夜詩 | 不詳 | 12月8日 | |
皇軍の意気 | 服部逸郎 | 不詳 | 12月8日 | |
連合艦隊 | 山田耕筰 | 不詳 | 12月8日 | |
勇敢なる日本兵 | 瀬戸口藤吉 | 不詳 | 12月8日 | |
帝都の守り | 海軍軍楽隊 | 不詳 | 12月9日 | |
そうだその意気 | 西條八十 | 古賀政男 | 不詳 | 12月9日 |
南進男児の歌 | 若杉雄三郎 | 古関裕而 | 不詳 | 12月9日 |
荒鷲の歌 | 東辰三 | 東辰三 | 不詳 | 12月9日 |
敵は幾万 | 山田美妙 | 小山作之助 | 不詳 | 12月9日 |
勇敢なる水兵 | 佐佐木信綱 | 奥好義 | 不詳 | 12月9日 |
橘中佐 | 鍵谷徳三郎 | 安田俊高 | 不詳 | 12月9日 |
広瀬中佐 | 大和田建樹 | 納所弁次郎 | 不詳 | 12月9日 |
ニュース歌謡「皇軍の戦果輝く」 | 野村俊夫 | 古関裕而 | 不詳 | 12月9日 |
ニュース歌謡「泰国進駐」 | 島田磬也 | 内田栄一 | 不詳 | 12月9日 |
ニュース歌謡「フィリピン進撃」 | 勝承夫 | 内田栄一 | 不詳 | 12月10日 |
ニュース歌謡「長崎丸凱歌」 | 島田磬也 | 細川潤一 | 不詳 | 12月10日 |
ニュース歌謡「英国東洋艦隊潰滅」 | 高橋掬太郎 | 古関裕而 | 藤山一郎 | 12月10日、午後8時 |
分列行進曲 | ルルー | 不詳 | 12月12日以降、陸軍関係の 戦勝ニュースの前後に放送 |
|
軍艦行進曲 | 瀬戸口藤吉 | 不詳 | 12月12日以降、海軍関係の 戦勝ニュースの前後に放送 |
|
敵は幾万 | 小山作之助 | 不詳 | 12月12日以降、陸海軍共同 作戦の戦勝ニュースの前後に放送 |
http://www.geocities.jp/fujiskre/kca7.html
*12:
NHKのメディア研究部の村上聖一の論文が地域放送について書いています。
この時点で自局編成の割合は、東京を除く6放送局平均で17%にとどまった。自局編成の割合は1930年の時点から大きく低下し、仙台や熊本では10%を下回った。
放送の「地域性」の形成過程 村上聖一 P30
http://www.nhk.or.jp/bunken/research/history/pdf/20170101_12.pdf
*13:
国立国会図書館デジタルコレクション - ラジオ年鑑. 昭和18年 P356
*14:
この規定(国内放送非常態勢要項)に基づいて12月8日の開戦と同時に、国内放送は東京発の全国放送と各局のローカル放送だけとなり、東京、大阪、名古屋の都市放送(第2放送)は中止された。
『20世紀放送史 上』P150
*15:本来であれば原著をあたらなければならないところですが、すぐに手に入らなかったので、確認できたら追記します
*16:ちなみに、この「かっぽれ」のくだりもBBCが、大正天皇崩御の折に、日本紹介でかけたという説もあり、真偽不明です。
大正15年12月25日、大正天皇が崩御された。そのとき、イギリスBBC放送は、日本を紹介する音源として、上の豊年斎梅坊主の『かっぽれ』を放送した。日本のフォーク・ミュージックの紹介としては、適切だったわけである。
満員盛況でした 『レコードで聴く関東大震災』 「横浜で交差した音 日本篇」 | 大衆文化評論家 指田文夫公式サイト | 「さすらい日乗」
*17:
これが12ページぐらい続くという親切な本です。