ネットロアをめぐる冒険

ネットにちらばる都市伝説=ネットロアを、できるかぎり解決していきます。

ノックは何回するのが正しいのか、プロトコールとディグニティー

ノックの音が (新潮文庫)

ちょっと前にツイートしましたが、ノックの回数について、初出不明の話がビジネスマナーとして出回っています。

careerpark.jp

要約するならば、

 

ノック2回はトイレ用

ノック3回は親しい間柄に

ノック4回が国際標準という「プロトコールマナー」 

 

ただ、日本では3回がいいよという話。

 

しかし、すでに指摘されている方がいるとおり、

 

ノック2回はトイレ用?プロトコール・マナーという妄想 - Traveler Hideは考える

 

どうも英語圏のYahooAnswersやマナーに関するページを見る限り、「プロトコールマナー」もなければ、ノックの回数についても正式に決められているようには見えません。

 

「じゃあこの話はマナー講座が稼ぎたいだけに創りだしたものだ」としてもいいのですが、火のないところに煙は立たないですし、前回のナイチンゲールの話で調査不足は身にしみたので、がんばって調べてみたところ、なかなかノックの歴史については面白いことがわかったので、それを記事にしてみたいと思います。今回は調べたことが結構アタリだったのでワクワクしながら書きました。私のワクワクが伝わるとうれしいです。

 

 

***

 

インターネット上の初出について

さて、このノックの話、過去をさかのぼってみると、恐らくにはなりますが、2009年7月13日のマイナビウーマン他の記事が初出に近いのではないかと思われます。

 

ノックは“絶対”3回以上! 意外と知らないお茶出しマナー|「マイナビウーマン」

 

元CAの美月あきこという先生が、

「部屋に入るとき、ノックを2回しかしない人が多いのですが、実は2回だと“トイレノック”なんです。プロトコールマナー(国際標準マナー)で定められているノック回数は4回。ビジネスの場では3回に省略するのはOKですが、2回はNGです。トイレじゃありませんからね」

とおっしゃっています。「プロトコールマナー」「トイレノック」「国際標準マナー」などのキーワードが出てきています。現在ネット上に広まっているノックマナーの話は、ほとんどこの話に尾ひれはひれがついたものでしょう。

 

この方は、元CAかつ現在は人材育成コンサルタントなんかの肩書きもあり、そういうマナー的な関連の書籍も多いようです。「ファーストクラスに乗る人の」シリーズみたいなのは、聞いたことがある人もいるんじゃないでしょうか。

 

ファーストクラスに乗る人のシンプルな習慣 3%のビジネスエリートが実践していること (祥伝社黄金文庫)

ファーストクラスに乗る人のシンプルな習慣 3%のビジネスエリートが実践していること (祥伝社黄金文庫)

 

 

☆のつきかたはご愛嬌ですが、なるほど、この方の話が広まったという可能性はあります*1

 

プロトコールマナーとはなにか

しかし、さかんに喧伝される「プロトコールマナー」とはなんでしょうか。

 

冒頭で挙げた既にノックの回数について調べたTraveler Hideさんも参照している通り、「プロトコール」とは、国家間のマナーのルール、「国際儀礼」のことです。

 

(1)プロトコールとは
国家間の儀礼上のルールであり、外交を推進するための潤滑油。
また、国際的・公式な場で主催者側が示すルールを指すこともある。

外務省: グローカル外交ネット:海外のお客様を迎えるために:プロトコールの基本

 

「国際儀礼」を就活生がならう必要もないですね。しかし、Traveler Hideさんの指摘に付け足すならば、この「プロトコール」に関しては、日本ではもう少々歴史が古いです。

 

「プロトコール」の語を日本に広めた先駆者と言えるのが、元外務省儀典官室に勤務していた寺西千代子ですが、彼女によれば「プロトコール」は以下のように定義づけられています。

 

(前略)16世紀以降ヨーロッパにおいて相手国に対する友好維持、国際平和の維持を目的に国際間の儀礼が整備、拡大され今日では、プロトコールと言えば、先ず「国際儀礼」の意味で使われることが多くなりました。

 では、「国際儀礼」とは? 国際的に行われている「国家間、公人間の儀礼上の規則、慣習」のことです。それぞれの国や地域には異なった規則や慣習があり、何をもって「国際的」とするのかは難しいのですが、基本的には国際間の儀礼が集成されてきた西欧の規則、慣習が土台になっていると言えます。従って西欧文明の基盤であるキリスト教社会の考え方が大きく反映されています。

国際儀礼の基礎知識(全国官報販売協同組合)2016,P21

 

寺西自身が初めて「プロトコール」という冠で本を書いたのは自身で「30年前」と表現していますが*2、日本で認知されだしたのは1980年代のことだということになります。バブルで海外進出をよくしていた時期でもあり、そして昭和天皇が崩御されて、100を超える国からの貴人を迎えるにあたって注目されだした、というところなんでしょうかね*3

 

では、その「プロトコール」関連の書籍の中に、「ノック」に関する記述があるかと言えば、答えはNOです。およそ図書館で手に入る本を全て読みましたが*4、ノックに関して記述があったのはたった1箇所。

 

4)客室の作法 いったい、人の居室に入るにはノックをするのが作法であるが、客室だけは、医師がいる場合の外は、ノックしないで入って差支えないことになっている。

*5

 

私が参照した本は2001年版のものですが、友田はこれを1982年に書いており、寺西も「諸先輩から学んだ」とある本の中の一つです。「客室」という限定された空間においては「ノック」は必要ないと書いてありますが、「居室に入るにはノックをするのが作法」とあります。しかし、回数については言及されていません

 

およそ「プロトコール」について書かれた本は、アタリマエなのですが「国際儀礼」なので、大使の坐る席順だとか、敬称のつけ方とか、礼の仕方とか、国旗の掲揚とか、そういう類の話ばかりで、友田はその中でもビジネスにまで話を落として書いているのですが、見落としがなければ特にノックに関する記述は他にはありませんでした。

 

私は、「プロトコール」を「世界標準マナー」と訳すことにはあまり賛成はできません。ネット上で見る限りは2005年ごろから散見されるのですが*6、「世界標準マナー」とは言うものの、寺西が指摘するようにそれは「西欧の規則、慣習」がベースであり、国家間のやりとりならともかく、個人のマナーレベルにまで落とし込むのは少々欧米偏重なきらいがあります。「世界標準」などと銘打っているのは日本だけです。とはいっても、和洋問わず、「プロトコール」の研修機関は多く存在しているので*7、マナーの一部として考えているのは、日本だけに限った話ではないのですけれど。いったい誰の訳語なんでしょう。少なくとも、80年代の時点では、「国際儀礼」が一般的な訳語として定着していたのですが。

 

あと、ちょっと話はそれますが、「プロトコールマナー」とつなげて書いているサイトが多く見られますが、「プロトコール」と「マナー」は別であり、「protocol manner」という英語は存在しません(フランス語だってありません)。恐らく、「プロトコール・マナー協会」という業界一番手であろう協会の名前が悪いんだと思うんですが、

www.protocol-manner.com

ここでも、説明では「プロトコールやマナー」と分けて書かれています*8。「プロトコールマナー」では、「国際礼儀礼儀」みたいでちょっと変です。

 

話を戻しますが、要するに、ノックの話は、本来の意味での「プロトコール=国際儀礼」で考えるのではなく、「西欧の規則、慣習」が元になっている可能性がある、ということです。

 

現代の日本のノックの状況

核心に迫る前に、そもそも日本において、ノックの回数はどのように「一般的には」認識されているのでしょうか。

 

80年代から現在までの、ビジネス・マナーや就活本を参考にして調べてみました。

意外に、ドアの開閉のしかたを書いてあるマナー本は多いのですが、ノックの回数まで触れているものはちょっと少なめでした。列挙しますと、

 

ドアを軽くノックし、入室許可の返事を待つ

新入社員情報ハンドブック(1991)P26

 

案内する部屋に着いたら、軽く二回ノックします。

エチケットの事典 (三省堂実用)(1994)P234

 

応接室や会議室に入るときは、軽く2~3回ノックします。

ビジネスすぐ使える便利事典―オフィスでの最新マナーからスキルアップ仕事術まで (BUSINESS BOOK)(2003)P370

 

ドアをノックし、中に人がいないか、散らかっていないかを確認してからお客様をお通しします。

新社会人のための仕事の基本 ビジネス実務編―「上手な仕事の進め方」をマスターしよう!(2007)P124

 

ドアはノックしてから開けます

イラストで徹底解説 知らないと恥をかく!会社・仕事のビジネスマナー(2008)P65

  

応接室のドアをノックし

完全図解 いちばんわかりやすいビジネスマナー(2014)P59

 

ドアを2回程度ノック

イッキに内定! 面接&エントリーシート一問一答 2019年度 (高橋の就職シリーズ)(2017)P24

 

ドアを軽くノック

内定を決める! 面接の極意 2018年度 (高橋の就職シリーズ)(2016)P114

 

ノックを2回程度する

内定者はこう話した!面接・自己PR・志望動機 完全版 2019年度 (高橋の就職シリーズ)(2017)P256

 

他のいわゆるビジネスマナー本も見たのですが、そもそもノックの記述がない場合も多く*9、これまで日本においてはノックの回数というものがあまり重要視されてきていないことがわかります。あったとしても、2回ないしは3回という記載がほとんどです。新入社員諸君、ノックの回数は気にしなくてもよさそうだぞ。

 

現代の英語圏でのノックの状況

Traveler Hideさんの指摘とかぶることころもあるのですが、英語圏のネット上ではノックの回数についてあまり気にしていないようです。

 

www.actuarialoutpost.com

たとえば上記の回答サイトでは、ふざけたものも多いんですが、3回が多いかもしれません。ただ、そんなの数えてない、というものもあり、かなりバラバラです。3回がいいというのは別の記事でもありましたが、

thisiswhatyouneedtoknowaboutlife.blogspot.jp

この記事の中では、「3回以上は多い。待つことができないのか?*10」と書かれています。

 

これは、日本語に翻訳されているマナー本も同じで、『世界標準のビジネスマナー』(東洋経済新報社・2015)ではドアの開閉の記述はありますが、ノックについては触れられていません。

 

少し古いですが、『ミス・マナーズのほんとうのマナー』(暮しの手帖社・1991)というワシントンポストの記者が手がけたマナーコラムの中に、「家族のあいだのエチケット」として、以下の記述があります。

 

ノックをしないで人の部屋に入らない。人のものを黙って使わない。ただし、ノックされたら、入るな、なんてどならいでほしいし、貸してね、と言われたら貸してあげてほしい。*11

 

ノックをするようにという記述はありますが、回数については触れられていませんし、ましてや「親しい間柄のノックは3回」みたいな話は毛のほどもありません。

 

ちなみに「ミス・マナーズ」はノックの回数についての疑問も答えています。

 

Dear Miss Manners: When arriving at someone’s door, how many times should you knock?

It is considered courteous to stop knocking as someone’s face appears at the door.

ミス・マナーズへ:誰かのお宅を訪問した時、何回ノックするべきでしょうか。

その方が現れたらやめるのが丁寧でしょう。

Miss Manners: No need to knock when a face appears at the door - The Washington Post

 

ちょっとジョークっぽい感じもしますが、要するにあまりノックの回数は気にされていない、ということでしょう。

 

日本生まれの方なのですが、アメリカ人の家庭で育った『スーザン・M・ホルダーのエレガントレッスン―いつも素敵な振る舞いで』という人の著書の中では、わざわざノックのことについて「美しき訪問者をめざす入室とノックのマナー」という項目がたっています。回数についてはこう書かれています。

 

回数は、1回ではなんの音だか意味がわからないし、3回ではしつこくて、うるさく感じるので、2回ぐらいが適当だと思います。

*12

 

あと、何となく手元にあった『ローマの休日』を観てみたら、グレゴリーペックが編集長の部屋に入るときには5回ノックしてました。ラストの方で特ダネをもらいに来た記者がグレゴリーペックの部屋に入るときは、短く4回+6回という組み合わせでした。うーん、ぜんぜん気にしたことはなかったですなあ。『日の名残り』とかを見たらもっと違うかも。

 

日の名残り コレクターズ・エディション [SPE BEST] [DVD]

日の名残り コレクターズ・エディション [SPE BEST] [DVD]

 

 

ともかく、ノックの重要性は英語圏では語られることが多いですが、やはりその回数については幅があり、コモンセンスのようなものはないのではないか、という気がします。

 

古いイギリスのマナーか

では、「ノック4回が国際標準」というハナシは、根も葉もないものなのでしょうか。

 

ここで、ひとつ気になる記述を見つけました。

 

酒井美意子という、侯爵前田利為の長女というスーパー華族の方*13がいるのですが、4歳半までロンドンに滞在し、自身はそこでマナーをたたきこまれたそうで、彼女はマナー本を多く書いています。彼女の『皇室に学ぶマナー―日常の立居振舞から国際社会の社交知識まで』(ダイワアート・1988)という著書の中で、以下のようにノックのことが書かれています。

 

部屋に入る時は必ずノックする。簡単なようで案外守られていないルールである。

日本人はノック二回が一般的だが、欧米人は四回である

*14

 

うーん、ソースを知りたいところですが、海外経験が豊富であるというところを見越して、彼女自身の経験則から出てきたものとしましょう。酒井は1926年生まれですので、4歳というと1930年。そこまでにイギリス式のマナーを叩き込まれたというならば、この「4回ノック」のマナーは、どうもその頃のイギリス発祥なのではないか、という推測がたちます。

 

というわけで、色々探してみると、19世紀のイギリスの『The Magnolia, Or, Literary Tablet 』(1833)という本に、なかなか興味深い記述がありました。これは短い小説や詩なんかをまとめた本なのですが、その中に「KNOCKING AT DOORS IN ENGLAND」という項目があり、「ロンドンにおけるノックのマナーは、どんな地位の人間がいるのか*15」をあらわすんだそうで、以下のようにどんな立場の人間がどんな回数叩くべきなのかということが書かれています。

 

まず1回ドアをノックしたとき。

 

A single knock announces the milkman, the coachman, a domestic, or a beggar. It signifies, "I should like well to enter."

 1回のノックは、牛乳配達人、御者、メイド、乞食であることをあらわす。これは「入らせていただきたいのですが」というサインである。

ほほー。つまり、「1回ノック」は身分の低い人をあらわすということですね。

 

で、2回ノックしたとき。

 

A double knock indicates the penny-post, a bearer of visiting cards or billets of invitation, or any other message. It expresses hurry -that one is on business, and signifies, "I must enter."

2回ノックしたときは1ペニー郵便、招待状の地図もしくは名刺をもった使者*16、あるいは何か他のメッセージがあるときだ。これは仕事上の急いでいる印象を与え、「入る必要がある」ということを伝えている。

2回は郵便関係などの仕事上のことのようです。

 

では、3回はどうか。

 

A tripple knock announces the master or mistress of the house, or persons who are in the habit of frequenting it. It says in an impererative tone, "open."

3回ノックはその家の主人かその妻、もしくはその家に習慣的に訪れている人物となる。これは「開けてくれ」という命令的なトーンになる。

 

3回ノックは命令的な感じなんですね。ふむふむ。

 

問題の4回ノックはいかがでしょうか。

 

Four strokes, well struck, indicates a person of fashion immediately beneath the nobility, and who come in a carriage. "It signifies, "I would enter."

4回ノックは、馬車でやってきた貴族階級直下の上流人を示す*17。これは「入らせてもらうよ」という意味だ。

 

英国貴族階級を指す、ということでしょうか。もしくはそれに程近い位の人間という事か。

 

実はこの本には続きがあり、この「4回ノック」を2回続ける場合があります。それは、

 

The four strokes, twice repeated, in true style, distinct and firm, announces my lord, my lady, a nabob, a Russian prince, German baron, or some other extoraordinary personage.

4回ノックを2回、しっかりと確かに繰り返す正しい方法は、閣下及び閣下夫人、インド帰りの富豪*18、ロシア皇太子、ドイツ男爵、そのほか特別な地位にいる人間をあらわす。

 

つまり、すんげー位の高い人には、「4回ノック×2」を行うという事です。むしろ、この「4回ノック×2」が一番正式なもので、他のものはその省略形、ということなんではないでしょうか。

 

この話は『The Magnolia, Or, Literary Tablet 』だけでなく、他の同時代の本にも散見されます。

 

The manner of knocking at doors in London designates the quality of the person who wishes for admittance.

ロンドンのドアのノックのマナーは、どんな地位の人間が入ることを望んでいるかを示している。

The Port Folio』(1815)P376

 

The manner of knocking at them designates tha rank of those who wish for admittance.

ノックのマナーはどんな地位の人間が入ることを望んでいるか示している。

The Spirit of the Times』(1825)P8

 

どの本も記述内容はほぼ一緒で、

 

・ノック1回:身分の低いもの

・ノック2回:郵便・仕事関係

・ノック3回:その家の者・関係者

・ノック4回:貴族階級かそれに類する上流階級

・ノック4回×2:王族や大富豪などハイエストなクラスの人

 

 

という意味になっています。これらの本は多くの場合、アメリカやフランスの視点から書かれたもので、彼らにとってイギリスのこのマナーはちょっと奇異に映ったようです。『The Spirit of the Times』のノックの話はフランスの「The Mercure de Londres」の翻訳のようで、このノックを「noisy」と評し「thundering at the door」と呼んでいます。

 

イギリスのマナーがフランス人にとってちょっと変に思えたという話は他にもあり、『The Lady's Monthly Museum』という雑誌に、以下のような物語がのっています。

 

”And do you call assaulting people's houses in that manner, knocking at the door?" cried he; "but I forget, you are English, consequently do not know how you ought to get in

「で、君は強盗みたいな方法でドアをノックしていつも人を呼ぶのか?」彼は叫んだ。「だけど忘れてた、君はイギリス人だったな。てことはどうやって中に入るべきかなんて知らないわけだ」

『The Lady's Monthly Museum, Or Polite Repository of Amusement and Instruction』(1826)P89

 

この「彼」はフランス人のようなのですが、正しい方法として「低く1回ノッカーを鳴らし」、それと同時に呼ぶ人間の名前を言えと教えます*19

 

要するに、19世紀のイギリスでは、ノックの回数というのはその人の身分をあらわす役割を果たしていたということです。そして、それはヨーロッパ全体ではなく、イギリスに固有のものでありました。ノックは1回の方が諸外国にとっては適正であったということでしょう。

 

1900年代前半の資料を見つけられればよかったのですが、それ以降のノックに関する記述は見つけられなかったので、あとは推測になりますが、貴族の「4回ノック」が「正式なノック回数」として、徐々にイギリス国内で変化していったのではないでしょうか。なので、上流階級のマナー、「プロトコール」として学ぶ時は、「4回」を基本として考えられるようになったというのが私の推論です。

 

前掲した酒井は、自身も貴族階級であり、また同じクラスの人間の家に出入りしていたことから、この「4回ノック」のマナーをイギリスで学んだのでしょう。そして、明治以降イギリスからも強く文化の影響を受けた日本の華族を中心に、この「4回ノック」のマナーが広がったのではないでしょうか。

 

しかしながら、このマナーはかなり古いものといわざるを得ないでしょう。全くなくなったとは断言しませんし、今も英国貴族の間では慣行としてあるのかもしれませんが、おおよそ「世界標準」としてのマナーとして受け入れられるかというと、なかなか難しさを感じます。

 

トイレノックはどこからやってきた

しかし、まだ少々疑問は残ります。

 

「ノック3回=親しい間柄」という意味はわかりました。これは、先ほども説明したように、「家の主人や近しいもの」をあらわす19世紀のイギリスのノックの慣習が元になっているのでしょう。

 

ですが、「ノック2回=トイレノック」の出所がわかりません。

 

実は酒井自身はトイレのノックを否定しています。

 

日本人はノック二回が一般的だが、欧米人は四回である。しかし欧米ではトイレのドアをノックする習慣はない。使用中か否かを確認するためドアをたたくと「早く出ろ」との意味にとられ、不快感を与える。*20

 

これはよく聞く話で、トイレをそもそもノックすることがないのではないか、という話ですね*21。そういう社会において、「トイレノック」というマナーが存在するかと言うと、ちょっと疑わしいです。検索してもトイレの工事のことしか引っかからないし。

 

あるいは、そういう「早く出ろ」というときのノックの仕方として「2回ノック」という慣習があるのかもしれません(見つけられませんでしたが)。これは、先ほどの19世紀のイギリスのノック・マナーに戻るなら、「2回ノック」には、「 It expresses hurry」つまり、「急いでる感じ」を伝える意味がありました。この「急いでいる感じ」が、どこかで誰かが「トイレ」と結びつけたんじゃないでしょうか。もうこの辺については推測でしかありませんが、そんなに外してもいない気がします。

 

では、どうしてこの「トイレノック」が日本でのみ広まっているのか。

 

今回多くのマナー本を見ましたが、唯一一冊だけ、この「トイレノック」の記述がある本を見つけました。

 

▼手前開きのドアでお客様を案内する場合

①小さい3回ノックを心がける(2回はトイレノック)。

国際線パーサーがそっと教える美しく生きるマナー術』1994 P150

 

もちろんマナー本はあまたにあるので、これ以外にもあるのかもしれませんが、とにかく「トイレノック」という記述は少ない。しかし皆さん、この本のタイトルに注目してください。『国際線パーサーがそっと教える美しく生きるマナー術』。そう、この本は、当時JAL国際線のパーサーとして活躍していた女性が書いた本なんです。

 

さあ、思い出してください。この記事の冒頭で、美月あきこ先生という元CAの方が「トイレノック」について記載していたという事を。彼女もJALの国際線のCAだそうで、ここで共通点が出てきました。

 

真相は藪の中ですが、こうなってくると、どうもJALの研修なり業務において「2回はトイレノック」と教えた人物がいるのではないか、と妄想したくなりませんか? そして、なぜか元CAの人はマナー本なり自己啓発本を書きたがるようで*22、そういった書籍から「トイレノック」という慣習が広まっていったとは考えられないでしょうか。そして今も、「トイレノック」はJALの中で脈々と受け継がれているのかもしれません。

 

今日のまとめ

①「プロトコール」は「国際儀礼」のことであり、大使や外交官の待遇の方法などがその主であり、ノックのことに言及をしているソースは見つけられなかった。

②日本においては2回が一般的であり、多くのマナー本はそれを採用している。

③英語圏においては、ノックの回数は様々であり、ルールがあるようには見えない。

④19世紀のイギリスにおいて、ノックの回数はその人の身分をあらわしていた。

⑤推測になるが、その④のルールの「4回ノック」が、正式なノックという意味づけに変化し、それが日本に輸入されたのではないか。

⑥「3回ノック」が親しい間柄をあらわすのは、④における「家人」をあらわしていることに由来するのだろう。

⑦「2回ノック=トイレノック」については、ネット上の初出である元CAや、他のCAの方のマナー本に共通してあらわれることから、航空会社の訓練か実務において、そのように教えている時期があった(ある)のではないか。

 「プロトコール」の項であげた、寺西の『国際儀礼の基礎知識』の巻頭には、緒方禎子との対談が載っているのですが、この対談がなかなか面白いんです。何が面白いかというと、寺西はテクニカルな「プロトコール」について(Eメールの出し方とか、礼状の出し方とか)細かく聞いていくのですが、緒方は「まあいろいろあっていいんじゃない」的な立場で答えるので、あんまりかみあってないんです。

 

マナーというものは、時代とともに変わっていきます。寺西も自著で指摘しているように、彼女が今回「プロトコール」に関して大幅な改訂を試みたのは、時代にそぐわないマナーがいつまでも本に残り続けているからだそうです。たとえばそれは、名刺の角をおって置いてくるというものだったり、自分で訪問した時は鉛筆で「PC」と書くというものだったり、今の時代誰もやっていないことが、本には「基礎知識」として残り続ける。マナーもまた、継続的なアップデートが必要だということでしょう。しかしそういった型を気にすることが、果たして本当のマナーなんでしょうか。緒方はこう言っています。

 

(型に)とらわれるということは、もうすでにその人のディグニティー(引用注:品位・気品)から落ちているのではないでしょうか。自然に行動できて、行動することでリスペクトされるという境地に入るのがいちばん大事なことなんじゃないかしらと思いますよ。*23

 

私が今回よくないな、と思うのは、こういう大昔のマナーを引っ張り出してきて、針小棒大に不安をあおるようなやり方でもって「マナー」を語る人間がいるということです。例えば新入社員や就活生はただでさえ社会的には弱い立場なのですから、たとえこの「マナー」が現代にそぐわないものとわかっていたとしても、「それを正しいと思う人がいるかもしれない」という仮定が成り立ってしまうことで、「ノック3回」を強制的に行わなければなりません。そして、新しい「マナー」が、その本質がわからないまま形骸的に成立していくことになるのです。私は「気品」からは程遠い人間ではありますが、しかしそれでも、己が品位というものを、「ノックの回数」ではない形で示せればいいなあと、心から思います。

 

あと本論とは関係ありませんが、星新一の『ノックの音が』は名著なのでぜひ読んでください。

ノックの音が (新潮文庫)

ノックの音が (新潮文庫)

 

 

*1:ちなみにこの本の中にノックの話は出てきません。他の著書にはあるのかもしれませんが

*2:

寺西 2016 P18、これは

国際ビジネスのためのプロトコール―心得たい国際儀礼 (有斐閣ビジネス (29)のことでしょう。

*3:一番初めに外務省が出版したのが1981年。

国際儀礼に関する12章―プロトコール早わかり (1981年)

国際儀礼に関する12章―プロトコール早わかり (1981年)

 

 

*4:

読んだ本は以下の通り。

国際儀礼とエチケット(1982)

やさしい国際儀礼―プロトコールQ&A(1986)

マンガ 国際マナー入門―ビジネスマンのための国際儀礼の基本(1989)

国際儀礼に関する12章―プロトコール早わかり(1992・改訂版)

国際ビジネスのためのプロトコール―心得たい国際儀礼 改訂版 (有斐閣ビジネス)(2000)

プロトコール入門―国際儀礼とマナー(2003)

*5:「国際儀礼とエチケット」友田二郎(学生社)2001 P204

*6:

モナコと東京を行き来しながら、実際に日常生活で役立てられるエレガントな振舞い方から社交界でも通用するプロトコール(世界標準マナー)を伝える畑中さん。

(7) 美生活バックナンバー 2005年5月7日号

ついでに大学教授も使っています。

また、後期の基礎ゼミでは「プロトコール」の講義も行います。「プロトコール」という言葉になじみのない人も多いかもしれませんが、これは「世界標準マナー」で、世界の王室など公式な国際交流の場でも適用されるマナーです。

経営学部 | 神大の先生 | 神奈川大学

*7:

たとえば

プロトコール・マナーのプロトコールジャパン株式会社 | 講師育成・セミナー

フランス式プロトコール|プロトコール ドゥ サロン ア ラ フランセーズ|グローバルな男性のためのプロトコール

Minding Manners - Europe’s leading international etiquette consultancy

The UK's most established etiquette, protocol & household management consultancy | The English Manner

*8:

プロトコール・マナーとは | 一般社団法人日本プロトコール・マナー協会

ただし、TOPでは「プロトコール・マナーの習得が有効手段の一つです」「プロトコール・マナーを人への思いやりとその心の・・・」というように、つなげて書いているし、協会の英語名も「Japan Protocol Manner Association」と、andを抜かして書いているので、造語的に使っているきらいもあります

*9:確認したものは以下の通り。

ビジネスマナー事典(1986)

イラストマナーブック フレッシュマンのためのビジネスマナー(1987)*ドアの開閉の記述はある

フレッシュマンのビジネスマナー読本(1989)*ドアの開閉の記述はある

ビジネスマナーの基本がわかる本―すぐに身につく間違いがない(1993)*ドアの開閉の記述はある

国際ビジネスの達人(1996)

国際ビジネス実務―グローバル化に対応したオフィスワーク(2000)*ドアの開閉の記述はある

社会のマナーとしくみがわかるおとな事典(2012)

 

いずれも、ノックについては記述がありません

*10:Any more than three is too many - can't you wait for me to get to the door??

*11:『ミス・マナーズのほんとうのマナー』P235

*12:『エレガントレッスン』P30

*13:酒井美意子 - Wikipedia

*14:酒井 1988 P174

*15:

London the manner of knocking designates the quality of the person who presents himself.

『The Magnolia, Or, Literary Tablet, 第 1 巻』P169 以下の引用も全て同じなので省略

 

*16:ちょっと古い英語表現なので自信ない

*17:うーん、ここもちょっと自信がないが、carriageを馬車で訳しましたが、「態度」ととることもできそうなできなさそうな

*18:これは当時の表現でインドから帰ってきた英国貴族をnabobと呼ぶんだそうです。日本語に適当な訳がなかったので・・・現代なら大富豪と言ったところでしょう

*19:

and taking the knocker he gave a low single tap, saying, at the same time,"and now, who do you want?"

The Lady's Monthly Museum, Or Polite Repository of Amusement and Instruction』(1826)P89

*20:『欧羅巴・日本 正統派マナー事典』酒井美意子(徳間書店)1990 P199

*21:ドアは閉めるか開けるか : Vector International Academy

Japan Today

など

*22:試みに調べてみると結構ありました

元エグゼクティブCAが教えるビジネスマナー 思わず「YES」と言いたくなる気配りのコツ

元国際線CAが教える日本人が知らないシンプル英会話 (だいわ文庫)

ファーストクラスの心配り〈フライトタイム2万時間 元JAL国際線チーフパーサーが教える〉

JAL接客の達人が教える幸せマナーとおもてなしの基本

など

*23:寺西 2016 P17