ネットロアをめぐる冒険

ネットにちらばる都市伝説=ネットロアを、できるかぎり解決していきます。

「覚せい剤うたずに ホームラン打とう」の出所を探す旅、盛者必衰のことわり

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「覚せい剤打たずに ホームラン打とう」という清原和博が出ているポスターがあったという話が、ネット上で出回っています。

headlines.yahoo.co.jp

この話の出所は、中島らも氏が「こんなくだらんコピーがあるかい」とこきおろした話のようですが*1、実際の画像を最初に見つけた方は、調べた限り以下のツイートです。

 

 この方はヤフオクの画像から見つけたようで、

page8.auctions.yahoo.co.jp

これは執筆現在、3700円という高値をつけております。そりゃすごい。

で、この記事を水曜日あたりに見かけたとき、「こいつぁーホンモノか?」という感じで図書館に調べに行こうとしたのですが、ロケットニュースさんに先を越されてしまいました。

rocketnews24.com

なかなか仕事休んで遠くの図書館にはいけないもんです。

 

なので今回は、たまには足を使って「この画像はホンモノか」を調べるとともに、「この写真はいつのものか」と、起用された経緯なんかを調べられればなあという話にします。

 

***

 

国会図書館は遠いので、近くの所蔵が確認できた図書館に調べに行って、複写してきました。

 

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30数ページのぺラッとしたA5版サイズの冊子で、発行年月は冊子に記載はないのですが、図書館の記録では1987年6月7日。「けいさつのまど」という広報冊子を警察庁は発行していて、その特集号になっています。タイトルは「白い粉の恐怖~好奇心・転落・破滅~」。特集号は毎年6月に出されていて、基本的に薬物関係のようです。

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内容は、YさんとかKさんの覚せい剤などのドラッグの体験談から、「ダメ絶対!」という感じでまとめられています。

表紙は確かに清原選手のもので(表紙裏にもその旨が書いてあります)、あのコピー「覚せい剤うたずに ホームラン打とう」が書かれています。これは冊子ですが、こういうポスターがあったことは間違いないでしょう*2

 

さて、ここからが本番で、ではこの写真はいつ撮られたものでしょうか。

 

ヒントになるものがいくつかあります。

 

①清原選手のユニフォームが西武のホーム用ユニフォームである。

②後ろに写っている人のユニフォームが近鉄バッファーローズのものである*3

③青いリストバンドをしている。

④1987年6月以前の写真である。

 

仮にこの写真が「ホームランを打ったときの写真」*4だとすれば、結構しぼることができるんじゃないでしょうか。

 

私のように野球にあまり詳しくない人のために説明すると、この冊子の発行される前年、1986年は清原和博のデビュー年でもあります。期待のルーキーとして西武に入団し、華々しいデビューを飾った年でもあり、高卒新人としては新記録となる31本塁打を放ち、新人王を獲得した記念すべき年です。

 

ということは、恐らくこの写真は1986年のシーズンのものではないかと推察できます*5。なので、「西武球場」で「近鉄と対戦」し「ホームランを打った」という試合である可能性が高いわけです。

 

で、それがいつになるかというと以下の通り*6

 

日付

号数

対戦相手

球場

6月13日

8

近鉄

西武球場

8月19日

16

近鉄

西武球場

9月27日

28・29

近鉄

西武球場

 

この3試合だけなんですね。当時の朝日新聞にはどれも写真が載っていて、白黒で不鮮明ではあるんですが、少なくとも条件は一致しそうです。

 

で、確証はないのですが、私はこの中でも9月27日の28号本塁打ではないかな、という気がします。9月28日付けの東京版19面に、28号を打ったときの写真が載っていて、清原が振り終わって打球の行方を見ながら走り出そうとしている、というものです。で、その写真には近鉄の選手が腕組みをして立っているのですが、ポスターも同じように腕組みをして立っている選手が2人います。記事のほうは清原の左側を撮っているものなのですが、ポスターは右側です。なので、角度を変えて撮ると、その腕組みの近鉄の選手が写るんじゃないかな、というわけです*7

まあでも、腕組みしてベンチで立ってるなんてよくある光景なので何ともいえないですが、少なくとも上記3試合のうちのいずれかの写真であることは間違いないと言えるでしょう。

 

しかし、仮に28号ホームランを打ったときの試合だとすると、なかなか皮肉なもので、それは清原が今までの高卒ルーキーの本塁打記録を塗り替えた打席のものでもあるわけです*8。この記録は未だに破られていません。

 

それだけ、当時清原和博という選手は輝いていたわけです。当時の新聞では、「パ・リーグにとって稲尾以来のスター」といわしめ*9、電通には「一億円以上の価値」*10があると太鼓判を押された、期待の星だったわけです。

 

当時、日本では覚せい剤の摘発件数が急増していたことが話題になっていました。「10年前の10倍」の件数となり、「台湾・韓国」「ハワイ」ルートの密輸が増えていて、新たに警察庁に薬物対策課が新設されたくらいでした*11。「ダメ。ゼッタイ」で有名な「財団法人麻薬・覚せい剤乱用防止センター」が設立されたのも1987年。この年から、有名人を起用したポスターを作っていました*12

 

ひとつのPRとして、その輝いていた清原選手に警察庁が目をつけたのは想像に難くありません。今とは違って「さわやかな」イメージもあったようですし*13、広報の担当者としては、まず清原選手の起用の案があり、それに関連付けたコピーが考え出された、ということがあったんじゃないでしょうか。

 

しかし、それから30年。盛者必衰のことわりをあらわすように、転落をしてしまった清原。新記録樹立という、新たな時代を感じさせる写真が、未来の落ちてしまった彼につなげられてしまったことは、何とも悲しいひびきがあります。

 

 

*1:らもんの一生平成元年

http://www4.airnet.ne.jp/kawamura/ramo/isshou/1989/index.html

*2:どこぞやのニュース番組で、ポスターの画像が出てきたようですね

*3:オリックス・バファローズ LEGEND OF Bs 2011|70s 近鉄バファローズ|ユニフォームの変遷

*4:もちろん、この写真がホームラン打席ではない可能性は大いにあります。しかし、それだとさすがに多すぎて探せません。それに、広報の人がこの「ホームラン打とう」のコピーを考えたときに写真の要望を西武側に伝えるとしたら、やっぱり「ホームランの打席」と指定するんじゃないんでしょうか。

*5:無論、1987年の5月までの打席の可能性もあります。が、4月までは長袖を着用することが多かったこと、5月にホームで近鉄戦、という条件の本塁打がなかったことから除外しました。

*6:本当はプロ野球記録年鑑で調べられればよかったのですが、1986年のものが近くの図書館に存在しておらず、仕方がないので朝日新聞の過去記事検索システム「聞蔵」で、清原の記事だけピックアップするという地道な作業を行いました。

*7:チョサッケンの関係で、その写真を掲載できないのがもどかしいですが、調べたい人はお近くの図書館で調べてみてください。

*8:それまでは、昭和28年西鉄の豊田泰光の27本

*9:1986年10月3日 朝日新聞「スーパールーキー清原クンが行く」の、マガジンハウス副社長甘粕章の言葉

*10:同上 電通クリエーティブ総務 山川浩二局次長 ちなみ西武は選手のCM出演を禁止していたので、あくまで可能性の話みたいですが。

*11:1987年11月4日 朝日新聞夕刊14頁「覚せい剤など撲滅ねらい薬物対策課を新設」

*12:キャンペーンポスター一覧

http://www.dapc.or.jp/info/index.htm

*13:1987年11月17日 朝日新聞 声欄 「さわやかなあの涙、清原君忘れないで」