都知事選と相まって、漫画やアニメに関する表現規制が話題になっています。そんな中で、こんなツイートが話題になっていました。
最後に、私の知る限り最も愚かしい「表現規制」の例を上げたい。ルネサンスの天才ミケランジェロの描いた「最後の審判」。中央のキリストは、最初は裸だったが、「いやらしい」という理由で、後世の者たちが勝手に衣服を書き加えた。 pic.twitter.com/NKTLKrWB79
— SOW@新刊8/1発売! (@sow_LIBRA11) 2016年7月18日
システィーナ礼拝堂にある「最後の審判」。この絵の中央にいるイエス・キリストは腰に布を巻いていますが、それは後世の人が「いやらしい」ということで勝手に加えたということです。なので、
もはや元通りにできなくなったその部分。現在では「キリストの姿にすら歪んだ思考を重ね、至高の天才の宝を汚した愚か者たち」として記されている。
— SOW@新刊8/1発売! (@sow_LIBRA11) 2016年7月18日
ということだそうです。なるほどねー。
うーん、しかしながら、どこまで本当かしらん、と相変わらず思ったので調べてみました。
「トリビアの泉」で放送されていた
この話、日本で有名になったのは、どうも「トリビアの泉」からなのかな、という気がします。
トリビアNo.437~443 トリビアの種No.042 | トリビアの泉で沐浴
番組自体もリンクは載せませんがチェックしましたので、おおむね上記のリンクの内容です。内容を抜粋すると、
「ミケランジェロの「最後の審判」に描かれている裸体は不謹慎だという理由で「ふんどし」が描き足された」
①ミケランジェロと親交のあった画家ヴァザーリが当時の芸術家たちの作品についてまとめた「レ・ヴィデ」に書かれている。
②「法王パオロ4世はミケランジェロが製作した『最後の審判』を体の恥ずかしい部分を見せているという理由で下半身を薄い布で隠すように命じた」とある。この絵はキリスト以外の35人の男性が全裸で描かれていた。
③法王自ら依頼した作品を否定する行動をとる事は誰にもできず、ミケランジェロの死後ふんどしで股間を隠すことが決められた。
④この命令でミケランジェロの弟子ダニエレがふんどしを描いたのだが、そのためダニエレは人々から「ふんどし画家」という呼び名をつけられ後世まで知られることになった。
ということだそうです。
しかしながら、気になるところは
この絵はキリスト以外の35人の男性が全裸で描かれていました。
という部分です。んん?キリストはそもそも全裸でなかったということなんでしょうか。そうすると、ツイートの発言が誤りだということになります。
キリストは服を着ていた
この「最後の審判」は、教皇(法王)クレメンス7世の依頼の後、パウルス3世へと引き継がれ、1541年に完成します。
実は、このときパウルス3世は、「最後の審判」の写しをMarcello Venustiという画家にとらせていました。それが以下のものです。
上の絵を見るとわかりますが、中央にいるキリストは腰に布を巻いています。この絵は、「ふんどし」を描き足される前に写された絵だそうなので、元々キリストは衣服を身につけていたということになります。
かきたされたのはどうやら周りの人々のようで、下はミケランジェロの方の「最後の審判」なのですが、確かに、比べてみると、布やらなんやらが足されているのがわかります。
つまり、元々キリストは腰に布を巻いていたわけで、あとでかきたされたのは周りの人々だということです*3。
そもそも「ふんどし」の話はどこまで本当なのか
しかし、この「いやらしい」という理由で描き足されたという話、どこまで本当なのでしょうか。ソースがほしいですよね、ソースが。
もちろん出典は存在します。
どうやらこの話の元ネタは、ルネサンス期の画家・美術史家のジョルジョ・ヴァザーリの『「画家・彫刻家・建築家列伝」(Le vite de' piu eccelenti pittori, scultori e architettori)』*4のようです。初版は1550年。おお、当ブログでもまれに見る古さのソースですな。
残念ながら日本語の完訳版は現在中央公論社ががんばって出版しているところなので*5、私が確認したのは抜粋版の『ルネサンス画人伝』(白水社)1982と原著のイタリア語版。確認できた場所は2箇所。
ミケランジェロの章のところで一箇所。
さて、この頃ある人々が、法王パウルス四世は『最後の審判』のある礼拝堂正面を、彼に変更させる気でいると伝えた。法王が、その人物像はあまりにも不真面目に恥部を見せていると言っていたからである。法王の気持ちがミケランジェロに伝わると、彼はこう答えた。「法王には、そんなことは取るに足らないことで、簡単に変更できると言いたまえ。法王は世界を変えるのだから、絵などすぐに変えられるのだ」*6
ミケランジェロの弟子のDANIELLO RICCIARELLIの章で一箇所。
Tornato finalmente Daniello a Roma, avendo papa
Paolo quarto volontà di gettare in terra il G-iudizio di
Michelagnolo, per gì' ignudi che li pareva che mostras-
seno le parti vergognose troppo disonestamente, fu detto
da' cardinali ed uomini di giudizio, che sarebbe gran
peccato guastarle, e trovaron modo che Daniello facesse
lor certi panni sottili e che le coprissi; che tal cosa finì
poi sotto Pio quarto, con rifar la Santa Caterina ed il
San Biagio, parendo che non istessero con onestà,/ Co-
minciò le statue in quel mentre per la capella del detto
cardinale di Montepulciano, ed il San Michele del por-
tone; ma nondimeno non lavorava con quella prestezza
che arebbe potuto e dovuto, come colui che se n'andava
di pensiero in pensiero.*7
上のイタリア語が読めますか?私も読めません。ただ、Google翻訳などに頼る限り、ダニエロがローマに戻った時、パウルス4世に、『最後の審判』が身体の恥ずかしい部分を見せているから、という理由で布をかけるように命じられた、みたいなことが書かれているようです。
なので、記録としては1565年ごろに、最初の描き足しがあり、17世紀から18世紀にかけても、そういう描き足しが行われたようです*8。
トリビアにもありましたが、かわいそうなことに、この弟子のダニエロは、今では「Il Braghettone」すなわち「パンツ職人」と揶揄されてしまい*9、なんとも不遇な感じです。
この裸体をめぐっては他にも逸話があり、Biagio da Cesenaという儀典長が、その裸体の多さがふさわしくないとミケランジェロに文句を言ったら、Cesena自身を絵の中に組み込まれ、しかも地獄側に蛇に股間をかまれた状態で描かれたということ。それを法王に訴えると、法王は冗談交じりに「地獄のことは私の手に負えない」と言ったんだとか*10。
トリエント公会議
恐らくこの「ふんどし」が描かれたきっかけは、トリエント公会議にある、という話もあります。
対抗宗教改革とイタリアの斜陽 ―17世紀ヨーロッパの美術 ―
イタリア美術史が専門の先生なので、間違っちゃいないと思うのですが、ルターなどによるプロテスタントの勢いに押される形で、公会議が行われます。プロテスタントは偶像崇拝を禁止しているので、宗教画に対しても厳しい態度で臨みます。
元々、礼拝施設に裸体を描くのはどうかという意見もあったようですが、ようは宗教画=イコンというものにたいして、厳しい風当たりになっていった時代のようです。裸体に関しても、元々あった批判的な風潮が、公会議でのプロテスタントとのすり合わせの結果、かきたされるというようなことになったのではないでしょうか。
今日のまとめ
①「最後の審判」は、1565年および17世紀~18世紀にかけて、裸体を隠すような布などが描き足されている。
②ただし、キリストは元々腰に布を巻いており、「あとから描き足された」という話は誤りである。
③この話の出典はヴァザーリの『画家・彫刻家・建築家列伝』である。
④トリエント公会議後の、カトリックの改革も、この布を描き足すという運動に関係しているのではないか。
いつの時代も権力者の規制というのは存在し、そしてそれに対抗するものたちがいるという構図はあるということです。細かいところをつつきましたが、結局ツイート主さんが言いたいことは、きっとそういうことであり、「キリストは最初から布を巻いていた」となったとしても、特段その説に支障はないかと思われます。
しかしながら、だとすると「キリストの姿にすら歪んだ思考を重ね、至高の天才の宝を汚した愚か者たち」という次のツイートは出典不明の記載であり、そもそもキリストは書き直されていないのですから、その言葉がどこに「記されている」のか疑問に思います。
同様に、同じツイートの流れの中であげている、悪書追放運動の画像と思われる、焚書の写真も、
悪書追放運動として、「子どもたちのために」というお題目で、学校の校庭に子供から取り上げたマンガを山積みにし、子供の前でガソリンかけて燃やしたのだ。戦後日本で、秦朝ばりの焚書が行なわれたのだ。 pic.twitter.com/p9OspLwHqQ
— SOW@新刊8/1発売! (@sow_LIBRA11) July 18, 2016
細かいところですが、これがいったいいつの写真で、そして燃やされているものはいったい何で、そして本当に学校の校庭なのか、といったところは、少々不明な点が多いかと思います*11。
何が言いたいかというと、資料はウソをつくということです。私はツイート主さんの意見には納得できる部分も多くありますが、こうしてウソをつかれやすい資料の選定をしているところには危うさを感じます。それは江戸しぐさのような、信じたいものを信じてしまう流れをつくってしまうからです。結局各人、自分で見て考えたものだけは信じる、というスタンスがよろしいのかと思います。
それにしても、もしこういう「規制」が強化されたら、どうなるのかは興味があります。ガリレオみたいに裁判にかけられながらも、「それでもエロ同人誌をオレは書く」という猛者が現れるのでしょうか。見たいような、見たくないような。
*1:
Marcello Venusti | Last Judgment | Museo e gallerie nazionali di Capodimonte | Image and original data provided by SCALA, Florence/ART RESOURCE, N.Y.; artres.com | (c) 2006, SCALA, Florence/ART RESOURCE, N.Y.
Michelangelo’s Last Judgment—uncensored | The Artstor Blog
*2:
*3:1994年の大改修によって、18世紀以降に描き足された布などは、全て元の裸体に戻されたそうです
Michelangelo’s Last Judgment—uncensored | The Artstor Blog
また、法王庁はこの改修の際にいくつもお言葉を出していて、その中に、この裸体論争に関してのコメントもありました。
「"The man and his wife were both naked, yet they felt no shame"」という聖書の言葉をミケランジェロは意識したのだろうというようなことが書いてあり、裸体に関しては肯定的です。
*5:しかも30000オーバーとめちゃくちゃ高い
美術家列伝 第3巻 | 既刊書 | 西洋美術史 |中央公論美術出版
*6:『ルネサンス画人伝』P292
*7:Full text of "Le vite de'più eccellenti pittori, scultori ed architettori. Con nuove annotazioni e commenti di Gaetano Milanesi"
*8:本当はその記録も正確に調べられると良いんでしょうけど、さすがにそこまで元気がなかったので、以下の英語の記事を参考にしました。
Michelangelo’s Last Judgment—uncensored | The Artstor Blog
*9:ただ、このあだ名が、いったいいつつけられたのかは不明です。当時からそう呼ばれたのか、あるいはもっと時代が下ってからなのか…
*10:これは一応ソースがあります。1556年出版のもの。
ただ、私にはどこに書いてあるのかよくわからなかった…
*11:学校で燃やされたことがあるのか?という疑問は今後調べてみたいと思いますが、疑問に思っている人はいました。
1955年の漫画バッシング(悪書追放運動)について - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)