【1月11日追記】
情報を頂きまして、なんとこの名言の引用元(らしきもの)がわかりましたので、「変遷」の項に追記します。これが事実だと、私の推測のほとんどが誤りになり、なんとも恥ずかしい記事になりました。また、「知は空虚なり」のギリシャ語などの引用に誤りがあったのでそちらも訂正します。
また、内容としては、プラトンの他の著作である「プロタゴラス」などにも似たような記載があるとのことですが、内容を確認できていないので確認したら追記します。
さあ、今日はみなさんお待ちかね、名言シリーズ*1です。
先日、Twitterのトレンドに「無知の知」が入っていて、急に知能指数があがった感じだったのでびっくりしたのですが、そんなソクラテスの格言として、以下のものが紹介されていました。
無知は罪なり 知は空虚なり 英知持つもの英雄なり
「無知の知」は有名ですが、「無知は罪」というくだりは初めて聞いたのでいぶかしんでいたところ、さっそくいろいろな人に「それはソクラテスは言っていないのではないか」と言われていました。私は知らなかったのですが、結構有名みたいで、ググるといっぱい出てきており、思索的なブログからビジネスマンの格言集、果ては中学生の作文コンクールにまで引用されてました*2。
「〇〇が言った」という名言の8割(当社比)の出所は怪しいものですが、基本的に私の名言に対するスタンスは、「火のない所に煙は立たぬ」なので、調べてみたところ、あながち「ソクラテスは言っていない」とも言い切れないのではないか、と思いましたので、つらつらと書いてみます。
【目次】
「無知は罪なり」は典拠がある
みなさん博識なので数日たつとすぐに典拠を示されるのですが、「無知は罪なり」のくだりには典拠があります*3。
現在確認ができる最古のものは、ディオゲネスの哲学者列伝の記載。ギリシャ語は読めない*4ので英語のものを。
There is, he said, only one good, that is, knowledge, and only one evil, that is, ignorance;
そこで、彼(ソクラテス)は、「唯一善なるものは知識なり、悪なるものは無知なり」と言った。
Lives of Eminent Philosophers 5-31
Diogenes Laertius, Lives of Eminent Philosophers, BOOK II, Chapter 5. SOCRATES (469-399 B.C.)
しかし、ディオゲネスの列伝は3世紀前半の作とされ、ソクラテスはBC399年に亡くなったとされているので、優に700年近く経っていることを考えると、実際にそのようなことを言ったのか、というのは少々疑わしいです。
とはいえ、この「名言」は、むしろ英語圏でよく見られます。ちょっとずつ形を変えながらもよくあります。
“The only good is knowledge and the only evil is ignorance.”
― Socrates
Quote by Socrates: “The only good is knowledge and the only evil is...”
“The only good is knowledge. And, the only evil is ignorance.” — Socrates
“The only good is knowledge. And, the only evil is ignorance.” — Socrates [1000X600] : QuotesPorn
"There is only one good, knowledge, and one evil, ignorance."
- Socrates
I've been thinking about this statement a lot, and I was wondering what you guys think about it?
https://www.ultimate-guitar.com/forum/showthread.php?t=807450
もちろん、これをソクラテスの言かと疑う向きもあります。
First of all, no. Second of all, Socrates probably never said these exact words.
まず第一に、いや、第二としても、ソクラテスは恐らくそのような言葉通りに言ったことはなかっただろう。
このQuoraの回答では、「無知(の無知)が悪のすべての原因である(ignorance is the cause of all evil)」と考えるならソクラテスの思想と合うだろうが、前述したとおり700年もの年月が空いていること、古代の作家は引用符を用いなかったので言い換えなのか引用なのかが判別できないことから、この言葉通りに言ったわけではないだろう、というものでした。ちなみに、この名言をヘロドトスの言葉だとするものもあります*5。
まとめると、「無知は罪なり」という言葉に似た表現は、実際に言われたかはともかく、ソクラテスの言葉としてディオゲネスが載せていることは事実だ、となります。
「知は空虚なり」も典拠がある
しかし、「無知は罪なり」以下の言葉はソクラテスの言葉にはない、とする意見が多いのですが、「知は空虚なり」にも、典拠があるのではないか、というのが私の考えです。
実は有名どころで、『ソクラテスの弁明』に以下の記述があります。
but the fact is, gentlemen, it is likely that the god is really wise and by his oracle means this: “Human wisdom is of little or no value.” And it appears that he does not really say this of Socrates, but merely uses my name,
しかしながら、諸君、真に賢明なのは独り神のみでありまた彼がこの神託においていわんとするところは、人智の価値は僅少もしくは空無であるということに過ぎないように思われる。そうして神はこのソクラテスについて語りまた私の名を用いてはいるが、それは私を一例として引いたとして過ぎぬように見える。
Plato, Apology(23a)*6
この「人智の価値は僅少もしくは空無である」は、まさしく「知は空虚なり」にならんでしょうか。無論、「(人間の)知は空虚なり」ということであり、「真に賢明なのは独り神」なのだから(定義上は)、人間が賢者と称することのおかしさを問うており、まさに人間だけにできる「無知の知」の話へとつながっていくのだろうと思いますが、字面だけみればこれを典拠としてもよいのではないでしょうか*7。
「無知は罪なり、知は空虚なり…」の変遷
ここで「英知持つもの英雄なり」の典拠も見つけられると完璧なのですが、こっちはなかなか見つからない。
そこで、この名言の変遷について調べてみることにしましょう。
まず、「無知は罪なり」ですが、この言葉や考え自体はソクラテスの関係あるなしに関わらず、よく見られます。
例えば聖書の中にも無知(特に神に対する)についてよく言及されています。
彼らの知力は暗くなり、その内なる無知と心の硬化とにより、神のいのちから遠く離れ
エペソ人への手紙 4:18
わたしの民は知識がないために滅ぼされる。あなたは知識を捨てたゆえに、わたしもあなたを捨てて、わたしの祭司としない。あなたはあなたの神の律法を忘れたゆえに、わたしもまたあなたの子らを忘れる。
ホセア書 4:6
とくに宗教的な側面において「無知は罪なのかどうか」というような問自体は自然に立てられていたといっていいでしょう。
他の名言でも似たようなものがあります*8。
Ignorance is not innocence, but sin
無知は無実ではなく罪である
ロバートブラウニング
The North American Review
Vol. 156, No. 436 (Mar., 1893), pp. 377https://www.jstor.org/stable/25103107?socuuid=86ee5be8-469e-430f-a71f-d18e0fcf22a3&socplat
“Ignorance is the curse of God; knowledge is the wing wherewith we fly to heaven.”
無知は神の呪いです、知識は天国への翼です。
ウィリアム・シェイクスピア
また、「無知は罪なり」という表現自体も日本語ではよく使われています。
今日はスキー場を逆走しました。実際走るまで辛さが想像できませんでした。無知は怖いですね。
無知は罪なり 【むちはつみなり】
芹香を見るのも聞くのもはじめてと言ったとき、志保に言われる言葉。http://www.botan.sakura.ne.jp/~siori/hth/leaf/thdic/dic-m.html
診療所の風景 (2) 痛感した「無知は罪なり」(工藤陽孝、医師)
熊本日日新聞 1995.04.12 朝刊 15頁
確かに語呂がいいですもんね。
なので、「無知は罪なり」については、表現としては古くからあり、これが英語の「only evil is ignorance」と結びついて、ソクラテスの言葉となった、というところではないでしょうか。
「無知は罪なり、知は空虚なり…」の表現ですが、みなさん2008年7月10日の教えてgooの回答が単純な日付指定のGoogle検索で引っかかる最古の例*9として挙げているのですが、
回答者: *** 回答日時:2008/07/10 14:21
ソクラテスの言葉だとおもいます。無知は罪なり、知は空虚なり、英知持つもの英雄なり
Google検索はそんなに万能ではないので、他のサイト指定でもう少し検索をかけてみると、2003年4月2日の2chのレスが引っかかります。
299 : 299 2003/04/02(水) 03:04:00
最後に>>274に大好きなソクラテスの言葉を送ってあげよう。
「無知は罪なり。知は空虚なり・・・」
今のところ追えるネット上の古い引用はこの2003年なのですが、興味深いことに、この引用は「知は空虚なり」で終わっていて、「英知持つもの英雄なり」が省かれているんですね。これは他の例もあり、2007年ですが、
685 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 06:31:47 ID:D4+B1dYH0
無知は罪なり 知は空虚なり
と、こちらも途中で切れています。
これは推測にはなりますが、初めは「無知は罪なり」というソクラテスの名言があり、その「続き」として、「知は空虚なり」が足され、またその後、もう一つの「続き」として、「英知持つもの英雄なり」が足されたのではないでしょうか。「知は空虚なり」まではソクラテス関係の言葉を典拠としていましたが、「英知持つもの英雄なり」は、続きの語呂合わせ的に、あんまり意味なく付け加えられたんじゃないのかなあというのが私の考えです(だからいまいち出典が見つからない)。
【1月11日追記】
さて、教えていただいたのですが、
「無知は罪なり、知は空虚なり、英知持つもの英雄なり」の出所、なぜかネットのどこを見ても言及がないので置いておきますね
— 確かさ (@awncient) 2020年1月8日
2001年の個人のテキストサイトが初出で、ソクラテスの「無知は罪なり」に自分の言葉を付け足した"格言"だそうで(このソクラテス理解は誤りですが)https://t.co/8816YOagnu pic.twitter.com/HA5nrneSbQ
2001年8月28日(Waybackの日付は2002年5月16日) に更新された個人サイト「YOU'S DIARY」(ページ削除済)に、以下の記述があります。
ギリシア時代、『無知は罪なり』とソクラテスは言いました。
だが、「知る」ということ「わかる」ということはマイナスでもあるのです。
『無知は罪なり』その言葉に一言付け加えましょう。『知は空虚なり』だが、『見識』とはその知の結晶でもある。
よって、今日の格言
『無知は罪なり、知は空虚なり、英知持つもの英雄なり』
よって、上記の記述通りだとすると、「無知は罪なり、知は空虚なり、英知持つもの英雄なり」は、2001年~2002年ごろから存在し、それは、「無知は罪なり」というソクラテスの言葉に、一個人が付け足したということになります。
このサイトがどの程度参照されたのかが不明ですが、2005年の2chに、恐らく(句読点や『』まで一緒なので)このサイトの言葉をそのままコピペしたであろうコメントがあり、
326 : Nana 2005/10/18(火) 17:44:52
>>326
ギリシア時代、『無知は罪なり』とソクラテスは言いました。
下って2009年の映画感想サイトでは、ほぼ同じ文章が(もしくは上記のサイトと同一人物?)コピペされ、
かのソクラテスはこう言った。
「無知は罪なり」と。
しかし、「知る」ことはマイナスな事もある。
「無知は罪なり」その言葉に一言付け加えるとすれば、「知は空虚なり」しかしまた、「見識」とはその知の結晶でもある。
よって、「無知は罪なり、知は空虚なり、英知持つもの英雄なり」
誰かが言った言葉である。
いずれにせよ、このサイトの言葉が直接参照され、独り歩きしていたことが、わずかな断片からですがうかがえます。なので、「無知は罪なり」という語が最初から定着していたという記述は正しそうですが、そのあと順番に「知は空虚なり」「英知持つもの英雄なり」と付け足されていったという推測はたいそう怪しくなります。「知は空虚なり」と「弁明」の意訳の線は残したいところではありますが…
気になるのは、このYOU'S DIARYの作成者は、上記の言葉を「参考として、二年前に書いた文章」として載せているので、WEB上にアップしていたのであれば、1999年ごろからあったということにはなります。可能性としては、この作成者が何かを参考にしたということは言えるかもしれませんが、少なくとも現在広まっている名言の源泉の重要なひとつとして言えるでしょう。
しかし、GoogleなどのWEB検索に引っかからないのは当然として、WaybackMachineやそのほかアーカイブ的なサイトを一通り使って検索をかけたのですが、どーやってこのサイトを見つけ出せたんでしょう…精進が足りないみたいです。
【追記ここまで】
今日のまとめ
①「無知は罪なり」は、ディオゲネスの『ギリシア哲学者列伝』の中で、ソクラテスの言葉とされる「only one good, that is, knowledge, and only one evil, that is, ignorance」を典拠としているのではないか。
②「知は空虚なり」は、『ソクラテスの弁明』の「人智の価値は僅少もしくは空無である」からとられたのではないか。
③「無知は罪なり…」の今回の名言の変遷に関する推測は以下の通りである。
イ.古くから古今東西で言われる「無知は罪なり」という表現が日本語である程度定着していた。
ロ.ソクラテスの名言として英語圏で定着していた"There is only one good, knowledge, and one evil, ignorance."の表現が、上記「イ」の「無知は罪なり」という表現と結びつき、「無知は罪なり」がソクラテスの言葉として日本語でも定着されるようになった。
ハ.遅くとも2003年までに、「知は空虚なり」という言葉が、誰かが『ソクラテスの弁明』から意訳し、「無知は罪なり」の後に続けて書いた。
ニ.その後、2007年までに、語呂合わせとして「英知持つもの英雄なり」が付け足された。
【1月11日追記】
2001年~2002年にかけて個人サイトに書かれたもので一致するものがあり、おそらくこれが出所だと思われる。
とはいっても、今回の名言は、ソクラテスに関する著作からのつぎはぎであり、全体として見た時に、ソクラテスの言葉なのかと問われると難はあるでしょう。ただ、「無知の知」を引き合いに出して、「絶対にソクラテスはこんなこと言わない」とするのも、この「Human Wisdom」の議論*10を見るにつけ、背後の意味を読み取るという考えからすると、性急な結論ではないかと思われます。
今回の名言はある方のツイートが発端のようですが、その方は、名言は誰が言ったかは関係ない、内容が大事なんだというようなことを仰っていました。私はその考えとは少々違っていて、いわゆる名言・格言というものは、まさに「誰が言ったか」がとても大事になってくると思います。言葉の内容の方は二の次です。名言は発言者に揺れがあることが多いですが、時代と共に変わることもあり、「どうしてその人に言わせたのか」ということを考えるのが大変おもしろいです。また、まさに名言は口承の様相を呈しており、細部の変化を見ていくと、人間の考えの変化のようなものも考えることができます。名言・格言の価値は、そのように変化していくこと自体に価値があるのだと思います。内容が大事なら、名言のような短い言葉でなくて、引用元の文章を読むべきです。
とまあ、こういう戯言は、ラスコーリニコフ的に言うなら「踏み越えた」人の発言です。「すべてについて疑うべし」とやりだすと、なかなか大変なので、あんまりオススメはしません。気になる名言を見つけたら、ネットロアのなんとかでも見てみよう、ぐらいの気持ちで、今後とも御贔屓にしてください。
*1:
過去の名言シリーズ
*2:
沖縄タイムス 2019年12月4日 P18に、県教育委員会教育長賞の作文の中で、ソクラテスの言葉として引用されておりました。
*3:
など。
森瀬氏の『死に至る病』の「罪は無知である。周知のように、これがソクラテス的定義であり~」は、典拠とするには少々表現が遠く、後述するように、このくだりは英語で広まっているものから訳したと考えるのが妥当だろうという点を加味して、検証から省いています。
ちなみに、「大川隆法総裁の霊言である」というウワサについても、実際に『ソクラテスの霊言』を確認された方から記載がなかった旨が伝えられています(私も現物を読んだら追記します)。
*4:
いくつかのギリシア哲学を扱った論文を読むと、やっぱりギリシャ語でちゃんと引用するのが適切なようなんですが、文字化けもするしあきらめてしまいました
*5:
Herodotus - The only good is knowledge, and the only evil...
まあ、ヘロドトスもいろんな名言ジェネレーターにされてますね
*6:
【1月11日追記】
ギリシャ語は
Απολογία Σωκράτους (μετάφραση) - Βικιθήκη
にあるのですが、これは現代ギリシャ語で、古代ギリシャ語は、ここから読めますが、
もはや私の知識では正確に引用できなさそうだったので、削除しました。読める人は参照してください。
英語は
日本語訳は、
より引用(P28-29)
*7:
「人智」というところの解釈が難しいのですが、ミネソタ州立大学のJohn Humphrey教授の考えや、
今道友信の論文
なんかを読んでもよいかもしれません。今道は、「人間はそれゆえ、思索の主体ではない(中略)真に思索するところの主体とは人間ではなく神にほかならない(中略)プラトンの理想にしていた神との一致に接近する」と述べています。
*8:以下に関しては本当にその人が言ったのか、までは調べませんでしたので、ご参考までに。
*9:
人によっては、検索画面に出てくる日付でもって、「2002年9月15日」の個人HPの文章を最古としているのですが、
Googleの検索結果画面での日付の取得はそのページではなく、上層のサイトから取得する場合も多く、ちょっと信用はできません。むしろ、この「私的パイプコラム」の記事は、アーカイブの一番古いのが2013年であること、
https://web.archive.org/web/20130908185055/http://www7b.biglobe.ne.jp/~kogloft/paipecolumn.html
更新履歴に「07年 6月12日:パイプのあれやこれやに私的パイプコラム追記」とあることなどから、どんなに古くとも2007年ごろのものではないか、と思われます。
*10:
たとえば、