ネットロアをめぐる冒険

ネットにちらばる都市伝説=ネットロアを、できるかぎり解決していきます。

ニューヨーク・タイムズは日本を「独裁政権」と呼んだのか、気炎を吐いても息さわやか

 

朝日のこんな記事が湧き上がっていました。

 

米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は5日、菅義偉官房長官が記者会見で東京新聞記者の質問に対する回答を拒むなど、そのメディア対応を指摘したうえで、「日本は憲法で報道の自由が記された現代的民主国家だ。それでも日本政府はときに独裁政権*1をほうふつとさせる振る舞いをしている」と批判した。

「日本、独裁政権のよう」ニューヨーク・タイムズが批判 [報道の自由はいま]:朝日新聞デジタル

 

私はこの「独裁政権」という強い書きぶり*2が大変気になったので、元記事を調べてみました。今回はまあ、ご意見求むという感じなので、お手柔らかにお願いできれば幸甚幸甚。

 

 

"authoritarian regimes" をどう訳すか

ニューヨーク・タイムズの元記事は以下のものです。2019年7月5日。

 

www.nytimes.com

 

「この記者はたくさんの質問をする。日本において、彼女は変わっているとみなされる」というタイトルにある通り、この記事は東京新聞の望月衣塑子記者のことを描いた記事です。朝日や時事の記事だけ読むと、そのニュアンスがちょっと伝わりませんね。まあ、自社の記者じゃないから扱いにくいでしょうが。

 

くだんの箇所は以下の通り。

 

Still, the government sometimes behaves in ways more reminiscent of authoritarian regimes, like denying some journalists access to news conferences, or using clubby relationships between politicians and media executives to keep reporters in line.

一方、日本政府は時々、記者会見へのジャーナリストの入室を禁止したり、政治家とメディアの親密な関係を利用して記者を同調させたりするなど、「authoritarian regimes」をより彷彿とさせるようなふるまいをする。

 

朝日はこの「authoritarian regimes」を「独裁政権」と訳したわけです*3。私はここに引っかかりました。

 

権威主義が一般的では

「authoritarian regimes」は、政治学的には「権威主義体制」と訳されることの方が多いと思います。

 

現代シリアの権威主義体制の変容とその限界 : なにがシリア難民問題をもたらしたのか
Transformation and Limitation of Syrian Authoritarian Regime : The Root Causes of the Syrian Refugee Crisis

CiNii 論文 -  現代シリアの権威主義体制の変容とその限界 : なにがシリア難民問題をもたらしたのか

 

多民族国家における権威主義体制と開発 ― 政治的側面におけるルワンダの「シンガポール・モデル」―
Authoritarian Regime and Development in Multiethnic Countries : "Singapore Model" in Rwandan Politics

CiNii 論文 -  多民族国家における権威主義体制と開発 ― 政治的側面におけるルワンダの「シンガポール・モデル」―

 

権威主義体制、独裁者、戦争―中越戦争を事例として

Authoritarian Regimes, Dictator, War: The Case of China's War with Vietnam in 1979

CiNii 論文 -  権威主義体制、独裁者、戦争―中越戦争を事例として

 

また、英語記事を翻訳するときも、「Authoritarian」は「権威主義」の訳語を当てはめることが多そうです*4

 

The rise of the populist authoritarians

Subscribe to read | Financial Times

 

というフィナンシャル・タイムズの記事を、JBpressは 

 

世界中で台頭するポピュリスト権威主義者

世界中で台頭するポピュリスト権威主義者 個人独裁、似非民主制を隠れ蓑にして跋扈――マーティン・ウルフ(1/7) | JBpress(Japan Business Press)

 

と訳しています。

 

他には、上智大学の中野晃一氏が、自らがNYTに寄稿した「Under Prime Minister Shinzo Abe, Japan has taken a decidedly authoritarian turn.(安倍晋三首相のもと、日本は明らかなauthoritarianへの転換を迎えた)」という副題のつく「The Leader Who Was ‘Trump Before Trump’」という記事*5のtwitterでの紹介に、「権威主義化」という語を選んでます。

 

 

 

朝日も「権威主義」を使用している

 

実は、朝日も、過去に「Authoritarian」を「権威主義」と訳しています。

 

アメリカのジャーナリスト、トーマス・フリードマンのNYTへの寄稿を朝日が自身の紙上に翻訳して載せた回が2回あります。NYTの元記事は以下。1つ目は2018年11月13日。

 

This system has produced high levels of innovation — Alibaba, Tencent, DJI — despite a censored internet, lack of a free press and an authoritarian government.

Opinion | China and Trump, Listen Up! - The New York Times

 

この部分を、朝日は2018年11月23日付の紙上にこう訳しています。

 

この方法で、アリババ、テンセント、DJIなどによる、高度な革新的技術が生まれた。インターネットの検閲があり、報道の自由がなく、政府が権威主義的であるにもかかわらずだ。

朝日 東京朝刊 2018/11/23 P15

 

2回目は2019年6月25日のNYT記事*6。こちらもフリードマンのもので、中国の21世紀における産業支配について述べられたパラグラフです。

 

It intends to use A.I. to perfect its authoritarian control at home and electric cars and batteries to liberate itself from dependence on the “old oil” of the last century.

Opinion | Trump Takes On China and Persia at Once. What’s to Worry About? - The New York Times

 

朝日は期せずして今回取り上げた記事の前日、2019年7月5日に翻訳を載せています。以下の通り。

 

AIを使って国内での権威主義的支配を完全にしようとし、電気自動車と電池を使って前世紀の「古い石油」依存から脱却しようと考えている。

朝日 東京朝刊 2019/7/5 P15

 

2回目の記事は面白いことに、「独裁」という言葉が出てきます。

 

トランプ氏は、イランの独裁者との間で結ばれた2015年核合意を一方的に破りながら、北朝鮮の独裁者に対しては、米国大統領が約束を守ることを前提に、非核化に合意させようとしている。

同上

 

フリードマンのNYTの元記事では、「独裁者」の部分を「Authoritarian」ではなく、「Dictator」を使っています。

 

After all, Trump is unilaterally breaking the 2015 denuclearization deal with Iran’s dictator while trying to entice North Korea’s dictator, Kim Jong-un, into a denuclearization deal that he’s supposed to trust the U.S. president will honor.

Opinion | Trump Takes On China and Persia at Once. What’s to Worry About? - The New York Times

 

2回だけの例ではなんとも言えませんが、少なくとも「Authoritarian」を朝日は「権威主義」と訳したことがあることは事実です。また、「独裁」と言う語と、どうやら区別して使っているようだ、とも見えます。

 

権威主義と独裁

先に引用したNYTの記事のように、独裁は「Dictatorship」が普通でしょう*7。NYTが、Dictatorship regime ではなく Authoritarian regime を使用したニュアンスをなんとか知りたいところです*8

 

権威主義と独裁は何が違うのか、というところは諸家の意見が分かれそうなところですが、現代の比較政治学の観点においては、権威主義体制の一形態に独裁制がある、というところなんでしょうか。

 

金丸(2019)*9に記載されている政治体制の分類が見やすいので引用します。

 

f:id:ibenzo:20190709012143p:plain

「権威主義体制論の興隆と政治体制の分類枠組み」2019 P29

 

f:id:ibenzo:20190709012316p:plain

同上 P30



金丸は、民主主義体制か否かの二分法が「限界」に達したところで、「権威主義体制」のロジックが盛んになってきた、としています。

 

21世紀に入ってさらに権威主義体制がプレゼンスを増すと、今度は形容詞つきの権威主義体制論が相次いで発表され、もはやグレーゾーンではなく新たな権威主義体制として多くの政治学者の研究対象となった。

同上 P31

 

そして、近年では更に細分化された「選挙権威主義体制」と「競争的権威主義体制」が盛んに議論されており、現在の曖昧な民主主義体制は、権威主義体制の一類型になるのではないかということでしょう。そして独裁もまた、その政治体制の違いがあるだけで、権威主義体制のひとつになる*10。下位分類を多くしていくことに意味があるのかという批判もあるようですが、浅学な私が調べた限りではそんな様相に感じました*11

 

権威主義者の台頭

恐らくにはなりますが、NYTが、日本政府のふるまいを「Authoritarian」と称したのは、昨今の権威主義者たちの台頭によるものではないでしょうか。

 

ヒトラーやスターリンのような、個人を中心とした「独裁」の形ではなく、昨今は、先述したような「選挙権威主義体制」のように、ルールに則った方法で権力を手に入れながら、その後は思うがままに行う、というような迂遠な形の民主国家の変化がある、と言われています*12。これは新興国や途上国だけではなく、劣化した現代の民主国家にも見られる、つまり、アメリカもその例に入れている論者もいます。

 

さて、「Authoritarian regime」の出てくるNYTの当該記事の前段には、こう書かれています。

 

Japan is a modern democracy where freedom of the press is enshrined in the Constitution, which American occupiers drafted after the war. It is not the kind of place where journalists are denounced as the “enemy of the people.”

日本は、戦後アメリカの占領者によって起草された憲法によって報道の自由が確保されている現代的な民主国家です。ジャーナリストが「国民の敵」と非難されるような場所ではありません。

This Reporter Asks a Lot of Questions. In Japan, That Makes Her Unusual. - The New York Times

 

「国民の敵(enemy of the people)」とは、まさにトランプ大統領がよく口にする言葉です。この言葉によって、アメリカのいろいろなメディアが名指しで批判されました。このパラグラフの直後に、「日本は時々"Authoritarian regime"のようなふるまいをする」と出てくるのですから、このNYTの記事は、単純な日本の批判というよりは、アメリカの国の「権威主義的」現状を踏まえた、ちょっとした代理戦争のような形の書きぶりのように思えます。そこにはかつての独裁者はいませんが、より厄介で複雑な形の権威が横たわっているのです。

 

「独裁」の意味は

上記のような考え方が正しいとするならば、朝日新聞が「Authoritarian regime」を「独裁政権」と訳すのは、決して間違いではありませんが、やや安直ではないでしょうか。踏み込んで書くならば、そこには恣意的なニュアンスすら感じます。

 

過去1年間程度の朝日新聞紙上の「独裁」の語を見てみると、その用法は次のように分かれています。

 

  • 海外のいわゆる「独裁者」及び「独裁政権」*13
  • 個人による「独裁」*14

 

 大澤(2016)によれば*15、現代の日本で使われる「独裁」という語の定義は曖昧で、「教義化された「デモクラシー」の対立軸」として使われている、と述べています。そして、日本では「独裁」は最悪の政治体制の一つ、として認識されています。恐らく多くの日本人が「独裁」と聞いて思い浮かべるのは、ヒトラーのような、個人が権力を握った状態のことでしょう。

 

学問的に正しいかではなく、そのような語義を含む「独裁」という言葉を、「Authoritarian」に当てはめることは不用意ではないでしょうか。確かに、「日本は権威主義的体制」と書いてもわかりにくいでしょうが、そこで言葉を選ばないことは結局、安倍政権を「独裁だ」「独裁じゃない」という議論に、意識してるかしてないかはおいとくとしても、足を引っ張られていると思うのです。

 

 

今日のまとめ

①"authoritarian regimes"は「権威主義的体制」と訳すのが学問的には一般のようである(辞書的には「独裁」でも正しいので誤りではない)。

②朝日新聞も、過去には「Authoritarian」を「権威主義」で訳しており、「独裁(Dictatorship)」と区別していた形跡もある。

③「権威主義者」たちの台頭が民主主義を劣化させている、という主張がアメリカにもあることを踏まえると、NYTの記事は、単純な日本批判ではなく、自国の現状を憂いているようにも読める。

④③を考えると、そのまま「独裁」と訳すのは、国内の政治的意図を意識しすぎているように読めてしまう。

 

エクスキューズすると、朝日新聞などの「独裁政権」の訳が誤訳だと言いたいわけではありません。脚注に記したように、そのような訳をするメディアも多々あります。ただ、他の訳語も選べた中で、「独裁」という言葉を使ってしまうと、やはり「アベ政治は独裁!」の議論を意識せざるを得なく、「公正な」メディアとしては不適当なのではないかな、と思った次第で記事にしてみたわけです。

 

望月記者の行動は称賛やら罵倒やらがいろいろあるようですが、このような議論を起こせる事自体はやはり評価すべきではないでしょうか。右にしろ左にしろ、日本のメディアはいかに党派性に左右されているか、ということがよくわかります。彼女の行動について落ち着いて考えるには、ちょっとこの国は雑音が多すぎるようです。賞賛も非難もあまり行き過ぎず、さわやかな気炎を吐くぐらいがちょうどいいですね。

*1:

ちなみに初稿では「独裁国家」と訳しており、これはさすがに誤訳だと思ったのか、しれっと現在は「独裁政権」にしています。誤字ぐらいはサイレントでいいけど、更新日時は変えろよな、と思います。

「日本、独裁政権のよう」ニューヨーク・タイムズが批判 [報道の自由はいま]:朝日新聞デジタル(2019年7月6日09:00:17アーカイブ)

*2:

このことを記事にした他の2紙も、「独裁」という訳語を使っています。

質問制限「独裁政権のよう」=日本政府の報道対応批判-米紙:時事ドットコム

NYT「日本、独裁国家のようにメディアを扱う」 | Joongang Ilbo | 中央日報

時間的には時事が最初なので、朝日はそれに引っ張られたかもしれません。

*3:

もちろん、辞書的には問題ありません。

 

権威[独裁]主義の; 独裁主義的な.

authoritarian とは 意味・読み方・表現 | Weblio英和辞書

 

権威主義の, 独裁的な, ワンマンの

authoritarian | translation of authoritarian in Longman English-Japanese Dictionary | LEJ

 

*4:

もちろんそうではない例もままあります

assumed power after the death of Islam Karimov, the Central Asian nation’s former authoritarian leader

中央アジアの国で独裁的な支配を27年間続けたイスラム・カリモフ大統領

ウズベキスタン:新大統領の1年、変化への淡い希望 | Human Rights Watch

 

Hong Kong's protesters used low-tech street smarts to smash China's powerful techno-authoritarianism

香港のデモ参加者は、ローテク装備と身近な知識でいかにして中国の"テクノロジー独裁"に立ち向かったのか

香港のデモ参加者は、ローテク装備と身近な知識でいかにして中国の"テクノロジー独裁"に立ち向かったのか | BUSINESS INSIDER JAPAN

 

中国は3.32点で130位を記録し「独裁政治体制(Authoritarian regime)」国家として評価された。

民主主義指数2018発表…韓国21位, 北朝鮮は最下位, 日本は? | ファイナンシャルニュースジャパン

 

 

 

*5:

Opinion | The Leader Who Was ‘Trump Before Trump’ - The New York Times

*6:

朝日は記事内でこれを「6月26日付」と紹介していますが、デジタルと紙面に差があるのかもしれません

*7:

例えば、

<研究ノート> 社会主義独裁体制と贈与交換 (経済学部特集号:斉藤栄司教授退職記念号―金型研究特集―)
<Research Note> A Socialist Dictatorship and the Gift Exchange (Special Issue of the Faculty of Economics; Studies Presented to Prof. Eiji Saito on his Retirement. Special Issu: Die and Mould Industry in Asia)

CiNii 論文 -  <研究ノート> 社会主義独裁体制と贈与交換 (経済学部特集号:斉藤栄司教授退職記念号―金型研究特集―)

 

創られた独裁者 : プロパガンダの脅威(2)
"Fake" Dictators : A Menace to Propaganda(2)

CiNii 論文 -  創られた独裁者 : プロパガンダの脅威(2)

 

立憲的独裁」の政治的動態 : ポルトガル・新国家体制下での大統領選挙を中心に
The Political Dynamics of the "Constitutional Dictatorship" : The Presidential Elections under the Portuguese "New State"

CiNii 論文 -  「立憲的独裁」の政治的動態 : ポルトガル・新国家体制下での大統領選挙を中心に

 

*8:

英語圏でも、この2つの語の意味の違いについてはしばしば質問されています。

What are the differences between dictatorship, authoritarianism and totalitarianism? - Quora

What is the difference between a dictatorship and an authoritarian regime? - Quora

*9:

トップページ - 和洋女子大学学術リポジトリ

*10:

この考え方は、いろいろな説のひとつだと思ってください。権威主義を民主主義と全体主義の中間と見る考え方もあります。

民主主義と全体主義の間の中間形態が権威主義であり、その特徴は「限定された多元主義」です。より具体的には、支配的な特定組織(政党、軍など)とは異なる政治主体の存在を許容する一方、結社や政治活動に強い制限を課す政治体制を指します。現在世界に存在する非民主主義体制の大部分は、権威主義体制に分類することができます。

政治体制 制度と組織の構築物 - ジェトロ・アジア経済研究所

 

*11:

なので、「権威主義」は「独裁」の下位互換ではないでしょう。しかし、学問的にはそうであっても、字面的には逆転しているような印象を受けてしまいます。

*12:

特に、選挙で勝利を手にするためなら何でもする「選挙権威主義」体制、そして選挙後に支配者が法を無視して思うままの行動をとるようになる「非自由主義的民主主義」が主流になっていくだろう。

民主国家で台頭する二つの権威主義 ―― 選挙権威主義と非自由主義的民主主義の脅威 | FOREIGN AFFAIRS JAPAN

 

それによると、かつての独裁者は、敵対者を国外追放したり殺害したりしたが、いまの独裁者は「合法性というベールのうしろに抑圧を隠そうとする傾向がある」と指摘する。すなわち、司法機関などを支配して対立相手を恣意(しい)的に罰し、訴訟によって報道機関を萎縮させ、選挙制度や憲法を変えて独裁体制を確立するのだという。

【一筆多論】民主主義を蝕むのは誰か 宇都宮尚志(1/2ページ) - 産経ニュース

 

*13:「フンセン首相は独裁色を強め、民主化は後退している」(朝日2018/7/10P4)「ムバラク独裁政権が倒れた2011年の「アラブの春」では」(朝日2018/7/21P10)など

*14:「富と名声を求めたゴーンは、独裁支配の中で欲求を膨らませ」(朝日2019/6/28P7)「町長について周囲から「独裁的だ」といううわさをいつも聞いていた」(朝日2018/7/11筑豊P35)など

*15:

CiNii 論文 -  独裁とはなにか : 現代における使用法とその課題