抱っこひも外しが話題になっており、メディアでも多く取り上げられていました。
お母さんが赤ちゃんを胸に抱く「抱っこひも」の背中のバックルを外す「いたずら」が横行しているという。SNSでいくつもの体験談が投稿されている。「混雑しているバスで、途中から乗ってきたおばさんが、お母さんの抱っこひもの背中のバックルを外した」「カチッと音がしたら、娘が落ちてきて慌てた。知らない女の人に、抱っこひものバックルを外されてた」
「抱っこひも」近づいて背中のバックル外し!イタズラか?「赤ちゃん落ちそうになった」とお母さん真っ青 : J-CASTテレビウォッチ
ツイッターで元々バズっていましたが、それがワイドショーにとりあげられ、より広範囲に拡散された、という感じです。
今日の記事、結論から書けば、発端となったツイートについては、不正確(正誤が判定できない)な情報が含まれています。ただしこれは、「当該ツイートが作り話である」という結論にはなりません。後述するように、様々なケースが考えられるためです。本記事の主意は、このような不正確な情報をもとに、あたかも「抱っこひも外しが横行している」かのように報道するメディア側の姿勢を問うものです。今日の記事のポイントは、我々はもっと注意深くなるべきだ、というところをご理解いただいた上で、お読みいただくかどうかのご判断をしていただきたいかと存じます*1。
「抱っこひも外し」の歴史
迂遠な書き方で恐縮ですが、大事になってきますので、「抱っこひも外し」という現象の歴史について簡単に触れたいと思います。
おそらく今回の被害にあったであろう、腰の太いベルトと、背中のベルトをカチッとつけるようなエルゴベビー(もしくはその形状のもの)は、日本では2010年ごろから急速に人気が高まってきたそうです*2。まず、今回の抱っこひも外しで話題になっている形状のものが巷でよく使われるようになったのはそう古い出来事ではない、ということです。
現在、ネット上で検索できる「抱っこひも外し」の古い例は、2019年3月のもの。こちらもツイートで、内容としては以下の通り。
- バスでの出来事
- ベビーカーをたためと運転手に言われ、前かがみになった時にカチっという音ともに子供が落ちてきた
- 知らない女性に無言で外された
- バス会社に報告をしようと思っている(したかは不明)
こちらを<3月抱っこひも外し>とします。
次にみられるのが2019年8月のもの。こちらはデパートのエスカレーターでのできごとで、外されたわけではなく、「外されそうになった」というものです。こちらは次項で詳しく書きますが、ひとまず<8月抱っこひも外し>とします。
そして、今回の2019年9月の抱っこひも外しは、3月と同じバスでの出来事ですが、被害者ではなくその場に居合わせた人という状況になっています。
- 神奈川の市営バスでの出来事
- 50代くらいのおばさんがバスの終点でお母さんの抱っこひものバックルを外した。
- バスの運転手に報告した。
こちらを<9月抱っこひも外し>とします。
各種メディアは「横行」「多数」のような書き方をしていますが、<9月抱っこひも外し>以前を含めても、私はこの3件しか見つけられませんでした*3。この<9月抱っこひも外し>のリプには「ツイッターで似たような事件を見ました」というような報告も多数あるのですが、これは<3月抱っこひも外し>や<8月抱っこひも外し>を指すものと思われます*4。もちろんネットは広大ですので、引っかからない報告もありますし、そもそもネットに書かない事例もあるでしょうが、さも「抱っこひも外し」の報告が多数されている、というように書くのはいかがなものかと思います。
つまり、この「抱っこひも外し」がネット上で認知され始めたのは2019年3月から、という新しい事象であることに注意が必要です。
TVメディアの放送について
インターネットのメディアはこの件を大きく取り上げていましたが、テレビメディアでいちはやくとりあげたのが、2019年9月20日放送の「スッキリ」です。放送の内容を書き起こしてみます。
ナレーター「SNSなどに投稿されている「抱っこ紐外しにあった」というエピソードの数々。」 (抱っこひも外しを目撃した人の投稿)ナレーター「混雑しているバスで抱っこひもで赤ちゃんを抱っこしているお母さ んがいて、途中から乗ってきたおばさんが、 背中のバックルを外した」 (外しているイメージ映像が流れる)ナレーター「さらに、別の投稿では」(抱っこひも外しを体験した人の投稿)ナレーター「カチって音がしたら娘が落ちてきて慌てた。知らない女の人に、抱っこひものバックルを外されてた」 ナレーター「赤ちゃんを支える抱っこひものバックルを外されるトラブル」(抱っこひも外しの恐怖を語る 母親Aさん30代)ナレーター「スッキリは、抱っこひもを外されそうになったという都内に住む30代の母親Aさ んを取材。その恐怖について聞きました。」 母親「自分の身に起こって、それが複数あるというのが信じられない。 そういうことをしてる人がいるってことも想像つかなかったんで、 すごく、こわいことだと思います」 ナレーター「トラブルは、先月の初め。当時、6か月の娘を連れ、デパートを訪れた時のことでした。子どもを抱っこして、 下りのエスカレーターに乗っていたAさん。ふと、 手すりに目をやると、後ろから、 誰かが手を伸ばしてくるのが視界に入ったといいます」 母親「見たら、手があって、人の。2段上、3段上ぐらいから身を乗り出してきてて、 完全になにかしようとしてた」 ナレーター「そして」母親「後ろから手が伸びてきて、背中に当たって、最初、痴漢かなと思ったんですけど、 でも背中に触れる痴漢っているのかなって思って、で、 そういえば、バックルに手が当たった感触があったんで、 もしかしてこれ、外されそうになってたんじゃないかって。 自分の子どもの命が危なかったんじゃないかと思って、 震えがきてしまって、すごくパニックになってました。」 ナレーター「恐怖を感じ、急いでエスカレーターを降りたため、「抱っこひも外し」の難を逃れたAさん。後ろにいたのは、 男性だったといいます」 母親「ただ無表情で立ったまま、しらーっとおりていきました。50代くらいの男性で、わわりとこぎれいな感じの、 どこにでもいそうな感じの男性でしたね」 ナレーター「その後Aさんは店員に状況を説明し、店から警察に連絡。今も男性は見つかっていません」 ナレーター「Aさんが抱っこひも外されそうになったデパートの他にも、バスや電車*5など、交通機関の体験談も多く投稿されているのです」 ナレーター「Aさんもトラブルにあって以来、身を守るための対策をしているといいます」 母親「出かけるときは気を付けようと思って、後ろを見たりとかしてますね。 リュックを背負ったり上着をはおったりとか、電車とか、 信号とか、何もない時も振り返るようになっちゃいましたね」
9月23日にはTBSのあさチャン!*6が、26日にはnews every.*7が報道をしています。内容としては似たり寄ったりで、ネット上で「多発している」という報告をした後、デパートで起こった<8月抱っこひも外し>の女性の証言を放送しています。
私がここでひとつ気にかかるのが、各メディアとも、今回バズった<9月抱っこひも外し>に関する証言者ではなく、<8月抱っこひも外し>の証言者を採用している点です。
この<8月抱っこひも外し>については、私も当該デパートに連絡を取り、事実であることを確認済みです。この女性にとっては恐ろしい体験だったでしょう。しかし、なるべく誤解のないように受け取ってほしいのですが、この話は「抱っこひも外し”未遂”」であり、実際に外されたわけではないということに留意が必要です。時期として、この<8月抱っこひも外し>は、<3月抱っこひも外し>の後ですので、「抱っこひも外し」というワードがネット上で完成されている頃です。<3月抱っこひも外し>の件をこの女性が知っていたかどうかは定かではありませんが、果たして<3月抱っこひも外し>の一件がなければ、今回の事例を彼女は「抱っこひも外し」だと認識したでしょうか。インタビューの様子を読んでもらってもわかる通り、「バックルに触られた」→「抱っこひも外しではないか」という推測になったのであり、本当に「抱っこひもを外そうとした」のかどうかはわからない、ということです。
誤解のないように何度も書きますが、だからこの<8月抱っこひも外し>の女性が嘘をついているとかそういうわけではなく、女性が男性の被害にあったのは事実です。しかし、現在言われている「抱っこひも外し」とは、事実関係から慎重に線引きした方がよいだろう、という考えです。警察に届け済みですので、犯人がつかまれば、この辺の曖昧な部分は解かれるでしょうが、あくまでも現時点では不明確である、としか言えません。
バス会社への問い合わせ
- 実際にはバスの運転手に報告をしていない
- バスの運転手が会社に報告をしていない
- 報告はあったが被害者事情に配慮して公表していない
- 神奈川県内のバスではない
- この話が作り話である
つい我々は、こういう情報を受け取ると、「5」のように考えがちですが、私は十分に「1」や「4」の場合もあると思います。人はよく思い違いをするし、事実とは多少異なる書き方をすることだってあるからです。それ自体は責めるべきことではありません。「3」については、各社とも「回答を差し控えたい」ではなく、「報告を受けていない」だったので、うーん、どうでしょうか。「2」だったら、これは会社としてどうなのかという、ちょっと大きな話になってしまいますが。
ポイントになるのは、<9月抱っこひも外し>のツイートの情報は正確ではないかもしれない、という可能性があるということです*9。
テレビが放送するということ
くどいように書きますが、私は<9月抱っこひも外し>のツイートが嘘であると書きたいわけではありません。我々は慎重に、その情報は不正確な要素を含んでいるかもしれないと認識すべきだ、というのがこの記事の主意です*10。
実は、関連したツイートを収集していると、いろいろなテレビ局が、「抱っこひも外し」の被害にあったであろうという人にコンタクトをとろうとしている形跡が見えます。たとえばお決まりの「DMを送りたいのでフォローしてください」というようなものや、「抱っこひも外し」の情報をもっていそうなアカウントをフォローしていたりとか、何とか実際に体験した人へ取材をしようという意図を感じます。それ自体は報道関係者として当然の行為でしょう。
ところが、今のところ、実際に抱っこひもを外された人へのコンタクトは成功していないようです。そのため、<8月抱っこひも外し>の女性が前面に出る形になり、そして、どれだけの数がいるかわからないにも関わらず、「被害の報告が多数」出ているような報道をしています。
けれども、果たしてテレビメディアは、今回私がしたようなバス会社への取材を行ったのでしょうか。もし行っておらず、ツイッターの証言だけでもって放送したのであれば迂闊ですし、行ったうえで放送しているのであれば、より事態は悪質です。不正確な情報かもしれないのに、さも「横行」しているかのように取り上げるのは、まさに不安をあおる報道そのものではないでしょうか。
テレビ離れと呼ばれて久しいですが、やはり放送の拡散力は桁違いです。放送業界の方は、その点を自覚してもらいたいなあと、ネットの隅っこにいる私なんかは思います*11。
今日のまとめ
○今回の件で事実と呼べることは以下の2点。
・<8月抱っこひも外し>は実際に外されたわけではないが、そのような事例としてデパートに報告され、警察に届けられている。
・神奈川県内のバス会社に「抱っこひも外し」は報告されていない。
これ以上の客観的な情報は何もなく、ここから何を読み取るにしても、それは憶測にしかならない。
これ以降、もしかすると、具体的な「抱っこひも外し」の証言が出てくるかもしれません。事の真偽に関わらず、もう「抱っこひも外し」という現象は私たちの社会に刷り込まれてしまっているからです。ただ現在、私には、疑心暗鬼になっているような投稿が目立つように感じます。具体的には書きませんが、<9月抱っこひも外し>のツイートより後に、駅でおばさんが「これ外れるのね」と言って、抱っこひも外したというツイートがバズっていましたが、後にそれはツイート主によって誤解であったと訂正されています。一度広まり始めた情報はバイアスとなって私たちの目を曇らせます。何気ない行動が、人を不安にさせるのです。
ぜひ私の記事を読んだ後も、「抱っこひも外しは嘘やったんだ!」と言う体で拡散しないようにしていただければ大変ありがたいです。私の記事ももちろん含めて、まずはご自身の目で、何が確実性が高い情報なのか、その情報をどう処理するか、見極めていただければと思います。
*1:
今回は内容の性質上、個人のツイートのリンクは提示せず、また、日付などもぼかして書きますこと、ご了承ください。
*2:
リュックサックのような肩ひもと腰の太いベルトが特徴の米国製「エルゴベビー」は10年ごろから急速に人気が高まり、普及しました。メーカー各社によると、現在では国内市場の約半数を外国製品が占めているといいます。
*3:
この<9月抱っこひも外し>以降は、「私も遭遇しました」という報告が散見されますが、後述する通りバイアスが働くので、慎重に考える必要があります
*4:
ただし、3件ほどそれとは別と思われそうな指摘がありましたが、1件はお節介なおばさんによる無頓着なもので事件性はなく、1件は明らかに学生の書いたイタズラのリプで(ただしあまり指摘されていない)、もう1件については、「友達の遭った件」として語られていますが、詳細は省きますが、私は<3月抱っこひも外し>のことではなかろうかと思います。ただ確証はないため、それを含めれば4件ですね。いずれにせよ、具体的なことは書いていないので検証ができません。
*5:電車の例が私には見つけられなかったんですが、どれでしょう?
*6:
2019/09/23 TBSテレビ 【あさチャン!】
“抱っこひも外し”被害の声・誰が?赤ちゃん落下の危険も
赤ちゃんを抱っこするために使用する抱っこひものバックルを外す迷惑行為、“抱っこひも外し”にあったという声がネット上に多くあがっている。
実際にバックルを外されそうになった母親に話を聞いた。
先月はじめ、6か月の娘を連れデパートのエスカレーターの乗っていた時、気付いた時、何者かが背中に手を触れていたという。
母親がすぐに振り向くと50代くらいの男性が真顔で背後に立っていて恐怖ですぐにその場を離れたという。
その後、母親は店員に状況を説明、店は警察に連絡したが男性は見つかっていない。
抱っこひも安全協議会も極めて悪質かつ危険な行為と言えるので決して行わないでいただきたいとしている。
自衛策について。
長嶋一茂、TBS報道局解説室長・牧嶋博子のスタジオコメント。
*7:
ある女性が先月、6ヶ月の娘を連れてデパートに行った時に遭遇したトラブル。エスカレーターに乗った時、男が女性の背中のあたりを触った。初めは痴漢かと思ったが、抱っこひもに触れていたことから、「バックルを外そうとしたのでは」と気がついた。女性は、娘の命が危なかったと思い、パニックで体が震えたという。バックルが外れた状態で、母親がもしかがむタイミングがあると、赤ちゃんは頭から落ちてしまう可能性がある。抱っこひも安全協議会によれば、リュックやジャケットを上から羽織るなどし、留め具を隠すことが大事だと防止策を挙げている。
*8:
東急バス
京王バス
小田急バス
川崎鶴見臨港バス
横浜市交通局(横浜市営バス)
京浜急行バス
神奈川中央交通
相鉄バス
川崎市バス
江ノ電バス
大新東バス
川崎市営バス
*9:
実は、同様にして、もし<3月抱っこひも外し>のバスが神奈川県内のものであった場合、これについてもバス会社は否定しているので、この情報も不正確になってきます。ただし、<3月抱っこひも外し>については、バス会社に報告されたかどうかがわからないということ、神奈川県内である事実は不確定であることから、これについては本当に何もわかりません。
*10:
普段はしないのですが、自分なりに公平に記事を書くために、今回は当該ツイートの方にアポイントをとりました。直接やり取りはできなかったため、細かくは書けなかったのですが、丁寧に回答をいただきました。個人的な思いからも、「5」ではないと願いたいところです。もちろん被害に遭った人がいないことが望ましいのですが。
*11:
私個人の意見としては、抱っこひも外しの事件に遭遇する確率よりも、バックルの止め忘れや、前屈みなどの推奨されない姿勢での使用による事故に遭う方が確率が高いと思います。
「抱っこひも等の安全対策~東京都商品等安全対策協議会報告書~」P38
http://www.metro.tokyo.jp/tosei/hodohappyo/press/2014/12/documents/40ocp101.pdf
自衛するのは大切だとは思いますが、過度にその「犯人」を恐れるよりは、日常での抱っこひもの使い方に気を付けることも大切でしょう。