最近話題になっている『女帝 小池百合子』(文藝春秋 以下『女帝』)の中の、こんなエピソードが話題になっています。
地元・芦屋の女性たちが阪神淡路大震災の陳情に行くと小池氏は指にマニキュアを塗りながら一度も顔を上げずに応じ、
「もうマニキュア、塗り終わったから帰ってくれます? 私、選挙区変わったし」。
(2ページ目)『女帝 小池百合子』は真の東京アラート…「マニキュア、塗り終わったから帰ってくれます?」 | 文春オンライン
非常に強烈なエピソードで、twitterでも取り上げられてバズっていましたし、ほうぼうのメディアでも引用されていました。
しかし、天邪鬼な私としては、このエピソードは果たしてどの程度事実に沿っているのか、少々疑問に思いました。残念ながら、今回の記事では明確なソースも否定するソースも出てきません。内容の真偽というよりかは、私のスタンスは、「ノンフィクションとメディアの付き合い方」というところにあります。そのため、この記事は「検証中」タグをつけ、同エピソードについてご存じの方を募集しております。いつも通り面倒な方はまとめだけ読んでください。
【目次】
『女帝』の内容
『女帝』で、このエピソードが出てくるのは第4章「政界のチアリーダー」の中です。全て抜粋はしませんが、さわりを引用するとこんな感じ。
震災からだいぶ経っても、被災者の厳しい現状は変わらず、芦屋の女性たちが一九九六年、数人で議員会館に小池を訪ねたことがあった。
窮状を必死に訴える彼女たちに対して、小池は指にマニキュアを塗りながら応じた。(中略)ところが、小池はすべての指にマニキュアを塗り終えると指先に息を吹きかけ、こう告げたという。
「もうマニキュア、塗り終わったから帰ってくれます? 私、選挙区変わったし」
『女帝』*1
この話を、芦屋の女性たちは地元に帰った後、「芦屋の「山村サロン」」で地元の人々に報告している、と著者の石井氏は書いています。素直に考えると、このエピソードを、石井氏が「芦屋の女性たち」もしくはその報告を受けた人から聞いた、ということでしょうか。
ただ、石井氏は丹念に取材をする方だと思うのですが、この挿話に関してはちょっと出所が曖昧な印象を受けました。直後の、小池氏のインタビューの横柄な態度については「取材者の声」と書いていたり、次章の拉致被害者家族の会見の際の「私のバック、拉致されたかと思った」発言*2は、蓮池透氏のツイッターだと明記したりしているのですが。
「山村サロン」の集会
わからなければ、事実回りを調べていきます。
まず、1996年で、「選挙区が変わった」と小池氏が発言しているので、1996年10月20日の第41回衆議院総選挙*3のことだとわかります。前回の1993年の選挙では、小池氏は日本新党から兵庫2区(のちに兵庫7区)で出馬していますが、この1996年の選挙では兵庫6区から当選しています。石井氏はそれを、兵庫7区には地盤の強い土井たか子がいるからだろうと書いています。
とすると、「芦屋の女性たち」が議員会館に陳情に行ったのは、1996年10月以降ということになるでしょうか。解散が9月27日、公示日が10月8日であり、その前から選挙区が変わるというウワサはあったものの*4、10月より前にはわざわざ言わないような気がします。
少し事実を整理すると、阪神淡路大震災が起こったあと、被災者に対する支援は義援金任せで、政府主導の支援というものは少ない状態でした。そこで、故小田実氏が中心となって、「災害被災者支援法案」の実現に向けて、市民たちが活動を行った「市民=議員立法実現推進本部」という組織が立ち上がりました。事務局長には山村雅治氏が就き、氏が運営していた「山村サロン」でも活動が行われました。
石井氏も参考文献に挙げている『自録「市民立法」』(藤原書店)には、この時期の「市民=議員立法実現推進本部」の動きが細かく書いてあります。「東京連絡会」の国会議員へのロビー活動が始まったのは8月30日と記録があります。「芦屋の女性たち」と、この「推進本部」自体にどの程度のつながりがあるかわかりませんが、「山村サロン」で報告をしたということは、何らかの関係があったと考えた方が自然でしょう。また、「推進本部」は、9月26日に兵庫選挙区の立候補予定者47名に、被災者への公的援助に関するアンケートを送っています*5。兵庫からは21名の回答があったようですが、その中に小池百合子氏の名前はありません*6ので、送付をしていないか、回答をしていないかのどちらかでしょう。
実際に小池氏に「芦屋の女性たち」が会いに行った日付はわかりませんが、「山村サロン」で報告した日は推察ができます。この1996年10月以降となるはずなので、「山村サロン」で報告(「兵庫集会」)が行われたのは、1996年12月4日、11日*7。年明けということであれば、1997年1月7日*8、3月8日*9。これ以降の報告は少々遅い感があるので、候補としてはこのあたりでしょうか。
どんな団体が出席していたかわかればよかったのですが、残念ながら他の著書*10を見てもその記録はありません。辛うじて関係のありそうな団体として、『自録「市民立法」』には、「阪神淡路大震災被災女性を支える会」*11、「大震災「声明」の会を支援する女性ネットワーク」の名前が見えますが、果たしてその団体の女性たちなのか、それとも個人で行った女性たちなのかはわかりません。
わかるのは、「推進本部」に関わりのある女性(もしくは女性団体)らが、1996年12月~1997年3月までに4回行われた山村サロンでの「兵庫集会」で報告したことではないか、ということです。
他のメディアを探してみる
もしかすると、石井氏が著書で挙げている参考文献の中にあるかもしれないと思い、関係のありそうな文献*12を読んでみました。
ところが、この「マニキュア」エピソードは、石井氏のあげる参考文献の中にはありません。念のために、NDLサーチで、「小池百合子」をキーワードに、1996年以降の記事を探してみましたが、全て読んだわけではないものの、関係ありそうなタイトルのものについては、やはり記載はありませんでした。
書籍についても同様で、いわゆる「小池氏礼賛」の本には載っていないと思うので省きましたが、批判本もなるべく目を通しましたが、やはりエピソードとしては載っていません。
もちろん、小池氏が大変冷淡で傲慢であるというエピソードは載っています。
以前に番組で共演した元自民党の大物議員は楽屋で「小池百合子は、選挙前は平身低頭して応援のお願いに来たのに、終わった後は御礼の一つもよこさない。まったく人としての『情』みたいなものがないんだよ!」と、私の顔を見るとひとしきり感想をぶちまけていた。
どちらかと言えば、こうした「薄情」という評価の方が多いだろう。
『贖罪』音喜多駿(幻冬舎)P181
小池さんが代表して自民党の地方議員を紹介したのですが、一人の新人区議を名指しして『彼はまだ雑巾掛けですから』と言ったのです。区議だって有権者に選挙で選ばれた立派な政治家です。後援者の前で雑巾掛け呼ばわりされ面子丸つぶれでした
週刊現代2008年2月2日号 P31
しかし、どうも私には「マニキュア」のエピソードを見つけることができませんでした。ただし、後述するネット上で初出と思われるツイートのリプ欄には、それを「週刊誌で読んだ」とする記述があるので、何かに掲載されたことがあるのかもしれません。少なくとも、「ジャンヌダルク」とか「病み上がりの人」とかのエピソードに比べれば、あまり語られていない挿話のひとつではあると言えるでしょう。
真偽ではなく正確性の問題
さて、ネット上でこのエピソードが初めて出てくるのは、だいぶ時間が過ぎてからの2016年です。
直接引用はしませんが、前述した「推進本部」の報告会に出席をした際に聞いた、という方のツイートが、前回の都知事選前の2016年7月にありました*13。実際に聞いた、という方の言葉はたいへん大事です。本来であれば、これをソースとして考えてもよいでしょう。
ただ、この方のツイートでは、「マニキュアを塗っていた」「選挙区が変わった」という2点の話であり、石井氏の書くようなマニキュアを塗り終わるまで聞いたりとか、息を吹きかけたりといった描写は出てきません。
石井氏は、『女帝』の前に、計4本*14の小池百合子氏に関する記事を書いています。その中でも、彼女の学歴詐称疑惑に深く切り込んだ、文藝春秋の2018年7月号が一番有名でしょう。当然と言えば当然ですが、『女帝』は、この過去の4本の記事の内容を組み込みながら構成しています。
しかし、「マニキュア」のくだりについては、この4本の記事の中には出てきません。ということは、『女帝』を書く際に、この「マニキュア」に関する取材を行った、と考えるのが自然でしょう*15。なぜそんな微細な点にこだわっているかというと、この話が20年以上前の話にも関わらず、2016年にいたるまで、ネット上はおろか、他の様々なメディアにすら取り上げられてこなかった、というところが引っかかるからです。
私はこの話の存在自体を疑っているわけではありません。多かれ少なかれこのようなことがあったのは事実だろうとは思います。私が知りたいのはこの挿話の真偽ではなく、正確性の点です。仮に20年以上経ってから「芦屋の女性たち」なりなんなりに取材したとしたら、そのエピソードの細部は時間の経過とともに変質している可能性があります。特に、この話は他の媒体でほとんど語られておらず、記録という形で残っていません。そうすると、彼女ら(彼ら)の正確性を裏付けるような担保になるものがないことになります。これは少々危うい書き方になりはしませんでしょうか。
例えば、なぜ話を聞く気がないのにわざわざ対面で会ったのか?は不思議な話です。それこそ秘書が対応したり、陳情書だけ受け取ったりといった方法もとれたでしょう。その理由を小池氏の薄情さや尊大さに求めてもよいですが、もしかすると別の理由があるのかもしれません。それは、一方の言い分だけではわからないことです。だからこそ、石井氏には、もう少しはっきりこのエピソードの根拠となるものを文中に書いてほしかった、と思うのです。
今日のまとめ
①「芦屋の女性たち」が小池氏を訪れたのは、選挙が決まった1996年10月以降のことと思われる。
②実際の報告が「山村サロン」で行われたのは、記録から、1996年12月~1997年3月の間の可能性が高い。
③この「マニキュア」のエピソードは石井氏の著作の参考文献には掲載されていない。
④また、全てではないが、他の小池氏関連の著作や記事にも見られず、全くメディアに載ったことがない話か、ほとんど出てきていない話だと言えそうである。
⑤そのため、このエピソードの細部の正確性には疑問が残り、追加の検証が待たれる。
それとも、私が知らないだけで、芦屋界隈には綿々と受け継がれる常識的な小池百合子像の話なのかもしれません*16。それならそれで、この記事をきっかけに、そういった話が集まればよいものと思います。
今回の記事を書くにあたって、私は事情を知っていそうな色々な方(当時の代表やら議員やら)にコンタクトを試みたのですが、いやはや、なしのつぶてでした。もちろん、個人のこんなブログの問い合わせに快く応じてくださる方が珍しいわけで、それは仕方ないことであります。
だからこそ、このエピソードをあまりにも無批判に引用するメディア*17は、その立場をもうちょっと使えばよいのに、と思うわけです。「ノンフィクション」は、事実の集積ですが、そこには明快な「物語」が望まれます。小池氏自身も「物語」を必要としている、と石井氏は書きますが、「ノンフィクション」自体にも「物語」が必要です。「ノンフィクション」の面白さは、その「物語」の出来で決まるものと私は思います。そして、この『女帝』は、その点が抜群に面白いものです。
しかし、メディアがその「物語」を使うときは、注意して使うべきだと思います。注意とは何か。事実を整理し、関係者を調べ、正確性を担保するということです。自らが作家にならないようにする、という態度は、なかなか難しいものです*18。
*1:
ページ数をふりたいのですが、私は電子書籍で読んだので、残念ながら正確なものがわかりません…どうにかなりませんかね
*2:
https://twitter.com/1955toru/status/1032121675502870528
*3:
*4:
一九九四年頃から小池が六区を狙っているらしいという噂はあったが
『女帝』
*5:
自録「市民立法」―阪神・淡路大震災 市民が動いた! P189
*6:前掲 P191
*7:前掲 P214
*8:前掲 P235
*9:前掲 P248
*10:
*11:
このアーカイブページに名前が見えます。
*12:
さすがに全て読むのは骨が折れたので、
・小池百合子氏の自著(さすがに自分では書かないだろう)
・あまりに関係なさそうな記事(子宮筋腫の手術、シワ取り術など)
を除いた4章までの文献を読みました。また、後述するように、NDLサーチの「小池百合子」で1996年~2016年の間に引っかかった、関係ありそうな記事や本についても合わせて列記します。それでもまだまだ記事はあるので、読んだらぼちぼち追記していきます。☆がついているのは、石井氏の著書に参考文献として挙げられていたものです。
【雑誌記事】
週刊朝日1997年7月4日号 | 細川総理の離党騒動に小池自身が語る |
週刊朝日1998年1月16日号☆ | 小池自身が小沢自由党の解党騒動について語る |
週刊朝日2000年4月21日号 | 小沢一郎を捨てて保守党に鞍替えした顛末 |
週刊アサヒ芸能2005年10月27日号☆ | 細川元総理と新進党の話 |
週刊アサヒ芸能2005年11月3日号☆ | 小沢氏から小泉内閣入閣まで |
週刊現代2007年7月21日号 | 防衛大臣就任直後の失言エピソード |
週刊現代2007年7月28日号 | 革マル派人物とのつながり |
週刊現代2008年2月2日号 | 権力者に近づいてきたという話 |
週刊女性1997年1月21日号 | 変わり身のはやさ、「ただ注目を浴びていたいだけ」 |
週刊新潮2004年10月14日号 | 秘書のピンハネ疑惑の話 |
週刊新潮2007年8月30日号 | 今までの嘘や変わり身の話 |
週刊新潮2016年10月27日号 | 五輪会場の問題点 |
週刊文春1996年10月31日号 | 兵庫六区の選挙戦の話。創価学会とのつながり(多少肯定的) |
週刊文春2001年5月3日・10日ゴールデンウィーク特大号 | 日本新党だった枝野議員が振り返る話。「勝ち組」として名前が出てくる |
週刊文春2005年10月12日号 | 父親の生い立ちと小池氏に与えた影響 |
週刊文春2005年10月20日号 | 小池百合子の政治家転進からのエピソード(肯定的) |
週刊文春2005年8月25日号 | 2005年衆議院解散総選挙の「刺客」の話 |
週刊宝石1996年2月8日号☆ | 小沢氏擁立の顛末を対談形式で語る |
週刊宝石2000年9月28日号 | 政策秘書が名義借りではないかという話 |
週刊読売1996年2月25日☆ | 三枝との対談 |
テーミス2016年8月号だけはどうしても手に入りませんでした。
【書籍】
小池百合子の華麗なる挑戦 | 大下英治 | 河出書房新社 | 2008年10月 | |
挑戦 小池百合子伝 | 大下英治 | 河出書房新社 | 2016年10月 | |
「小池劇場」が日本を滅ぼす | 有本香 | 幻冬舎 | 2017年6月 | |
偽りの「都民ファースト」 | 片山善博 , 郷原信郎 | ワック | 2017年6月 | |
検証・小池都政 | 横田 一 | 緑風出版 | 2017年6月 | |
安倍「日本会議」政権と共犯者たち | 佐高信 | 河出書房新社 | 2018年1月 | |
「小池劇場」の真実 | 有本香 | 幻冬舎文庫 | 2018年1月 | 「日本を滅ぼす」の文庫化。あとがきが多少付け加えられている |
日本の気配 | 武田砂鉄 | 晶文社 | 2018年4月 | |
贖罪 | 音喜多駿 | 幻冬舎 | 2018年4月 | |
小池百合子東京都知事と黒塗り文書 嘘、隠ぺい、言い逃れ —— 税金を“ネコババ”する輩は誰だ! | 三宅勝久 | 若葉文庫ノンフィクション | 2019年6月 |
*13:
私も直接ツイートでご本人に確認をしました。
*14:
新潮45(2017年1月)「小池百合子研究ー父の業を背負いて」
文藝春秋(2017年8月)「男たちが見た小池百合子という女」
文藝春秋(2018年1月)「女たちが見た小池百合子「失敗の本質」」
文藝春秋(2018年7月)「小池百合子「虚飾の履歴書」」
*15:
もちろん紙面の都合もあるので取り上げなかった可能性もありますが、そうだとしても、2017年が石井氏の小池氏関係の記事の初出です。
*16:
小池百合子氏が、阪神の震災の際に何もしなかった、という記憶はあるようです。
https://twitter.com/masa_yamr/status/88290714903003136
*17:
地元・芦屋の女性たちが阪神淡路大震災の陳情に行くと小池氏は指にマニキュアを塗りながら一度も顔を上げずに応じ、
「もうマニキュア、塗り終わったから帰ってくれます? 私、選挙区変わったし」。
弱者に冷たい「小池百合子」という怪物を生んだオヤジ社会の罪 『女帝 小池百合子』が物語るもの (2/3) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
小池氏はほったらかす。追いすがる相手に手ひどい矢を放つ。そんなエピソードがふんだんにある。
震災被災者の陳情を、議員会館で指にマニキュアを塗りながら顔を上げずに聞いて言ったそうだ。
「もうマニキュア、塗り終わったから帰ってくれます?」
毎日 2020年6月6日 P9
――阪神・淡路大震災の被災者の訪問を受けた際に、指にマニキュアを塗りながら応対し「塗り終わったから帰ってくれます?」と言い放つエピソードも出てきます。私も小池氏本人に16年11月にインタビューした際、iPadを操作しながら目を合わせることなく生返事を続けられたことがあるので、こうした言動は十分に想像できます。
*18:
石井氏も、メディアのありようについては批判していますね。